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操重王ドジャイデン  作者: 長野 郁
2/7

ふわふわ時間

 私の名は、函南ゆり。練馬区立朝風中学の三年生です。そう、三年生と言えば、いよいよ高校受験です。中学入試を受けなかった私には、受験は、人生で初めての出来事です。私は、都立高二十三区内西部地域では上位校である、隼高校を志望しています。


 私は、昨日から禅昌寺先生を、どこかで以前、見たような気がしていました。しかし、それがなんだったのか思い出せなかったので、ただのデジャヴかも知れないかな、などと、取り留めもなく考えていたのです。


 その日、禅昌寺先生が初めて現れた翌朝も、教室の隅では、何人かの男子たちが普段と変わらない光景を展開していました。

 すると、くそぶたくんが声を挙げたのです。そう、くそぶたくんは、くそぶたくんです。誰もが彼をそう呼びました。私もまた、彼のことをそう呼んでいました。

 彼は言いました。


「ま、ま、またワガハイの負けナリー。」



 くそぶたくんと、それに加えて他に四人の男子生徒が、車座になって遊戯行為に打ち興じていたのです。くそぶたくんは、澄也くんと電車の話に興じていることもよくあったのですが、今朝のこのメンツでつるんで簡単な遊びに興じていることも、同じくらいの割合でよくありました。


 彼らがやっていたのは簡単なゲームです。車座になって手を軽く握って両手を合わせて差し出し、一人づつ順番に、例えば「一斉の三!」と言う掛け声をかけ、それと共に全員が親指を立てたり寝かせたりします。そして、先程の「一斉の」の後に続けて言葉に発した数字と、実際に立てられた全員分の親指の合計の本数が一致したら、その時に「一斉の…」を言った者が、片手ずつ手を引っ込めてゆきます。そうして順番に掛け声をかけながら、親指の本数を言い当てるたびに、掛け声を掛けた者が拳を引っ込めて行き、最後まで手が場に残ってしまった者の負けとなります。


 負けた者は罰ゲームを受けます。腕にシッペをするのが一般的ですが、今日の彼等はもう少し過激で、負けた者の背中を平手でばしばしと叩いていました。


 くそぶたくん以外の四人は、ある意味でクラスの男子の中では中心人物といってもいい子たちでした。まぁ、ありていに言えば、ちょっとしたワルを気取っていたといったところでしょう。

 たとえば澄也くんとは反対に、学業成績は、体育だけがいつも5、それ以外は1や2ばかり、といったタイプです。彼らは多くの女生徒にも人気があり、一部の子たちは、彼らのことを、クラスの四天王、などと、半ば冗談交じりに呼んでいました。

 そのうちでも、とりわけ普段から声の大きい掛川大作くんはリーダー格といってよく、いわばムードメーカー的な存在です。しかし、ワルといっても、今時、この東京都内で、長ランや短ラン、ボンタンなど、大昔の不良マンガに出てくるような、特殊な派手な格好をしているわけではありません。


 そう、私たちの学校の制服は、男子は、そろそろこの近辺では少数派になり始めている、黒の詰襟の学生服です。とはいっても、さすがに昔風の、白いプラスチックカラーを内側に嵌め込んで使う古典的な詰襟ではなく、始めからノーカラーの、襟の前のホックが一個になった、ラウンドカラータイプの襟ですが。一方、私たち女子は、これまたよくあるような、襟に三本の白いラインの入った濃紺のセーラー服でした。

 しかし、最近の傾向としては、高校だけでなく中学でも制服にブレザーを採用している学校が増えつつあるようです。そう、男女とも上半身は同じようなデザインで、単に右前か左前かが違っていて、下半身が同じ色のズボンかスカート、というのが増えています。そういう意味では、私たちの学校は、こと制服に関しては、少し保守的だったと言っていいでしょう。


 ただ、この掛川くんたち四人は、ちょっと制服をオシャレに着崩したいというのはあるのかな、という程度のセンスはあったようです。その現れでしょう、五つ全部のボタンをかけて、襟のホックも留めて着ていた澄也くんとは違い、彼等は上着の詰襟のホックをかけず、みんな第一ボタンを外して着ていました。


 問題なのは、くそぶたくんです。どういうつもりだったのかはよく分からないのですが、彼は、四天王と同じように、ホックと第一ボタンを外して着ていたのです。

 私は以前、一度、気になって、くそぶたくん本人に、どういうつもりで外しているのか訊いてみたことがあります。その時の答えは、自分は太っていて首が太いから、外していないと首回りが苦しいというものでした。

 それが本当だったのか、何かの言い訳だったのか、私にはわかりません。ただ一つはっきりしていることは、くそぶたくんがそのように制服を着こなしても、なんら格好良くもなければお洒落でもないという、単なる事実です。


 彼等はだらだらと遊戯を続けていましたが、また、くそぶたくんが声を挙げました。

「ま、ま、またワガハイの負けナリー。」


 ちょうどその時、ドアが、がらがらと開きました。そして、まだホームルーム開始の時間前なのに、禅昌寺先生が教室にずかずかと入ってきました。


 先生は、くそぶたくんの背中を思い切りバシバシ叩いている四天王を一瞥し、楽しそうな口調で言いました。


「おお、やっとるな、やっとるな、よしよし。」

「あっ、先生。」


 掛川くんが、少し驚いたように声を挙げました。そして、四天王の四人は、四者四様にそれぞれ少し気まずそうな、ばつの悪そうな表情を浮かべ、輪を離れて自分の席に向かおうとしました。


 すると、意外にも禅昌寺先生は言いました。

「なに、止めることはない。まだ時間前だ。時間前に入ってきたのは私の勝手だ、ぬふふふふ。ま、若者はそういう風に正直なのがよろしい。大人には色々と配慮や分別といったものもあるが、おまえらには無いからな。いわば、身も蓋もないといったところか。実に結構。ぬふふふふ。そうだな、いい機会だから訊いておこう。おい、掛川、おまえに夢はあるか? 夢はあるか? なりたいものはあるか?」


 掛川くんは言い淀みました。


 先生は彼を促しました。

「正直に答えていいんだぞ。ぬふふふふ。」


 掛川くんは、ぼそぼそと答えました。

「俺は…、マフィアのボスになってワルの世界をシメたいんだ…。」

「うむうむ、若者はそういう風に正直なのがよろしい。実に結構。ぬふふふふ。おまえら、その遊技を続けるがいい。」


 四天王とくそぶたくんは、再び五人で輪になりました。そして、くそぶたくんが、またもや声を挙げました。

「ま、ま、またワガハイの負けナリー。」

 四天王の四人は、さっきとは違い、パンパンとくそぶたくんの背中を、手ごろな強さで叩きました。

「いっせいの、四」

「いっせいの、二」


「あっ、今度は俺の負けだ。」

 掛川くんが言いました。四天王の残りの三人は、掛川くんの背中を、さっきくそぶたくんにしたのと同じように、手ごろな強さでパンパンとたたきました。くそぶたくんは掛川くんの背中を、パタパタとおっかなびっくりはたきました。

「いっせいの、三」

「いっせいの、一」


 五人は、しばらくそのままゲームを続けていましたが、その時、教壇の後ろで、少し微笑みながら立っていた禅昌寺先生が、おもむろに口を開きました。


「よーし、そろそろ時間だ。おまえら席に着け。」



                   ◇◇◇◇◇



 その翌日。今日は水曜。水曜の午後は、クラブ活動の時間です。私は澄也くんと連れ立って鉄道研の部室の入り口をくぐりました。いえ、「部室」という言い方は不正確でしょう。というのも、正確には「部室」ではないのです。

 どういうことかというと、そこは、部屋ではないのです。校舎は四階建てなのですが、鉄道研の「部室」は、最上階四階の階段の更に上、屋上に続く階段と、その上の、屋上への出口のドアの付いている踊り場のスペースなのです。ドア自体は、施錠してあって、生徒は屋上には出られないようになっています。

 本来、文科系クラブの部室は、校庭の一角にある古びたコンクリート造りの建物の中に集まっているのですが、弱小クラブである鉄道研は、部屋数が足りないこともあって、その中に入れて貰えていないのです。


 鉄道研の部員は、三年生が私と澄也くんの二人、二年生が一人、一年生が三人の合計六人です。最近では巷には「鉄子」と呼ばれる女子も増えてきたともいいますが、このクラブでは女子部員は私だけです。まぁ、それはともかく、相前後してこの六人の部員が、この階段の活動スペースに集合したのですが、実は今は、たいしてやることがありません。


 というのは、先日ちょっとした「活動」をしてきたばかりなので、取り立ててすることもないのです。実は、つい先頃のゴールデンウィークの一日を費やして、早朝に出発して日帰りで、小旅行に行って来たのです。行った先は、軽井沢です。ですから、今日の話題は、その旅行のことぐらいしかありませんでした。


 一年生の赤木則夫くんが私に訊いてきました。

「でも先輩、なんで、軽井沢では二年前になって急に、あんな大規模な路面電車が整備されたんですか? 路線長から言ったら、広島の市内線に匹敵しますよね。」

「そうね、総延長は十九キロ。まぁ、でも、私も詳しい経緯を知ってるわけじゃないけど、あそこはあれじゃない、路面電車と言っても、古めかしい、いわゆる『チンチン電車』ってわけじゃないでしょ?」

「そうですね、道路を走るといっても、電車の走行レーン内は自動車の侵入は禁止ですもんね。」

「そう、元々、日本で路面電車が衰退した最大の理由が、渋滞よ。だから、車の影響を受けずに軽快車を走らせる、新型のLRTってヤツの導入が進んでいる。そういう趨勢ってのが、ヨーロッパを中心に世界的にあるわけ。」

「日本でも、富山駅南口の富山地方鉄道富山軌道線のLRT転換はその流れを追ったものですね。」

「あれは確か2009年よね。一部で軌道を新設して環状運転化したのは。あれであの軌道は大幅に便利になったわ。」

「富山には、北口にも、元JR西日本富山港線を改造した富山ライトレールがありますよね。」

「あれができたのは2006年ね。今は、富山では地鉄の軌道線との南北直通化の計画も進んでるし。たぶん、軽井沢のも、富山の成功に影響されたんじゃない? で、あそこは元々リゾート地だから、出来てみたらマスコミがこぞって取り上げた、という。」

「あれ自体、もう観光資源ですもんね。」

「大体、浅間山山頂まで行けるってこと自体、完全に始めから観光客の取り込みを狙ってるでしょ。旧軽井沢から、軽井沢、中軽井沢を経て、小浅間山経由、浅間山頂行き。急勾配をラックレールまで付けて登山よ。あの頂上直下の最急勾配284‰なんて、スイスの登山鉄道並みよね。」

「ラックレールって、電車の台車に付いている歯車を噛み合わせて登るための、軌道中央に敷設された、あの歯形のレールですよね。」

「そう。歯車。正式にはピニオンって呼ぶけど。小浅間山―浅間山頂間の6.5キロに、フォン・ロール式と呼ばれる、ラック式鉄道の中では比較的新しい方式のものが使われてるわ。これは、昔、横川―軽井沢間の碓氷峠に使われていたことで有名なアプト式とは違って、歯形は一条のみ。構造が簡単でコストが安いのが特徴よ。」

 そう、ゴールデンウィークの旅行のお目当ては、この路面電車でした。観光名所そっちのけで全線完乗、写真を撮りまくって、すっかり堪能して帰ってきたのです。


「でも先輩、なんで軽井沢のはレールの幅が、わざわざ新幹線と同じ1435ミリなんですか? 日本じゃ線路の幅と言えば1067ミリが常識じゃないですか。…って、そういえば、前から思ってたんですけど、この端数は何で生じたんですか?」

「あら、案外モノを知らないわね。いい? 『狭軌』の1067ミリってのはね、3フィート6インチをメートル法に直したせいで、こんな半端な数値になってしまったの。『標準軌』1435ミリは4フィート8と 1/2インチよ。知ってると思うけど、欧米を中心とした世界の鉄道は、大半がこの1435ミリだから、これが『標準軌』と呼ばれてるの。」

「でも、なんで軽井沢はそれに合わせたんでしょう?」

「そこまでは知らないわ。でも、『標準軌』も、日本でだって新幹線だけじゃないのよ。路面電車では、全国的に見れば、むしろこっちの方が多いくらいだし。それに、普通の鉄道線でも、この幅のものが無いワケじゃないってことだって知ってるでしょう?」

「そうですね、近鉄、阪急、阪神なんかの関西の私鉄や、そういえば首都圏でも地下鉄の丸ノ内線や銀座線、都営浅草線もそうですね。私鉄だと京浜急行や京成電鉄あたりもですか。」

「そうよ。そう考えたらそれほど不思議なことでもないんじゃない? そのぐらいには普及してる規格なんだし、まぁ、そういうのもアリなんじゃないの?」


 そう、この時は、その程度にしか考えていませんでした。



 さて、部室の片隅には、先輩の代からずっと伝わっている旧式のPXのノートパソコンがあります。私たちがそんな話をしていた横で、澄也くんが、このパソコンに繋がっている外付けのカードリーダーにSDメモリカードを差し込み、エクスプローラーを起動ました。

 そして唯一の二年生部員であり、写真部と掛け持ちしている岸辺高志くんに言ったのです。


「これと、これと、これ。きみのCannonの写真画質の高品位プリンターで伸ばしてパネルにしてね。」

「でも先輩、文化祭なんて秋ですよ。まだずっと先じゃないですか。今から写真をパネルにするなんて気が早すぎませんか?」

「いや、でもねぇ。時間なんて結構あっという間に経っちゃうもんだし、夏休みにもどうせ近場には旅行に行くでしょ? どうせその時にもいろいろ撮るだろうから、先延ばしにして溜めちゃうと、後でプリントするだけでゲンナリする羽目になるよ。」


 今日、やった事と言えば、そんな事ぐらいです。ですから「部活」は早々に終わってしまい、私と澄也くんは、連れ立って昇降口を出て校門まで、校庭を横目に見ながら進みました。運動部の多くは、まだ活動の最中で、グラウンドは様々な部活動中の部員で活況を呈していました。


 ふと、隣を歩いていた澄也くんが何かに気を取られたように視線を泳がせたので、私も何となくそれを追いました。すると、そこでは、あのくそぶたくんが、部活に精を出していたのです。そう、くそぶたくんは、何と、野球部に所属しているのです。彼は、ノックを受けていました。


 しかし、くそぶたくんの「ノック」は、全くノックになっていませんでした。ボールが飛んでくると、彼は、その場で、ボールが来た方向に横転します。右に来れば右にぶっ倒れ、左に来れば左にぶっ倒れます。本人はおそらくボールに飛びついているつもりになっているのでしょうが、傍目で観察すれば明らかなように、ただ単にその場で横転しているだけです。

 ボールはくそぶたくんから五メートルぐらい離れたところをびゅんびゅんと通過してゆきます。その度に、くそぶたくんは横転し、起き上がっては「あと少しだったナリー、届かなかったナリー」などと、たわごとを口にしていました。

 「ノック」はしばらく続きましたが、時間が来たのでしょう、くそぶたくんは、もさもさとホームベースの方に引き上げ、代わりに、私が名前を知らない、引き締まった体つきの、いかにも俊敏そうな部員がグラウンドに立ちました。



                   ◇◇◇◇◇



 そうして、取り立てて変わったことも無く数日が過ぎました。理科の時間には、禅昌寺先生の授業は淡々と進み、あの最初の授業以来、澄也くんもくそぶたくんも、もちろん私も、特に指されることもありませんでした。まぁ、禅昌寺先生は、折につけ「ぬふふふふ」と嗤うのが少々耳触りでしたが、それが口癖なのでしょう。私はそれ以上深く考えませんでした。

 そして、予告されていた七日目の朝のホームルームの時間、禅昌寺先生は、教室に入ってくるなり、開口一番、とんでもないことを言い出したのです。


「私は、まさに殺人教育者に他ならない。」


 は?


 なんですか?


「私の名前、禅昌寺のイニシャル『Z』に由来し、私は、殺人文部科学省に於いて、コードネーム『殺人教育者Z』と呼称されておる。」


 はい?



「今やまさに、秘密行政計画であるところの学校殺人計画が企画され、実行に移されたのだ。本校、朝風中学校は、第ゼロ殺人学校に指定され、この三年C組は、第ゼロ殺人学級となった。これから三日後、すなわち、私の赴任から二週間目である約束の日に、私は、このクラスから殺害対象者を一名選出し、これを殺害する。このプロジェクトのリーダーは内閣総理大臣・宮原浩之であり、秘密裏に殺人内閣総理大臣を兼務する。その遂行に当たっては、秘密裏に、大いなる殺人文部科学省が建設された。殺人文部科学省は、秘密耐圧耐熱官庁であり、地下百二十キロメートルの大深度、上部マントル内に在り、表面にいくばくかの凹凸が存在するものの、基本的には回転楕円体と称しても過言ではない形状を以って存在する。その大きさは、実に長径百二十メートルに達するといっても過言ではない。そしてその南側正面には、マティスPlus―EB体フォントにて、東西八十メートルにわたって、「殺人文部科学省」と書かれた巨大なエンブレムが浮き彫りにされている。そこには、これもまた文部科学大臣・桶川隆が秘密裏に兼務する殺人文部科学大臣が秘密裏に君臨し、その下で、多数の秘密殺人官僚が、文部科学省から秘密裏に出向し、殺人教育者である他ならぬ私をサポートするべく、日夜秘密勤務に勤しんでおる。」


 なんか話の異常さに頭がついていきません。この先生、正気ですか?


「『行政計画』とは何だか知っているか、おまえら? そう言えば清水、おまえ、細胞について中学生が知らなくてもいいようなことを知っていたな。社会科についても何か知ってるんじゃないのか、おい、答えてみろ。」

 禅昌寺先生は、澄也くんを名指ししました。


 名指しされた彼は少し慌てた様子でしたが、それでも無理に落ち着いた様子を取り繕って答をひねり出したようです。

「ええと、国土利用計画とか都市計画とか…。」


 なんか、澄也くんって、私の全然知らないことを時々知っているので、ちょっと驚くことがあるのですが、今はその時のようです。


 禅昌寺先生は言いました。

「うむ、うむ。結構。その通り。だが、確かにそう言ったモノも行政計画だが、土地や開発に関するものだけが行政計画ではないぞ。災害基本計画、男女共同参画基本計画なども立派な行政計画だ。」


 「行政計画」というのが何なのかは大体わかりました。でも、だからって、学校殺人計画って、なんですか?


「何? 大深度地下に耐圧耐熱官庁を建設することが技術的に困難だろうという疑問が浮かぶか? 論外である。殺人文部科学省は、上部マントルの高温高圧から、ディストーションフィールドによって、堅固に保護されておる。日本はハイパーテクノロジーの先進国だ。それぐらいの技術的課題のクリアなど、造作もないことなのだ。例えばだな、東京の下野動物園では、野獣の本能をコンピューターにインプットする研究が日夜進められているくらいなのだ。そういった科学技術の『文部』への実践的応用の為にこそ、『文部』と『科学』が一緒になっているのだからな。知っているか、知らないか、知っているか、ぬふふぅ。」


 どんどん話が異様になってゆきます。


「私がなぜ殺人教育者に選任されたのか、その理由についても述べておこう。私は三年前、当時の勤務先であった中野区立南風中学校に於いて、私の大いなる授業を聞かず授業時間中に騒ぎ続けるけしからぬ生徒共に、愛蔵する日本刀で次々と切り付け、結果として八人を斬殺、二十一人を致傷するに至った。一時は教育委員準公選制が敷かれるなど、教育に対して、良く言えば関係者の『民度』の高い、悪く言えば小うるさい中野区で、まさにこの事件が起こったことは、区の『教育界』にとっては、ちょっとした衝撃だったとも思われるな。当然、私は即座に逮捕され、裁判が迅速に執り行われた。裁判の際、被告人質問において、私は動機をこう答えた。


『気のどくだがわたしの為だ。』


当然のことながら、この発言は裁判員の怒りを買った。東京地方裁判所に於いて、裁判員も裁判官も全員一致の結論で、私は死刑を言い渡された。私は控訴を行わず、よって既に死刑が確定している。すなわち、これ以上、何人殺害しようとも、死刑の上に死刑が上書きされるのみで、死刑以上にはならん。このメリットに着目した殺人総理大臣は、私を殺人教育者に選任したのである。」


 そこで私は、あっと思いました。どこかで確かに、以前この先生を見たような気がしていた、と、私は先程、述べました。それは、単なるデジャヴかとも思っていたのですが、そうではありません。以前、だいぶ前ですが、テレビのニュースで、血迷った中学校教師が生徒を次々と惨殺したという報道をやっていたのです。そして、逮捕された容疑者の姿がテレビに映し出されていました。ジャンパーなどを頭から被るわけでもなく、堂々とカメラを見据えていました。


 それが、他ならない禅昌寺先生なのです。


 禅昌寺先生は、満足そうにニンマリと笑うと、続けてこう言いました。


「ここまで説明すればおまえたちにも容易に想像がつこうが、これは実に大胆かつ画期的かつ野心的な計画だ。それゆえ準備も入念に行われねばならん。準備期間中は、この計画の存在自体が極秘である。口外した者は、私自ら出向いてこれを殺害し、その話を聞いた者もこれを殺害する。いわば、デリバリー・キルといったところか、ぬふふふふ。ここまで聞いた者の中には、単に私がキ○○○だと考えた者もおるやもしれん。説明した私が言うのもなんだが、実に常軌を逸した計画だからな。だが、これは紛れもなく現実に進行しつつある実在の国家的な行政計画なのだ。」


「現に、私の給与は、一般に区立中学の教職員の給与を支払うべく定められた地方自治体であるところの東京都ではなく、国から直接支給されておる。これは義務教育費国庫負担法第二条の規定に基づくものである。この、国家が直接、義務教育の教員の給与を支払うという規定は、都道府県の義務教育の財源に保証を与え、全国一律の教育機会の均等を確保するというのが、立法が行われた昭和二十七年当時の本来の法の趣旨だったが、現在では、そういった意味合いを超えて、末端の学校の設置者である市区町村に対して、文部科学省の意向を反映させるための手段という側面も強いのだ。もっとも、これには異論もあって、本来の立法の趣旨である義務教育人件費の財源の確保という側面に対して、今でも字義どおりの必要性を感じている都道府県知事も少なからず居ることは、言明しておかねばフェアではないかも知れんがな。知っているか、知らないか、知っているか、ぬふふぅ。」


 先生は楽しげに嗤ってから続けました。


「ともかく、殺人文部科学省は、この義務教育費国庫負という制度が持つ特徴、すなわち省の教育方針を現場に強要する手段に成り得るという既成事実としての側面に着目し、この長所を最大限に生かすべく、これを法源として国費で私を任用し、この朝風中学校に着任せしめたのである。繰り返すが、三日後に殺害対象者を一名、選出し、これを現に殺害する。これは国権の発動たる正当な行政行為である。三日後を楽しみに待ちたまえ。」



                   ◇◇◇◇◇



 それからの三日間は、まるで針の筵のようでした。当然と言えば当然です。いわば、教室の天井に見えないダモクレスの剣がぶら下がって、あっちにふらふらこっちにうろうろと、見境なしにうろつき回っているようなものなのですから。


 禅昌寺先生の理科の授業もありましたが、もちろん、みんな全然身が入っていないようでした。しかし、禅昌寺先生は、そんなことはお構いなしに、どんどん授業を進めてゆきます。


 板書。

「細胞分裂。…一個の細胞が二個の細胞に分かれること。」

「細胞分裂の順序。1、核の中に染色体が見えてくる。2、染色体が細胞の中央に集まる。3、染色体が両端に移動する。4、仕切りができ、新しい核膜が見え始める。5、染色体が完全に見えなくなり、新しい核が現れる。6、二個の若い細胞となる。」


 こんなときでも私は、自動書記みたいにノートだけはとっていました。もちろん、気持ちはまるで上の空なのですが、日頃の習慣というのは恐ろしいもので、後で読み返してみたら、きちんと板書を書き写してあるのです。

 ちょっとばかり、隣の席を覗きこんでみると、澄也くんも、どうも板書を書き写しているようです。日頃の習慣に汚染(?)されているのは私だけではないようでした。


 しかし、誰もがそうだったわけでもないようです。ちょっと後ろの方を振り返ってみたところ、女子の大半は、もう気もそぞろで、板書どころではないようでした。

 男子でも、四天王などは、憮然としたまま教科書すら机の上に広げていませんでした。くそぶたくんもです。結局、クラスの半分以上は完全に上の空でした。


  いつもは騒がしい昼休みも、まるでお通夜のように誰も何も喋りません。いや、お通夜ですらありません。一昨年、交通事故で亡くなった級友のお通夜に出席しましたが、その時の経験から言うと、お通夜なら、焼香の後は、かえって故人の話題で、お寿司をつつきながら談笑が盛り上がったりするものです。しかし、今あるのは、押し潰されたような全くの沈黙だけです。


 実際、その日の昼休み、私は、いつものように、普段一緒に昼食をとっている早川さん、豊橋さんの席に机をくっつけようとしました。しかしです。

「紗季ー、月子ー、給食よ。お昼にしよ?」

「え、ゆ、ゆり~。私、食べない…。」

「え?」

「食べない…。一人で食べて…。」

「月子ー、あなたは?」

「あ、わ、私もちょっと食欲ないわ、あ、ごめん…。」

 他のみんなも、大方こんな調子だったようです。


 澄也くんとくそぶたくんなども、普段ならば、昼休みなど、時々は「京葉線と武蔵野線の205系は基本的に同じ形だけど、なぜか武蔵野線用には排障器が付いていないよね、付ける予定はないのかな」、とか、「常磐緩行線の207系900番台が、もっと古いはずの203系より先に引退しちゃったよ、やっぱり一本しかなかったから、部品の調達に難があったせいなんだろうねー」、とか、そんな他愛もない話題で盛り上がっていたものなのですが、そんな会話もありません。(これはこれでちょっと話題の内容が異常ではありますね。まぁ、私も人のことは言えないんですけど。)



                   ◇◇◇◇◇



 そして、とうとう三日後、「約束の日」がやってきました。朝。ガラガラと音を立てて扉が開き、禅昌寺先生が入ってきました。しかし、それだけではありません。なぜか大げさな袈裟を着た四人の僧侶が続けてゾロゾロと入ってきました。四人の僧は、教室の四辺に散らばると、焼香し、読経を始めました。


「如是我聞。一時仏在。菩提双樹下。涅槃時聴説地神経。五帝神王説。

東方青龍王。南方赤龍王。西方白龍王。北方黒龍王。中央黄龍王。

三十六禽正月微明。弥勒菩薩。二月河魁観音菩薩。三月従魁阿弥陀如来。

四月伝送。大勢至。五月小吉。摩利支尊天。六月勝善。大日如来。……」


 時間にして十分ぐらいでしょうか。ひとしきり読経が終わると、禅昌寺先生が訊きました。

「今年の恵方は?」

 僧の一人が答えました。

「はっ! 北北西の方角です!」

 再び、禅昌寺先生は言いました。

「よし!! 奴の口にエントリープラグをぶち込め!」


「ははっ!! …エントリープラグをもてぃ!!」


 するともう一人、僧が戸口に表れました。両手に、何か載せた三方を抱えています。どうやらそれが「エントリープラグ」とやらのようです。

 その僧は言いました。

「エントリープラグはここに!! パスワードを暗唱されたし!!」


先ほど「北北西」と答えた僧が応じました。


「承知!


『敬礼慈恵大僧正

天台仏法擁護者

示現最勝将軍身

悪業衆生同利益』。」


 その時、隣の席の澄也くんが、さっきから私が思っていたことを、ぼそりと口走りました。

「海苔巻き? 恵方巻き?」


 私たちの席は前から二番目です。禅昌寺先生は、その声を耳ざとく聴き取ったようです。

「ぬふふふふふふふふ、海苔ではない。あれこそ特殊黒色エントリーシートなれ。あれを噛み切ることなど、万力でも油圧ジャッキでも出来はせん。噛み切られてしまっては霊的効力が失せるからな。まぁ、そこで静観するがよい。」


 三方を持った僧が言いました。

「セキュリティロック解除完了です!」


 すると戸口に、またもや一人、六人目の僧が現れました。今度は三方に鞘に納まった日本刀を載せています。禅昌寺先生は、その刀を取り上げて言いました。


「ぬふふふふ。皆に実に初めて披露しよう。これが我が愛刀、御神刀たる『殺人丸』に他ならない。現代の名工・宮島口護堂がハーモニウム合金で鍛えた逸品だ。ま、ひらたく言えば『凄い刀』ってところだな。ぬふふふふ。さて、皆、早く知りたかろうから、早速、結論だ。殺害される者、それはくそぶたである。」


 教室にざわめきが広がりました。不安や怯えではない、安堵の溜息です。殺害される者がくそぶたくん。誰にとっても、ある意味で理想的な回答だったのです。


「くそぶた。教卓の前に来い。」


 先生は無慈悲な調子でくそぶたくんに命じました。くそぶたくんは、何かに魅入られたかのように、あるいは蛇に睨まれた蛙のように、何の拒絶の意思も示すことなく、席から立ち上がり、よたよたと教室の前の方へ歩いて行きました。


 すると、先ほど五番目に現れた、リーダーと思しき僧が言いました。


「よし! 口蓋を開放する! 者ども、掛れ!!」


 読経した四人の僧は、くそぶたくんの顔面に掴み掛りました。そして、力ずくで、くそぶたくんの口を大きく開きました。すると、五番目に現れた僧が、持っていた三方を下に置き、その上に置かれた「エントリープラグ」とやらを取り上げて、くそぶたくんの大きく開かれた口に、まっすぐに、ぶち込んだのです。


「むー、むー。」


 くそぶたくんが呻きます。


「ぬふふふふふふふ、くそぶたよ。さて参ろうぞ、往くぞ逝け! いざ尋常に覚悟せよ!」


 先生は殺人丸を鞘から一気に抜き放ち、電光石火の早業でくそぶたくんの首をはねました。生首は、床にごろりと転がって、胴体の方の切れた首からは、血が噴水のように盛大に吹き出しました。あまりのことに我を忘れていましたが、ふと気が付いて振り返ってみると、二つ後ろの席の早川さんを始め、何人かの女子が卒倒して床に倒れています。


 禅昌寺先生は、首をつんつんと刀でつついて、落ち着き払った様子で言いました。


「うむ。うむ。死んだな。死んだな。まぁ、これで生きているようなら、まるで平将門だ。もっとも、くそぶたのような輩を将門と比較するとあっては、将門に失礼というものやもしれん。

ちなみに、純科学的に生首を生存させる方法に関しては、旧ソビエトにそのノウハウはあったが、ソ連の崩壊とともにそのテクノロジーは失われた。まったく、小鳥遊さんの中の人もがっかりといったところだな。」


 ここで先生は、教卓の後ろに戻り、教室を一瞥睥睨して大きな声で言いました。

「皆の者、よく聞くがいい。ここから一つ人生における貴重な教訓を引き出すことができるのだぞ、ぬふふふふ。奴は、野球部に所属し、本人的には懸命にボールを追っていた。追いつけもせぬのにだ。そう、追いつけもせぬ、ここが肝要な点なのだ。すなわち、人には、各々、分相応というものがある。奴は自分のことを正常な人間であって、自分は他人より少しばかり劣っているだけだと認識していたようだが、他者の客観的な視座を援用してこれを観察すれば、事実はそうではない。明らかに絶望的な断絶が存在した。そう、奴は、いわば『自身の身の丈に合わない行為』を、日々の実践と成していたのだ。身の丈に合わないことを行う者を待っているものは、破滅だけにほかならん。私は、それを少し早めてやっただけだといっても過言ではない。各自、このことをよく脳内にて熟慮の上、今後の人生について相応の判断を下すがよい。私は、その為にこそ奴を殺害したものなのである。」


 そして、まるで思い出したように言いました。


「むむっ、一句ものしたぞ。これがインスピレーションというものか。

『るるるるる蕾のままに散る花よ』

しめしめ。我ながら名作だな。ではな。諸君の人間的成長を期待しているぞ。」


 先生は殺人丸を鞘に戻すと、それを右手に握り、ガラガラと音を立てて扉を開けて、六人の僧を引き連れて、振り返りもせず教室から出て行きました。

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