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 悪役令嬢は穏便に暮らしたい 〜6〜


《……真実を話すべきか、どうか》


 ヒューズは天上界で一人静かに俯いていた。

 彼は薫にエカテリーナの記憶を残したが、ある一部分だけ削っている。それこそが、今は亡き悪役令嬢を暴挙に走らせた理由だった。


 話は一年ほど前に遡る。




『……わたくしの余命が三年?』


 憮然と見開く彼女の眼。その眼差しに耐えられなかったのか、医師はあからさまにエカテリーナから眼を逸した。


『おそらくは……です。それより長い場合もありましょうし…』


『……短い場合もある?』


『……………』


 斜め下を凝視する医師は無言。無言は肯定と同義だ。


 寝台に横たわり、エカテリーナは絶望に項垂れる。

 花も恥じらう乙女な彼女。まだまだこれからな人生に容赦なく打たれた終止符。恋も知らず、結婚も出来ず、ただただ病に蝕まれて朽ちていくだけの余生。


 ……王太子様と結婚して幸せになるつもりだったのに。暖かな家庭を築いて、長く暮らしていく…… っ? そうだわ。


 はっと顔をひらめかせ、エカテリーナは医師に尋ねた。


『ねえ? この病は不治の病なのよね? でも人に感染するようなモノでもない。それで間違っていなくて?』


『さ、左様でございます。お嬢様の病は痼と呼ばれるもので、その痼が身体を蝕み、どんどん大きくなるにつれ患者を衰弱させていくのです』


 要は地球でいう癌だ。この魔法世界で医学は発達せず、怪我は治癒出来ても病は治せない。

 魔法とはイメージである。見て確認出来る怪我と違い、病が起きる現象がどういったものなのか知らない人々に、病原体を撃退するとか異常部を切除するなどの想像は出来なかった。

 通常で完治不可能な病気は全て不治の病。本人の体力気力に頼る他ない有様である。


 しばし考え込んでいたエカテリーナは、チラリと医師を見て眼を眇めた。


『なら…… 子供に伝染ることはないわね? 妊娠は可能かしら?』


『……まあ。そういった例もございました。妊娠、出産は出来ますね』


 実際、妊娠中に病が発覚する場合もある。感染症などはかなりの確率で子供に伝染り、流産や死産の原因にもなるが、長く記されてきた先人らの記録に準えて、エカテリーナの病なら病状の進行次第とはいえ妊娠出産は可能だった。

 窓の外を眺める彼女の憂い顔が医師の心に突き刺さる。エカテリーナの家ならば、良い伴侶を迎えて短くも幸せな結婚生活を望めるだろう。彼女の質問を深く穿ち、医師はそのような憶測をたてた。


 ……が、相手は稀代の毒婦様である。事は、そんな慎ましやかに終わらない。


 結果、エカテリーナは王太子を手にせんと、弟王子の稚拙な策略に乗ったのだ。

 彼女にしたらバレても失敗しても構わなかった。一時でも良い。慕い焦がれるナイトハルトに抱かれ、その子を産み育てたい。

 妊娠中も産んでからも、きっと幸せだ。妃や皇后になれなくとも、愛する男性の子供の母親にはなれる。


 ……たった三年しかないのだもの。多くを望んでる暇はないわ。わたくしが妊娠したら、あの優しいナイトハルト様のことだ。見捨てることはないし、ひょっとしたらお傍に召してくださるかも?


 己の余生に愛する男性を縛り付けようと、稀代の極悪令嬢は毒婦の本領を発揮した。淫婦とも呼ばれる手管を駆使して、発情に苦しむナイトハルトを夢心地に誘う。


 ……まあ、結局その報いを受け、魂が昇天してしまった彼女だが。


 その内情を知っていたヒューズは、薫が引き継いだ記憶から医師との会話部分を削ったのである。




《……話すべきか、それとも知らぬ存ぜぬで通すか》


 彼は苦悶を瞳に宿しつつ外界を眺めた。


 そこには新たな土地ではしゃぐ薫がいる。




「綺麗なところねぇー。あ、魚っ!」


 大きな湖の傍に建てられた瀟洒な別邸。


 伯爵本宅の半分もない建物だが、現代人の薫から見れば、十分に豪邸と呼べる邸だった。

 そんな建物に到着し、フーのエスコートで降りてきた薫は、邸前に並ぶ使用人達を見つめる。

 中央に家令らしき初老の男性がおり、その左右には侍従や侍女のようなお仕着せを着たものが四人ずつ並んでいた。


「ようこそお越しくださいました。わたくし、この別邸を預かるレグザと申します。伯爵様より、御嬢様のお世話を申しつかりました。何でもご遠慮無くお命じください」


「ありがとう。では、部屋に案内してちょうだい」


「……かしこまりました」


 一瞬、惚けたかのように眉を上げ、家令は侍従らに荷物の運搬を支持する。そしてエカテリーナを邸二階の主寝室へと案内した。




「良い部屋ね」


「こちらは避暑などの遊興にしか使われないため、私室と寝室が分かれておりません。ここが一番広い部屋でございます」

 

 薫にはそれで十分だ。にんまりとほくそ笑み、彼女は素を解放する。


「んあ~っ! つっかれたぁっ! フー、御茶をよろしく」


「はい、御嬢様」


 すでに見慣れているフーは何も気にせず、そのまま厨房へと向かった。

 それを啞然と見送り、レグザは眼の前の有り得ない光景を凝視する。

 薫は靴を脱いで足を投げ出し、ソファーにもたれるよう横たわっていた。淑女にありうべからぬ醜態。


「んふ~? 驚いた? アタシねぇ、窮屈な貴族の暮らしが苦手なのよ。だから、ここでは息を抜いていたいの。そう邸中に周知しておいてもらえるかしら?」


「……かしこまりました。そのように言い含めておきます」


 絶句しつつも上手く狼狽を隠し、レグザは恭しく頭を下げる。……と、そこへ、お茶の支度を持ったフーが戻ってきた。

 そしてやや眼を眇め、だらけるエカテリーナとレグザを交互に見る。


「開幕やらかしてますね、御嬢様。そういうのは控えめに小出ししてくださいませ」


「どうせ、すぐにバレんじゃん。なら知っておいて貰ったほうが面倒がないわ」


 フーの淹れた御茶を受け取り、薫はお行儀悪くクッキーを口に頰張る。しゃくしゃくと一口でクッキーを食べた薫を見て、再び固まるレグザ。


「……慣れてくださいませ。御嬢様は、こういう生き物です」


「左様でございますか……」


 呆れ混じりなフーの言葉に、ただ頷くしかない家令である。


 


「あれ? 御嬢様、御御足に豆が…… 潰れておりますよ? 痛いでしょう?」


「へ……? あれ? ホントだ。全然気づかなかったわ」


 二十日にも亘る長い旅程のせいだろう。見事に潰れた豆は赤く腫れ上がり、如何にも痛そうである。だが、薫は何も感じない。

 それに不信を抱き、彼女は潰れた豆を押してみる。


 ……変だわ。触ってる感触とかはあるのに、痛みだけがないなんて。


 兄が医療従事者だった薫は、付け焼き刃だが一般人よりもそういった関係に詳しい。痛覚が麻痺しているという恐ろしさを彼女は知っている。


『痛いってのは身体の出す警告。異常事態のサインだからね。これがない場合、よほどの重篤で感じられない状態が多い。一歩間違うと昏睡に陥るような。バイタルチェックで抓ったりするのは、痛覚が働いているか確かめるためなんだよ』


 兄から何気に聞いたアレコレが、彼女の脳裏を掠めていった。


 ……やっばぁ…… なにこれ? 何が起きてんの? エカテリーナの身体は一度死んだも同然だし、そのせい?


 あれやこれやと考え始めた薫を余所に、テキパキ手当をするフー。


 それを天上界から見下ろし、ヒューは嘆息する。


《……貴女の身体に起きる激痛を防ぐためですよ。痼の病は、とんでもなく凄まじい痛みや不調をあたえるので……》


 転生時に薫の魂へ、ヒューズがこっそりと与えた祝福。


 状態異常無効。


 それが働き、彼女は病による身体の不調を感じない。怪我なども一瞬で、翌日には完治する。

 だがこの祝福も、すでに発病した病には効果がない。それが当たり前の状態だからだ。

 発病済な身体に憑依してしまった薫の魂が祝福を持っていようとも、蝕む病の魔の手から逃れる術はない。

 

《私に出来るのは、これが精一杯でした。ごめんなさい、薫……》


 絶望に項垂れるヒューズと、未だに疑問顔で首を傾げる薫。

 

 こうして波乱万丈な彼女の人生は、神に助けられながら新たな展開を迎えた。


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