5(前編)
5
翌朝。ミリアは思いっきり寝過ごした。
朝の陽射しで起きたのだが、違和感がある。ミリアの部屋は西向きだから、朝陽がまぶしくて起きるということはまずないけれど、今朝は違った。カーテンをひいていても、降り注ぐ陽光がまぶしい。
ミリアは、蒲団を頭までかぶり直した。
「いや、まだ眠い……って!」
カクレイのにおいがした。冷静に考えてみると、ミリアがいま寝ているのはカクレイのベッドだった。昨日、そうだ、らぶらぶな展開にはならなかったけれど、一緒にいたと思う。カクレイよりも先に眠ったから、定かではない。ミリアが思い出して焦っていると、部屋のドアがばたーんと開き、勢いよく蒲団が引き剥がされた。
寒いっ、と非難する余裕もなかった。
「おはよう、ミオ。なんで、こんなところで寝ていたのかなあ? ミオの部屋、ここじゃないよね?」
ミリアの目に飛び込んできたのは、カクレイではない。
それは、リョウランだった。
カクレイは、リョウランの後ろで立ち尽くしている。さすがに、決まりが悪そうな顔で。降りかかる災難。リョウランとカクレイの顔を見比べた。憤慨と狼狽。
「まずは起きろって、ミリア」
……ミリアが起き出す少し前の、隊務室。
幹部はほとんど揃っていて仕事をしているが、ミリアがいなかった。一度だけは声をかけたものの、よく寝ていたから、ミリアを起こさずにそっと部屋を出てきたカクレイは、己の甘い配慮を後悔しはじめていた。無理にでも叩き起こして部屋に連れて行くべきだった。
ミリアの携帯に電話してもメールを送っても、ミリアの返事はない。携帯はミリアの部屋にあるようだ。あいつのために目覚まし時計、セットしてきたんだが、さては消したな。内線電話で自分の部屋に連絡を入れるが、ミリアの起きてくる気配はない。
「カクレイ、さっきから電話ばっかりしていますねー。そわそわと」
要らない指摘をするのは、もちろんリョウラン。
「いいだろ別に。出ねーんだよ、相手が」
「ふーん。女ですか。仕事中、私用電話は禁止ですよ」
「莫迦、そんなんじゃねえよ」
「そのわりには、ずいぶん慌てていますねえ。おや、目が真っ赤ですよ、カクレイ。すごい充血っぷり。昨夜はそんなに遅かったんですか」
「ただの寝不足だ。放っておけ」
「ふうん寝不足。あ、女ってあれか、うわべだけのお付き合いの、あの女ですか。ほら、コーヒーこぼれますよ」
「おっ、お前が変なこと、言うからだろうが! 第一、あの女って誰だ! 絡むな!」
「女といえば、そういや、今朝は俺嫁のミオがいないや」
リョウランの声は、隊務室に響き渡った。
「あ、確かにいないね」
「どうりで、空気が重いはずだ」
「華がない」
「暗いし」
まずい。幹部どもも、ミリアの不在に気がついたらしい。カクレイは必死になって弁解する。
「ミリアは、あれだ! その、せ、生理痛で、頭が痛いから少し休ませてくれって、さっき連絡あったし!」
必死に言い訳する滑稽な自分に、カクレイは嫌気が差したが、今は耐えるしかない。
でまかせだと感づいたのか、リョウランが噛みつく。
「嘘だね。ミオは前に、自分のは軽いほうだって言っていた。頭痛なんて無縁っぽいですよ。それに、あいつの予定日は、一週間ぐらい先」
説得力あるリョウランの発言に、カクレイは頷きそうになった。
「なるほど、あいつ軽いのか。いや、そんなことより、どうしてリョウランが、ミリアの予定日なんて知ってんだよ! ロアンも、なにか言ってくれ! これ、プライバシーの侵害だよな」
「リョウランとミリアは、仲いいんだなあ。そんな個人的な話までできるのか。若いって、うらやましいな」
「違うから! ロアンも、論点ずれているから!」
「ミリアは間もなく安全日に突入……と。ふふふ」
ロアンは自分のスケジュール帳に、なにやら書きつけた。
「書かなくていい! 生々しいっ。頼むからやめてくれ、これ少女小説だから!」
「カクレイも、いやらしいなあ。こんな朝から『生々しい』なんて表現」
「やめてくれ、俺たちの華麗な活躍物語を読んでくれている乙女たちに、誤解されるだろ」
なかば、からかわれていると頭では理解できている。けれど、カクレイはむきになってしまった。
「カクレイ。お前、ほんっとに目真っ赤だぜ。なんか、悩みでもあるのか。隊長の俺に、なんでも似相談しろよ」
「もういい! 勝手にしてろ」
「あれ、どこ行くんすか副隊長」
「トイレだよトイレ!」
他の幹部たちの手前、カクレイは悠然と隊務室を出たように演技した。しかし、額には汗が浮かんでいる。あってはならないことだ。ミリアの体のことで焦るなんて。
カクレイは手の甲で汗を拭った。自室のドアのカギを取り出したときだ。背後に気配があった。
「へえ。トイレじゃなかったんですか」
「わわっ」
背後に、薄笑いのリョウランが立っていた。
「忘れ物を思い出したんだ。いちいち監視すんな、リョウランのくせに」
「ずいぶん大切な忘れ物なんですねぇ。風紀にうるさいカクレイが、ばたばた廊下を走ったりして」
しかし、カクレイには走った覚えもない。それほど動揺していたということだ。
「邪魔だ。リョウラン、どけ」
「中にいるんでしょ、ミオ」
知っているのか。カクレイはリョウランを凝視した。
「副隊長がねぇ。部下の女を部屋に連れ込むなんて、あってはならないことですよね。ささ、どーぞ開けてみてください。ミオがいたら、ロアンに通報しますから」
「……このやろ」
破れかぶれだ。カクレイは勢いよく、ドアを蹴り上げた。
部屋の中には、……誰もいない。
「あれ?」
リョウランは怪訝そうに眉をしかめた。
「どこに隠れているのかな、俺のミオ」
リョウランは室内に一歩脚を踏み入れかけたところへ、いつもの元気な声が聞こえてきた。
「おはようございまーす。ふたりとも、こんなところでなにしているんですか。やだなあ、まさか仲よくサボりですか。あれ、カクレイ今朝は目が真っ赤ですよ。まさか、泣きました? それとも花粉症? 秋も花粉はありますからねえ」
カクレイとリョウランの後ろにミリアはいた。隊服を身につけ、化粧や髪もぴしっと整い、すっかり仕事モードに入っている。
「ミオ。今、どこにいたの?」
リョウランがミリアの肩をつかむ。
「どこって、自分の部屋。一度起きたけど頭が痛くて、ちょっと寝過ごしちゃった。ね、カクレイ。でも、もうだいじょうぶ」
「嘘だろ。ミオ、カクレイの部屋にいただろ。一晩、なにをしていたんだ」
「やだ、リョウちゃん。なに言っているの。早く、仕事戻ろ。カクレイ、お先に~」
ミリアはリョウランの腕を組んで歩きはじめた。肩越しに、カクレイへ目配せを送って。茫然としていたカクレイも、ぎこちないが小さく手を振り返す。
間一髪で、ミリアはカクレイの部屋を抜け出していた。明け方、虫のしらせとでも言うのか、カクレイの部屋に泊まったことをリョウランに見つかるという妙な夢を見た。運がよかった。
「おかしいな、カクレイのあの態度。絶対、なにか隠している顔だったのに」
「勘繰りすぎだよ、リョウちゃんっ」
「うーん。納得いかないなあ」
「はい、仕事仕事」
いつもより、ミリアはリョウランと腕を組んだりして機嫌をとりながら、仕事に向かった。
後編へ続きます