九十五 極限の殺し合いの幕開け
神樹の門をくぐると幻想的な森が広がっていた。
若葉が生い茂った木は青々としており、樹皮や地面は苔で覆われている。僅かに漏れてくる光は緑の空間を祝福するかのように優しく照らす。
空気だけではなく森を満たす魔力はこれまで感じたことがないほど汚れなく透き通っている。ここが神の聖域であることを強く感じさせ迂闊に言葉を出せない。
レイもヴェヌス先輩も同じようなことを感じていたのか、アドルさんに促されて歩き始めても口数が少なく緊張していた。
しばらく一本道を歩くと巨大な樹木の根が見えてきた。
さらに近づくと大樹の根に貫かれている泉があり、鏡のように森の緑を写し出していた。
よく見ると近くに女性がいる。
大樹の根に銀色のバケツで白い水混じりの泥を注いでいるようだ。
「――来たか。少し待っておれ」
そういうと同じ作業を繰り返す。
「ふぅ……とりあえずこのくらいにしとくか」
一息つくとこちらに向かってゆっくりと歩いてきた。
「理を超えた資格者たちよ。ようこそ神の聖域へ。我が運命を司る女神だ」
ウェーブがかかったカッパーブラウンの腰まである長髪。全てを見透かしているような金と銀のオッドアイ。汚れを知らない純白のドレスに白い肌。
そして何より……
どの属性にも該当しない純粋で透き通った魔力。
水でも風でも光でもない。
未知の魔力に驚きを隠せなかった。
「――久しぶりだな」
最初に女神に語りかけたのはアドルさんだった。
「随分と立派になったな。主より神の剣を賜った選ばれし少年よ。そして転生を宿命づけられた魔王よ」
「あんたならもう用件はわかってるんだろ?」
「もちろん。『完全なる神の魔法』を作り上げることと『転生システム』の破壊だろ? 後者はともかく前者は主が求めているので協力しよう」
転生システムの破壊には意義ありって訳か……
「大戦が終結したこちらの世界は復興が進み、人と魔族の共存の道を歩み始めている。魔王を転生させ続け争いを生み出さなくても俺たちの世界はもう発展していける」
だから魔王の転生システムも破壊していいだろ、とアドルさんは進言した。
「これからの魔族たちのためにも無駄な争いを起こす私の存在はもはや不要だ」
ヴェヌス先輩もとい、魔王本人も女神に自分の意思を伝える。
「魔王という理不尽な敵がいなくなれば、飛び抜けた武力を持つ者が減る。そうなると即戦力となる戦士を死後にスカウトできなくなって主が困るのだよ」
女神が肩をすくめる。
「必要な戦士くらい少しは自前で育てろ。そのための仕組みだって神々の世界にはあるはずだ。どちらにせよ今のやり方では俺たちの世界が崩壊する」
「我が誰だとわかっててそのような口を聞いているんだろうな? お前がこれからやろうとしていることくらい理解した上で困ると言っておるのだぞ?」
アドルさんの言葉に冷静さを失いかけた女神であったが、すぐに切り返してくる。
「俺だって戦場に育てられて強くなったからそちらの言い分はよくわかる。だが世界の秩序を守る者としてはこれ以上世界を疲弊させられない」
「その結果、魔法学園メーティスの学園長になり、世界各国と連携して世界中の人材の発掘と育成か……そんなことをしても平和になればなるほど武力を求める者は減るぞ?」
「そうだな。だから俺は最強の英雄である俺自身に様々な賞金を賭けることにする。戦う相手によってはハンデもつけてやる。ただしやるなら関係のない奴らを巻き込まない場所でだ」
アドルさんが自分自身に賞金を賭ける?
そんな話全く聞いてないぞ……
「――お前、自分が何を言っているのかわかっているのか? 秩序を守る者が争いを生み出すんだぞ?」
流石の女神も困惑の表情を隠せない。
「戦いたくない奴らを巻き込んで戦争するよかマシだ。それとも最強の英雄と勝負することは戦場より退屈かい? そんな奴らが増えたらお前らもスカウトが楽になるだろうよ」
「なるほどな……主がお前に神の剣を賜った理由が少しだけわかったよ。いいだろう。やれるものならやってみろ」
これが世界最強の英雄。
平和になって行き場のなくなった強者たちと真っ向から向き合いさらなる高みへと連れて行く。
常識では考えられない案を子どものような笑顔で語るアドルさんが羨ましく感じた。
「それじゃあ。魔王の転生システムの破壊は了承してくれるんだな?」
「今回はな。だが忘れるな。それでも争いを求める個人や組織、国家がいることを……」
「わかってる。それは俺個人ではどうにもならない。というかそれこそ世界各国が連携して少しずつよくしていくしかないだろう」
どの世界でも大なり小なり争いは常に起き続ける。
けれど少しでも生きたいと願う者たちを救えるなら世界は多少よくなるのかもしれない。
「さてと……後ろの二人。神樹がある神聖なところで殺し合いをさせる訳にはいかぬ。相応しい場所に連れていくがいいな?」
レイと顔を見合わせて「お願いします」と返事をする。
「アドルと魔王よ。お前たちはどうする?」
「もちろんいくぜ」
「私もだ」
四人の意思がまとまったところで、女神の金と銀のオッドアイが光り、神樹の根がある聖域から移動をした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
たどり着いた先はどこまでも広がる黄昏の空間だった。
空のオレンジとブルーのグラーデション神々しい。
水面のような床は薄っすらと空を写しだす。
「この神域でお前たちに殺し合ってもらう。互いに死力を尽くして『完全なる神の魔法』を完成させろ」
レイと一緒に一礼すると、女神はアドルさんたちを連れて俺たちの視界から消えた。
いつもならこの美しい空間について少しくらいは語り合うだろう。でも今は互いにそんなことをする余裕はない。
静寂がしばらく場を支配する。
最初に動いたのはレイだった。
突如、黒壊の剣を床に刺したと思ったら膝をついて祈り始めた。
どういうつもりだ?
まるでこの身を捧げているようにも見える。
レイは安っぽい挑発や小細工などしない。
これがファーストコンタクトとしてベストだと判断しているはずだ。
深紅の翼と二本の角を持ち、闇ドレスで覆われた少女は全く殺気を出さずただ目の前で祈り続ける。見た目は悪魔なのに行動は聖女……
そのときある言葉が頭に浮かんだ。
『愛を抱いた悪魔』
悪魔の宿命を背負い続けたレイが出した答えがこれということか。ならば俺は……
白創の剣を完全解放し、資格者の眼も解放する。
お前が俺が背負い続けたもの。
『宿命を斬り割く英雄』として受けて立つ!
地面を全力で蹴ると眼から赤い閃光がバチバチと流れ、白い光となっている身体は燃える殺気で覆われ、有り余るエネルギーは背中に翼を生やす。
「いくぞ! レイ!」
全力で剣を振り下ろす。
キィーン!
剣身と剣身が衝突すると鋭い金属音が果てしなく広がるこの空間に鳴り響いた。
レイは無言で剣身を受け流しそのまま首を狙ってくる。
紙一重で交わし、レイの心臓を突刺そうとするもかわされる。
二人は一旦距離をおいて再び向き合う。
「いくよ……」
「あぁ……」
全く同時のタイミングで地面を蹴り出した。
そこから始まる白の刃と黒の刃による超高速斬撃の応酬。
愛する者同士による極限の殺し合いはついに幕を開けた。




