前編
病院から帰ってきて,ベッドの中にもぐりこんだ。そうでもしないと,落ち着かなかったのだ。
階下から両親が言い合うのが微かに聞こえてきた。それは怒りでもあり,悲しみでもあり,むなしさでもあった。
『なんであの子なのよ…!!』
母の泣き叫ぶ声が聞こえた。父はなにも言い返せなかったようで,それ以降なんの声も聞こえなかった。
健康診断でした血液検査により,白血球が激減していることが分かった。もちろん,1回だけの検査では分からない。だから,期間を置いて2回再検査を行った。他の数値は変動がほぼないのに対して,白血球は下がる一方であった。
この再検査の間に,4回ほど貧血のような状況で倒れてもいた。
明らかな異常。
精密検査をし,その結果下された診断は急性白血病。よくドラマや小説に出てくる病気か,としか思えなかった。
死ぬんだって。
だが,これは現実だ。
確かに身体に力が入らず,常に虚脱感を持っていた。おまけに軽くひとっ走りしただけで息が切れ,呼吸が元に戻るまで時間がかかった。
(いつの間に?)
遥はため息をつき,寝返りを打つ。
母の号泣が収まると,父は母にそっとお茶を差し出した。だが,その手は震えている。
『俺だって遥がそんな病気にかかっただなんて信じたくないんだよ。』
湯気の立つ湯飲みに触れようとせず,ただ俯いて絞り出すかのように言った。
『だけど,なんであの子なんです?リレーの選手になったり,色々な部活から引っ張りだこだった子なのよ。元気そのものなのに……。』
涙で目を赤くした母が悔しそうに言う。
『本当にそうだな。』
父は頭をかきむしり,首を振る。
『代われるもんなら代わってやりたい。』
次の日。遥は吐き気に襲われていた。両親の気遣いで,好きなものばかりを用意してくれているが,一切のどに通らない。
『遥,食べないと元気になれないわよ。』
母が口元まで持っていくが,遥にとっては匂いだけでもダメで顔を背けるばかり。
『ゴメン,無理。もういいよ,どうせ死ぬんだし。』
そう言い,布団を頭から被る。すると,母の啜り泣きが聞こえてきた。
泣きたいのは遥も同じだ。
家での療養は無理と判断され,翌日から入院となった。
骨髄が合うのならば家族とすぐにでも手術をするのだが,誰一人合う人はいなかった。こうなれば,骨髄バンクを頼るしかない。
『遥,何かしたいことある?』
母はあれから目を赤くしたままだ。
遥は母の問いにしばし考え,それから口を開いた。
(死ぬんだよね,きっと。それなら。)
『あのね,お母さん。実はね,彼氏じゃないけど凄く大事な男友達がいるの。その人に逢いたい。』
思いもよらない返事に母は目を丸くした。
『そんな友達いたの?』
『うん。』
遥は女子高と女子大に通い,男性との関わりはそんなに多くない。それが,大事な男友達がいると言うのだから,母が驚くのも無理はない。話題にすら出てこなかったのだから。
『どこで会ったの?』
遥はちょっと困ったように笑った。それがまた,とても儚げだ。
『インターネットで。』
母の顔が少しだけ険しくなる。だが,怒っても仕方がない。話を聞いて,願いを叶えてやりたいのだ。
『そう。』
『出会い系じゃないよ。音楽繋がりだから。ほかにも色々と相談に乗ってくれてね,もの凄く優しいの。』
心配をさせないよう,やっとのことで手を伸ばして母の肩に触れる。
『凄く良い人なんだ。』
母は複雑な思いを胸に抱きながらも遥の手に触れて握った。
『分かったわ。その人に会いたいのね。』
『うん。』
(お別れを言いたい。)
『どうしたらいい?連絡先分かるの?』
遥は携帯電話を指差す。母は携帯電話を取ってやり,遥に渡した。
『家に呼んでもいい?』
『いいわよ。』
『その間だけ,2人だけにしてもらっていい?』
母は唇を噛み締めたが,頷いた。
『あと,病気のことも言わないで。』
『その状態じゃ分かっちゃうでしょ?』
遥は軽く笑って首を振る。
『入院するまでの力を振り絞って元気になるわよ。笑っていたいの。』
母の目から思わず涙がこぼれた。
『あんたって子は。もぅ。分かったわよ。やりたいようにしなさい。』
『ありがとう。』
そう言い,早速大切な男友達を呼び出した。




