二度目の人生の始まり
その日、異世界たる『ゼーディン』にある【グランファーレル王国】にて、
国王である『ユリウス・フォン・グランファーレル』と
第2夫人である『アメリア・フォレスティア』の間に子が無事に生まれた。
出産から幾ばくか時間が経過し、生みの親であるアメリアも落ち着いてきた。
けして大きな声ではないが、不思議と聞き取りやすく美しい声で告げた。
「……子をこちらに」
「はい、抱いてあげてください」
当然ながら赤子は首もすわっていない為、細心の注意を払いつつ受け渡される。
「……これが私の子……あまり泣かないのね」
「赤子だからと常に泣いているわけではないですよ」
「……そうなのね」
「ご子息は専門の方も面倒を見ますので、ご安心ください」
「……そう……子をお願い……少し休むわ」
子を丁寧に預けると、アメリアは深い眠りについた。
side:まだ名のない僕
頭も視界もぼやけているし、体もうまく動かせない。
ぼーっとしていると、妙な浮遊感を味わう。
それは巨人のような誰かに自分が抱かれているのだと気づいた。
そして別の誰かの腕に抱かれた事で理解した。
相手が大きいのではなく、自分が小さいのだと。
彼の身に起きたのは転移でなく、転生なのだ。
ならば、赤子から始まるのは当然と言える。
まだ、何もしていないのに思考ができないほど眠くなる。
中身が僕でも、身体は赤ちゃんなんだなと思いつつ眠りについた。
そして時間が経過した頃、彼は前世でもなかったほどのピンチを迎える事になる。
それは『食事』と『トイレ(お漏らし)』である。
赤ちゃんなのだからと割り切れるか、特殊な性癖を持っていないのであればこれは辛い。
前世では大学生まで育っていたのである。
『食事』については、まだ恥ずかしさを我慢すればいい。
赤ちゃんの身体のおかげで性欲もなければ興奮する事もない。
一番の問題点は『トイレ(お漏らし)』だ。
転生したばかりではあるが、漏らす度に死にたくなってくる。
漏らす度に下半身が気持ち悪くなるし、文字通り自分のケツも拭けないのだ。
結局、中身が何であろうと世の赤子のように泣いて助けを呼ぶしかないのである。
……生理現象については辛すぎるので、極力考えない方向にした。
思考放棄とは人類最大の発明ではないだろうか。
良い事や楽しい事を考える事にしよう。
この世界で僕の名前は『ユーリオン』というらしい。
周囲がそう呼んでいるので、まず間違いないだろう。
僕の母なのだが、腰まで伸びた白銀に輝くサラサラ髪にルビーのように煌めく赤い瞳。
あまり感情が顔に出るタイプではないようだが、10代後半のように見える若さ。
そして白銀の髪を貫くように長く尖った耳……長く…尖った耳……エルフなのでは?
まずは落ち着こう。
異世界なのだし、耳だけでエルフと決めるのは早計かもしれない。
いまだ部屋から出たことは無いし、部屋以外は腕に抱かれて窓から景色を見たくらいだ。
もしかすると、この世界では普通なのかもしれない。
エルフだと困るのかと聞かれれば、どうなんだろうか。
あまり詳しくはないが、前世では美形や長命な種族として描かれていた。
前世ではとにかく学ぶべき事が多すぎた。
もし自分もエルフで長命ならば、人間より多くの時間を学ぶことに使える。
そして学んだ後に実践できる時間も多いはずだ。
父はいまだ見た記憶がないのでエルフなのかすら不明だ。
忙しい人とか、顔を見に来るのがたまたま自分が寝ている時ばかりである事を祈ろう。
未亡人だったり、認知されてなかったりだと母が不憫すぎる……。
僕が生まれて半年ほど過ぎた。
ハイハイができるようになったので褒めてほしい。
元大学生がハイハイできたくらいで何をと思う人もいるかもしれない。
だが、赤ちゃんがハイハイできるようになる平均は生後8ヵ月くらいなのだ。
周囲も驚いていたので、この世界でもハイハイの平均は同じくらいなのではないか。
自分の体を動かせるようになり、以前ほどすぐに眠くならなくなった。
だが、とても残念なことに暇なのだ。
テレビもないし、絵本も幼児用の玩具もない。
いや、テレビはともかく、絵本や幼児用の玩具を用意されて喜ぶのかという気はするが……。
父について分かったことがある。
どうやら40代くらいで、短めの金髪に青い瞳の海外映画に出てきそうな人間であった。
あまり長い時間触れ合うことはなかったが、笑顔で抱いてくれたし、愛情は感じられた。
父と母の間に赤子ながらも微妙な空気を感じた。
夫婦仲が険悪とかではないのだが、お互いにどこか遠慮しているようなのだ。
もう少し育ったら夫婦仲を取り持ちたい。
母なのだが、あまり笑った顔を見たことがない。
笑っても薄っすらなので、上品と言えば上品とも言えるが、満面の笑顔を見てみたい。
僕の面倒を全て人任せにせず、見れる範囲で見てくれるので愛情はあるのだろう。
世話係を含め数人のエルフを見たが、やや表情が硬かったので種族的特徴なのかもしれない。
前世の知識では赤ちゃんの最初の言葉というのは、パパとママのどちらかで喧嘩になるほど大事な案件らしい。
なので以前に母に抱かれている時にママと呼んでみた。
きっと満面の笑顔を見せてくれるだろうと。
結果はやや驚いた後、普段より優しく微笑んだ。
母の満面の笑顔を見るのは難しい。
自分の行動範囲が広がると、見えてくるものも増える。
屋敷の庭の花に水をあげているのを目撃したのだ。
これだけであれば普通の行動に見えるであろう。
だが、何もない空中に水の塊を出現させ、ちょっとずつ水をあげていた。
そして、この世界には魔法がある事を思い出した。
ならば、暇などど言ってはいられない。
赤子のこの身なれば全てが自由時間と言える。
しかし、赤ちゃんが魔法を教えてと言っても間違いなく教えてはくれないだろう。
自分の部屋に戻り、何かないかと考えていると前世での漫画を思い出した。
漫画の中では魔法とはイメージが大切であり、より鮮明にイメージする為にあるのが詠唱であると。
そして詠唱せずに魔法を使用できるのが一流の証であると。
詠唱については何を言えばいいのか、言葉だけで魔法が使用できるのか、何もわからない。
だが、イメージだけなら完璧だ。
前世の幼き日から、いや転生したとしても決して色あせる事がなく脳裏に浮かぶ姿。
人の身体能力を遥かに超え、「鋼糸」を自由自在に操る動作。
あのアニメの世界観設定には魔法は存在しなかったが、魔法でもなければ真似できない。
幸いにも時間には余裕があるし、いろいろ試してみる事にした。
自分の小さな両手を見つめる。
その指先から魔力を出すイメージを描く……うまくいかない。
右手の指先から魔力を出すイメージを描く……うまくいかない。
右手の人差し指1本に集中し、魔力を出すイメージを描く……指先に何かが集まる感覚を得た。
目には見えないが、右手の人差し指にのみ不思議な感覚があるのだ。
次に指先に集まったおそらく魔力であろうものに「糸」のように細長いイメージを与える。
変化の途中で霧散してしまった。
細くした魔力を維持するような繊細な操作は難しすぎた。
今度は少し太めに「うどん」をイメージしてみた。
さっきよりは形になったが、「うどん」のイメージが悪かったのか、強度が弱く途中で切れた。
何か細すぎず、硬さがあるものは無いかと考えていると、縄跳び用の「ロープ」を思い出す。
右手の人差し指1本に集中し試してみると、長さ40㎝程しかないが形にはなった。
一応形になったので、次は自分のイメージ通りに動くのか確かめてみる。
形を与える前は見えなかった魔力だが、今は薄ぼんやりと光って見える。
まっすぐ、波打つように、右に、左にと、イメージしてから実際に動くまでタイムラグが発生するが、これからの練習で良くなるだろう。
……気が付くと僕は泣いていた。
赤ちゃんだから泣いていたのではない。
魔法が使えたからだ。
とても理想とするイメージには程遠い。
だが、練習すれば糸のように細長くできるであろう。
簡単に切れぬように固くもできるはずだ。
今は指1本が限界だが、いずれは両手全てで操ってみせる。
魔法が使えたことで、遠すぎて見えなかった夢の背中が見えた気がしたのだ。
転生させてくれたまだ名前もわからない神様に、僕は涙を流したまま改めて感謝した。
自由時間の多い今ならば可能な限り努力したい。
しかし、教えてもいない魔法を赤ちゃんが使用していたら気味が悪いし、困惑するだろう。
周囲に心配をかけないように誰もいない時に鍛錬しようと決意し、腕で涙を拭く。
袖が赤く滲んでいることに気づく。
どうやら鼻血が出てしまったようだ。
するとタイミングが良いのか悪いのか判断に困るところだが、部屋の扉が開く。
「ユーリオン様 ご機嫌はいかがですか」
「……(涙を流し鼻血を出している僕)」
「……(それを見て言葉にならないメイド)」
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーー!!(絶叫するメイド)」
「どうした!! 何かあったのか!?(駆けつける他の使用人)」
「うわぁぁぁぁぁぁぁーーーーーー!!(同じく慌てる使用人)」
「……どうしたの? ……騒がしいわ……(パタリと気を失う母)」
「医者だ! 早く医者を呼べ!」
「それより早く治癒魔法を!」
「状態もわからんのに治癒魔法が使えるか!?」
「ならポーションを!」
「赤ちゃんに飲ませられるか!」
「ならミルクなら飲めるのでは!?」
「落ち着けぇーー!!」
……心配かけないようにしようと思った矢先の出来事であった。