一
「私は新之助と申します。この度は、本当に感謝致す」
「いいんだよぉ! なんでも、助け合いの心よ」
「かたじけない」
穏やかな笑みを浮かべて眩しい頭を下げるのは、あの血まみれで運ばれてきたお侍さんだ。丸三日間眠り続けていたが、ようやく目をさまし、私たちは礼を言われているというわけだ。
整った顔立ちで若い男性の新之助さんに、お母さんはニコニコと上機嫌である。現金だ。もしかして、イケメンだったからウチで手当てするだなんて言いだしたのではないだろうか。
「新之助殿、言い難い事情があるのならば無理には聞かぬが、どうして怪我をなさった」
お母さんがキャッキャッと嬉しそうにしていることは気にもならないのか、お父さんがボソリと口を開いた。私も気になってはいたが、それを聞いてしまうのかとドギマギしながら新之助さんを見る。新之助さんは、相変わらずおっとりほやほやとした笑みだ。ただものじゃない。
「かたき討ちの身で、江戸に参ったばかりだったのですが、あちらはそれに気づいていたようで、大人数でやられてしまいました」
江戸では、たまに聞く話だ。多勢に無勢とは酷い話であるが、かたき討ちや、その迎え撃ちの話は現代でいう殺人事件や強盗事件のニュースのようなものである。しかし、実際に当事者から聞くのは初めてで、しかも話している本人は世間話のような軽いノリで笑顔で話してきた。
なんとも言えない気まずさに、どうすれば良いか分からずお父さんを見上げると、うんと頷いただけだ。お父さんは、無口である。
「大変だったねえ、なにか困ったことがあったら、いくらでも協力するからね。とりあえず、怪我が治るまではウチに居なさいな。それとも、どこかお世話になっているお家はあるかい?」
「よろしいのですか……? 江戸に来たばかりで、泊まる場所も無い状態だったのです」
「あらまあ! だったら、いくらでもウチに居なさい! 狭い長屋だけど、三人暮らしだからね。もう一人くらい余裕はあるさ」
イケメン相手にお母さんがマシンガントーク。お母さんはイケメンを獲得しようと必死のようだ。どんなお節介焼きの母親だ、と現代感覚では思ってしまうところであるが、ここは江戸。下町に行くと、江戸っ子と称した、こんなお節介焼きの人情者が山ほどいるのである。
長屋なんて場所は、お節介焼きの筆頭のようなところで、皆が助け合って暮らしている。たとえば、隣の人がお金が無くて、食べるものがないとあらば、ご近所さんから山ほどの料理が運ばれてくる。
お金があっても、男の一人暮らしなどだったら、お節介おばさんなんかがやっぱり料理を運んでくる。病気の人がでれば、皆てんやわんやの大騒ぎで見舞いにくる。そんな場所が、江戸の長屋だ。
「……お気遣いは嬉しいのですが、お嬢さんがいらっしゃいますし」
「ああ! こんな寝太郎気にしなくていいのよぅ! ほとんど女じゃないから」
「これでも一応、女だよ。お母さん」
若い女と一つ屋根の下はマズイと思ってくれたらしく、ほんのり顔を赤らめて私を見るお侍さんは、常識人のようだ。娘に対して、ほとんど女じゃないなどと言い放つお母さんは失礼だが、事実、近所からはそういう扱いを受けていた。原因はやはり、前世の記憶である。
江戸時代は、たくさんの大和撫子が存在している時代だったようで、どこもかしこも、しとやかなお嬢さんばっかりだった。下町の比較的やんちゃなお嬢さんですら、私なんかよりは、よっぽどしとやかだった。毎日せっせと琴や針の習い事をして、奉公先を探している。女子力磨きには余念がない。現代よりも結婚が重視されている時代だ、女らしくあることこそが素晴らしいという価値観である。
その点、私はひどいものだ。琴は針は性に合わず、毎日小さな屋台を構えて、女手一つで店を切り盛りしている。髪は日本髪なんて趣味に合わず、ポニーテールにしており、着物もかなり着崩している。おかげさまで、周りからは奇人娘よばわりだ。
「新之助さん、お腹は減ってないかい? なにか作ろうかねぇ。娘はお奈津っていうんだけれど、この子の唯一の特技は料理なんだよ。ぜひ食べてみなさいな」
「あっ、お母さんが料理するわけじゃないんだ……」
なにか作ろうかねぇ、なんて言いながら、私に任せるつもりらしいお母さんに呆れたが、私の料理は評判がそこそこ良い。少々変わった料理を作るが、美味しいと言われる。それもそのはず。現代の料理のレシピを、どうにかこうにか再現しているためである。
もともとは、私が現代の料理を食べたくて、豆腐ハンバーグを作ったのが初めだ。それをお母さんやお父さんが食べて、気に入り、さらにはそれを近所にも広めてしまった。私が新しい料理を作るたびに、同じことが起こり、店を開けばいいなんて褒め言葉に調子に乗って、本当に屋台を開いてしまったのである。ちなみに、豆腐ハンバーグの名前は、豆腐団子に変えた。
現代の料理を作ってしまって、未来に影響はないのか不安になるが、こうなってしまったものは仕方がない。こんな小娘一人が、未来に与えられる影響だなんて、たがか知れたものだろう。たった一人、転生してきた程度で未来への影響を考えるだなんて小説やドラマの見すぎだ。
「お奈津、今日は何を作るんだい? 新之助さんの口に合うようなものを頼むよ」
「豆腐団子だよ。口に合うかはわからないけれど、美味しいって評判だから、期待しといてください」
「豆腐団子? 初めて聞きました」
「この子の創作料理さ! これが意外とうまくてねぇ」
お母さんは相変わらず、イケメンにテンションが上がっているようで、ペラペラと話し始める。新之助さんは怪我をしているのだから、手加減してあげてほしい。お父さんは止めるつもりもないようで、傘を貼り始めてしまった。
――かたき討ち。まさか、そんなことをしようとしている人に、関わり合いになってしまうとは思わなかった。
私は別に、前世の記憶を持っているからといって、今まで平穏に生きてきた、いわゆる一般人な人間である。この事件も、きっと何事もなく、平穏に終わってくれるはず。そう期待をしながら、野菜を切った。
いてっ、指切った。