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十四

「狐、お前と話すのは初めてだねぇ。ずっと床下に潜んでいるのは疲れただろう。お奈津や、なにかうまいモンでも作っておやり」


 お父さんは私にそう言って、部屋の隅に置いてあった酒瓶をとってきた。お母さんが準備したおちょこに注ぎ、お爺さんに手渡す。江戸の夏は現代の夏と違って気温が低い。ただでさえ心の臓を患っているというのに、ずっと床下に潜んでいたとしたら、かなり疲れたに違いない。

 お爺さんの顔色は青ざめて、苦しげな息を吐いていた。しかし、表情は楽しげだ。グイッとおちょこの酒を飲み干して、お父さんにお酒を注ぎ返す。


「へへ、ダンナは、ワシの想像通りのお人だ。これだから、今まで何度もダンナにしてやられてきたというのに、完全に恨みきることができねぇ」

「俺も同じさ、狐。俺は今、なんだか長年の友人に会っているような気分だぜ」

「うれしい事を言ってくれるねぇ」


 お父さんとお爺さんは因縁があると栄さんは言っていたが、二人からはそんな雰囲気が感じられない。話すのが初めてというお父さんの言葉が嘘に感じられるくらい、お爺さんが侵入者であることが信じられないくらい、二人は打ちとけた雰囲気だった。

 少し後ろのほうで、困った様子で目をパチクリさせていた新之助さんをお父さんが手招きして、おちょこを握らせ、酒を注ぐ。新之助さんも宴会要員に追加らしい。

 私は何か料理を作る作業に入らなければいけないが、このお爺さん相手に作る料理と言ったら、やっぱりアレだろう。明日の屋台用に用意していた材料を切り始めた。隣で酒のツマミを用意していたお母さんが、私が作り始めたものを見て、少し引いた顔をした。


「ちょっと、お奈津。アンタ、これを作るのかい?」

「いいの。狐のお爺さんと言ったら、これだから」


 納得いかないという表情で顔をひねりつつ、お母さんは豆腐を醤油と砂糖とみりんでそぼろ状に炒め、皿に盛り付け、持って行った。

 私は、そこまで急ぐ必要もないだろう。宴会はまだ始まったばかりだ。麺を切りながら、後ろで盛り上がる声に耳を傾ける。


「狐、お前の顔を見るに、もう長くはないようだね。もうすぐお陀仏って顔をしてやがるぜ」

「心の臓を、患っていてなぁ。足を洗っていたんだが、どうせもうすぐ死ぬんだ、最後にダンナの金を盗んでから死んでやろうと思ったんだがねぇ。まさか、そこの小僧にしてやられるとは思わなんだ」

「狐が出てくる、と事前に伺っていたので、対処できただけですよ」

「そうだねぇ。何も知らずにワシを捕まえようたぁ、盗賊改めの親方ですら至難の業だろうさ。それでも、アンタは大したもんさ。ウチのバカ息子に見習わせてぇもんよ」


 切り終わった麺を、茹ではじめる。ソースは良い感じに煮詰まってきて、少しとろみが出て、香りもおいしそうだ。嫌な予感がしたのか、新之助さんが私のほうに視線を向けたのが見えた。

 見せつけるようにソースを上から落とすように混ぜると、新之助さんの顔が引きつってきた。何度かそれを繰り返して新之助さんで遊んでいると、麺も丁度茹で上がる。


「イーッヒッヒ」

「お、お奈津さん、正気ですか」

「正気ですよ」


 魔女のマネをしながら料理を皿に注いでいると、さすがにお父さんとお爺さんも私のほうへと振り向いた。お父さんは平然と頷いて、酒へと視線をすぐに戻したが、お爺さんの顔は新之助さんのように引きつってくる。リアクションがそっくりで、面白い。

 お父さんとお爺さんに、どこか似た所があるように、お爺さんと新之助さんも、似たところがある。もしかして、新之助さんは、将来、お爺さんやお父さんみたいに渋くかっこいい男の人になるのかしらん。これは良い。お母さんにアイコンタクトを送った。ニヤリと笑い返されたが、多分分かっていない。


「はい、狐のお爺さん。唐柿蕎麦です」

「……どうして、これを作ったのかのぅ」

「狐のお爺さんの好物でしょう?」

「違う」


 お爺さんは深く溜息を吐いて、楽しげに笑った。そして豪快に、麺をすする。よっぽどお腹が減っていたのか、今までにない食べっぷりだ。隣に座って、空になっていたお爺さんのおちょこに酒を注ぐと、お爺さんは一旦箸を置いて、それを飲み、またトマトスパゲティを無心に食べ始める。いつの間にか、お爺さんの目には涙が浮かんでいた。私は、さすがにビックリする。


「狐のお爺さん、料理、そこまで不味かった?」

「バカ言うんじゃねぇ。不味かねぇよ」


 皿の中はあっという間に空になって、お爺さんはさらに酒をあおる。鼻をすする音が聞こえる。お爺さんは着物の袖で乱暴に目元をぬぐった。心配になって、お爺さんの背中をゆっくりとさする。


「ダンナ、ワシはアンタが羨ましい。お天道さまに顔向けできねぇ生き方をしてきたのは、ワシもアンタも同じだろうに、アンタは幸せもんだねぇ」

「……そうさなぁ。怖いくらいに、俺は幸せもんさ。きっと、畳の上では死ねないだろうがね」

「テメェが死んで、泣いてくれるヤツがいるだけでいいじゃねぇか。俺は、唯一愛した女も、死んじまった。息子は、殺しをするような急ぎ働きをやっちまう盗人になっちまった。勘当してやったら、最近は随分と派手にやっているみてぇさ」


 最近、巷を騒がせている、殺しをする盗賊と言ったら、一人しか思い浮かばない。今、栄さんが追いかけている盗賊だ。

 お爺さんは、あの盗賊について書かれたかわら版をしみじみと見ていた。勘当した息子さんのことが書かれていたのだったとしたら、そりゃあしみじみもするはずだ。


「盗人っていうもんは、殺さねぇ、犯さねぇ、貧しいヤツからは盗らねぇ、この三つを守ってこその本物さ。ワシは、それをずっと、守ってきた。だけれど、もう、これは時代遅れの考えなんだろうねぇ。守るヤツなんか、いなくなっちまったよ。息子にくらい、分かっていて欲しかったもんだがね……」


 悲しそうに、そう言ったお爺さんの顔が、妙に頭に残った。

 その後、しばらく私の店に来なくなったお爺さんを心配して見に行った私と新之助さんは、お爺さんが亡くなっていたのを発見した。


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