九十九 箱庭の英雄
黄昏の空を見上げると軍馬に乗り、槍を持った者がゆっくりと降りてきた。
感じる魔力と女神の反応だけで最上位の神ということはわかるけれど、堂々と黄金の鎧を纏うその姿は頂にいる者であることを確信させた。
神々しい光を纏いどんどん地上に近づく。
距離が近くになればなるほど魔力の圧は強くなり、強制的に片膝をつかされそうになる。
「おい、お前たち。何をしてるんだ! 跪け」
女神が顔を真っ青にして促す。
レイは既に跪いている。
アドルさんはまだ跪かない。
数メートル先まで近くに来たとき、とうとう圧に負けて跪いてしまった。相手は最上位の神であることはわかっているのにここまで抵抗したことをいまさら失礼だったと少し後悔する。
そしてこちらに着いたとき、ついにアドルさんもゆっくりと片膝を降ろし、頭を垂れた。
「面をあげよ。我は全ての神々を統べる主神。人間の戦士たちよ。此度の働きは誠に大義であった」
「有難き幸せ」
アドルさんが代表して返答する。
主神は右目に眼帯を着けておりオールバックの白髪と立派な白い髭をたくわえ、見る者に有無を言わせぬ神の威圧感がある。一方でこれが神々の最高峰なのかという高揚感も感じていた。
「『完全なる神の魔法』の復活は私の悲願であった。女神よ。新たなる神具をこちらへ」
女神が主神に銅祝の剣を手渡す。
「――素晴らしい……以前見たときよりさらに美しく力強くなっている。まるで生まれ変わったようだ……」
そして女神に剣を返すと、馬から降りてアドルさんの目の前にやってきた。
「――試してみたいのだろ? 私は構わんぞ?」
「何をおっしゃいますか。私は人間世界の秩序を守るために神に力を授かった者。その力を主神に向けるなど……」
「立場に本能を縛られるというのはさぞ辛かろう。お前は死後にぜひ私の元に来てもらいたい男だ。それともう一人、私の強さに興味を持つ猛者がいるようだが……」
主神がこちらをチラリと見る。
最強の英雄を超える主神。
本能が目を逸らすなと訴えかける。
「カズヤ・ヴァンに興味を持っていただき光栄です。彼はこれからもっと強くなる。いつか世界最強の私を超えていくでしょう」
「それは頼もしいな。期待している」
なんだか凄く評価されている……
まぁアドルさんを倒すことはマルスさんと約束したことだからここで気後れしてては話にならない。
「さてそろそろ話を戻そうか。完全なる神の魔法は神の理すら超える可能性を秘めている。つまり神々の運命を変える可能性すらあるのだ」
神には神の運命があってそれに翻弄されているわけか。
「それを完成させたカズヤ・ヴァンとレイ・クレスターは恩人でありぜひ褒美を授けたい。欲しいものがあれば何でも申せ」
俺とレイが望むもの……
それはただ一つだ。
レイの方をチラリと見ると、コクリと頷く。
「私たちは宿命に縛られず普通に二人で生きていきたい。望むものはそれだけです」
「しかしその願いは既に叶えられてしまっておるしなぁ……ならば宿命に縛られない新しい力の器を授けよう」
「新しい力の器?」
「お前たちは普通に生きるには力を持ち過ぎた。保有する魔力もこれから適合していけば特殊な力が付与されていくだろう。したがって、それらの力をコントロールする器が必要となってくる」
俺が持つ混沌の魔力は確かに特殊かもしれないが、レイの光の魔力も特殊なのか? そもそも魔力の基本属性に特殊な力が付与されるのは神具持ちの特権では?
「カズヤ。僕たちは特殊方法でオドを修復した。何が起きてるかは未知だからとりあえず主神に従おう」
レイが小声で耳打ちする。
「そこでこの『純糸の剣』をお前たちにそれぞれ授ける。両手を差し出せ」
俺とレイは主神に両手を差し出すと真っ白な剣が現れた。
二人が礼を言うと主神は話を再開する。
「この剣は全ての神具のベースとなっており、所有者の魔力の性質に応じて変化し成長していく。試しに柄を握ってみろ」
柄を握ってみると剣全体に白と黒の木目調の模様が浮かび上がる。
それを見たレイも柄を握ると剣全体が光沢のあるシルクのような色に変化した。
「それぞれの剣をどう名付けるかはお前たちに任せる。これが私からの宿命を乗り越えたものたちへの褒美だ」
宿命の先で織りなす新たな物語。
その中にどれだけ普通の生活を織り込めるかはこの糸をどれだけ使いこなせるかというわけか……
俺とレイは主神に深い感謝の意を伝えた。
「さて、これからの二人の活躍には期待しておるぞ。そしてアドル。辛い選択をさせてしまったがそちらの世界を頼むぞ」
「――秩序を守る者として全力を尽くします」
「それではそろそろ別れの時間だ。女神よ。この者たちを元にいた場所へ送って差し上げろ」
「はっ。お前たち、準備ができたら時の狭間に飛ばすぞ」
俺とレイは授かった新たな神具を胸の中に仕舞ったが、特に違和感なく格納されていった。
最後に主神と女神に深々とお礼をして、俺たち三人は美しい黄昏の神域を後にした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
気がつくと見慣れた黒と青のマーブル模様が目に入ってきた。時の狭間に帰還したんだ。
周囲を見渡すともう神樹の門が見当たらない。
ちゃんと元の場所に戻って来たのだろうか。
「父さん。カズヤくん。そして……レイ! やったんだな? 全て終わったんだな?」
マルスさんが涙を浮かべて立ち尽くしている。
「あぁ……転生システムについては全て終らせてきたよ」
「マルスさん。もう安心してしてください」
「――兄さん……ただいま!」
レイが最高の笑顔をマルスさんに向ける。
「本当にこんな日が来るなんて……レイ!」
最愛の妹を強く強く抱きしめる。
「痛いよ! 兄さん」
「僕は信じて待つことしかできなかった……とてもとても辛かった」
大粒の涙を流し声を絞り出す。
「心配かけてごめん。でもこれからは……」
レイがこちらの方を見るとマルスさんは抱擁を解き、こちらに向かってくる。
「君には返しきれない恩ができてしまったね……これからも妹を頼む」
マルスさんが深々と頭を下げる。
「あなたの教えがなければここまで強くなれなかった。それとレイの魔力を感知してみてください」
マルスさんがレイ魔力を感知すると驚きの表情を見せる。
「光の魔力で満ちている……カズヤくん。これは一体?」
「俺のオドの魔力でレイのオドを修復し、光の魔力を注ぎました。あいつはもう光の少女・レイです」
「でもそんなことしたら君は……まさか!」
「魔王、いやヴェヌス先輩にオドを修復してもらい、魔力を注いでもらいました。今はとても安定しています」
前から自分には闇が足りないと思っていた。
だからこそ今の光と闇が混ざっている方が本当は心地がよいのかもしれない。
「――君のレイへの想いと行動力には流石の僕でも感服するよ……学園のみんなも心配している。帰ろうか?」
「はい!」
マルスさんが虹色の球に魔力を注ぐと学園に繋がる空間が現れ、俺たちは飛び込んだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
帰還すると、赤い本を手にしたセイレーン先輩が目の前にいた。
「よくぞご無事で……今フレイア様をお呼びいたしたます!」
時計を見ると深夜の四時を過ぎていた。
いくら時の狭間の時間がこちらより遅いとはいえ出発してから半日以上は経過したわけだ。
周囲にはケブとスカーレットの姿が見当たらない。
一時帰宅したくのか。どこかで仮眠をとっているのだろうか。
会議室の扉を開くとフレイアさんが出てくる。
いつもより少し疲れているようにも感じられた。
「――アドル、マルス、レイ、そしてカズヤさん。本当に本当にお疲れ様でした。あなたたちのおかげで学園の、島の、世界の平和が守られました。優秀な生徒を一人失ってしまったことは誠に残念ですが……」
フレイアさんにしてみたらヴェヌス先輩も学園生徒であったんだ。例え正体が魔王だとしても……
「――ヴェヌスはカズヤに力と想いを託した。生徒会長としてのあいつは立派に役割を果たしたよ」
アドルさんが俺の肩に手を乗せて言う。
「またカズヤさんに背負わせてしまったのですね……本当にごめんなさい」
「全ては俺が信じたい俺のためにやったことです。この力で少しでも多くの人と魔族を助けます。それより生き残ったレイを……」
レイが少し恥ずかしそうにフレイアさんの前に立つ。
「母さんはとても忙しいのに心配ばかりかけてごめんなさい……これからは新しい力で光の道を突き進むよ」
「――なんて温かい光の魔力……これがあなたのこれからの希望……」
レイを抱きしめると、いくつもの色の光の粒子が飛び交いフレイアさんを癒やす。光の粒子が消えると元気を取り戻したのかアドルさんの方を見て強い口調で語りかける。
「それでアドル。その表情だととんでもない約束を神としてきたようね……」
「詳しいことは夜が明けてからだ。少しくらい休ませてくれよ」
どうやって学園長になるアドルさんが自身に賞金を賭けることを周囲に説得させるかは気になるが、フレイアさんがついてるしなんとかなるだろう。
まぁ俺もこの学園の副会長として巻き込まれていくのは間違いないが……
「カズヤ!」
「レイ様!」
会議から勢いよくケブとスカーレットが飛び出してきた。
「お前たちまだいたのか……?」
「当たり前だろ! スカーレットなんて心配で心配でいつものドリンクを過剰に飲もうとするから止めるの大変だったんだぞ」
スカーレットの背後にいる炎の王もゲッソリとしている。
なんて健気な精霊の王なんだ……
「うぅ……レイ様と地獄の果てまでお供するとお約束しました。これで命尽きるなら……」
もう言ってることがめちゃくちゃだ……
「心配してくれてありがとう。でもヤケ飲みは絶対にしないと約束してくれないかい? それと君とはこれから地獄ではなく光の道を一緒に歩みたいんだ」
レイは小さな光の球を作り出しスカーレットに差し出す。
もう使いこなし始めてるのか。
「これは闇ではなく光の魔力……新しい道を歩み始められたのですね。私ももっと自分を変えていかなければいけないのかもしれません……」
「そうだね。これから世界はどんどん変わりゆく。君みたいな情熱と調和の精神を持つ才女は僕にも世界にも必要だ」
「ありがとうございます。あ、あとヤケ飲みは二度としません」
スカーレットの顔が真っ赤になる。
「それにしてもカズヤ。またお前変わったな。不快ではないけどこれまでに感じた魔力で溢れている」
「まぁ色々あってね。今は安定して混沌としてるけどそのうちもっと上手くコントロールするよ」
混沌の魔力についてはわかってないことの方が多い。後でヴェヌス先輩がアドルさんに残した混沌の魔力についてのノートを手に入れなれば……
そう思っていたときアドルさんとフレイアさんとマルスさんがこちらにやってきた。
「カズヤ。今回お前が成し遂げたことは歴史の表舞台に出ることはないだろう」
「それでもカズヤさんがこの島を、レイを選んで異世界から来てくれたことに深く感謝しております」
「君はクレスター家にとって英雄だ」
俺が英雄か……
「違うよ。カズヤはクレスター家にとどまらず色んな人を変えていった。この箱庭世界テイルロード島の英雄さ。少なくとも僕はそう信じてる」
「レイ様のおっしゃる通りですわ。私もカズヤと出会えて変われた」
「俺もそう思う。常に困難必死に立ち向かう姿に導かれた」
「私も妹のローレライもあなたと出会えて変われた」
ただ目の前のことを必死にやってきて、それでも拭いきれない劣等感に悩んでもがいた。
転生する前と比べたら全てが上手く行き過ぎて英雄の宿命に導かれてるだけなんじゃないかとも思った。
けれど今はカズヤという個人が箱庭の英雄として認められている。歴史に名が残らなくてもこれはとても名誉なことだ。
「――ありがとうございます。これからも奢らずに精進します!」
深々と礼をする。
「さてもう五時になりそうだし。ケブとスカーレットは家に帰れ。親御さんたちも心配しているだろう。カズヤとレイはどうする?」
「どうするって……」
「そりゃもちろん……」
まだ五時なら間に合う。
「少し二人で出かけてきます」
「風の魔法ならここから三十分あれば余裕だろうね」
「おいおい二人とも行き先くらいは言っていけよ」
困惑するアドルさんに少し待ってくださいと言って、念入りに防寒をする。
フレイアさんは俺たちの行き先を把握したのか、温かいレモンティーが入った保温ボトルとカップを用意し小さなバックに入れてレイに手渡した。
「セイントセカンドビーチです。行ってきます!」
「さぁ行こう! 始まりの朝焼けを見るために!」
俺とレイは理事長室の扉を開き、手を繋ぎながら約束の場所へと向かった。