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2杯目

 この国は精霊に守られている。

 彼らは大地から命をもらい、妖精として生まれる。そうしてある日、小さな羽根を震わせて、精霊となるのだ。


 ルピナスはまだただの妖精だ。アゼリア以外には聞こえないし、見えることもないけれど、それはあえて彼女がそうしているだけで、実際のところはわからない。ほたほた降る雪が彼女の小さな頭の上にぽすりと乗って、「ふぎゃっ!」と猫のような声を出した。アゼリアは笑って、彼女を分厚いローブの内側に入れてやった。アゼリアが歩く度に出来上がる足跡は、降り積もる雪に少しずつ消えていく。


「ねえ、今日くらいは休んだら? 天気も悪いし、一日くらい休んだところで、誰も何も言わないわよ」

「そうはいかないよ。だって陛下からご依頼いただいたことだもの」


 もちろん、直接声をかけられたわけではないのだけれど。

 今年でアゼリアは十六になる。この仕事に携わるようになったのは、十歳の頃からだ。わけも分からず手のひらを引かれてやってきたのは、広大な庭園だった。王宮に連なるその庭は、田舎からやってきたアゼリアは目を白黒させるほど、それは見事な庭であったが、市民の誰からも愛され、立ち入りを許されていた。


 今は冬で蕾すらも眠っているが、春になると色とりどりの花を咲かせ、多くの人で賑わう。その様々な色合いはまるで大地に眠る精霊を思い出させる。だからこそ、今から三代ほど前の国王が日々精霊への感謝を忘れぬようにと、誰でも庭園に立ち入ることを許可した。当時はあまりの驚きに、それこそ街中が湧き上がったらしい。


 しかしやはり身分の壁というものは存在する。より王宮に近く、大地の精霊の加護がある南の道は貴族エリア、対して反対の北の道は平民エリアとして、気づけばある程度の線引きが出来上がっていた。貴族エリアにある道は不思議なことに、いつでも暖かく、朗らかな気候で、それこそ雪が降るような最中であったとしても、柔らかいドレスで散歩をしながら、雪景色を楽しめる。また屋根付きのガゼボでお茶会をすることもできるから、時折楽しげな声も聞こえる。


 アゼリアはそんなご令嬢達の姿を見ながらも、日々仕事に励んでいた。先代の影が亡くなるまでは市民エリアの管理を行っていた。貴族エリアに手を出すようになったのは最近で、以前よりも仕事は増した。下手くそな影、と言われてしまうと中々肩身が狭く感じてしまう。先代に申し訳なくも感じた。幼い頃から、『お前は影にはなれんだろう』と白いひげを撫でて、ぽつりと呟かれたものだ。


 さて、そんな雪景色も、手を加えなければただの牡丹雪が降り積もるばかりである。スコップを地面に突き刺して、赤くなった鼻を片手でこすった。そうして、ゆっくりと、日々の仕事を繰り返した。変わらない日常だ。確かに、そう思っていたはずなのに。




 ***




 少しばかり人が苦手だ、と思う。ルピナスは妖精だ。いつもアゼリアの周囲を泳ぐようにふわふわと羽根を動かしていて、口数があまり多くはないアゼリアよりも、ずっとたくさんのおしゃべりをする。そんな彼女に、いつもアゼリアは口元を笑わせてゆっくりと頷いて返事をしていた。


 影という言葉には、少しばかりの嘲りの意味が込められていることは知っているけれど、そのことに対して、深く何かを感じたことはない。それよりも、人は彼女の姿を好まない。だから姿を消すことばかり必死で、いつも深くローブのフードを被っていた。


 今日は満月が綺麗だ。

 市民エリアから、貴族エリアにある庭師の小屋に住むようになったのは、それこそ最近のことだ。先代とは互いに異なる小屋で過ごしていた。管理の区域が変わったものだから、色々と都合のいいこちらの小屋に引っ越してきたのだ。


 古くからある建物であるはずなのに、昔からちっとも変わらない。周囲は僅かに暖かく、過ごしやすくもある。こちらも大地の精霊の力だ。せっかくの満月だ。よっこいしょと椅子とテーブルを持ち出して、しんしんと降る雪をぼんやりと眺めた。ルピナスは膝の上にちょこんと座って、うつらうつらと頭を揺らしている。すっかり禿げた木の枝に、少しずつ雪が積もっていく。その間から、まあるい月が覗いている。


 せっかくだと紅茶を入れてみた。一口飲み込んで、ほっと一つ息をついた。そのときだ。


「おじいさん」


 背後から、声をかけられた。若い男性の声だ。夜の庭園は、立ち入りを禁じられている。驚いて振り返る前に、青年の言葉は続く。


「久しぶりだね。ああ、疲れた。聞いてくれよ。ちょっと長期の任務でさ。泊まり込みだよ。きつかった」


 あちらが、先代とアゼリアを勘違いしていることはすぐに分かった。重苦しいローブは、先代との共通だ。立ち上がって、声をあげようとした。青年はため息をついて、暗闇の中でもよくわかる、品のいい金の髪の上に降り積もった雪を片手で振り払っていた。膝の上では、唐突に動いたアゼリアにびっくりして、ルピナスがきょろきょろと周囲を見回している。


 まだ彼は気づいてはいない。人と話そうとすると、すっかりアゼリアの口は重たくなる。逃げるべきかと逡巡して、フードを掴む指先が震えてしまった。それでも、えいやと勇気を振り絞った。


「ひどい呪いを受けたものだよ。夜の記憶はすっかりなくなってしまうんだから。もうだめだ。あんなの、しばらくは勘弁だ」


 そう彼が吐き出した瞬間と、アゼリアがフードを脱いだそのときは同時だった。彼女の“柔らかい桃色”の髪がふんわりと揺れた。男は、大きく瞳を見開いた。「だ、誰なんだ……?」 呆然として言葉を呟いて、それから自身の口元をぞっとしたように抑えた。青年は仕立てのいい、おそらく貴族であろう服を着ている。もしかすると、アゼリアは聞いてはいけないことを聞いてしまったのかもしれない。


 互いに、二人は顔を引きつらせた。その間では、寝ぼけ眼のルピナスが、ふらふらと羽根を揺らして、「なに言ってるの、こいつ」と青年に向かって、見えもしない指を向けている。




 まるで他人事のように、ほたほたと雪が溢れるように落ちる音が聞こえる。頭の上のお月さまは、まんまるだ。



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