君といた時間は本当にギリギリ有意義なくらいだった。
すべては押しに弱い私が作ってしまったただの地獄だった。
その人に告白された時、私はとても戸惑った。まともに話したこともなかったし、そもそも2人きりになったことさえなかった。
一度目、告白を断った。二度目、呼び出しには応じたが返事は変わっていないと言っただけだった。三度目、普通に告白を断った。告白以外で何の話もしなかった。
一六度目、その人は私に相手が居ないのであれば考えてほしい。とにかく関わってほしいと、訴えた。もし嫌になったときには突き放してくれて構わないと言われた。
涙目で何度も頭を下げられて、承諾してしまった。
淡い夏の匂いとサークル棟の方からする風鈴の音を覚えている。
1対1で話したこともない相手に自分の何もわかるはずはないと、そう悟ったのは押し負けてからずいぶん経ってからだった。
友達未満から友達以上恋人未満へと立場を変えた彼は、今までに纏わりつけていた暗い雰囲気をどこかに捨て、そして少し笑うようになった気がした。相変わらず友達もいないようだけれど、一人で居るときを見計らって私に声をかけては子供のようににこにこと笑った。
大学の近くに住んでいた私は何の躊躇もせず、自宅を教えた。授業が終わるのが遅くなってバスのタイミングとズレてしまった、そんな放課後だった。教えることの面倒さよりも徒歩で帰る面倒さのほうがその時は大きく感じただけだった。セキュリティの厳しいマンションだったからそういう心配はしなかった。それは、間違いだった。
教えた途端、彼は大学がある日には家に迎えに来るようになった。バス代の節約と引き換えに、彼の自分語りに相槌を打った。正直、面倒な時間だった。
二年の後期、大学の授業にレポート、サークルや人間関係がやけに煩わしくなっていった。大学のすべてが一気に億劫に感じるようになったのは文化祭の後だった。その人のことが含まれているのかいないのか考える前に甘えるようになった。代わりにレポート課題をやってもらったり、バイト先に迎えに来てもらったりするようになった。その頃になると彼は会う度に私にプレゼントを渡し、中身のない愛を積極的に語るようになっていた。時間の及ぼす影響は大きく、そこまで彼のことを悪くは感じなくなっていた。そういう風な扱いをされた経験はなかったから、嬉しかった。
ただ好きではなかった。
好き、というのは人によって異なる感情だと思う。私にとって好きとは、その人を心から尊敬し、何もかもを共有したいと思うことであり、何もかもを受け入れられることだった。そして、その人にずっと愛されたいと思うと共に愛したいと思うものだと思っていた。
これまでの人生でそんな気持ちになったことは一度もなかった。
彼の言う好きがどういうものかはわからないままだった。ただ同じではないことをこの時すでに悟っていたような気がする。
なんとか期末試験を終え、思い出したくもなくなるような量のレポートを出し終えるころには私と彼の距離は友達というくらいには縮まっていた。
一度だけ私の話もした。いつもはその人の話を聞くばかりだったけれど、その時はなんだか変な気分だった。決して恋とか愛とかそういうものではなかった。けれど自分のことを話したい気分だった。
聞いて欲しいと、何となく思った。それは、不快さを含む感情だった。
三年に上がると就職活動が始まった。その時期だったと思う、彼が変なことを言い始めた。
「将来のことって考えてる?」
「そんなにまだ考えてないかな。実家に戻って働こうかな」
私の実家は他県にある。それを彼は知っていた。だが、私はその言葉を何も考えずに口に出した。
私が彼を好きではないからだった。
「実家に戻らないでほしい、そうしたら僕とは関われなくなるだろう?」
そこで私は明確に彼を嫌悪した。いつの間にか“なにか”が出来上がっていた。友達というよりか距離感が近く、友達と割り切るにはいろんなものを押し付けられすぎた。
好意を押し付けてくる人には必ず見返りを返しなさいという母の言葉を思い出した。それは私の嫌いな言葉だった。母は私にとって自分勝手な人だった。私がこうして他県の大学に通っているのも半分は母のせいだった。
ただ、確かに私より長く生きた人の言葉だったとその時に思い出した。
それから彼の粘着は激しいものになっていった。それはもうストーカーと間違えてしまえそうなほどに、酷いものになっていった。新しく始めたバイトは男性職員が多いから、私を色目で見ているからと、職場で何度も待ち伏せをされて辞めた。
一度、意を決してお付き合いをしているわけでもないのに何も意見しないでほしいと言った。だが、聞いてはもらえなかった。
その人は私と付き合う気はきっともうなかったのだと思う。飼う気だったのだと思う。
飴のような愛情表現と鞭のような私情の押し付けが繰り返されていった。
私の頭に浮かぶ好きと彼のいう好きにはあまりにも違いがあった。
どうしようもない嫌悪感を吐き出せず、ついに逃げ場も失った私は精神を狂わせていった。連絡が取れないからと急に訪ねてきた母が半ば無理やりに実家に引き戻してくれた結果、私は彼と縁を切ることができた。
最初は休学を選択していた大学だったが、次第に嫌悪感が増し退学してしまった。
私が引っ越しても、それから二年が過ぎても、あの部屋に彼から手紙が届くと言うので一度だけ返事を書くことにした。
それは迷惑だからというのもあったが、自分の中に彼に言いたいことがあったからだった。
松本琢磨さん
お久しぶりです、あの時はお世話になりました。結局、大学は退学してしまいましたがいろいろ助けていただきました。
気持ちに応えられないのに中途半端な態度を取ってしまったこと、ごめんなさい。
断っておけばよかったと今は思っています。
ここから先は何故、あなたではいけなかったかという話です。気が向かずとも読んでください。純粋に私のことを知ろうとしていてくれたなら、あなたとお付き合いすることもあったかもしれません。これはお世辞でもなんでもありません。私の夢や私の自由を尊重し、手助けをしてくれていたならいつか良いと思えたかもしれません。ですが、ありえない話でした。告白を聞いたあの日、もし貴方が一度身を引いていたならという話です。頂いたプレゼントはどれも嬉しかったですが、全く私の好みではありませんでした。私の話した夢に関しても、あなたは何も返さず応援の一言もなく、自分の話に切り替えましたね。無理やり悩みを聞き出そうとした日のことも、とても迷惑でした。就職活動の時の言動もそうです。
あなたのそれは、好きとは言いません。
あなたと居た時間は、ほんの少し有意義なくらいでした。他はずっと不愉快でした。ただそれはあなたの価値観や理想の押し付けに疲れていたからでした。私は聞くより話す方が好きです。あなたはきっとこんなことも知りません。
あなたに好かれることはとても迷惑です。それはあなたが好きとは何か知らないからです。あなたを嫌っているからではありません、それ以前の問題です。
今年の夏も暑いですね。あなたがいつか本当に好きという感情を知る日がいっそ来なければいいと思っています。私はこれからあなたが言った好きと言う言葉の音とこれから私が好きになってお付き合いするかもしれない人が言う好きと言う言葉の音が同じことを、ずっとずっと嫌悪して生きていくのです。
あなたは自分の中の私が好きだっただけで、私を好きだったわけではありません。
最早、あなたには自分しか見えていないのです。あなたが好きな科学の言葉を借りるならば虚像です。いやそれ以下かもしれません。
二度と、そんな薄汚い視線を向けないでください。そんな生半可な気持ちを語らないでください。どんなに好きか語っていれば私から返事が来て、一緒に居る未来があると過信するそんなあなたが気持ち悪い。
頂いたプレゼントのお金をもう一枚の封筒に入れておきます。
私はいつか必ず私のことをまっすぐ見据えて、私のことを尊重してくれる人と結ばれます。
ありがとうございました。私のことは嫌いになってください。
さようなら。
白井
好き、という感情が一番めんどうで分かりづらいものだと思います。特に恋愛的な好きほど。
生半可な気持ちで、本気で好きと思ってしまえる人にはなりたくありませんね。