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「うわっ、姉ちゃん、なんだよそれ! 真っ赤じゃねーか!」

「イーッヒッヒ、冷やかしはお断りだよ!」

「うわーっ!」


 冷やかしに寄ってくる男の子たちに、トマトソースをかき混ぜながら怪しげな笑みを向けてやると、蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。

 時間は昼も過ぎ、もうすぐ店じまいの時間だ。豆腐ハンバーグは見事に全て売り切ったが、トマトスパゲティだけは売れ残っている。度胸試しに一日一皿でも売れれば良い方なのだ。それでもわたしは負けない。トマトスパゲティが好きだから。

 そろそろ店をたたもうと、片付けを始めると、遠くから袴姿のお侍さんが歩いてくるのが見えた。船着き場はここではないし、他に店もない。どうやら私の店の客のようだ。今、出せるものといえば、トマトスパゲティーと水しかないのだが。

 なんだこのふざけた店は! と、ちゃぶ台返しならぬ屋台返しをされたらどうしようとドギマギしていると、近くに来るにつれて、見知った顔なことに気付いた。


「お奈津さん、また来てしまいました」


 遠くから見ると迫力があったが、なんてことはない。昨日と違って、キチンとお武家様の出で立ちをしているだけの新之助さんだった。今日は被っていた笠も置いてきたらしい。

 私の煮ているトマトソースを覗きこんで、少し笑ったあとに椅子に座る。悩みは吹っ切れたのか、晴れやかな顔をしていた。


「唐柿蕎麦一つ」

「あいよ」


 わざわざ頼まなくても、どうせこれしかなかったのだが、丁度いい。あれだけ難しい顔をしながら食べていたトマトスパゲティを平然と頼むとは、随分と根性のあることだ。

 手早く麺を茹で、トマトソースをかけて出してやると、昨日の表情とは一転しておだやかな顔をして食べ始めた。その顔に、恐れは無い。というか、トマトスパゲティは美味しいんだから、度胸試しとして食べること自体が間違っているのだ。


「お奈津さん。私は、覚悟を決めました」


 朝に新之助さんが言っていた話を思い出して、おもわずドキリとする。死んでも構わないと、彼は言った。思わず殴りかかった私に宣戦布告をしてきたから、死に急ぐ気は少しは無くなってくれただろうと考えていたのだが。

 私の考えていることが分かったのか、おっとりほやほやと笑顔を向けてきた。川では、船がのんびりと行き交っているのが見える。町の喧噪が聞こえて、騒がしいはずなのに、ここの一角だけ妙に静かに思えた。


「死ぬ覚悟では、ありません。生きる覚悟です」

「新之助さん……!」

「私は絶対に生きて、かたき討ちを果たします。だから、気合を入れようと思って、これを食べに来たのです」


 嬉しかった。同時に、不安だった。かたき討ちの相手は強くて、新之助さんはそこまで強くないと聞いたのに、本当に生きて帰ってきてくれるのか。侍の世界のことも分からずに、現代感覚で怒った私を適当に宥めるつもりかもしれない。


「朝山は、父に横領の罪を着せて殺しました。今も、多少腕が立つことを良い事に、荒っぽいことも行っているようです」

「ロクでもない人ですね」

「ええ、そうです。彼が辻斬りの罪を犯した今、お上に捕まるのも時間の問題でしょう。昨日の栄吉さんの話を聞いていて、そう思いました」


 栄さんは同心の手先として働く御用聞きだ。そんなことを新之助さんに話していた様子もなかったが、口ぶりから察したのだろう。おそらく、この事件、新之助さんが何か手を下さなくても、そのうち終わりを迎える。

 しかし、新之助さんはそれを望んでいないし、それが武士道なのだろう。昨日、わざわざ栄さんが事件について我が家に話に来たのも、栄さんなりの気遣いに違いない。


「私はこの手で、父のかたきを討ちたい」

「勝てるんですか……?」

「勝ちますよ、絶対にね」


 不思議な事に、メソメソを取っ払って堂々とした新之助さんは、今朝よりもずっと大きく感じた。そういえば、この人、江戸時代にしては身長が結構大きい。

 着物の上からだと、ヒョロッと見えるが、上半身を脱いでいたのを見た時、結構たくましかった。手も剣のたこで節くれだっている。きっと、すごく沢山の修行してきているのだ。一朝一夕で身につくような修行のあとではない。


「私に足りなかったのは、覚悟です。この唐柿蕎麦を食べると身が引き締まる思いがします」

「新之助さん……。そう言ってくださるのは嬉しいですけれど、そういう目的で作っている料理ではないです」


 できれば、そんな度胸試しとしてじゃなくて、美味しく食べていただけませんかね。私の作るトマトスパゲティが、マズいということは決してない。現代と出回っている野菜が違うので、多少の違いは出るが、なかなかにうまく再現出来ている。

 ナスと菜っ葉を入れて、トマトと一緒に煮込んで、塩や醤油で味付けをしているのだが、トマトの酸味が良い味を出していて美味しい。


「お奈津さんの料理には、力がありますよ」


 純粋に褒めてくれているのだろう新之助さんに、精一杯の笑顔で返した。私の周りでのトマトスパゲティの評価は、度胸試しの食べ物である。

 ええ、それでも構いませんよ! それで元気が出るっていうのなら、いくらでも作ってさしあげましょう! 決してヤケになっているわけではない。この美味しさの共感が得られなくて寂しいなんてこと、ないんだから。うぅ。


「そのうち、この料理も、クセになってきますよ」

「えぇー……。それは嫌ですね」


 少し反論してみたら、必殺おっとりほやほやスマイルで拒否された。


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