アヤカシ探偵社。其の拾
作者も某ゲームのファンであり乙女ゲーも好きなのですが熱狂的なクラスタには些か引くところがありそんなところを客観視して書いてみました。考え方は自由なのでそんな方々を否定する気は毛頭ないのですが自分の感じる現実をご一読ください。
アヤカシ探偵社の事務所は東山の清水寺から更に奥深く入った山中にある古民家である。京野菜を生産する老夫婦の自宅離れを間借りしている。事務所と言っても田の字の間取りの一部屋、六畳ほどの和室なのだが昔の建物なので本間の畳サイズで一回り広い。その畳の間でデスクトップPCに向かいネットサーフィンに興じるあんじー。そこにテレビ通話が入る。珍しくナッツからである。繋いでみると画面から微笑するナッツが現れた。
「あんじー、元気でやってるかい」
あんじーはちょっと背筋に寒気を感じた。ナッツはインバウンドで京都に住み着いた西洋の悪魔である。ある事件がきっかけでアヤカシ探偵社の契約社員となった。今は鞍馬山から嵯峨に引越し西洋魔術のグッズ販売と占いの館を営んでいる。普段彼女から連絡してくる事は滅多に無いのだがあった時は大概面倒な事に巻き込まれているのだ。
「なんじゃナッツ、またトラブルか?」
あんじーは単刀直入に問うた。
「おやおや、挨拶も返さずにいきなりかい。ちょっとは時節の会話でも楽しもうじゃないか」
ナッツの舐めた軽口に苛立つあんじー。
「心にも無い事を。どうせ処理しきれなくなった揉め事をどうにかして欲しくて電話してきたんじゃろう」
ナッツは半笑いで答えた。
「ええぇ。そうなんだけども…今回はちょっと違うのさ。ウチの常連さんの女の子がいてね…」
あんじーはめんどくさそうに答えた。
「客の話なら得意の魔法でなんとかできるじゃろ。始祖の悪魔様」
ナッツは気まずそうに言葉を濁した。
「そうもいかないんだよ。その子がさ、小枝子って言うんだけどね、所謂ヲタクっていうやつでさ。ゲームやアニメにどっぷり嵌ってて」
あんじーには更に悪い予感が。ナッツは経緯を話し始めた。
「で、ちょくちょくウチで魔法グッズとか買ってくれるんだけども。ウチってさ、知ってのとおり占いもやってるんだよ。で相談されちゃってさ」
あんじーは気になる事を質問してみた。
「それはもしかして二次元の話かの?登場人物に入れ込んでいるとか」
図星を突かれて驚くナッツ。
「あんた凄いね。なんでわかるんだよ。そうなんだけどちょっと違うんだ、その相手ってのがアニメのキャラなんだけど…刀なのさ」
あんじーは驚いたが思い当たる節があった。
「刀?」
「そうなのさ。小枝子が嵌っているPCゲームってのがプリンス・オブ・ソードって言うヤツでさ、登場するキャラクターが刀を擬人化したイケメンで刀同士でバトルするのさ」
ナッツの説明はあんじーの予感通りであった。ナッツの話はさらに続く。
「プレイしてるのが殆ど女でさ、格闘よりはお気に入りのキャラクターを愛でるのが流行りらしいんだ。アタイには理解できないんだけど日本では当たり前の事なんだね」
あんじーはふっと溜息をついてナッツに説明した。
「一般人では有り得ないがアニメ好きの間では好きなキャラクターを推しと称して熱中するのが普通なんじゃ。この国は世界的にみてもこの文化では抜きんでて発展しているからのう」
ナッツは半ば合点がいったようである。
「そうなのかい。変わっているねえ。で、話の続きなんだけどさ、小枝子もその刀の一人?に夢中でさ。あまりに好き過ぎて鬱になっちゃってるんだ。どうにかして会えないものかと相談されちゃってさ」
あんじーは考え込んでしまった。
「ポスターやグッズではもう我慢できない、と言う事か…病んでおるのう」
ナッツは更に付け加えた。
「出来るものなら結婚したいんだってさ。二次元でどうやって夫婦生活送るんだろうね」
あんじーは思案の末答えた。
「絵が描けるなら二次創作でその子とキャラの恋物語を漫画にでもすればよいのでは?」
ナッツはちょっともどかし気な表情をした。
「それはかなり前からやってるんだって。何冊か同人誌も出してて即売会?では結構売れてるらしいよ」
「左様か…すると今は末期症状の段階なんじゃな」
考え込むあんじーを見てナッツも不安な表情である。あんじーは肝心な事を尋ねた。
「して、その刀とは?」
ナッツは小枝子との朧げな会話を思い返してみた。
「ううん…沢山刀の名を言われたんだけど、一番繰り返し出てきたのは…確かやすつな、だったような」
あんじーは驚愕した。
「安綱!童子切安綱か⁈」
「そう!そんな名前だったよ」
あんじーが驚くのも無理からぬ。件の童子切安綱とはのっぴきならぬ因縁がある。百鬼夜行事件の際、対峙した張本人なのである。
「あの、むさ苦しい安綱が相手とはのう」
感慨深げなあんじーに今度はナッツがビックリした。
「むさくるしい?小枝子に画像を見せてもらったけどアタイからしても超美形のイケメンだよ」
「美形?安綱が?もしや…」
あんじーは手元のスマホを手にネット検索をしてみた。
「確かプリンスオブソードじゃったな…安綱…おお!」
あんじーは目を見張った。画面に現れたのはあの武骨な童子切安綱とは似ても似つかぬシュッとした美青年だったからである。
「なるほど、婦女子向けのオンラインゲームじゃから美化しておったのじゃな。元々刀じゃから如何様にもデザインできるのを忘れておったわ」
あんじーの発言も実は適確ではない。太刀の付喪神なので実体化は何にでもなるのだがあくまで刀剣本人の理想像、主に近い姿なのだ。
「まいったのう。この絵面ではギャップがありすぎるわい」
困惑するあんじーの表情にナッツは気が気ではない。
「どうゆうことだい?なんか問題でもあるのかい?」
仕方なくあんじーはナッツに実情を説明した。ゲーム用に美化された安綱とは差が有り過ぎる本人。恐らく対面した小枝子は相当なショックをうけるだろう。
「困ったね。折角会わせても幻滅するだけだろうし」
ナッツの言葉にあんじーは活路を見出した。
「その通りじゃ!やはり会わせてみようぞ。二次元と現実の違いに我に返り熱も冷めるやも知れぬ」
ナッツはまだ不安そうである。
「そうかも知れないけど悲観して寝込んでしまわないかね」
「可能性は否定できぬが現状のままでも事態はかわらぬぞ。多少荒療治になるがやってみる価値はある」
名案に自信満々なあんじーにドン引きのナッツ。
「そ、そうかい。じゃあ試してみるかね」
二人は早速面会の計画を練り始めた。
嵯峨野。竹林の小径を出て左に曲がった先に魔女の館はある。こじんまりとした洋館で嵐山の風情にはミスマッチと思いきや意外と周りの風景に馴染んでいた。軒先には様々な乾燥した薬草や魔法に使うであろうグッズが無造作に吊り下げられている。中には魔女の必須アイテムである箒が三本並んでいた。あんじーとナッツは館の中で依頼人の到着を待ち侘びていた。玄関の呼び鈴がちりんちりんと鳴る。
「あのう…ナッツさん?」
古めかしい木の扉を開け一人の少女が入ってきた。地味な薄桃色のロングスカートに胸元にリボンのある白ブラウス、薄茶のカーディガン。長い黒髪に度のきつそうな黒縁の丸眼鏡。色白でぽっちゃり体形である。手には花柄の日傘、肩から下げた某猫キャラのショルダーバッグ、件のゲームの物であろう手提げ紙袋を携えている。
「ああ、よく来たね小枝子。こちら今回の件で協力してもらう友人のあんじーさ」
あんじーを一目見た小枝子は満面の笑みを浮かべた。
「あら!可愛いお友達」
普段のあんじーはご承知の通り金髪ショートボブにエプロンドレス、蜻蛉眼鏡に猫耳。一見するとコスプレしている小学生なのである。
「いや、見た目に騙されているよ小枝子。あんじーは成りは幼女だがアタイと同じくらい歳上なんだよ」
事実訂正。ナッツも三十代には見えるのだが正体は創世記から存在している悪魔の始祖リリトなので同世代とは言い難い。あんじーは奈良時代には人々から恐れられていたので千五百歳を超えている程度。小枝子に話しても信じてもらえないので良い落し処を敢えて言ったのである。
「ええ?そうなんですか、失礼しましたあんじーさん。でコスプレは趣味なんですか」
あんじーは返答に困った。
「この衣装は…当時の飼い主に与えられた衣装じゃ。習慣で今もこの格好をしておる」
小枝子はきょとんと目を丸くした。周りの者はあんじーが猫として代々人間に飼われて暮らしていたのを知らない。
「いや主の事じゃ。様々な所で奉公しておったのじゃ」
小枝子は合点がいった。
「それでメイドの恰好なんですね。理解しました」
あんじーには不遜である。何故こんな会話になったのか…
「そのような事はどうでも良い、本題は付喪神に会いたいと望んでおられるんじゃったな」
「付喪神?ああ刀神様の事ですね。そうなんです、どうしても安綱様にお会いしたくて」
小枝子の返事にあんじーは呆れた様子。
「お主等は刀神と称しておるのか。まあ良い。で、その安綱じゃが」
今度は小枝子が腹を立てた。
「呼び捨てなんて安綱様に失礼ですよ!」
あんじーは面倒臭い女だな、と内心思った。
「すまぬ、その安綱様じゃが」
「そうなんです!ゲームに出会った中学生の時からずっと安綱様一筋なんです。クラスや回りの男子がクズに見えて何の魅力も感じられないんです。私もヲタクの端くれなんで漫画は得意で、同人本も出してるんですが描いていると余計思いが募っちゃって」
一気に思いをぶちまける小枝子にあんじーが尋ねた。
「寝ている時に安綱様、は夢には出てこんのか」
小枝子はハッ!とした顔。
「そう、それ!初めの頃は度々夢に出て来てくれてたんですが創作しだしてからは全然。多分私の描く絵が微妙に違うからなんでしょうね」
あんじーは腕を組んで思考を巡らせた。
「成程。原作と二次創作では全く同じ絵は描けぬからのう。ならば実体が違う事も理解しておるな」
小枝子は一瞬息を飲んだが覚悟を決めて返答した。
「真の安綱様がゲームやアニメの通りで無い事はある程度覚悟しております。会えればどの様な有様でも構いません」
あんじーはニヤリと笑みを浮かべた。悪あんじーの顔である。
「良う言われた!実は童子切安綱殿とは旧知の間柄なのじゃ。会わせて進ぜよう」
「あ、ありがとうございます!やっと安綱様に会える!!」
一見胡散臭い荒唐無稽な話にも何の疑いも無く感激する小枝子に純心無垢なヲタ女を感じたあんじー。
「では先方の了承を得て後日ナッツに日程を伝えるとしよう」
「宜しくお願いします!」
小枝子は今にも泣き出さんばかりで答えた。彼女が小躍りで帰った後、無言で二人の会話を聞いていたナッツが尋ねた。
「大丈夫なのかい?あんなに期待させちまって。相手はあの顔面筋肉なんだろ?」
「筋肉男は失礼じゃろ。あの顔でも平安の世ではモテモテだったんじゃ。儂も嫌いではない」
あんじーの救いの無い言葉にナッツは反感顕わ。
「それって大昔の話だろ。現代じゃ女共の好みが全く違うんじゃ?」
あんじーは宥める様に答えた。
「そう心配召さるな。ギャップがあるのは百も承知。いざと言う時の為に保険も掛けてある」
「何だいその保険て」
ナッツの追求をさらりと躱すあんじー。
「それは秘密じゃ。事前に小枝子殿にバラされては叶わぬからのう」
あんじーの高笑いに不安を隠しきれないナッツであった。
深夜一時五五分。北野天満宮の大鳥居前に三人の姿があった。あんじー、ナッツ、そして小枝子である。
「こんな時間に此処に来るのは初めてです。大丈夫なんですか」
心細そうな小枝子の問いにあんじーが答えた。辺りは真っ暗闇である。
「大丈夫じゃ。心強い魔女様が守ってくれるでの」
あんじーの嫌味にムキになるナッツ。
「そりゃアタイの事かい。ま、人間はおろか魑魅魍魎さえアタイの前じゃ虫けら同然だけどさ」
何の冗談なのか理解出来ない小枝子はキョトンとしている。
「時に何故斯様な場所に参ったか理解しておろうな」
あんじーの質問に即答する小枝子。
「はい!安綱様がこちらの宝物殿で催されている刀剣展にて里帰りされ公開されているからです」
「その通りじゃ。安綱殿に限らず刀神達はその霊力の弱さ故遠くまでは動けぬのじゃ。せいぜい一キロといったところかのう。で、我々が出向いた訳じゃ」
あんじーの解説に納得しながらもがっかりする小枝子。
「では毎回開催される度私が来ないと駄目なんですね」
おいおい毎回セッティングさせるつもりかこの女!とあんじーは厚顔さに呆れた。だが今日で決着させるつもりなのでその気苦労も無いと思い直した。
「間もなく丑三つ時じゃ。安綱殿には太閤井戸まで来られる様伝えてある。我々も向かおう」
あんじーは楼門に向かって歩き出した。ナッツと小枝子もあんじーの後に続く。程なく太閤井戸に着くと丁度午前二時になっていた。三人が待っていると楼門から人影が見えた。影は徐々に近づいてくる。小枝子が暗闇に目を凝らすと見る見る大きくなる。その体躯は二メートル近くある大男である。やがてその全貌が明らかになった。
「ええええっ!!」
小枝子は驚きの余り息が止まりそうになった。目の前に現れたのは貴公子とは程遠い合戦場で猛威を振るう鎧帷子を纏った戦国武将そのままの武骨な巨漢だったのである。
「あんじー、久しぶりだな。何やら用があるとの事だがわざわざ呼び出してまで話さねばならぬ要件とは何だ?」
安綱は怪訝そうにあんじーに尋ねた。小枝子は顔面蒼白である。
「まさかこの人が安綱様ではないですよね?」
小枝子の言葉にムッとする安綱。
「何をほざくか小娘。吾輩は正真正銘の安綱だ」
卒倒しそうになる小枝子だが辛うじて正気を保つことができた。
「先に儂が紹介するつもりじゃったが…此方が童子切安綱殿じゃ」
あんじーの言葉に凍り付いたように動かない小枝子。
「大丈夫かい?気をしっかり持つんだよ小枝子」
ナッツは小枝子の肩を抱きしめた。更にあんじーが追い打ちをかける。
「小枝子殿、現実とはこんなもんじゃ。二次元ではユーザーの求めに応じて極端に美化されておるのじゃ」
小枝子は過呼吸で息も絶え絶えながらやっと答える事が出来た。
「このおっさんが安綱様だなんて…私信じません!」
「この小娘は何をほざいておるのだ?吾輩が安綱だと申しておろうが。そも先程から貴公らが何やら画策しておるのは判っておるのだが」
不機嫌な安綱にあんじーはネタ晴らしする。
「わざわざお越し頂きかたじけない。此方の小枝子殿がお主の大ファンでな。恋焦がれて是非とも会いたいと申すものでご足労頂いた次第」
「あんじー、ファンとはなんだ?聞きなれぬ言葉だが恋焦がれとはもしや…」
安綱の不安的中。あんじーが答える。
「大ファンとは御贔屓筋のことじゃ。人気の舞い手に群がる取り巻き連中の事じゃ」
安綱は益々理解できない。
「出雲阿国の事か?だが吾輩は太刀だぞ。舞いも謡いも出来ぬのに」
「その通りじゃが今の世ではアニメなる文化が浸透しておってな、まあ戯画を寵愛する者が数多く存在する。付喪神もその一つじゃ」
あんじーの説明でやっと合点がいった安綱。
「吾輩をその様なつまらぬ事で呼び出したのか?!愚弄するにも程があるぞ!貴様、この場でたたっ切ってやる!!」
真っ赤な顔をして怒る安綱にも動じないあんじー。
「まあまあ、気を静められよ。儂がわざわざお膳立てせねばならぬ程貴公に恋焦がれてておる娘が此処におる。貴公がそれほど人気者であると言う事じゃ。都の女御共は貴公にメロメロなのじゃ」
安綱はあんじーの煽てに満更でもない様子である。紅潮した顔が見る見る平常に戻った。だが若干状況が違うようだ。
「しかし先程の小娘の物言いだと人違いのようだが?」
あんじーは怒りがやや収まったので安堵し、更に説明を加える。
「平安の世と現代では絵師の画風も変わっておる。女御の好みも変遷しておるのじゃ」
あんじーの話に安綱も納得したようである。
「すると吾輩も戯画では変わっていると言う事か。して、どの様な姿なのだ?」
興味津々の安綱にあんじーはスマホの画像を見せてみた。食い入る様に凝視する安綱。
「なんと吾輩とは似ても似つかぬ面立ち…だがこの顔には見覚えがあるぞ。そう、髭切に似ておる」
安綱の発言で先程まで息も絶え絶えだったのにはっと目を見開く小枝子。
「髭切って鬼切丸様のことですか?!」
急に復活した小枝子の凄まじい勢いに引き気味ながら答える安綱。
「髭切を知っておるのか。彼奴は宝物殿では吾輩の向かいにおる。いけ好かぬ高慢な奴だが同族なので無下にもできぬ。まあ源氏の君と呼ばれておったがな」
髭切も北野天満宮所蔵の名刀である。源氏に縁ある業物なのだ。刀工は違うが安綱の親族でもある。
「私の推しは実は鬼切丸様だったのね!長い間勘違いしていた!ああ、全く無駄な時間を過ごしてしまったわ」
小枝子の変わり身の早さに呆然とするあんじーと安綱。
「ま、吾輩としてはこんな奇怪な女に付き纏われんで済むから有り難いが」
あんじーは己の思惑が的中した事で心の中でガッツポーズをした。小枝子はあんじーに懇願する。
「あんじーさん、鬼切丸様に会わせてください!今すぐ!!」
あんじーは勿体ぶって答えた。
「儂も安綱殿を引っ張り出すのに苦心惨憺したのじゃ。そうおいそれと刀神を呼び寄せられるものではないのじゃ」
あんじーの語りかけにも聞く耳を持たない小枝子。
「ご苦労は重々承知の上です。でも此処まで来て何も出来ず帰りたくないんです!一生のお願いです、鬼切丸様に会わせてください!!」
小枝子の目が血走っている。今にも死にそうな表情である。さすがに焦らすのも限界と感じたあんじーは小枝子に一言。
「後ろをご覧あれ」
あんじーに言われるまま振り返る小枝子。其処には烏帽子に平安時代の侍装束姿の美青年が立っていた。その姿に息を飲む小枝子。あんじーはその若者に声をかけた。
「ご足労頂き忝い、髭切殿」
髭切と呼ばれた青年はキョトンと辺りを見渡した。
「あんじー殿、仰る通り参りましたがこれは如何様な状況で?安綱殿もおられる様ですし」
訝しげに尋ねる髭切。あんじーがふう、と一息ついて答えた。
「経緯から話すと長くなるのじゃが…まあ聞いてくれぬか」
あんじーはこれまでの経過を端的に説明した。今一事態を飲み込めぬ髭切。
「すると私が安綱様の代役と言う事で?」
あんじーが否定する。
「いや、髭切殿が本命なのじゃ。安綱殿の方が人違いなのじゃ」
小枝子が会話に割って入る。
「は、初めまして鬼切丸様!貴方の大ファン、小枝子と申します!お会いできて光栄です!!」
いきなり手を握ろうとする小枝子を躱し狼狽する髭切。
「さ、左様か。その、申し訳ないが鬼切丸と呼ぶ者もおるが私は好ましく思ってはいない。以後髭切と呼んでくだされ小枝子殿」
「はい、髭切様♪」
顔を赤らめて答える小枝子。二人の問答は続く。想いが募る余り暴走する小枝子。
「今宵出会えたのも運命。私と夫婦の契りを!」
小枝子の必死の形相に狼狽する髭切。
「弱り申した。拙者妻子ある身、不義は御法度でござりまする」
付喪神なのに妻帯者?一般人なら冷静に疑問視するであろう点も元来ヲタクな小枝子には受け入れられる。所謂初期設定と言うヤツである。再びショックを受ける小枝子。
「そ、そんな…奥さんと子供までいるなんて」
小枝子は膝から崩れ落ちた。元々安綱推しであったので髭切の事は眼中になかったのだ。
「愛しの君が妻帯者だったなんて…私はなんて不幸なの」
一見恋愛ドラマの主人公の様なムードに酔いしれている小枝子。一人で勝手に立ち回ってるだけなのだが本人はいたって真剣である。もはや灰と化す寸前の小枝子にあんじーが優しく語りかける。
「のう、小枝子殿。安綱殿も髭切殿も付喪神と称される言わば地縛霊の一種じゃ。紙に描いた絵と同じなんじゃ。そりゃ確かに動きもするし会話も出来る。じゃが実体の無い霊なんじゃ。触れる事も出来ん。ましてや夫婦生活など」
あんじーの言葉に泣きながら反論する小枝子。廃人さながらだったのが嘘の様である。
「日陰の身でもいいんです!髭切様と共に暮らせるなら!会話はできるんでしょう?」
あんじーは小枝子の頑なさに弱り果てた。
「じゃが元来刀剣に憑いた付喪神じゃから刀身から離れる事はできん。手に入れるには莫大な金が必要じゃ。まして髭切程の名刀となると余程の事が無い限り所蔵元(北野天満宮)が手放さんじゃろ」
小枝子の顔が曇った。悲し気である。
「では毎度此方まで来なければならないんですね」
あんじーは説得するつもりが墓穴を掘ってしまった。このままでは刀剣展覧会の度に立ち会わなければならない。その時ずっと一部始終を黙って見ていたナッツが口を開いた。
「要はその刀を盗み出しゃいいんだろ?簡単な話さ」
あんじーは焦った。ナッツの事だから本気でやりそうである。
「そんな事をすれば小枝子殿が捕まって刑務所行きじゃ」
ピント外れの反論をするナッツ。
「アタイがぶん捕ってくるんだから小枝子は関係ないじゃん」
ナッツの発言に苛立つあんじー。
「お主なら意図も容易く盗ってこれようがその後所持するのは小枝子殿じゃ。持っているのがバレれば犯人として警察に捕らえられるのは小枝子殿だと気づかぬのか!」
ナッツは納得いかない様子である。
「見つからなきゃいいんだろ?亜空間にでも収納しとけば他人には手が出せないさ」
「じゃが会いたい時には取り出さざるをえまい。日本の警察機構を舐めるでないぞ。一般犯罪ならいざ知らず国宝級の盗難事件なら総力挙げて挑んでくるぞ。追い詰められるのは小枝子殿じゃ」
小枝子が二人の間に割って入ってきた。
「あのう、ナッツさんが髭切様を盗む事って可能なんですか?」
あんじーより先にナッツが答えた。
「当然さ。アタイは世界最強の魔女なんだから」
「本当なんですかあんじーさん」
小枝子の勢いある質問につい本音を語ってしまうあんじー。
「本当じゃ。こ奴の魔力は神に匹敵する程万能なのじゃ」
照れ臭そうに謙遜するナッツ。
「まあ神は言い過ぎさね。初代天使としてその何万分の一かの能力を授かったに過ぎないんだから」
キョトンと目を丸くする小枝子。
「天使?ナッツさんて元は天使だったんですか?」
あんじーはナッツの脇腹を突いて小声で注意した。
「余計な事をベラベラと宣うな。話がややこしくなるではないか」
あんじーは苦肉のアイデアでナッツの発言を説明した。
「いや、それは彼女のプロフィール設定なのじゃ。魔女の館の主としての。ほら、アニメの主人公などでキャラクター紹介などされるじゃろ」
小枝子は元々ヲタクなのであんじーの言葉に意とも容易く納得した。
「そう、何と言ってもナッツさんは魔女ですものね」
ナッツの事を客観的に理解している処も小枝子がヲタクである所以である。だがあんじーの霊能力は疑わない。困惑する髭切が尋ねた。
「で、私はどうすればよいので?」
安綱も髭切に同調した。
「先程から我々が捨て置かれている様だが…もう帰って良いか?後は貴公らで勝手にやってくれ」
そう言い放つ安綱に慌てるあんじー。
「暫し待たれよ。当事者のお主等に消えられては困る。まだ何も解決しておらんのじゃ」
五人が話していると表通りから人影が。段々此方に近づいてくる。
「やあ、皆さんこんばんわ」
現れたのはなんと小野昴である。
「なんじゃ、お主を呼んだ覚えはないぞ」
あんじーのつれない言葉に苦笑いする昴。
「いや、先日ナッツさんに商用で電話した時今回の事を相談されましてね。面白そうなんで様子伺いにきたんです」
あんじーはナッツの軽率さに怒り心頭。
「ナッツ、どういう事じゃ。儂に断りもなしにこのお調子者にバラすとは…こ奴が関与すると話が余計ややこしくなる」
昴は頭を掻きながら返した。
「酷いな~あんじーさんそんな風に僕を見ていたんですか。僕だって超一流の陰陽師なんですよ。何かお役に立てるかもしれないじゃないですか」
「ふん!どうせ面白がって首を突っ込みに来たんじゃろ。あわよくば商売のヒントになるかもとでも目論んでおるのじゃろうが」
あんじーの厳しい指摘に言い訳する昴。
「まあそれもちょっとありますが僕の知識がお役に立てればと。あんじーさんには散々お世話になってますし」
取り留めもない会話が交わされる中一人だけ反応の違う者がいた。小枝子である。
「あのう、此方の方は?」
小枝子の目がハートになっているのをあんじーは感じ取った。
「ああ、申し遅れました。寺町京極で土産物屋をしております小野昴です。本業は陰陽師なんですがこのご時世除霊の仕事だけでは食っていけなくて」
昴の自己紹介も小枝子の耳には届いていないようである。じっと昴の顔を見詰める小枝子。あんじーは気にも留めていなかったが昴は元々一流ホスト並みのイケメン顔なのである。背も高くスタイリッシュ、お洒落なので音楽系乙女ゲームの主人公を具現化したようなキャラクターなのだ。昴は小枝子に向き合った。
「で、此方が例の依頼主の…」
小枝子は取り乱した格好を正し背筋を伸ばして答えた。
「小枝子です、初めまして小野昴様」
様?こ奴にまで様付けするとは、とあんじーは呆れ顔である。まあ本来この手の婦女子は二次元ヲタクなので推しが単一となる事は珍しく作品やゲーム毎、中には作品中複数名のキャラクターを推す者も多い。推し変は日常茶飯事なのである。
「で、小枝子さん。件の問題は解決しました?刀身の付喪神に恋焦がれるなんてロマンチックな話、凄く興味をそそられましたよ。僕にも是非協力させてください」
昴の甘言に釘を刺すあんじー。
「待たれい、昴よ。お主に入って来られると余計ややこしくなるではないか。どうせ良からぬ事でも考えておるのじゃろうが」
図星の昴は悪びれるでもなくさらりと答えた。
「あんじーさんはどうも僕には手厳しいな~。こう見えても平安時代から続く由緒正しき陰陽師の頭首ですよ。世の中の役に立てる様努力してるんです」
「相変わらず口だけは達者じゃのう」
あんじーの嫌味を効かせた一言。だが小枝子の反応は違った。
「昴様!貴方にお会いして今までのモヤモヤが全て解消しました!これからは小野昴様一筋で推させて頂きます♪好きです」
一同唖然!今まで散々振り回された挙句昴一人の出現によってあっさり解決したのである。ほんに乙女心と秋の空…移ろいやすいものである。あんじーも改めてヲタ女の移り気への認識不足を実感した。
「僕のファンと言う事でしたら大歓迎ですよ。ただお仲間は大勢いるので先ずはファンクラブに入会される事をお勧めします。ファンサイトのアプリからも参加できますしお店に来て頂いても手続きは可能です。僕も時間がある限り店には顔をだしてますので何時でも会えますし」
あんじーはファンクラブの存在に驚愕した。そんなものまで作っていたとは。あんじーが制止する前に小枝子は二つ返事で応じていた。
「はい、宜しくお願いします!」
一般人とは違いヲタクは一人で独占したいと言うよりは大勢で応援するのがごく自然なのである。たとえ本人が目の前の手が届く範囲に居ようとも。髭切の場合と矛盾している様だが刀神様は創作の延長で拗れただけであって本来はいちファンとして推すのが筋である。
「じゃあこれからもよろしくお願いします。お店の方も御贔屓に」
昴の笑顔に応える小枝子。
「はい、毎日会いに行きます!グッズもいっぱい買います」
あんじーは一瞬不安になったがまあ丸く収まったので良しと思う事にした。安綱と髭切も事の成り行きを見て複雑な心境であったが自分たちにとばっちりが来なかったので安堵した。ナッツも結果的に己の一言が招いた事態なので落し処に不満はあるものの納得するしかない。昴に顧客を奪われた気もしないではないが未解決のままズルズルと続くよりはマシと思い直した。そうこうする内辺りが明るくなってきている。間もなく夜明けである。付喪神は宝物殿に戻らなければならない。あんじーは皆に声を掛けた。
「朝が近づいておる。皆の衆、本件は無事解決したので解散としたい。ご協力頂き感謝いたす」
あんじーの〆の一言で一同は各々元の塒へと帰っていった。小枝子は昴と談笑しながら朝の街へと消えた。その様子を眺めながらあんじーはナッツに尋ねた。
「この様な結果で良かったのかナッツ」
「さあね。アタイは小枝子が幸せならそれで良いんだよ。とやかく言うつもりはないさ。但し昴の野郎が小枝子を貶めたら生きたまま地獄の責め苦を味あわせてやるさ」
ナッツの語気にあんじーは昴の身を案じずにはいられなかった。
数週間の時が流れ、久しぶりにナッツから連絡があった。
「あんじー、元気かい?あん時は世話になったね。小枝子はすっかり元気になってお店にもちょくちょく来てくれているよ。」
あんじーが尋ねた。
「で昴の店の方はどうなんじゃ。通ってるんかの?」
「ああ毎日行ってるらしい。色々買わされるんでお金が続かなくて漫画描いて稼いでるらしい。小枝子、プロデビューしたから今はプロの作家だよ」
あんじーは納得した。才能はあったから同人からスカウトされても不思議ではない。
「デビュー作は刀身に宿る付喪神同志のBL物だってさ」
あんじーは思わず唸った。タダでは起きぬのがヲタ女たる所以である。京の都は魔の巣窟でもあった。
ー第拾話・完ー
作中モデルとなったゲームや固有名が出てきますが創作のモチーフとして使用しているもので史実とは異なります。また登場人物のキャラクターも架空であり誰かを指すものでも誹謗中傷するものでもありません。あくまで作者の想像上の設定である事を予めご了承の上お読みください。