「おめーは文を書いてから言え!」という書き手さん、気持ちはわかりますがその溝は多分一生埋まりません
どうも初めまして、またはこんにちは。
私しがない、書き手兼読み手です。
なんでこんなの書いてるかって言うと、今は私の心が荒れてるからですね! 必死に言い聞かせてるんですよね!
小説やらエッセイやら書いてると。
それはそれはいろんなコメントを頂きます。
もっぱら良いコメントが多いのですが、中には「ん?」ってものもあります。まぁ大抵、余計な一言があるものです。
何も言うなって言うんじゃなくてね。
意見はあって然るべきだけど。
まぁ時々、たまにね、感想を言葉の殴り合いだと思ってる人がいると思うんだ。
これを「素直だなー」って捉えられるか。
「……なるほど⁇」(オブラート)って捉えるか。
それは書き手の精神状態による。
投げられたコメントはもう相手の手を離れていて、それはホントに思ったまま書いただけなんだろう。
わかるよ、わかってるよ。
客観的に見てみればね。
まぁでもね、書き手も人間なわけで。
てか人間じゃないと、ぐるぐるした葛藤とか書けないからさ。やっぱ情緒的なものは、人間ならではだよなって私は思うんですけど。
多分そういう感想書く人は、忘れてるんだよね。
目の前に本当の人間がいたら。
言わない事書けちゃうじゃん?
そういうとこだぞ! って思う(真顔)
一応書いてる人は人間です。忘れないであげてね。できれば目の前に人がいる想像してから、書いて欲しいかな〜。
しかもみんな、知らないかもだけどね。
書き手なんてのはね、めっちゃめんどくさい人間だと思うんですよね?(偏見)
わかりやすく言うと、ちょっと狂ってると思うんですよね。(多大なる誤解)だってクセがないと、文も凡庸になるんだよ。
多かれ少なかれ、書き手にはそれがあって。大抵頭狂ってるか(偏見)、感情の起伏激しすぎるか(略)、すごい尖ってるか()だと思うんです。
まぁ良い風に表現するなら。
とても繊細な感性を持っている(一般比)
そういう私は……言うほどじゃないかもしれないけど。でもやっぱ「人とズレてるな」って時はあって。大抵考えすぎなんですよね。
些細な事が流せないのね。
ま、それが小説のタネではあるんだけど。
意見や気になる事がないと、小説なんてのは書けないからね。書いてもひどく薄っぺらくなるんじゃないかな。
けど当然、悪い作用を起こすときもありましてですね。
それが「……なるほど⁇」(オブラート)な、感想を見た時によく起こると思う。
これねー。書き手同士なら分かるんだよ。
ま、あるあるだしね。
あと繊細(?)なので、想像しやすいんだ。
そう、書き手というのは想像に慣れている人間。だって1ミリも想像力ない人間が、小説書けるわけないじゃないか。
だから。
感想書いた人のことも想像しちゃうのね。
それがどんな感想であろうと。
でも小説読むのはさ。
別にそこまで想像力なくても読めるよ。
というか、「なろう」にあるようなライトな小説はそうであるべきなんだもの。
手軽に読める、気軽に読める、初心者でも読めるから「ライト」だからね。
純文学作品や詩はちょっと別。
詩に「言葉の脈絡がない」とか書いたら、多分その人は笑われてしまう。あれは想像力ありきで楽しむものだからね。お門違いさんだね。
けどライト作品なら、想像させるのは書き手の仕事。だから「想像できない」って言われたら、それはこっちの力量不足だ。
正論は正論だよ。
それはまぁ、いいんだ。
こっちにも落ち度があるから、書き手は「おん?」って思っても素直に受け取った方が成長する。
けれども。
たしかに世の中ね、いろんな人がいて。
いろんな考えがあるので。
それは否定しないんだけどさ。
物事にはさ。
伝え方ってのがあるんだよねと思う。
社会人ならまぁ分かることなのだけど。人と人が正論と思ったことばっか言ってたら、戦争しか起こらなくなる。
しかし一度ネット社会になると。
これがまぁタガが外れてんのか、精神年齢がお子様になってしまうのか(大幅な比喩)、はたまた本当に子供な場合があるんですね。
本当の原因は、子供である事じゃない。
これらの原因は、理解力の差です。
イメージ力や想像力の差と言っても良い。
事実、大抵の「……なるほど⁇」(オブラート)コメントは、読み専から行われる事が多い。書き手の皆さんはわかるでしょ?
だからしばしば、書き手は「おめー書いてから言えよ!」と。バーサーカーになりかねない感じになるのですが。
めっちゃわかるよ。
めっちゃわかるんですけどね?
その怒りの矛先の相手は……ほぼなんも考えてないんですよーーーー‼︎
いやちょっと誤弊かな。考えてるけど、自分のことしか考えてないが正しいかな。書き手がどうこうは考えない。だからそういうコメントできちゃうんだわ。
これはIQの差があると会話が盛り上がらない問題、くらい分かりづらく深すぎる問題なんだけども(どっちがどっちとは考えず)。つまり見えてる世界が違うのね。
要は、根本から違うんですよ。
多分パンダと白くまくらい違うんですよ(?)
あの子達同じクマのくせに全然違うじゃん?
環境と生活と適応性が違うんだわ。
もう同じクマだけど、あの子たちはわかり合えないと思うのね。そしてそんな世界想像もできないと思うのね。
きっと書き手が「白くま」なら。
大抵の読み手は「パンダ」です。
危険だらけの極寒の地で過ごしてきた白くまは、のほほんパンダの存在を知らなかったんです。同じ感性を持つ人だと思って受け取ったはず。違います。
逆にのほほんパンダは、何も考えてないのです。何故なら彼らに敵はいないのだ……。想像する必要もない……。考えないと生きられない世界を知りません。
クマだってこれだけ多様になるのだから、人間だってそうでもおかしくない。
なので結論。
わかり合うのは、無理です(断言)
でも私たちは人間なので。
多かれ少なかれ、想像力があると思います。
傷つけ合わなくてもいいはずです。
なので書き手さんは。
心が傷つく前に、そういう人がいる事を知っておきましょう。考え方が違うのです。もうほぼ違う生き物だと思っても支障ないです。
傷ついたら「パンダが書いたんだ……すごい……」と思えばいいんです(?)
ちょっとは癒されるかもしれません。
逆に読み手さんは。
相手が人間だと思ってください。繊細なガラスのハートだと思ってください。面倒だと思ったら、別の生き物だと思っても支障ないです。
動物園の白くまだと考えましょうか。「白くまが書いたんだ……すごい……」と思えばいいんです(?)
そうすれば、少し優しく感想が書けるんじゃないでしょうか。
人々の溝は埋まりませんが。
優しくはなれます。
ほんの少し想像さえしてもらえれば。
みんなで小説が楽しめるように、「なろう」がいい環境になればと切に願います。みんなでwin-winになろう‼︎