決意はから回るもの
(お嬢様らしく取り繕っていれば、うまくいくと思っていた時が私にもありました……)
人を呼んですました顔で食事を要求したのはつい先程。
そして、今の私といえば未だにベッドに体を預けて食事にありつけないでいた。そして今度は部屋に一人きりということもなく、甲斐甲斐しく世話を焼くための女中たちが周りに大勢控えて、大体の人間は何かしらの作業をしているようだった。
元々が広すぎるくらいの部屋のため狭く感じることはないが、先程まで一人ぽつんと過ごしていた事を思えば随分と人が増えたものだと思う。先程までは私の具合を診るために主治医と名乗る随分と年をとった白衣の老人がいたのだが、脈を測ったり、目を覗き込まれたり、胸の音を聞かれたり、あとは色々なところを指先で押されながら痛みはないかの確認をして、何やら薬を女中の一人に手渡して帰っていた。その時は医者の助手だか小間使いだかと何人も引き連れて入ってきたものだからそのときに比べれば人数も落ち着いたと言えるだろう。
「フレーズ様、お加減はいかがですか。」
「大丈夫よ、先生も大きな問題はないとおっしゃっていたでしょう。」
一番近くで私の肌を拭ったり、医者に薬を手渡されていた侍女が薬の準備を終えたのか手に薬湯の入ったカップを手にベッドのすぐ脇に膝を付きこちらの様子を伺ってくる。
そう、えらく時間をかけてのち、結局私の診察結果は、季節の変わり目に体がついていかなかっただけ、と特に大したことはないという診察結果だった。別に大病であることを望んでたわけではないがかかった時間に結果が比例していないのが釈然としない。私が少し前に高熱を出してフラフラになりながら行った病院の先生は診療時間トータル五分以内で風邪の診断をしたというのに……いや、まぁ、この私は現代日本の診察を受けているから比べるものでもないのかもしれないが、三十年使って作られた常識感はなかなか拭えない。フレーズとして育ってきた記憶だって保って入るが、たかだか十年の子供の記憶は正直常識として根付いている記憶と比べれば軽く感じてしまうものだ。
そして、この状況もその常識のズレが為せる技というわけだ。
こちらの常識的に考えれば、貴族の娘、それもまだ十分に子供と言える歳の娘が人知れず倒れていたらそれは多方面に心配をされるものだった。
成人をとうに過ぎた社会人がちょっと倒れて意識を失ったとしても、もちろん心配はされるだろうが、本人が大丈夫と言って普通に過ごしていたら心配もそこまで長引かないだろう。だが、今の私の立場で言えばまず身の回りの世話をしてくれる女中達が慌て、おそらく家に仕えている者たちを束ねる存在に連絡が入り、そこから医者や両親に連絡がいき……とおそらくは大きな騒ぎになってしまったのだろう。
ため息一つ吐いただけでも大きく騒がれてしまいそうな状況に、漏れそうになる息を飲み込んで差し出されていたカップを受け取る。
見るからに質の良さそうな真白なカップの中には赤褐色の液体がどろりと揺らめき視覚へ訴えかけてくる。それに反して何故か何の匂いもしてこないことが不思議でならない。
「フレーズ様が飲みやすいようにとお医者様が頑張ってくださったのですよ。」
鼻にカップを近づけて臭いを確かめる私に、微笑ましげな声で侍女が声をかける。子供が苦手なものを前に悩む姿は大人からすれば確かに可愛らしいものだろう。かつての私にも覚えがなくはない。
そういえばこの女侍女は私がまだ本当に幼い頃からそばにいてくれていた気がする。名前は確かーーそう、ロザリー。侍女とはいっても確か男爵家の三女だったか四女だったか、とにかく末の娘なので貴族の娘ではある。貴族らしい銀髪で、意志の強そうな濃い茶の瞳をした成人済の女性だ。成人済みと入っても現代日本と違って十六で成人扱いになるのでおそらくまだ成人はしていないだろう。
この国では成人とは一般的に仕事を始めたり、家督を継げるようになる年齢というだけなので、結婚自体は女性で言えばもっと早いことも珍しくないし、男性であっても事情によっては成人前に結婚することもある。ただの指標のようなもので法的拘束力なんてものは殆どないに等しい。
貴族とはいってもその経済状況は様々で、かくいう我が家も貴族社会の中でみるとあまり裕福ではなかったようだ。もっと金銭的に余裕があればおそらくうちには第二夫人がいて、もしかしたら弟妹がいたかもしれない。この世界、男が爵位を次ぐのが当然で、娘しかいない家などそう無い。娘しか出来なければ夫人を複数迎えて対策を練るのが普通だ。しかし、それにはどうしたって金がかかる。結納金に始まり、婚約発表のパーティーに、結婚披露パーティー、実際に結婚の書類を提出する際にだって協会へは心付けと言う名の金が必要だ。そしてそれらは爵位に準じてより豪華に、より高額になるのが相場というものだ。我が家は伯爵家、爵位で言えばうから数えたほうが早く、いわゆる上級貴族ではあるが、その実、与えられた領地は広さはあれど、王都へ行くにはアクセスが悪くはないが良くもなく、特筆して挙げられるといえばそれこその広さのみ。草は生えても耕そうとすれば大小様々な石ころが出てくるせいで農地としても開拓しづらいという難ありな土地だった。
それでも王都に一番近くある、私達の住む屋敷があるこの街にはそこそこの人は集まっているし、領地内の人間が飢えることのない程度には農業も栄えているため、代々発展もしないが、衰退もせずという具合で続いているようだった。フリュイ家には愛妻家が多いと街では有名な話だが、それも金がないので第二以降の夫人を娶れないだけという理由が半分以上だろう。両親の仲は別段中が悪いわけではないが、いわゆる愛妻家のような雰囲気はフレーズとしての十年でも特に感じてはいない。悲しい事実である。
「フレーズ様。」
「え、あ、大丈夫よすぐ飲むわ……ぅぐ……」
カップを鼻に近づけたまま物思いにふけってしまっていたためか、ロザリーに名前を呼ばれる。
慌ててカップを傾けて粘度の高い液体を口に含むと、甘いような、苦いような、酸っぱいような、なんとも形容し難い味が一気に口いっぱいに広がった。しまった。いくら慌てていたからと言って、臭いのなさに油断をしすぎていた。生理的に吐き出しそうになるのをなんとか唇を引き結んで抑える。ここで吐き出したらまたあの長い診察が始まってしまうかもしれない。
ごくりと音を立ててなんとか薬を飲み下すと、そっと柔らかな布で口元を拭われる。布を持つ手をたどれば、まさに慈愛の見本のような柔らかな視線とぶつかってぱっと顔をそむけてします。口に合わないものを無理やり飲み下す様は子供っぽすぎただろうか。いくら身体は子供といえど頭の中身はいい大人だ。流石に羞恥心がじわじわと這い上がってくる。
そういえば、ロザリーはゲームでフレーズが望まない結婚をさせられた時はどうなるのだろうか。私があまり覚えていないというのも勿論だが、覚えていたとしてもきっと侍女という立場のこの人は名もなきモブキャラ扱いをされていただろうから詳しくは描かれなかっただろう。
でもきっと、今の時点でこれだけそばに仕えているのだから、嫁入りのときにもついてきている可能性が高いのではないだろうか。
二十歳に満たないだろうとしても十六を過ぎて婚約者がいるような未婚女性を侍女として働か焦る可能性は低いし、私が知らないだけですでに夫がいるのだとしたらなおさら、特に離れる理由もなく一番近くにいる女中が輿入れについていかないことはないだろう。
そうなると、きっと彼女も大変な目に合うに決まっている。なれない場所で働くよそ者をのけものにするくらいなら可愛いもの。もしかするとエンディング後の語られない世界では、私の旦那になっているであろう男に手を出されてしまうかもしれない。立場の弱い人間を手篭めにするなんてことは何でもないことなのだろうから。
「ロザリー……」
「はい、フレーズ様。」
口直し用の水が入ったグラスをそっと差し出したロザリーが可愛らしく首を傾ける。年相応の少女めいた仕草が愛らしい。
「わたくし頑張るわね。」
「はい、じきにお食事も参りますので、頑張って体調を治してくださいませ。」
決意のすべてを口にすることは出来ないとはいえ、言葉というものはやはりきちんと口に出さないと伝わらないものだと二度の人生に渡って勉強をさせてもらった気がする。
入れた気合以上に力が抜けて、私はベッドへと身体を投げ預けた。
主人公の家族構成が一部変更になりました(中間子→一人っ子)