七
「片付けは、これで終わりですか?」
「はい。ありがとうございます、新之助さん」
日も大分暮れかかり、夕日が差している。昼過ぎに店に来た新之助さんは、私がもうすぐ店をしまう時間だと知ると、帰りは送って行くと言って片付けまで手伝ってくれた。
屋台と言えば夜が本番というイメージもあるし、実際、他の屋台を見ていると夜のほうが客は多いようだが、女一人の身だから早く仕舞ったほうが得策である。
そもそも、そんなに頑張って働くつもりもない。江戸の人たちは頑張る人は頑張るが、頑張らない人はとことん頑張らない。今のような七月や八月と言った夏場は特にそうだ。
夏の暑い盛りに汗水たらして働くなんて野暮だと思う江戸っ子も多く、冬に使う夜具布団などを質屋に出しては金の工面をして、あとはダラダラする。それに比べたら、私はまだ働いているほうだ。
「お奈津さんは、自分で店まで出して働いて、立派な方ですね」
「いやいや、好きな事やって、適当に生きてるだけですよ。かたき討ちなんてしようとしている新之助さんのほうが、よっぽど立派だし、尊敬します。新之助さんって、おいくつなんですか?」
「二十です。お奈津さんは、十六でしたよね?」
「はい」
悟りでも開いているのかと思うほどの、おっとりほやほやスマイルに、もう少し歳がいっているのかと思っていた。江戸時代は平均寿命も短いし、仕事に就くのも結婚をするのも早い。現代に比べると随分と早熟な人たちが多いが、新之助さんもその類だったらしい。
私なんて、前世での年齢も合わせると、中身の年齢は中年になりはじめているが、全然成長している気がしない。むしろ適当江戸ライフに馴染んでしまって、元々大ざっぱな性格だったのが余計に悪化した。
帰路を歩きながら、新之助さんをそっと見上げる。真剣そうな鋭いまなざしで、辺りを眺めていた。声からは、全然そんな緊迫感は感じなかったが、朝山さんが居ないか警戒しているのだ。
栄さんは、私の住んでいる長屋の周りを朝山さんがうろついていると言っていた。朝山さんが、迎え撃ちだけを目的をしているのならば、私に危険はないのだが、辻斬りもしてしまったような危険人物である。何があるか分からない。
「大丈夫ですよ、お奈津さん」
私が思わず緊張してしまったのが伝わったのだろう。私の頬に少し触れ、新之助さんは優しく微笑んだ。辺りには、誰も居ない。ただ私たちの影だけが、夕日に照らされて伸びている。目の前には、私の頬に手を添えて、顔を覗き込んでいるイケメン。しかし月代頭だ。
まるでドラマのワンシーンのような状況に、いくら月代相手とはいえ、ドギマギする。時間が止まってしまったかのように、長く感じた。新之助さんが何かを言おうと、口を開いた瞬間、足音が聞こえて、一つの影が伸びてくる。新之助さんは私から身体を離し、影の方向へと鋭い目を向けた。
「かたき討ちもせずに、女と逢瀬か。新之助。父上殿も泣いているだろう」
「……朝山殿」
体格の良い、三十代半ばほどの男だった。武士らしく袴を履いて髷を結っており、人好きのしそうな顔をしている。辻斬りなんてしたようには見えない。しかし、このような武士が、こんな下町をうろついている事自体がおかしいのだ。
新之助さんは私をそっと後ろに押しやり、手を刀にかける。ジリジリと二人の男が間合いを計りながら詰めあう。空気がピリピリと肌を刺すようだ。これを殺気というのだろうか。
私がそっと一歩後ろに下がった瞬間、二人は激しく刀を打ちつけ合い、鋭い音が響いた。素早く何度も刀を重ね、身を押し合う。一旦、朝山さんの身体が後ろへ跳ぶように下がったかと思うと、身を下げ、下から新之助さんへ斬りこんだ。刀で防いだものの、力強い斬りに、一瞬、新之助さんに隙ができる。
その隙を見逃さず、さらに刀を薙ぎ払うように新之助さんに斬りつける。紙一重で新之助さんは避けたが、着物が斬られていた。もしかしたら、浅い傷も付けられたかもしれない。
勝利を確信したのだろう。朝山さんは、上段から剣を振りかぶった。危ない! 私が思わず目をつぶると、男の悲鳴が聞こえてくる。
おそるおそる目を開けると、剣を振り下げた朝山さんと、剣を横に薙ぎ払った姿の新之助さん。身体がよろけたのは、朝山さんだった。新之助さんが剣を鞘にしまうと、朝山さんはドサリと倒れる。次に、新之助さんも地面に膝をついた。
「新之助さん!」
「……お奈津さん、どうやら傷が開いてしまったようです。肩を貸していただけますか?」
新之助さんは、腕を私の肩に回し、よろよろと立ちあがった。私はどうにか支えながら、どうにか歩きはじめる。朝山さんの血で、むせかえるような匂いが立ち込めはじめていた。私の足はガタガタと震えている。怖いのか、嬉しいのか、分からなかった。
ボロボロと涙が出てきて止まらない。新之助さんは、生きている。新之助さんが勝ったのだ。
「お奈津さんの、おかげです」
「今日はお祝いですね」
きっと、情けない顔になっていただろうけれど、精一杯笑った。新之助さんも笑う。長屋につくまで、あともう少し。
いつの間にか夕日は沈み、月が姿を見せ、夜の気配がただよい始めている。