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「ダンナァ、ちょっと邪魔するよ」


 夜遅く、月明かりが部屋の中に差し込む。その光で本を読む新之助さんの勉強熱心さにガクガクブルブルしつつ、布団に入ろうとしたら、異臭がした。

 扉がガラリと開き、相変わらずお風呂に入っていないらしい汚らしい男が家へと無遠慮に入ってくる。御用聞きの栄さんだ。


「栄吉、なにかあったのか」

「ヘイ、ヘイ。それが、ちょっと気になることを小耳にはさみましてね。そこの、……えーっと」


 お父さんが声をかけると、栄さんが神妙な顔で頷く。それから、新之助さんのほうへ振り向いた。視線を受けた新之助さんは、恐ろしいまでの異臭と汚らしさに臆することもなく、おっとりほやほやと本から顔をあげる。


「新之助です」

「おお、新さんだな。それでだな、直球に聞くが、新さんのかたき討ちの相手ってのは朝山藤五郎って男であっているかい?」

「そうです、その男です。どうしてそれを?」


 栄さんも床に座り込み、男三人でなにやら真剣な顔をして、膝を向かい合わせた。お父さんと栄さんは、どういう関係かはハッキリと知らない。だが、仕事で知り合いのようで、度々栄さんが家に訪ねてくる。

 今回はどうやら、お父さんと栄さんだけの問題だけではないらしい。お母さんは何も言わずに、油皿の火をつけたあと、酒の準備を始めた。私も手伝いに、立ち上がる。


「その朝山藤五郎ってやつは、少々面倒なヤツでなぁ。ヤツが剣術道場の師範をやってるってのは知っているか?」

「ええ、今日、調べてまいりました」

「だったら話は早ぇや。朝山は、もともと、フラッとやってきて道場を始めたらしいが、人に取り入るのがうまいらしくてな。最近、大屋敷の剣術指南役に選ばれたんだ」


 栄さんの話に、コッソリと耳を傾けつつ、酒の肴を作っていく。実はこう見えても私は、現代料理ばかりを再現しているわけではない。ちゃんとした一般的な料理だって作れるのだ。とは言っても、今日は材料が大してないので、焼き豆腐をちゃちゃっと作り始めた。

 江戸の豆腐は、かなり固めで、縄に縛って売りに出されるほど。水切りの必要は無い。焼いた豆腐の上に、味噌と醤油と砂糖と酒、そしてすりゴマを混ぜて熱したタレをかける。ゴマ味噌ダレだ。

 シンプルな一品だが、お父さん曰く、日本酒に、この焼き豆腐は実に良く合うらしい。私はまだ未成年だから、そこのところは分からないが。


「おっ、うまそうな豆腐じゃねぇか。ありがとよ。へへ、これが合うんだよな」

「お奈津さん、ありがとうございます」


 焼き豆腐を持っていくと、若い二人は礼を言って受け取るが、お父さんは無言で頷くだけだった。そのハードボイルドさが、我が父ながら素敵である。月代ではないのもナイスポイントだ。

 お母さんは良い男を捕まえた。お母さんに、やるね! と無言でアイコンタクトを送ってみたら、不敵な笑みを返された。アイコンタクトが通じたようで、きっと通じていない。


「……それで、栄吉。話の続きを頼むぜ」

「ヘイ、ヘイ。それでですね、大屋敷の指南役に選ばれて、軌道に乗り始めたときに、現れたのが新さんだ。ここで邪魔されたら困るってんで、迎え撃ちしたはいいが失敗した。随分気が立っているようでしてね、つい、やらかしたようなんですよ」

「辻斬りか?」

「御名答、さすがダンナ!」


 驚いた顔をする新之助さんとは裏腹に、お父さんは何か納得したようだった。新之助さんのかたき討ちの迎え撃ち、そして辻斬り。私の身近で起こった事件二つが、今、結びつこうとしている。三人は示し合わせたように、考え込みながら無言で酒を飲む。

 外からはセミの音が聞こえてくる。狭く暗い部屋に、油皿の灯で男たちの影が伸びていて、まるでドラマか何かの密会シーンのようだ。手持無沙汰になって、気まずさを感じたので、お母さんを見てみると、さっさと寝る準備を始めていた。この状況で寝るだなんて、どれだけ大物なんだ、母よ。


「朝山はまた、新さんを狙ってくる。このところ、ここの長屋の近辺をうろついている男に気づいているか? 辻斬りも、朝山がやらかしたのは分かっているんだ。しかし、証拠がねェ。……正直言うと、新さんがかたき討ちを果たしてくれりゃあ話が早いんだが」

「ええ、そうですね……」

「新之助殿、勝てそうか」

「……やりましょう」


 勝てるのだろうか。油皿の灯に照らされた新之助さんの顔は、固い表情をしていた。あきらかに緊張しきっている様子の新之助さんに、栄さんはおちょこに酒の追加を注いだ。新之助さんは栄さんに軽く頭を下げ、酒をあおる。酒には慣れていないようで、顔は赤らんでいた。


「とりあえず、俺はもう少し、ヤツを探ってみまさぁ。……ダンナ、よろしくお願いしますぜ」

「ああ。気をつけろよ、栄吉」


 グイッとおちょこの酒を飲み干すと、栄さんは立ち上がる。それじゃあ失礼と言って、外に出る瞬間、お父さんと視線を一瞬交わした。それが何を意味するかは私には分からないが、仕事に関係することなのだろう。お父さんは、傘張り浪人だが、妙に金回りが良い。栄さんに関わることで、なにか別に仕事を持っている。しかも、危険なことで。私に分かるのは、それだけだ。

 新之助さんを見てみると、相変わらず固い表情で何か考え込んでいる。新之助さんは、見た感じ、そこまで強そうに見えない。大屋敷の指南役にまで選ばれるような男に勝つことが出来るのだろうか。

 もし、新之助さんがかたき討ちの迎え撃ちで、死んでしまったら……。最悪の想像が頭をよぎる。

 新之助さんが長屋に寝泊まりを初めて、そう日数は経ってはいないが、それでも情くらいはわく。顔を知っていて、言葉も交わしている相手に死んでほしくないと思うのは、普通のことであろう。心配になって、お父さんに視線で訴えてみると、無言で頷かれた。


「新之助殿、あまり深く考えるものではない。まずは怪我を完全に治すことが先決だ」

「……はい」


 その後、しばらく、新之助さんとお父さんの無言の飲み会は続いた。私は新之助さんのことが気になって、頭の中がグルグルとして中々寝つけずにいた。お母さんは、グーグーとイビキをかいて平然と寝ている。その図太い神経が私も欲しい。


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