序
夢を見ていた。
昔の、そのまた昔の夢だ。
この時代に産まれる前、この時代のずっと先の未来。平成の世に産まれて、一般家庭で育ち、女子高生をしていた私。ごくごく普通の人生を歩み、これからも歩んでいくつもりでいた。
横断歩道を渡っていたとき、青だったというのに車が突っ込んで来て、そこから記憶はない。即死だったのだ。
「寝太郎……!寝太郎……!」
とても幸せだったころの夢に浸っていると、耳をつんざくような声が聞こえてくる。
「寝太郎……!」
私は寝太郎なんて名前ではない。私は……。
「私は奈津だよ、寝太郎なんてヤツは知らないね!」
夢の中にまで響いてくる声に、私は叫びながら飛び起きる。隣で大声を張り上げていた、この世界のお母さんが顔をしかめたまま溜息を吐く。お父さんは何事もないかのように傘を貼る内職を続けている。こちらを振り向きもしない。
「アンタはいつも寝てばっかり! 寝太郎以外の何があるってんだい!」
反論が出来ずに、欠伸で返事をする。前世で私が生きていたころだったら、せめて眠り姫にしてちょうだい! なんて反論も出来ただろうが、この時代には眠りについたプリンセスなんてものも王子なんてものもない。
そう、この時代、江戸時代なのである。安永五年、徳川家治の治世。徳川家治って誰だっけ、と思ってしまった私は、歴史の成績が二である。似たような名前ばっかり暗記できない。ちなみに、この徳川家治、かの有名なドラマの、暴れたりサンバを踊ったりしている吉宗将軍の孫だそうだ。しかし、重要なことは、知っている将軍の時代に生きていることではない。私は、幕末には産まれなかったのである! なんとすばらしいことであろう! 新撰組ファンとしては、土方歳三や沖田総司にあってみたかった気もするが、あんな危険な時代に産まれないにこしたことは無い。
「ちょっと! なにをボケーっとしてんだい! ご飯作るのを早く手伝っとくれよ」
久しぶりに懐かしい夢を見て、思い出にひたっていると、お母さんが怒鳴り声をちらしてくる。奈津、十六歳。丁度、前世で死んだ時と同じ歳だ。最近は前世を思い出すことが増えて、ぼんやりしたり、暗い気分になるたびに、そのまま寝てしまい、ついには寝太郎なんてあだ名までつけられてしまった。怒られることも増えてしまい、お母さんはいつもイライラしている。
私は、どっこいしょと立ちあがり、かまどへ向かおうとしたとき、にわかに外がざわついた。
「てぇへんだー! 血まみれのお侍さんが倒れてっぞ!」
ここは江戸時代。侍たちは皆、腰に物騒な凶器を差しており、時には斬り合いが起こる。暗殺、かたき討ち、辻斬り、たびたび耳にする話だ。ああ、嫌な時代に産まれてきてしまった。私はゾッとして、ゆっくりと外へ振り向く。お母さんは慌てたように外へ出て行き、お父さんは傘を貼る手を止めて、チラリと視線だけを向けている。
「おい、お侍さん! しっかりしろ! 今助けてやるからな!」
「アンタ、ウチに運び込んでおくれよ! そこで手当するからさ!」
お母さんの叫び声が聞こえたかと思うと、血まみれの男を抱えた同じ長屋のおじさんが、こちらへ向かってくるのが見えた。平成の感覚が抜けない私は、震えだそうとする足をどうにか止めることしかできない。本当に、どうしてこんな嫌な時代に産まれてきてしまったの!