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12杯目

 


 途端に集まった注目に足がすくんだ。冷たい視線が彼女を射抜いていた。



 アゼリアは、ゆっくりと生け垣から顔を出した。そうしたあとで、さっさと逃げてしまった方がよかった、と指の先が震えて、心臓の奥がぞっとした。

 これは影として、あってはならないことだ。アゼリアは、彼女たちの庭での楽しみに水をさした。「また、あの影……」 ディモルと夜会で顔を合わせたとと言う少女が、ひどく眉間にしわを寄せて、アゼリアを睨む。申し訳がなかった。汚い姿、と呟かれた言葉は、決して子どもたちと同じものではなかった。とにかく瞳を見せないようにとアゼリアは下ばかりを向いて、両手を握りしめた。


 口々に、彼女を罵る声が聞こえた。始終、アゼリアは小さくなって、ただ足元を見つめていた。「アゼリア、怒ってもいいの」 ルピナスが、囁くように、それでも必死に声をかける。「言い方ってものがあるわ。あなただって、怒ってもいいんだから!」 南の、暖かな道だというのに、ただ震えることしかできなかった。


 パチン、と閉じた扇の音は、バーベナと呼ばれた少女のものだ。


「消えなさい。その無様な姿を、いつまでもわたくし達に見せないで頂戴」


 もちろん、何も言えなかった。




 ***



「あんなやつら、泣かしちゃえばいいのよ。私ならぶっとばすわ!」


 頬をふくらませるルピナスに、「そんなまさか。本当に、私が悪いんだから。それに泣いている女の人は苦手だわ」と軽い口調で答えた。彼女たちの時間を台無しにしてしまったことをアゼリアは幾度も謝罪を繰り返し、その場を立ち去った。さて、と仕事は山積みである。壊れてしまった土人形を作り直して、子どもたちに雪玉をぶつけられて、木々に具合を話しかける。


 あくせく動き回っている間に、すっかりとっぷり日が暮れて、夜の帳が落ちていた。温かい紅茶を丸めた手のひらで覆って、少しばかりのおしゃべりをする。話すことが下手くそなアゼリアも、ディモルとばかりはゆっくりと言葉を交えることができる。


 からからと笑った。なんてこともない話だった。彼には変わった友人がいて、少しばかり怖い妹も一人いる。夜はいつも早く眠りにつくようにしているから、夜会がある日は、眠くてたまらないのだとか。小さな声を互いに落として、ただただ笑っていたときだ。


「今日は、何かあったのかい」


 唐突に、告げられた言葉に跳ね上がった。

 ディモルは、まっすぐにアゼリアを見ていた。明け始めた空のような、澄んだ青色の瞳を彼はこちらに見せていて、「いや、なんだろう。なんとなく、そう思ったものだから」 “彼の記憶”は、アゼリアに初めて出会ったはずなのに、なんということだ。


 ディモルは、ひどく察しの良い男だった。決してそれは気が利くとか、空気が読めるのだとか、そういったわけじゃない。ただなんとなくでも、その人の姿を見てとれた。そうしなければ、記憶が消えてしまう彼は生きてはいけなかったのかもしれない。


 ぱくり、と小さく口元を動かした。

 それ以上言葉が出なかった。ルピナスは、アゼリアとディモル、二人を幾度も見比べた。それから、アゼリアの顔を再度見て、ぎょっとした。あんまりにも彼女が泣いてしまいそうだったからだ。それから、ぽとんとテーブルの上に座って、何もできない自身を悔やんだ。昔からそうだった。大事なところで、何にもできなくて、ルピナスはただ叫ぶことしかできなかった。


「そんなまさか、何も……」


 アゼリアはすっかり自分ばかりしか見えていなくて、ぼかすように、必死に言葉を探した。ぽっかりと、胸の奥に穴が空いてしまったようだ。ずきずきと痛かった。

 あんまりにも自分が“情けなくて”仕方がなかった。


 お前は影になることはできないと、先代から言われた言葉だ。本当にそのとおりで、満足に仕事の一つもできない。それが悔しくて、悲しかった。少女達から投げかけられた言葉は、ほんのすこしばかり心の端っこをひっかいたが、彼女たちの時間を台無しにしてしまったことは事実で、ただただ、申し訳無さばかりを感じていた。


 誰もが楽しんで、幸せになれる。そんな庭を作りたいのに。


「力が、あまりにも足りなくて」


 気づけば、ほんの少し声が溢れていた。「綺麗な、綺麗な庭を作りたいんです。色とりどりの花を咲かせたい。でも、私は下手くそで、邪魔ばかりをして、うまくいかなくて」 得意なことは、子供の雪玉の的になることくらいだ。庭師とは、社会の爪弾きものたちが集まるものだと言う。そんな人間を土の精霊が選んで、代々あとを継がせていく。それでうまくやってきたはずなのに、アゼリアだけがうまくいかない。


「悔しくって……」


 こんな言葉を吐き出すからだめなのだ。ディモルに言ったところで、彼が困ってしまうだけに決まっている。出した言葉が戻るわけもなく、椅子はすっかり暖かいはずなのに、ただただ胸のあたりが冷たかった。氷のようで、どうにかなってしまいそうだ。


 カップの中には、真っ青な花が、ゆっくりと泳いでいる。


「……僕は、きみのことを、まったく知らないけれど」


 ディモルは、いくらか時間をかけて、言葉を選んだ。ゆっくりと、慎重に、少しずつ。「そうやって、悔しい、と思えることは、とてもすごいことだなあ」 でも出てきたものは、ただの素直は気持ちだ。ディモルからしてみればなんてこともない言葉だが、アゼリアは、何を言われているのかわからなかった。ぽかんと彼を見上げた。


「い、いや。僕の友人に、馬小屋を掃除しているやつがいて。いや、それはもとの仕事ではないんだけど。とにかく、まっすぐだというか。それはとてもすごいことなのだと。僕も何を言っているか、わからなくなってきたんだけど」


 アゼリアは知りようもないが、ディモルはふと、ストックを思い出した。彼はディモルよりも位は低いが、人は、それだけでもないことを、ディモルは知っていた。


「君が、咲かせたいといった花を見たいな」


 以前に、彼は真っ青な花畑を見たことがある。しかしそれは夜のことで、ただ日記に書かれていただけだ。彼は何も覚えていない。

 とても綺麗な光景だった、と幾度も言葉が綴られていたけれど、よくわからなかったから、何度も頭の中で想像した。でもなんだか違うような気もした。きっと彼は、いつまで経っても記憶にはたどり着かない。



 ほたり、と温かな何かが、アゼリアの胸の中に入り込んだ。それが何なのか分からなくって、彼女はただ、菫色の瞳を大きくさせた。ころころと、落っこちていく星がある。それは名前もついていないような、小さな星で、色づいていた。


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