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攻略対象は突然に

 空は青く、雲は白く。見本のように外出日よりだ。

 倒れたばかりで、翌日に出かけるなんて大丈夫だろうかと、他ならぬ私自身が心配をしていたが、朝起きてみてそんな心配は必要がなかったとすぐに理解した。気だるさも無ければ頭痛のひとつも無い。子供の体というのは思っていた以上に頑丈にできているものだと感心する。


「フレーズ、もうすぐアルコンシェル侯爵のお宅に着きますからね。」

「はい、お母様。」


 現在私はガタゴトと音を立てて走る馬車の中で母と母の侍女と共に揺られている。

 馬車という乗り物は、私が想定している何倍も乗り心地の良いものでは無く、外から見た時に楽しみにしていた大きな窓からの景色も室内のカーテンで隠されて楽しみのひとつも無い。車に乗る時も、電車に乗る時もかつての私には無音で過ごす時間なんてほとんどなかったが、無音で何もする事の無い時間というのはあの世界に慣れた人間には酷く苦痛だ。

 どうせなら眠ってしまいたかったが、貴族令嬢たるもの流石にはしたなく眠りこける事も出来ず、仕方なしにカーテンに緻密に施された刺繍のひとつひとつを虱潰しに数えていた。


(今度馬車に乗る時は、何が何でも暇つぶしの道具を持ってこよう……)


 後悔の念と共に、丁度カーテンを彩る青色の小花を三度数えなおし終わったところで馬車が緩やかに足を止めた。母の侍女がすっと立ち上がって手荷物の確認をしだしたことからも、目的地であるアルコンシェル侯爵宅に到着したことが分かった為、私もその場で軽く腰をそらして目立たないように身体を伸ばした。

 ついでに足先もドレスにそろえた綺麗な靴の中でできる限り動かしていると、こほんと母から小さく咳払いが聞こえ、目を合わせたら深く微笑まれてしまった。しまった、流石に露骨に動き過ぎだったようだ。


「さぁ、フレーズ行きましょう。」

「はい、お母様。」


 母の後ろについて馬車のドアから一歩足を踏み出せば、そこは何とも絵に描いたような貴族の館だった。かつての私であったならテーマパークにあるようなとか、絵画で見たようなと形容詞を付けるような荘厳な門と、それに続く鮮やかな緑がうかがえる庭、その先に続く見事な洋館の一部。

 そういえば、自分が出てきた建物――つまり今の私からすれば自宅とも呼べるフレーズ家の館の様子のことは全く確認をしてこなかったし、記憶の中でも特筆して屋敷の全貌が出てくることがない。出がけは玄関直ぐに馬車が着けられていたせいで館の全容を確認することは無かったが、もしかすると私の家も同様に迫力ある建物なのかもしれない。

 こほん、とまた先に降りたはずの母が咳ばらいをする音が聞こえた。気付かないうちにぽかりと口を開けたまま、馬車を降りてすぐの場所で館を見上げてしまっていたようだ。

 にこりと誤魔化すように笑って見せれば、母はそれ以上追求することも無く、先導するこの家の従者の後に着いて門の先へと進んでいく。私も慌ててその母の直ぐ脇について門の中へと足を進ませた。


 門の中へ足を踏み入れてまず第一に驚いたのは何よりも庭の美しい花壇だった。青々とした生垣に遮られていたせいで初めは全てが見えていなかったものの、真直ぐに中央の通りを進んでいった所でその全てが目に映り込んだ。

 赤や、黄、オレンジに、ピンク、紫や、青みがかったものもある。花を目にする機会と言えば、オフィス内の観葉植物か、駅前によくある花屋だったかつての私からすると、あまりにも非現実的な数の花々に思わず意識を奪われる。様々な色があるにもかかわらず、規則的に並べられた花はなんとも見事なグラデーションを描いていて、まるで地上に現れた虹そのものだ。

 同じ失敗は繰り返さないように、何とか口を引き結びながらも、自然と足取りが軽くなるのが分かった。馬車はあまりにも快適とは言い難かったが、この景色を見る対価と思えば悪くはないかもしれない。

 そうして素晴らしい虹の庭を過ぎると、とうとうこの家の本命とも呼べるだろう館の入りが姿を現した。両開きの大きなドアは開け放たれて、従者らしき男性等が私たちを含む数々の客を出迎える支度を済ませていた。


「ようこそおいで下さいました。」


 慇懃に従者に促されて館の中へと足を踏み入れる。広々とくりぬかれた空間に、中央に設えられた緩やかな曲線を描く階段。天井から下がったシャンデリアは、今は窓から取り込まれた日の光を反射して、細やかな光を壁に映し出している。私の家と同じようなものかもと思っていたが、内装の様子からすると、どう考えてもこちらのほうが格上そうだ。審美眼なんてものが備わっているかは分からないが、なんというか訴えかけてくる圧が違う。

 内装のひとつひとつに一々驚いていたら、気が付けば今日お茶会をする会場であろう一室の前についていた。扉の前に控えていた侍女に引き継がれて中へと足を踏み入れる。

 日の光を取り込むための大きなガラス窓の設えられた、これまで見た館内と同様素晴らしいつくりの部屋だった。今は窓は開け放たれて、先ほど目にしたものと似たような作りの美しい庭へと続いている。室内にもいくつかテーブルや椅子が用意されたいるが、大半は庭に用意されておりテーブルの上にはケーキやクッキーなどの菓子が美しくセッティングされている。これまた絵に描いたようなお茶会だ。


「お待ちしておりましたわ、フリュイ夫人。」

「本日はお招きいただきましてありがとうございます、アルコンシェル夫人。」


 中には既に数組の親子がいたが、その中でもひときわ目を引いたのが藤色のドレスを纏った女性と、そのそばに着いている男児二人だ。三人揃って同じ色合いの深い茶色の艶のある髪をしているので、おそらく親子だろう。

 そして、周りの人間の対応からもこの夫人が招待主であるアルコンシェル夫人なのだろうと当たりをつけていると、向こうから声を掛けられた。


「そちらがお嬢様ね。」

「えぇ、ほらフレーズ。」

「フレーズ・ド・フリュイと申します、お会いできて光栄ですわ。」


 百を言わずに挨拶を促す母の言葉に乗って、その場で恭しく女性式の礼をとる。ふんわりとしたスカートを足首が見えない程度に丁寧に摘まみ上げ、その中で膝を曲げるこの姿勢を身体が覚えていてくれて本当に助かった。

 体勢を戻して、慎ましい淑女らしく微笑んでみせれば、傍らの母は満足げな雰囲気を醸し出していたので合格点という事だろう。目の前の夫人も微笑みのままのため大丈夫なはずだ。


「ほら、貴方たちもご挨拶なさい」


 ちらりと後ろに控える子供たちを振り返るように首を回して、夫人が二人の息子たちへ声を掛ける。

 やや体格に差があるのは年齢差があるからなのだろうか。比べると少しばかり背の小さな少年の方が先に姿を現し、その後ろからついてくるようにもう一人の少年が姿を見せる。先に来たのが弟で、後から来た方が兄だろうか。


「よく来たな!僕がヴェール・ド・アルコンシェルだ!」


 その名前を聞いた瞬間、ガツンと強く頭を殴られたのかと思った。

 兄の後に次いで貴族というには元気も威勢も良すぎる名乗りをした少年。その名前と鮮やかな緑の瞳がかつての私の記憶を揺さぶる。


(侯爵子息のヴェール……緑の瞳の、攻略対象!?)


 かつての世界のゲーム。特に恋愛シミュレーションゲームと言えば基本的にイメージカラーがあるものだった。それはあの乙女ゲームにも当てはまっていて、王子は青、騎士は赤、等それぞれ割り振られていた。それは各キャラクターの瞳の色であったり、髪の色であったりとあからさまに主張しているものだったのだ。

 そして、攻略対象である侯爵家次男のイメージカラーは、緑。名前もニュアンスでしか覚えていなかったはずだが耳で聞いて、その姿を目にしてはっきりと思い出した。ヴェール・ド・アルコンシェル。この少年は、攻略対象の一人で間違いない。

 まさかこんなに早く会えるとは思ってもいなかった。平民の数に比べれば少ない物の貴族なんて数え切れない程いるのだから、早々には会えないと高を括っていた。


「ヴェール、挨拶はきちんとしないと……弟が申し訳ありません、アジュール・ド・アルコンシェルと申します。お会いできて光栄です。」


 あまりの衝撃に挨拶への返答も出来ないでいた私を、礼にのっとった挨拶で無かったため面食らったと判断したのだろう。申し訳なさそうに眉を下げた紺碧の瞳の少年が謝罪と共に、弟とは真反対の手本通りの挨拶をして見せた。

 内心では慌てつつも、返礼を取ると、此方が気分を害していないことにほっとしたように柔らかな笑顔を見せる。そのそばで兄に注意されたことにむくれているのを隠しもしない弟とはなんとも正反対なものだ。

 比べてみれば、顔だちもそこまで似ていないような気もする。父親似と母親似という事なんだろう。隣に佇む夫人の瞳が紺碧なのでアジュールの方が母親の血を濃く受け継いでいるのかもしれない。そういえば、特に気に入っていた侯爵の瞳はヴェールと同じ鮮やかな緑色だった筈だ。


「弟の方は元気さばかりが目立ってしまい、なんとも無作法なもので……失礼いたしましたわ。」

「男の子ですもの元気な事は美点でございますわ。」

「まぁ、良かったわねヴェール。そうだわ、フレーズさんと一緒に庭に出てきたらいいのではないかしら。」


 驚くほど貴族らしい会話を繰り広げられるも、話題になった当の本人はいまだに不貞腐れた様に無言で他所を向いている。分かりやすい少年だ。

 意地でも返事をしないつもりか視線を首ごと外して、あらぬ方向を向いている。

 こちらとしても、昨日の今日で攻略対象と仲良くおしゃべりなんてしたい気分ではないため、このまま放りだしてもらったほうが好都合ではあるが、流石に無言で待ち続けているのも辛いものがある。


「フレーズ嬢、良ければ僕と庭に出ませんか。」


 いつまでも色よい返事をしないヴェールに、一番にしびれを切らしたのは兄であるアジュールだった。

 眉尻の下がった笑顔は明らかに困ったと表しているが、今の私には渡りに船だ。兄であるアジュールはゲームにもほとんど出てこなかったはずではあるし、ここで攻略対象その人と時間を過ごすよりはましだろう。


「はいアジュール様、よろこんで。」


 私は差し出されたアジュールの小さな手を取って、きちんと微笑んで見せた。

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