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 野生の悪役令嬢 5


『これはまた……』


 伯爵家で提示された条件は破格だった。


 期間は五十年、俸禄は王宮勤めと変わらぬ額を契約金として一括で。それとは別の手当てもあり、功績にもよるが、何かしらあれば、その都度特別報酬を約束してくれている。


『貴殿さえ良いなら期限は無期限だ。長く、よく仕えてくれる者を我が家は望んでいてな。……それに見合う働きを求めるが、如何?』


 つまり常に研鑽して己を高め、この金額に恥じない従者になれと。大切な御令嬢の生活をあずかり、不落の防壁のごとく護れる従者になれということだ。高位貴族の筆頭執事とはそういう生き物である。


 スチュアートは、ぶるっと背筋を震わせた。

 

 まるで王家の御子を任されたかのような高揚感。いや、それ以上の歓喜を彼は覚える。

 こんな極上の職場は他にないだろう。遜色ない結果を求められ、それを完遂出来るよう望まれているのだ。

 それがやれると思っての人選。その白羽の矢を立てられたことに対する感動。

『君ならやれる』と口にするのは容易い。むしろ使い古された鼓舞のフレーズだ。だが伯爵は、そうは言わなかった。


 結果を望むと。短い言葉に込められた挑戦状。


 『お前にやれるか?』


 伯爵の双眸に、ありありと滲む愉悦の光。


 ……試されている。


 この破格な金額からしてそうだ。これだけの金子を用いて、伯爵は遊んでいるのだ。これを溝に棄てることになろうと、彼はスチュアートが不適合だと感じたら、簡単に切り捨てるに違いない。

 男であれば誰もが夢見る野望。己の力をどこまでも高め、綱渡りのごとく歩む心躍る人生。それを目の前にぶら下げられ、これに昂らぬは男子でない。

 灼けつくような緊張と愉悦を肌で感じ取り、スチュアートの中に蠢くケダモノが吠えた。


 ……やってやろうじゃないか。ぐうの音も出ないほど完璧な執事になってやるさ。……特別報酬とやらも、もぎとってやるよ。


 腹に一物も二物も持った顔を隠しもせず、伯爵とスチュアートは、お互いに昏い笑みをはいた。


 そんな過去を思い出しつつ、スチュアートはフーを見る。




「私も若かったですからね…… その先に待ち受ける地獄を知りもしませんでしたが。……その地獄を生温く感じるほど、御嬢様は苛烈でした」


 成績優秀だったスチュアートは教養に問題なかったものの、武術は兄達に習っただけの付け焼き刃。それでも天性のセンスなのか、王宮騎士団に誘われるくらいの実力があった。


 その鼻っ柱をぼっきり圧し折った伯爵家の暗部。


 この国では辺境伯以外は個人の私兵所有を許していない。そのため、どの家も暗部を持つが、アンダーソン伯爵家のそれは常軌を逸した集団だった。

 家格は伯爵なれど、建国から続く最古参な家なのだ。長い歴史の中で切磋琢磨され、暗部専任の家系というものまで作られており、彼らは産まれた時から宵闇の者として英才教育を受けている。

 その中でも伯爵直属となれる者は極僅か。直属になれなかった者は、それぞれ秀でた分野の仕事について伯爵家に貢献していた。それが伯爵家の家臣や使用人達だ。


 つまり、伯爵家に仕える中核の者ら全てが、宵闇の暗部なのである。


 スチュアートは、なんの冗談かと思った。王宮でだって、ここまで殺伐とした内情はしていないだろうと。


 しかし、エカテリーナが乳幼児なうちはスチュアートの仕事はほとんどない。ゆえに空いた時間全てが武術の修練にあてられ、その現実を目の当たりにした。

 各部所の取締は全て暗部モドキである。庭師や厨房関係すらも。

 

 結果、スチュアートを襲う罠と暗躍の数々。


 四方八方から、命を脅かすような攻撃が二十四時間襲ってくる伏魔殿と化した伯爵邸。


 ある時は庭の散策で豪雨のごとき矢を射掛けられ、ある時は食事に致死量寸前な毒を盛られ、傍にエカテリーナがいるにもかかわらず、突然刃を振るう従者達。

 まだ成人したばかりなフットマンが突きつけるナイフに、スチュアートは心底ぞっとした。


『……まあまあかな? でも型がお綺麗過ぎるよ。あれじゃ、先の動線が丸見えだ。習ったのは王宮騎士団系? もっと狡猾に動かないと。……レディを誘うように、あけすけな油断を見せつつさ』


 にっと笑う、あどけない顔のフットマン。だが、その瞳に宿る辛辣な侮蔑に、スチュアートは絶句する他ない。


 ……これが、暗部というものか。


 そんなこんなで散々扱かれたスチュアートは、エカテリーナが物心つくあたりで、ようよう宵闇の者らの及第点をもらった。




『まだ温くはあるが、表向きだけなら何とかなるだろう。……裏は俺たちに任せとけ』


 酷薄な笑みを浮かべる伯爵家の暗部たち。


 御仕着せだけでなく、仕事用のサロペットパンツやコックスーツの者が、やけにスチュアートの目に刺さる。彼らにすらスチュアートは歯が立たなかったのだ。伯爵直属の者など、いったいどんな化け物なのか。


 己の苦い思い出を脳裏で噛み締め、スチュアートはフーを見下ろした。


「今でこそ彼らにも一目置かれる私ですが、それは、この十七年の研鑽があってこそです。……従者として落第と判断されたら、私とて処分されます。解雇ではない。処分です。分かりますか?」


 あの暗部は、アンダーソン家の内情を知る者を放置などしない。特にスチュアートは、エカテリーナに対する悪意を悉く踏み潰してきた。本来、裏の者がやる仕事を自ら行ってきた。

 伯爵に報告していては間に合わない。そう判断した時だ。独断専行。己の手が血濡れるのもかまわずに。

 

 しかし、事後報告を聞いた伯爵は、大笑いしたあげく特別報酬をスチュアートに渡す。


『いやあ、想像以上だね。なんで、君はお陽さまの下を歩けてるのかなあ? 完全にこちら側の人間だろう?』


 笑いが止まらない伯爵の代わりに問うたのは、伯爵家暗部総括。


 ……褒められた気はしないが。たぶん、褒めているんだろうな。


 人間をやめている化け物揃いな暗部に褒められても、褒められた気はしない。それは言外で、人としてアウトだと言われているも同義である。


 そんな和やかにも見える殺伐とした日々が過ぎ、エカテリーナを見守ってきたスチュアートは、彼女の異常性に気がついた。




『……男爵令嬢ですか?』


『そう。わたくしのペットの中に投げ込んでおいてくれるかしら』


 件の御茶会でエカテリーナに目をつけられた御令嬢。羞恥のあまり引きこもった少女は、たまに教会に祈りに行くくらいしか外出をしない。

 そうやって目のつくところをウロチョロされるだけでも目障りだと、エカテリーナは呆れ気味な嘆息をもらす。


『御嬢様の信奉者に下げ渡すということですね? かしこまりました』


『よろしくね?』


 にっこり無邪気に笑う少女。そこに在るだけで眼福な笑みに頬を緩め、スチュアートは命じられるまま男爵令嬢を拐うと、ある別館の中に投げ込んだ。

 そこにはエカテリーナによって骨抜きにされた令息達が待ち受けており、彼らは与えられた玩具を思う存分楽しんだ。

 肉壁が裂けるかと思うほど孔という孔を暴かれ尽くして、心まで壊された玩具は、街の片隅に放置されているところを発見される。

 あまりの惨たらしい姿。彼女がされたであろう蹂躙の噂はあっという間に巷を駆け抜け、件の男爵令嬢の未来を木っ端微塵にした。


 玩具が辺境の修道院に送られたと聞いて、エカテリーナは再び深い嘆息を漏らす。


『自害もしないなんて…… 存外、図太いわねぇ。さっさと死んでくれたら良いのに』


 それを耳にしたスチュアートも、思わず喉の奥で嗤いを噛み殺した。


 ……それは救いですよ? 御嬢様。ああいう手合いは、細く長く生かして、一生泣き暮らせば良いのです。


 エカテリーナの不興を買った。それだけでスチュアートにとっては万死に値する。彼女の熱烈な信奉者らにとっても同じだ。

 忘れた頃に思い出させてやろうと修道院を監視させ、定期報告を受けている執事様。


 この先、その修道院を、幾度もならず者が襲撃する。下卑た男どものやることなどお察しだ。


 いくら真摯に祈ろうと、件の男爵令嬢が平穏を得ることはない。


 そんな悪辣なことを考えているスチュアートの耳に、鈴を転がすような可愛らしい声が聞こえる。

 

『あら。だって気に入らないのだもの』


 さも当たり前のように首を傾げる少女。


 それに傅き、全幅の忠誠を寄せる人々。


 その筆頭なスチュアートは思う。自由奔放で無邪気なエカテリーナこそが真の悪党なのだと。堂々たる大悪党。そこに憐憫や良心とかいった雑音は存在しない。

 楽しいこと、心地好いこと、面白いことを切実に望み、満たされた彼女の美しさは別格だ。なんの悪意もなく相手を踏み躙る、純然とした王者の風格。


 ある時など、彼女は告白してきた少年を笑顔で切り捨てた。




『ふふ、無理ですわ。あなた、わたくしよりも三つも歳下ですもの。もっとお似合いな御子様を選ぶべきでしてよ?』


 場所は園遊会。賑やかな人々から離れ、王宮庭園端の四阿にエカテリーナをエスコートした公爵令息は、持てる勇気を振り絞って告白したのに。


 結果は一刀両断。


 微笑ましそうに見つめるエカテリーナの前で陶然とする公爵令息。端から見たら、その対比が滑稽だった。

 公爵家の末っ子で甘やかされた令息は、断られるなどと思いもしなかったのだろう。当然のように断るエカテリーナを呆然と見上げた少年の顔が、みるみる憤怒で赤黒く染まっていく。


『なんたる……っ、このような侮辱を受けたのは初めてだ。公爵家を侮られるなよ?』


 苦し紛れにも聞こえた捨て台詞。


 


 そして令息は暴挙に出た。


 公爵家から婚約の正式な申し込みをしてきたのだ。


 これは一蹴出来ない。王家に連なる公爵家だ。それが正しく手順を踏んで寄越した縁談を無下にしたら、たとえアンダーソン伯爵家でもただでは済まないだろう。

 婚約の打診があったことを知らされたエカテリーナは、心底嫌そうな顔を隠さず、ふう……っと嘆息する。


『困った方ね』


『まあ、御嬢様はお美しくあられますから。惹かれるのも致し方ないかと。あの令息は、ダメなのですか?』


 仮にも公爵令息だ。たしかに若くはあるが、これからの成長を期待しても良いとスチュアートは思った。身分や資産も十分だし、それほど悪い相手でもない。

 エカテリーナがその気なら、伯爵様も縁談を進めるだろう程度には好条件である。


 何気ないスチュアートの疑問。


 それに軽く眼を見開き、次の瞬間エカテリーナは、花が綻ぶよう淡く微笑んだ。万人を魅了する優美な笑み。


『だって、彼は子供じゃないの。フーみたいにペットと遊ぶための玩具ならともかく、わたくしの隣に立たせるの? あんな子供を?』


 エカテリーナとて、まだ十五歳。成人してはいても子供の部類だ。なのに、あの十二歳の公爵令息と比べたら、王と乞食ほども風格が違う。

 さも当たり前のように佇むエカテリーナ。その願望が叶えられないとは欠片も思っていない彼女。

 

 この無垢な残酷さを、心から愛しているスチュアートだった。


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