第18話 盗賊団討伐戦④
目の前まで迫った蜘蛛はその口にある鎌状の器官で僕を捕獲しようとする。
嫌だ嫌だ嫌だ……僕は咄嗟に体を屈めてその鎌を回避した。
しかし、それだけだ。
迫ってきていた巨体が勢いを止めることはない。
「……くっ!」
このままではこの蜘蛛の勢いそのままに押し潰されてしまう。
僕は屈めた体をさらに低くして這うように巨大な蜘蛛の下に入り込んだ。
そして蜘蛛の視界を外れるとそのまま転がるようにして体の下をくぐり抜けた。
「あ、危なかったぁ……」
濃厚な死の気配をこの肌で感じた僕は憤慨していた。
もちろんあのマークヴェインという騎士に対してだ。
いきなり投げ飛ばされて体勢を崩していなければ、まだいくらかはやりようがあった。
それなのに他人の身を犠牲にして時間を稼ごうなんて騎士の風上にも置けないよ!
……でも待てよ、これはチャンスなんじゃないか?蜘蛛の下を潜り抜けた僕とハルトの間は四、五〇メートルといったところ。
阻むものなど何もない。
そう思った瞬間、既に僕は走りはじめていた。
ほんの一息吐くまでの間には辿り着ける距離。今はその距離がもどかしかった。
「ハルトッ!」
近付いていく僕を見てもまるで反応を示さないハルトに僕はなおも呼びかける。
「ハルトッ!!」
「…………」
それでもハルトの瞳は黒い瞳をさらに漆黒へと染め上げるばかりだ。
「あらぁあなた、この傀儡を助けにこんなところまで来たの? お姉さん妬いちゃうわぁ」
隣にいる女性はそんなことを言いながらハルトの顎に指を這わせる。
そんな光景を見ていたら僕の中の何かがプチリと切れた。
「お前が……お前なんかがハルトに触るなぁぁぁ!!」
僕は怒りを剣に込め、気味の悪い笑顔を貼り付けたままのその女へと振り抜いた。
ギィンッ——
しかし剣はその体に届くことなく、隣に控えていたハルトによって止められることになった。
「くそっ……ハルトを元に戻せ!」
僕は一旦距離を取りながらそう叫ぶ。
叫んだところで、あら、いいわよ。とはならない事くらい分かっているけど叫ばずには——。
「あら、いいわよ」
「……なんだって!?」
「代わりにあなたが傀儡……いや、ペットになってくれるのなら、ね」
「ふざっけるなぁー!」
僕の振った剣はハルトに遮られる。
それならもっと早く、もっと早くだ。
僕の剣は普段の自分からは考えられない速度で振られた。
それなのに——。
上段斬りは往なされ、回転斬りは防がれ、ならばと突いてみるもののそれすら軽々と弾かれてしまった。
そりゃそうだ、前から僕とハルトの間にはとんでもない力の差があったんだから。
「遊びは終わりよ、そろそろ片を付けなさい」
そんな命令を受けたハルトは僕に対して剣を振る。
それが悲しくて、信じられなかったけど、気を抜いたらその瞬間、ハルトに親友殺しの汚名を着させてしまうだろう。
そうはさせない、とどうにか食らいついてはみたけど……やっぱりハルトは強かった。
「ぐあっ……」
僕はハルトのその重い一撃で剣を弾かれ、思わず大事な武器を手放してしまった。
無手ではさすがに次の一撃を凌げないだろう。
ここまでか……そう思った僕の脳裏にはリッカとハルトと三人で過ごした楽しい日々が思い出されていた。
リッカにももう会えないのか——リッカ……そうだっ!
僕はポケットに手を突っ込むと、先ほど受け取った"僕の人形"をハルトに向けて突きつけた。
「ほら、斬ればいいよ。僕を斬れるならやってみなよっ!」
これは賭けみたいなものだった。
無防備に自分の体を晒しているのだ、もしハルトに一切の自我がなく「じゃあ斬るよ」となれば僕はたちまち終わりだろう。
だけどサブナックさんの話を聞いていた僕はそうではないんだろう、という少しの希望があった。
そしてその希望は細い蜘蛛の糸を手繰り寄せた。
「カ……カカカ……カイ…………」
「そうだよ、僕だ。君を助けに来たんだ」
「カイ……リッカ……カイ…………ハルト?」
「そうだ、君はハルトだ。リッカを守るために強くなると決めただろう? そんな奴に負けるなっ!」
「あははははは——素晴らしい友情ごっこだわ。まだ目覚めたばかりとはいえ、このわたしのチカラに抗うなんてねぇ」
「……まれ」
「まぁ一時的な感情の——」
「黙れっていってるんだよっ!!」
僕は叫びながら地面を蹴り飛ばすと、女に向けて拳を振り上げた。
ハルトという防衛線が機能していない今なら、こいつに届くっ!
そんな思いを乗せた僕の拳はギャリギャリという憎い音を立てて、女の眼前で止まった。
「ふふふ。私に届く、そう思った? なら残念だったわね」
女は僕の目の前で笑った。
あと少しで殴れるんだ。もしかしたらこいつを倒しさえすればハルトが元に戻る事だってあるかもしれない。
だから……だからだからあと少しだけ力をっ!!
そんな願いに応えてくれたのか、僕の刻印が光を放つ。
そして——。
パリィィィン。
そんな何かが割れるような音が響くと、女を守っていた不可視の盾が割れ、僕の拳はそのまま振り抜かれた。
女は咄嗟に距離をとったか直撃こそはしなかったものの、拳は確かに鼻先をかすめた。
「くっ……」
いつの間にあんなに距離をとったのか、女は僕からかなり離れた場所で膝をついていた。
「うふっ、今のはなかなか痺れたわぁ。あなたって何者なのかしら?」
「僕は——魔女だ!」
「魔女……ふうん。つまり人間がいうアレの事ね。なら無邪気なもんね、その言葉の通りならその身に魔を宿しているというのに」
「なんだって!?」
「教えてあげる、魔女っていうのはね……こういう存在よ?」
女がそう言いながら服の胸元を指で引き下げると、その胸部には——蜘蛛がいた。
いや、蜘蛛の形をした大きな刻印がその豊満な乳房を覆い隠すように広がっていたんだ。
見る人によっては<魔女の刻印>だ、などというかもしれない。
けれど、僕にはあれがそんな生優しいものには思えない。
「あら、分かった? これは刻印なんていうゴミとは違うわ。私はアラーニェ。正真正銘の"魔女"ですもの」
「…………」
僕はそれを聞くと言い知れぬ恐怖に苛まれて動くことができなかった。
「ま、いいわ。今回は面白かったし、あなたの頑張りに免じて退いてあげましょう。だから——次はもっと楽しませてね?」
そういって魔女は白い繭のようなものに包まれると姿を消した。
呆ける僕の耳にそっと耳打ちを残して。
お読みいただきありがとうございます。
実は夜に投稿しようと思っていたのですが歯が痛くて遅くなってしまいました。




