友人の母の話。
先ずは軽く
友人の母がまだ、若い頃の話です。
「綺麗な窓」
と仮に銘打つとしましょう。
年代的には1970年くらいですかね。
国道57号線は熊本の動脈の一つであり、熊本と大分を結ぶ重要な道路の一つでした。
そして阿蘓大橋は、その57号と立野渓谷で分断された南阿蘇を結ぶ重要な橋でした。
時は、高度経済性長期の真っ只中で、バブル前夜。
豊富な湯量を誇る地獄温泉を中心に、開発ラッシュ始まるのは、自明の理です。
当然、橋周辺にもドライブインや食堂、お土産屋等が、山を切り開き点在する様になりました。
その中でも、一番目立つ場所。赤橋の入り口正面に、一件の喫茶食堂がありました。
その店は、洋風で統一され洒落ていたそうで、特に道側の壁は、総ガラス張りに仕上げ、当時の流行の最先端を行く造りでした。
経営者は若い夫婦。そして五歳位の子供と赤ちゃんがいたそうです。
そして奥さんは、営業が終わると子供の手を取り赤ちゃんを背負い、店の看板と言える大ガラスを、必ず綺麗に磨いていました。
しかし、何が切っ掛けはわかりませんが、旦那さんが蒸発したそうです。
外に女性を作ったとも、金を持ち逃げしたとも、噂が錯綜しました。
ただ、事実、旦那さんは若妻と幼い子供二人を残して、行方をくらませました。
それでも残された奥さんは、毎日店を開け、子供の面倒を見ながら仕事し、そして必ず、大ガラスを磨いていたそうです。
そんなある時、プツリと何かが切れたのでしょう。
奥さんは、幼い子供と赤ちゃんを道連れに赤橋から身を投げ。
当時は、まだ防護柵も受けネットもなく。
そのまま、帰らぬ人となったそうです。
綺麗な窓を残して。
当たり前ですが、空き店舗には、次の人が入ります。
場所は、熊本、大分、南阿蘇を結ぶ一等地。入らない方が、おかしいのです。
しかし、どの経営者も長続きしません。
原因は様々で、病死から夜逃げまで、多々あります。
そんな中、ある経営者の方が、客から言われたそうです。
「毎晩、奥さんが子連れで、窓を綺麗に磨いていて感心する」
その方は独身でした。
当然、店をすぐに畳んだそうです。
そして幾人ものオーナーをえて、とうとう廃墟になってしまいました。
それでも、窓は綺麗なまま。
廃墟=不良の溜まり場が成立する時代です。
そして、武闘派暴走族全盛期です。
大きな窓ガラスなんてのは、さぞ壊し甲斐がありそうですね。
それでも、窓は綺麗なまま。
何度も解体整地計画が立ち上がり、この度に、奇病、変死、事故が相次ぎ、結局は立ち消えになりました。
それでも窓は綺麗なまま。
いつの頃か、子連れで窓を拭く女性の目撃情報が相次ぎ、同時に、窓に触れると祟られるとも、噂になりました。
少し、話は反れますが80年代から90年代は、心霊番組が盛んで。
夏休には「み○も○た」の「あ○た○知ら○い世界」を始め、数々の心霊特番を組まれてました。
その火付け役は、ギ○ア○コさんですが、阿蘓の人間は、ある時期を境に、全く相手にしなくなったそうです。
何故なら、赤橋で一番の目撃情報が多い場所を、全て外していたそうですから。
閑話休題
結局、取り壊されたのは90年代後半頃です(記憶が曖昧)
その跡地は、赤帽の小さな集積所になるんですが、しかし殆ど機能していない状態だったそうです。
たまに開いていても、昼だけで夕方3時以降は、閉まっていたそうです。
そして、立地からして格好の場所にも関わらず。
警察のネズミ取り(取り締まり)にもあまり使わなかったそうです。
聞いた話によると、パトカーの窓を叩かれるそうです。
コンコンと。
夕方の3時………飲食店なら夜の仕込みを始める時間ですね。
その真偽は解りません。
ただ、そんな都市伝説があったのは事実です。