第6話 共犯者
故郷の小さい村からここ王都まで運んできてくれた御者さんへ丁寧にお礼を告げて、僕らは馬車を降りた。
「ふあぁ……ここが王都かぁ」
遠くから見た外観も僕が想像していた姿を遥かに超えていたけど、実際に中に入ってみるとそれはもはや別世界、いや異世界といってもいいような情景だった。
建物と建物が隙間なく立ち並んで、人々は何が目的なのかあちらこちらへ歩き回っている。
馬車の降車場から見える範囲だけでも既に自分の村の総人口より多いであろう人々を目にしている。
そんな街と、故郷の村との隔絶した差を目で、肌で感じた僕は少々頭がクラクラとしてしまったものだ。
「あの、ブロスさん。もしかしてなんですけど、今日ってお祭りかなんかですか?」
こんなに沢山の人が笑顔で歩きまわっているのだから、ならば!とそう思いついたのだ。
そんな僕の問いかけにブロスさんは苦い顔をして首を横に振った。
「俺も初めて来た時は同じような感想を抱いたよ。だがな、これが王都の普通だ。いやむしろこの時間は人通りが少ないってくらいじゃねえかな」
それを聞いて、本当にここでやっていけるのだろうか?と僕の心にはまたも不安がどこからか湧いてきてしまった。
最近の僕の心は梅雨時の空のようで、不安という寒々しい色をした雲が、消えたと思ったらまたすぐにどこからかやってきて厚く太陽を隠してしまうんだ。
そんな僕の不安は顔に出てしまっていたか、ブロスさんは元気な声を出して僕を安心させようとしてくれる。
「まぁ大丈夫だって。服さえ脱がなけりゃそうそうバレやしないぜ!……っ」
ブロスさんは自分の声が大きくなりすぎたと思ったか、言い終わるとすぐに片手で口を押さえた。
いや、今更押さえても全部吐き出したあとでしょうに……僕はそう思ったらおかしくて少し笑顔を取り戻す事が出来た。
「おお、いいじゃねえかイニス。今の微笑みは男子の心をバッチリ掴むぜ!」
「ブロスさん……僕がここへ何しに来たのか分かってますよね? 僕は全寮制の女子学園に入学するんですよ? 僕に心を掴まれる男子なんて近くにいるわけありません!」
僕は”全寮制”という部分に殊更力を込めて自信満々にそういった。
「ん、何言ってるんだ。魔女は実戦じゃ騎士と一緒に戦う事になるんだから学園にいる時から王立騎士学園との交流はそれなりにあるに決まってるだろ」
薄い胸を張って主張した僕、そしてその自信はブロスさんのカウンター口撃を受けてすぐに萎びてしまった。
リッカが見ていたら腐りかけのキュウリみたいな姿をしていないで胸を張りなさい、なんて言われてしまいそうだ。
でも、もしブロスさんの言うように男子の心をバッチリ掴んでしまったらどうしよう。
まぁさすがにそれはブロスさんのお世辞か。いや、そうであって欲しい。
……と心配になってしまうのには理由がある。
どうやら僕は化粧映えする。これは自分で言い切ってもいいほどだった。
初めて母さんの白粉や色粉を使って化粧の練習をした日、自分を映したはずの鏡の中に誰が立っているのか一瞬分からなくなったほどだ。
背中の中程まで伸びた父さん似の落ち着いた金色の髪、そして翠色の瞳。
そして顔は全体的に母さん似でパッチリとした目とほんの少し低めの鼻がチャームポイントの女の子——もし僕に妹がいたらこんな感じなのかな?って思っていた。
そうしたら実際に妹が居たと聞いて驚いた。
会うことは……出来なかったけど、男の僕がこれなんだから妹はもっともっと可愛かったに違いないよね。
化粧をした後の僕をリッカ、ハルトが見たら、きっとその娘が僕だと気付かないだろう。
それだけは密かに自信を持っていた。
「なぁイニス、そういや腹ぁ減らねえか?」
僕が化粧をした自分に酔っていると、ブロスさんに横合いからそう声を掛けられた。
馬車での移動はなかなかにハードでろくな食事も取れていなかったから、僕は「もちろんペコペコですよ」とありのままを伝えた。
「そうか。村の中ではなかなか実践も出来なかったからな……学園に行く前にひとつやってみようじゃねえか」
ブロスさんはそう言うと悪い顔で笑った。
ああ、話に聞いた人攫いがいるとしてもこんな悪い顔で笑ったりしないだろう。
そんな人攫い——じゃなくてブロスさんに連れられて僕は王都の街を歩いた。
村の中では化粧をしたまま出歩いた事がなかったからこれがまさにはじめての実践、だ。
僕は上手に歩けているだろうか?女の子に見えるだろうか?
そんな不安を抱えつつ街を歩いていると、すれ違う人がどうもチラチラとこっちを見ている気がしてくる。
まさか僕が女装をしている男子だなんてバレてないよね!?
「確かこっちの道を曲がったところに……」
そんな僕を気にしてるのかしてないのか、ぶつぶつ独り言をいいながら歩くブロスさんは歩みを止めようとしない。
なんとか後をついていくと、あんなに活気があった街がどんどんと寂しくなっていくような気がして来る。
「あーあの、ブロスさん……なんか人がどんどん少なくなってきてますけど本当にこっちで合ってます?」
「いや、すまん。久々の王都なんでな。やっぱりさっきの道を左だったかもしれん。……戻るぞ」
そういってくるりと踵を返した僕らに、細い路地の奥から荒々しい声が掛けられる。
「おい、そこの田舎モンのおっさん! お前とその娘とはどういう関係だぁ?」
声の先に目を向けるとそこには4、5人の若い男達がたむろしていた。
「イニス、答えなくていい。行くぞ」
男達を無視して先へ行こうとするブロスさんに僕は慌てて小走りでついていく。
「おっと、待てよ。いや、やっぱおっさんは行っていいや。その可愛い娘ちゃんを置いてってくれるならなぁ」
命知らずの若者達はブロスさんの前に立ちはだかって行く手を遮ろうとする。
おいおい、まだ真っ昼間だよ?村の人達はまだまだ畑で汗をかいているだろう時間にこの人達は何をやっているんだ。
いや待ってよ……それより僕のこと……可愛い娘ちゃんだって!?
僕ははじめて言われたそんな言葉に色んな意味で身を震わせた。
そして僕が身悶えしている間にもう事は済んでいた。
「……さ、イニス。行くぞ」
気付けば男たちは道の端にキレイに片付けられていた。
元凄腕の騎士に喧嘩を売るなんてバカだなぁ。
まぁまだ若いんだから頑張って更生してね、そんな事を考えながら元来た道を戻ったりまた進んだりしてようやくブロスさんの目指していた店に辿りついた。
「やっと見つけた。ここだ、さあ入るぞ」
「らっしゃーい、ってお前は……まさかブロスか?」
どうやらブロスさんと、目の前のいかつい店主のおじさんは知り合いらしい。
「よう、久しぶりだな。元気してたか?」
そういってブロスさんは手のひらを前にして顔の前に掲げる。
すると店主のおじさんは目にも止まらないスピードでパンチを繰り出した。
バチンッというおよそ人の拳が出してはいけないような音を響かせたそのパンチはブロスさんの手のひらでしっかりと受け止められていた。
ちょっと乱暴だけど、これがこの人達の挨拶なのかもしれないね。
「おう、この通り元気だぜ。それよりやっとお前も俺に追いついてきたんだなぁ」
店主のおじさんはそういうと自分のツルツル頭を撫でた。
「いや、まだまだお前にゃ敵わねえよ。ほらここの横を見てみろ。な? さすがにそう簡単にお前の領域には辿りつけやしねえよ」
ブロスさんはなにやら満足そうだけど店主のおじさんはハンっと鼻で笑っているぞ?
ブロスさんは本当にそれでいいのだろうか。
「それよりそこのべっぴんの嬢ちゃんは何者だ? まさかお前のコレじゃあねえだろう」
店主のおじさんはコレといったところで小指をピンと立てる。
あれってどういう意味だろう?……後で聞いてみたらお前は知らなくていいなんて言われちゃったよ。
「そんなわけねえだろ。こいつはイニスっていってな、こう見えて男なんだ」
「ちょっ……ブロスさんっ!」
僕は思わず抗議の声を上げてしまった。
だってその事はみんなに隠さなきゃいけない事で——。
僕がそう叫ぼうとするその前にブロスさんの手が肩に置かれた。
「あのな、こいつは信用出来る俺の親友だ。お前の為にも本当のことを知っているヤツが一人はいたほうがいい。まぁ共犯者っていうか、な」
「おい、いきなり尋ねてきて突然俺を共犯者にしようとするんじゃねえ」
店主のおじさんはそうは言っているけど、口元はニヤニヤしていて何故か楽しそうだ。
「ふうん……ま、なんか訳アリってとこか? まぁとりあえずここに座れよ」
僕らは店主のおじさんに勧められるがまま席についた。
そしてブロスさんが僕の刻印のこと、それから学園のことを話しはじめた。
本当にこのおじさんにそんな大事な話をしてしまって大丈夫なのだろうか?
僕はこの会話が終わった後におじさんがどういう反応をするのか想像するのが怖くて、ハラハラしながら薄く目を閉じ、会話の行く末を案じていたのだった。