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 野生の悪役令嬢 6


『では、また別館に信奉者を集めておきましょう』


『そうして』


『どのあたりまで仕込みますか? 例の御令嬢ほどはなさらないでしょう?』


『そうねぇ…… ペット達の玩具になるくらいかしら? わたくしを興奮させられるなら、少しは足先を舐めさせてあげてもよろしくてよ?』


 ふふっと無邪気に笑うエカテリーナに、スチュアートは背筋をゾクゾクさせた。

 彼女は、本気でそう思っているのだ。悪意とか、貶めてやろうとかいう意図もなく、極自然に相手を踏みつける。それも気分的には愛でている感覚で。

 それが当たり前なのだと疑いもせず、遥か高みから人々を見下ろすエカテリーナ。


 後日、彼女の信奉者らに散々可愛がられた公爵令息が、婚約の打診を取り消した。


 少年は家から出なくなり、気づけば隣国に留学していたという。




『良い玩具になると思っておりましたが……』


『まあ、構わないではないですか。身の程を知ったということでしょう?』


『ふふ…っ、泣き喚いていましたからね。許してくれと』


 狂信的な信奉者らに囲まれ、静かに微笑むエカテリーナ。その眼が、ふと陰惨な翳りを帯びる。


『わたくしから逃げるなんて。気に入らないわね……』


 壮絶な色香が伴う艶めかしい声を耳にし、ひゅっと周りの人々が息を呑んだ。期待と欲望の同衾した煌めく瞳。


 彼女の口癖にも近いソレは、悪辣な遊戯の始まる合図でもあった。


 まるで嗤いを堪えるかのように震える彼らの口元。

 エカテリーナの蜘蛛の巣に囚えられた獲物に、逃げる術などない。


 後日、帰国した公爵令息が顔面蒼白でエカテリーナの信奉者らの末席に座っていた。屈強な男性達に囲まれ、所在なげな公爵令息。

 彼の未来はエカテリーナのために使われるのだろう。彼女の気まぐれで遊ばれる玩具として。あるいは信奉者らの暇つぶしとして。


 どんな身分であろうが関係なく、ある意味平等にも振る舞うエカテリーナ。権力を正しく理解し、その使い途が己の欲望のためだけという純然な悪党。


 その清々しいまでな悪女っぷりに、スチュアートは拝金主義から鞍替えしそうになる。


 最初は金のためだった。次には暗部にボコスコにされ、見返してやると意地を張った。それが叶い、本格的に執事となった時。


 小さな御令嬢の無邪気な冷酷さに魅せられた。


 些細な失態も許さずに鞭を振るうエカテリーナ。


 飛び散る血飛沫にも怯まない。むしろ歓喜すら浮かべた彼女の表情。満足げなソレから眼が離せず、じっと見つめていたスチュアートの視界で、彼女は飛び出してきた子供を容赦なく奴隷にした。


 どこまでも欲望に忠実で艶やかな淑女。


 規格外な暗部に鍛えられたスチュアートも、頭のネジが何本か飛んでいる。その自覚があり、それを歓迎してもいる。

 そんな彼にエカテリーナは眩しすぎて、思わず拝みたくなった。


 親や兄弟に虐げられてきた過去を持つスチュアートにしたら、何も我慢せず突き進む少女が女神に思える。

 そして、その自由奔放さを愛し、守りたいと心から願った。

 さらには、スチュアートが真摯に仕えれば仕えるほど伯爵家は湯水の如く金子をくれるのだから笑いが止まらない。


 ……ああ、我が君。思うがまま生きてください。


 そう祈りながらスチュアートは研鑽をつみ、王宮暗部に恐れられるほどの強者となる。


 そんな経緯を簡単に説明し、彼は未だに茫然自失なフーを見下ろした。




「……ここからは後戻り出来ません。私の教えを学ぶということは、暗部の理を引き継ぐも同然なのです。逃げ途を塞がれ、一生身を粉にして働くことを要求されます。それでもエカテリーナ様に仕えますか?」


 冷徹なスチュアートの笑みを見て、フーは背骨が抜けてしまったかのような虚脱感に見舞われる。身体の軸がブレまくり、ゆらゆらと傾ぐ上半身。


 その葛藤に眼を細め、辛抱強く答えを待つ狂瀾執事。


 ……僕が? アレを? ……出来るのか?


 フーの脳裏に身体を刻まれた悪徳商人の断末魔が蘇った。小気味好く骨ごと断ち切る残酷な鋏。ああいったことを平然とやり遂げるスチュアート。

 これが、アンダーソン家の裏の顔。それも触り程度。旦那様直属の者は、この執事にすら化け物と呼ばれる人外なのだ。


 ……その片隅に僕が? やれっこないっ!


 思わず天を仰ぎ、慟哭を上げかかった少年の胸中に、先程と違う温かな何かが過る。


 ……ダイジョブよっ!


 にっかり笑う穏やかな御令嬢。


 そこでフーの眼が大きく見開き、瞬いた。


 ……そうだ。今の御嬢様は、以前と違うんだ。


 過去にやらかしてきたようなことはしない。命じられることはない。今回のはイレギュラーだ。相手は犯罪者なのだし、伯爵家の面子もある。見せしめのための処罰もやむをえなかったはずだ。

 前のエカテリーナがやっていた悪事は、今の御嬢様とは無縁の事柄。


 それでもスチュアートの言うように敵は出来るだろう。御嬢様の美貌や財産を狙ったり、疎ましく思う者も少なくはない。


 そういった輩からエカテリーナを守るには……




「……やります。鍛えてくださいませ、この僕をっ!」


 土下座するようにひれ伏したフーを満面の笑みで見据え、スチュアートは少年の手にある物を渡す。

 それはさっきまで商人の身体を刻んでいた鋭利な鋏。


「習うより慣れろだ。じゃ、練習してみようか?」


 良い笑顔でフーの腕を掴み、馬車の中に連れて行こうとする狂瀾執事様。


「え?」


 え? え? と、引きずられたフーの目の前にいるのは、まだ無傷な商人の仲間たち。

 そう。商人は三人いたのだ。


「こういうチャンスは滅多にないのでね。まずは、解体の仕方を教えます。人間の関節とは存外脆い部分もあるんだよ?」


 己の通ってきた途をなぞらえ、実地込みで少年に叩き込もうとするスチュアート。


 そうとは知らず、突然訪れた窮地に、歯を食いしばって情けない顔をするフー。


 ……御嬢様ぁぁぁーっ!!


 絹を引き裂くような絶叫を心のなかでだけ叫び、フーは否応もなしに狂瀾執事の洗礼を受けるはめとなった。




「……ぐっ。……御嬢様。僕は」


 ぐしゃぐしゃな顔で嘔吐きつつ、なんとか平静を装い、フーはスチュアートと共に川で身体を洗う。

 流れる真っ赤な血色。それをぼんやりと見やり、小綺麗になった二人はとつとつと話しながら邸に戻っていった。


「知識、教養、礼儀作法。全てにおいて、お前は足りないです。私が教えるのでも良いですが、御嬢様のお世話もあります。……うーむ、教師を雇うべきでしょうか? そういえば、カナとかいう娘もいるのでしたね。アレにも教育が必要でしょう。あの邸の者らも、御嬢様に仕えるには未熟そうでしたしねぇ……」


 淡々とこれからを話すスチュアートの声に引きずられるよう、フーはその後を静かな歩調でついていった。


 そして、その悩みを解消する事態が翌日起きる。






「ホイットニー先生……っ?!」


「ほっほっほっ。来てしまいましたよ、エカテリーナ嬢。短い余生の老人に生き甲斐を与えてくださいませ」


 現れたのは老ホイットニー。


 彼は見事な白髪を首筋で一つ結きにした簡素な格好をし、旅支度を抱えた弟子二人を連れていた。

 如何にもお出かけですという暢気な姿。

 とりあえず邸に入ってもらったエカテリーナは、先生から詳しい話を聞く。


 温かな紅茶を口にし、至福の面持ちな老人。


「これは見事な…… 良いお茶ですね。ここしばらく口にしていない味だ。それを差し引いても、貴女の執事が淹れるお茶は美味い」


「畏れ入ります」


 そつなく受け答えるスチュアート。その傍に立つフーは、彼の一挙一動を食い入るように見つめて模倣している。

 変に疲れた顔をしているものの、明らかに垢抜けた感の漂う少年を一瞥し、ホイットニーの眼が煌めいた。


 ……男子、三日会わざれば刮目して見よとはいうが。なかなかに扱かれている様子。


 エカテリーナの傍にあるのだ。この執事が鍛えないわけはない。

 これまた育てがいのありそうな人物を見つけ、無意識に食指を動かすホイットニーだが、まずは相談だと、目の前のエカテリーナを静かに見つめる。


「わしもそろそろ現役を退こうと思いましてな。で、まあ、最後のご奉公と申しましょうか。やりかけていた貴女の指導を続けたいと考えて、馳せ参じました」


 好々爺な面持ちのホイットニー。


 その話によれば、王都にいる限り、彼の教えを求める者は後を絶たない。先頃まではエカテリーナの専属教師だったから、そういった誘いも断れていたが、それを辞めてしまっては断り難い話も出てくる。

 なので隠居を兼ねてエカテリーナの専属となり、この邸に置いて欲しいという話だった。


「来てみて、さらにその気持ちが強くなりましたなあ。森や水の豊かな良い土地です。季節の移ろいを楽しみながら、貴女とゆったりした日常を過ごしたい」


 ……つまり、居候志願ってことかしら? その対価として、アタシに教養の続きを手ほどきしたいと?


 ふーむと少し逡巡する薫だが、その彼女の後ろでスチュアートが呟いた。


「良いお話だと思いますよ。ここには指導を必要とする大勢の使用人がおります。フーにも専任の教師が必要かと考えていたところですし、カナも平民丸出しでは伯爵家の奉公人になれません。他の者も足りないところばかりです。王都の邸ほどとは言いませんが、一貴族家の者として、しっかり教われるのは僥倖かと……」


 ……なるほど? ホイットニー先生も、やり甲斐があるかもしれないわね。


 この別邸丸ごとを教え導く教育係。彼は金銭的にも困っておらず、趣味でエカテリーナの指導を続けたいと押しかけてきた。

 そのついでに、スチュアートは他の者も学ばせて欲しいというわけだ。


 二人の会話に耳を欹てていた老人は、これ幸いと快く引き受けてくれる。


「それは願ってもいないこと。わしの弟子二人にも良い刺激になりましょう」


 そう言われ、薫はホイットニーの隣に座る二人を見た。挨拶以外、無言で佇んでいた二人は、それぞれ改めて名乗る。


「お初にお目にかかります。私はリュート。隣は妹のリィーア。もったいなくも先生の弟子を務めさせていただいております」


 茶色い髪と目な二人。どうやら兄妹のようだ。歳の頃は二十歳と少しくらい。エカテリーナより年上である。


「これらは遠縁から引き取った者でしてな。わしも身寄りがいないし、身の回りの世話を任せております」


「先生が引き取ってくださらなくば、幼かった私達はきっとどこかに売り払われていたでしょう。感謝しかございません」


 どうやら複雑な内情があるようだ。


 そう思いつつも深く追求はせず、エカテリーナは彼等を迎え入れることにした。


 そしてモノはついでだと別邸の者達を広間に集め、ホイットニー達の紹介に便乗し、自分の妊娠などの説明もする。もちろん、相手が王子だとまでは話さないが。

 空いた口の塞がらないレグザ。他の者達も、目まぐるしく百面相をしていた。ホイットニーですら瞠目し、ピキリと固まっている。


 フーとスチュアートは、しれっとしたものだ。


 それぞれの動揺や困惑を察して、苦笑するしかない薫。


 そんなこんなで事は進み、彼女の新たな暮らしが幕を上げた。

 

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