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6杯目

 

 ディモルが朝起きて一番にすることと言えば、枕元にあるチェストに鍵を差し込んで、昨晩の内容を確認することだ。


 寝ぼけまなこのままに文字を見つめているうちに、少しずつ思考が冴えていく。ひらひらと窓ではカーテンが踊っていてひんやりした朝の空気が流れ込んだ。メモ、と言えば簡単だが、実際はずっしりとした日記だ。大抵は9時になる前に眠るようにしているので、なにもない。なのにここ最近は楽しげに文字が躍るようになってきた。



 “影”の女の子と、お茶会をした。



 それは文字だけでも楽しそうで、なんとも昨日の自分が羨ましかった。




 ***




 ディモル・ジューニョは呪い持ちである。いや、ディモルではなく、ジューニョの男はもれなく精霊に呪われてしまう。

 夜九時以降の記憶が消えてしまうという難儀な呪いを抱えて生きてきたものだから、それはもう、大層生きづらかった。ジューニョ家は女系一家だ。男が生まれることはほとんどなく、苦しみを分かち合う相手すらもいない。前日に寝る前に、夜にあった出来事をメモしておけば問題のないことだが、文字を読むことと、実際の記憶を覚えていることは別ものだし、なにしろ手間だ。


 だから夜会ともなると、苦痛極まりない時間であったことは否定しない。出会った相手の名前をメモして、覚えて、次の日に読み返す。げっそりとした時間だった。さっさと抜け出すことを覚えてからというもの、果てしない生きやすさを感じた。しかし何故か次にやって来たものは、女たらしという不名誉なあだ名である。


 ――――いわく、ジューニョ家の長男が、いそいそと夜会から消えていくのは、目当てのご令嬢を手に入れたからであると。


 一体それはどの令嬢だ、と初めて聞いたときは頭を抱えた。ただの噂話のままに終わればよかったものを、不思議なことにその“お相手”を名乗る女性が、次々と声をあげた。もちろん、「どなたにも言わないでいただけると嬉しいのですけれど、実はわたくし」という枕詞がついていたが、実際はどんどん話を広めて欲しい、と裏側の思惑が透けていた。


 聞き覚えのない女性の名前が飛び出すたびに困惑した。違う、と否定の声を上げればよかったのだ。でもわからない。そんな行いはしていない、と誓って叫びたくはあったが、彼にはなんたって、“記憶がない”。


 ディモルと夜景を楽しんだとか、おしゃべりをしただとか、他愛もない話も入り交じっていた。もしかすると、些細なことだとメモを取り忘れてしまったのかもしれない、と口をつぐんでいたのがいけなかった。いつしか噂が事実に変わって、彼は類稀なる女好きということになってしまった。友人は腹を抱えて笑っていた。


 そのときのありもしない噂を流した彼女たちからすると、ディモルと少しばかりのきっかけを作りたかっただけなのだ。なのに彼が否定しないものだから、どんどんエスカレートしていってしまった。


 ――――ジューニョ家には、どんな呪いも跳ね返す強力な精霊がいる、と囁かれるようになったのは、いったいいつの頃だったか。


 家についた精霊の力は、貴族同士の力関係にも密接に影響する。精霊とて、不死の存在ではない。だから、少しでも力の強い精霊を次の世代に取り込み、さらなる地盤を強めようとする彼らにとって、ディモルは格好の餌だった。王太子からの信用もあり、地位もあり、目立った派閥に所属しているわけもない。その上容姿も輝かしい。娘たちの心も躍った。


「……実際は、普通の呪いなんかよりも、よっぽど強力な呪いに、がんじがらめになってるだけなんだけど」


 まさか精霊の祝福すらもないと聞けば、山のように積まれている縁談の手紙の持ち主たちも悲鳴を上げて去っていくだろう。「ディモル様、またお手紙がとどきました。セプタンス家のお嬢様です」 さらにメイドが手紙を増やして去っていく。ここ最近、“いい歳頃”だと思われているのか、更にひどくなってきたような気がする。


(僕は、ジューニョ家を継ぐつもりはないぞ)


 ありがたいことにも、ディモルには妹がいる。精霊に気に入られているから、と理由をつけて長兄ではないものが家を継ぐことは珍しくはない。今までさんざん周囲に迷惑をかけて生きてきたのだ。これ以上重ねたいものではない。


「僕は絶対に、結婚なんてするものか」


 机の上からとうとうこぼれ落ちた手紙を見て、自然と決意の言葉が口から漏れてしまった。こんな体質を抱え込んで、どうやって生きていけと言うのか。

 ため息をついて、もう一度、日記を読み込んだ。


『菓子をもらった。少しばかり迷ったが、“彼女”が喜ぶかもしれないと茶会に行った。日記通りに、重たいローブのフードで顔を隠していたけれど、とても嬉しそうにしていた。行ってよかった』


 ディモルは文字の上でしか、彼女と、その先代を知らない。夜の自分は、いつも楽しげで、それがひどく羨ましかった。


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