プロローグ1 某貴族令嬢の場合
プロローグその1
壁も、天井も、装飾の一切も――全てが真白で揃えられた神聖な空気すら感じられる世界。
行儀よく並べられた白い長椅子には、仕立ての良さを競う様な礼装に身を包む男と、布の見本市かなにかと勘違いをしそうな程に色とりどりの質のいい布で仕立てられたドレスを纏う女たちが声をひそめて座っている。
そして中央には唯一この空間と全く同じ、真白の衣装に身を包んだ男女が一組。
そう、本日の主役――新郎新婦である私たちだ。
(あぁ……とうとう来てしまう……)
贅の尽くされた純白のドレス。
未だ下ろされたベールの下から、隣に立つ男の姿を盗み見る。
二回りも年の離れた男。
こちらの顔を見ようともしない。貼り付けた笑顔のまま教祖の語る説教に一々頷いて見せている。
結婚式。
幸せの代名詞のはずのそれを、どうしてこんなにもみじめな心で迎えなければいけないのか。
(私は何も悪いことなんかしてこなかったのに)
ふわりと広がるスカートを抑える手で、その布地の一部をチカラ強く握る。
私は貴族の娘で、恋愛結婚が無いことはわかりきっていた。
幼い頃から、父の、母の、教師の、周りの大人たちの言う事をよくきいてきた。
王立学園に入って、家を離れる時間が長くなっても、男性と火遊びをしたり、素行の悪い人たちに近づいたり、お忍びで街を歩き回るなんて馬鹿な真似もしなかった。
いつかは身分も年も近い貴族の子息と結婚をして、母のように立派に子を産んで、育てて、家の中を切り盛りしていくのだと信じていたのに。
何故、隣に立つこの男は貴族ですらないのだろう。
歳もこんなに離れて、初婚ないどころか、かこった女を手ひどく扱っているともきく。
教会にコネがあるだけの、もっとよく言えば――教会に寄付という名の多額の賄賂を渡しているだけのなんの魅力も感じない男なのか。
何故、父は私をこんな男に嫁がせるのか。
家の事業が傾いて、婚約時の結納金としてこの男が金を用意するからと言って、簡単に娘を手離すのか。
何故、母は私がかわいそうだと泣く癖に止めようともしてくれないのか。
兄も弟も哀れんだ眼を向けても結局誰も歌唄はしてくれなかった。
何故、教師は蔑んだ表情を取り繕うことなく話すらまともにしてくれなくなったのか。
友人だと思っていた人は皆、手紙のひとつすらくれなくなった。
何故、何故、何故――
こんなにも燃える様な思い全てを、白く磨かれた硬質な意思の床を睨みつける事でしかもう表現することすらできない。
(神様、神様、神様……)
「それでは、誓いの言葉を――」
教主の声がベール越しだからという理由だけでなくどこか遠い。
重い足取りで、隣の男と向かい合う。ゆっくりとした動作ベールの裾へと手がかけられた。
もう、終わりだ。
ベールを上げられ、見つめあいながら誓いの言葉を送りあうのだ。
それでおしまい。
(どうして……)
誰かの言葉に従って生きてきたのがいけなかったのか。
ならば、例えば次に生まれ変わったとしたならば、私の意思を、二度と誰かに委ねてなるものか。
ふわりと、ベールが視界から消えさり、白く瞬く光が私の目にきらきらととび込んでくる。
おかげで目がくらんで、目の前の男の表情すらまともに把握ができない。
「神の世の続く限り、貴方と共にあることを望みます。」
結婚における常套句、祈りの言葉が男の口から紡がれる。
これに「わたくしも望みます」と返答すれば結婚の儀式は完了してしまう。
諦めと共に口を開いたその時、ぱらりと何か小さなものが落ちてきて鼻先に掠めた。
ふと条件反射的に落ちてきた先――天井を見上げるのと、客席から絹を裂くような悲鳴が上がったのとではどちらが先だったのだろうか。
私の目には、天井から、その一部だった真白な塊が此方に向かって落ちてくるのがやけにゆっくり見えるだけだった。
男もいない、教主もいない、誰も私のことなんて助けてくれない。簡単な事だ、誰も私のことなんて愛してくれていなかったのだ。
それでも、私の口は自然と吊り上がって笑みの形をつくる。
きっと、今の私はこの短い生の中で一番素敵な顔で笑っているに違いない。
圧倒的な質量、圧倒的な力。私はそれに少しでも近づけるように両手を伸ばし――
「嫌よ。」
生まれて初めての、拒絶の言葉を口にした。
ぐしゃりとあっけなく潰された身体。
真っ赤に染まる結婚衣装。
逃げ惑う人々の悲鳴。
これが私、フレーズ・ド・フリュイのつまらない人生の幕引き。
これからぼちぼち更新していきます