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 野生の悪役令嬢 8


「…………何かがおかしい」


 スチュアートはエカテリーナの元にホイットニーを案内すると彼女から下がるように言われ、わずかに眉をひそめつつも部屋から離れた。

 そして窓辺にもたれ、ここしばらくの違和感を考える。


 ……今の御嬢様は、以前と全く違うのだが。その根本は変わらないような気がしていた。……けど、やはり違うのだ。


 彼の中には二人のエカテリーナが棲んでいる。


 一人は産まれた時から見つめ続け、大切に大切に育てた珠玉の宝石。艶やかで艶めかしい美貌と肢体。そして強烈な光を放つ残虐性。

 まるでそう生まれついているかのように、酷く自然な冷酷さ。にっこり笑って相手の顔面を踏みつけられる傲慢さ。

 知性ある狂人。そんな彼女の顔は、いつも穏やかだ。きょん?と惚けたり、ふふっと淡く笑ったり。

 とても柔らかい笑顔で、鞭を振るい、人を踏み躙る。

 惨忍極まりないことが、そのように見えない朗らかさ。

 

『……私がやりましょう。お命じあれ』


『そうして』


 秘めやかな二人の符号。エカテリーナがやるべきでないことや汚れ仕事などの場合、スチュアートはすすんで引き受けた。


『そうして』


 この短い台詞を耳にする瞬間が、心から幸せだったスチュアート。


 相手の生殺与奪を窺わせる血腥い命令でも、彼女は季節のドレスを注文するかのごとき軽さで微笑む。


 それがエカテリーナという生き物だ。


 なのに例の事件が起こり、エカテリーナは過去の記憶全てを失った。

 スチュアートどころが家族のことすら覚えておらず、戸惑うように不安な目をした少女。

 あんなか儚げなエカテリーナを見たのは始めてで、スチュアートはもちろん、伯爵夫妻もどうしたものかと困惑を隠せなかった。


『……よい。エカテリーナは、あのままでも。アレの血が継がれれば十分だ。あの珠玉の血を絶やさないよう、伴侶を吟味しないとな』


 父伯爵は彼女に何も望んでいないようだった。そこに在るだけで良いと、真綿でくるむように庇護し、心を砕いていた。それに倣い、夫人や周りもエカテリーナの好きにさせる。

 スチュアートだけが、それを受け入れられなかった。自分の心酔する女神が失われたことに。輝かんばかりに自由奔放だったエカテリーナが、部屋に引き籠もって項垂れることに我慢がならない。

 

 ……あんのクソ王子がっ! 御嬢様に懸想されるなど名誉であろうがっ! あまつ、夢心地な一夜を賜ったくせに、なんたる暴挙をっ!


 寝たきりになってしまったエカテリーナ。何ヶ月も目覚めず、医者らも匙を圧し折る有り様で、アンダーソン家は絶望に沈んだ。

 スチュアートも毎日献身的に看病するが、良い兆しは見えない。


 ……お目を開けてください。御嬢様……っ!


 甲斐甲斐しく世話をしながら、呪いのように呟く彼。力ないエカテリーナの手を両手で包んで額づけ、スチュアートは祈るように呪詛を口にした。


『あの憎き王子に思い知らせてやらねば。ねぇ? そうでしょう? 御嬢様…… だから目を覚ましてくださいませ。このスチュアートと共に、王宮を火の海にいたしませう』


 とつとつと物騒な毒を囁やきつつ、悲嘆に暮れ、一時もエカテリーナから目を離せないスチュアート。

 彼女の信奉者らの見舞いも暇なく、花や贈り物で満たされた室内は、まるで弔花に埋もれる棺のように見えた。

 それが堪らなく嫌で、スチュアートはエカテリーナの信奉者らを追い返すようになる。


 ……下らない感傷だ。欺瞞だ。こんなことをしたところで状況は変わらない。それでも……っ!


 全身を逆立てて仁王立ちするスチュアートに恐れをなしたのだろう。彼の裏の顔をエカテリーナの情人は知っている。

 結果、見舞客の訪れは絶え、エカテリーナの部屋にはスチュアートの王太子に対する恨み言だけが満たされた。


 そんなこんなで三ヶ月が過ぎ、寝たきりで弱った彼女の身体が体内に注がれる流動食を消化出来なくなった頃。


 もう覚悟するしかないと、誰もが脳裏に諦めを過ぎらせた。はやこれまでと。


 ……神様っ! 悪魔でも、邪神でも良いっ! 御嬢様をお救いくださいっ!! なんでもします、私の命でも捧げますっ! なにとぞ……っ!!


 エカテリーナのベッド横に跪き、スチュアートは一心不乱に祈りを捧げる。それこそ寝食を忘れて昼夜問わず祈り続ける彼だが、体力には限界というモノがあった。

 飲まず食わずで倒れたスチュアートを、ひっそりと彼の自室へ運び込む宵闇の者達。


 しかし、その願いが聞き届けられたのか、翌日、突然、奇跡的にエカテリーナは目覚めた。


 死を免れた対価なのか、記憶の全てを失って。これが二人目のエカテリーナである。


 これまでの絶望を思えば、記憶がないくらい何するものぞ。感涙にむせぶ家族や周りは、エカテリーナに何もさせず、ただ生きていてくれたら良いと、デロデロに甘やかした。

 スチュアートも同じ気持ちだ。衰弱した身体をおして、エカテリーナの世話に駆けつける彼を、暗部の者が呆れ気味に見つめる。


 ……ありがとうございますっ、神様っ! いや、私に慈悲をかけてくれるなんて、悪魔かもしれないな。どちらでも良い、死んだら魂を捧げますので、今は見逃してくださいっ! 


 全く様子の違うエカテリーナだが、スチュアートにとってはどうでも良かった。生きていてくれるだけで、何物にも勝る至福だった。

 

 けどエカテリーナは、やはりエカテリーナである。


 彼女は自ら学びを始め、以前確執のあった老ホイットニーまで呼び寄せて淑女に返り咲いた。

 あらゆる知識を貪欲に取り入れ、奴隷や淫蕩な遊びに耽ることもなくなり、至極真っ当な貴族令嬢として。


 これにはスチュアートも瞠目せざるをえない。


 記憶を失ったといっても身についた所作や礼儀作法は忘れていないようで、ぎこちなくはあるが然程問題なく出来ていた。

 しかしそれに甘んじず、彼女はさらなる高みを目指して邁進する。その煌めく瞳に、スチュアートは以前のエカテリーナを垣間見た。

 無垢で無邪気で、やりたいことに突っ走る過去の悪女の片鱗。それがチラチラと視界を掠めていく。


 ……ああ。やはり貴女は貴女なのですね。常に自然体で、好き勝手に生きていて…… 今、夢中なのは勉学ですか?


 己の欲望に忠実だったエカテリーナ。


 前のように苛烈ではないが、今のエカテリーナもそういう生き物のようだ。やっぱり中身は変わらないのだなと、スチュアートは思わず目を細める。

 足りないモノを求める彼女の姿に安堵し、スチュアートはやってくる信奉者らを片付けた。

 

 それをエカテリーナが望んだからだ。




『……わたくしの情人?』


『左様です。前にはよく侍らせて遊んでおられましたが…… フーも奴隷から解雇したようですし、アレらも、もう無用で?』


『……そうね。もう要らないわ。そう伝えてくれるかしら?』


『金輪際二度と? そのようにして宜しいですか?』


『そうして』


 スチュアートの目が一瞬見開く。


 懐かしい一言。


 薫は、知らず知らず狂瀾執事の歪んだ忠誠心に燃料を注いでいた。


 その夜起きた阿鼻叫喚の宴は、彼女に知られない。




「けれど…… 御嬢様は、御嬢様だ。お変わりになられても根本は変わらない。……きっと変わってない」


 今の穏やかで儚げなエカテリーナ。


 ……知識を蓄え、己の身分や権力を正しく理解したら…… また、以前の御嬢様が戻って来る。そうに違いない。


 あの眩しいまでに冷酷な珠玉が。


 それを期待して恍惚とした面持ちのスチュアート。


 だが彼は知らない。


 過去の本家エカテリーナが、人を魅了する輝きと底なしな昏さを醸す流麗な黒ダイヤだとすれば、今のエカテリーナはオカン気質を持った現代人だということを。

 子供を愛し、慈しむ反面、それの敵には容赦なく牙を剥く超リアリスト。宝石に例えるなら、穏やかな若葉の新緑色と苛烈な焰の赤銅色を抱くアレキサンドライト。




「スチュアートっ! ちょっと、こっち来なさいっ!!」


「はい? え?」


 この先、己のしでかすアレコレに、逆鱗MAXで稲妻を落とすエカテリーナが未来に存在するなど、今の狂瀾執事様は想像もしていない。

 

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最近こちらの作品を知りました 続きは読めないのでしょうか 楽しみにしております
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