4(後編)
カクレイは王からの呼び出しを受けた帰り道にいた。
外回りをしていると、あいつのことが気になって仕方ない。恣意的に、自分が本部を離れるときはリョウランの隊を巡察か稽古に出して、なるべくリョウランをミリアのいる隊務室には近づけないように画策しているが、すべてうまくはいかない。
現に、今も夜になって外出する羽目になった。ミリアは無事だろうか。リョウランのやろうに、引っ掻き回されていなければいいが。
脚を早める。
カクレイって、つくづく人気ないんだなー。皆、リョウちゃんの味方なんて。
副隊長としての立場が、カクレイを冷酷にしている。隊長の方針を的確に実現し、隊を動かす。隊長が動きやすいように、隊をまとめる。リョウランはその実行部隊。役割ははっきり決まっているけれど、カクレイは損な役。
夜の危険な庭散歩を終えて、いったんは自分の部屋にひとり帰ったものの、ミリアは無性にカクレイに逢いたくなった。リョウランに迫られたせいか、心が落ち着かない。一時間、いいえ三十分だけでも、カクレイを待ちたい。ロアン以下、幹部にもすっかり覗かれていたのだ。リョウランに迫られた件は、明朝にでもカクレイに報告が入るだろう。どうせならば、今夜中に自分で白状してしまいたい。リョウランに対して二度と軽々しい態度を取らないよう、カクレイにひどく叱られたい。
ミリアはパジャマの上にカーディガンをひっかけ、玄関ホールに急いだ。ひっそりした涼しい廊下に、ミリアの足音だけが響いた。なるべく音が出ないように忍んでいるつもりだが、昼間とは勝手が違う。ミリアは思わず、カーディガンの前をおさえて合わせた。
「やけに冷えるなあ」
さっきまでは、外にいても寒さなんて感じなかった、九月の夜。これは悪寒? 気のせい?
きぃ、ときしんだドアに、ミリアは心臓が飛び跳ねた。
「な、なあんだ、カクレイか。じゃないよ、お帰りなさい!」
抜群のタイミングで、カクレイが戻った。ミリアの待ち伏せに、カクレイは驚いている。
「お前、こんなところでなにしているんだよ。しかも、そんな格好で」
「なにって。カクレイを、待っていました。あの、どうしても……逢いたくなって」
「部屋に帰れ。ここは、近衛隊の屯営。村とは違う」
「でも。さっき、リョウちゃんにちょっと、からまれて、その……報告を」
「……ここは冷える。進め」
頬をこわばらせたカクレイはミリアの肩をとん、と軽く押した。そんな些細な接触にも、ミリアはどきどきしてしまい、乙女街道ど真ん中を驀進していると実感する。
「夕食は、済ませましたか」
「ああ。王宮で食事が出た。俺はもう休むが、まあ、話ついでに部屋で茶でも飲めよ」
部屋へのお誘いだった。
カクレイの私室に。行きたいけれど、声を挙げて応えるのは恥ずかしい。軽々しい女だと思われたくない。意志を伝えるため、ミリアは控え目に、こくりと頷いた。
カクレイはミリアの先を歩いていくから、黙ってついてゆく。期待してもいいですか。答えない背中に問いかける。
運よく、誰ともすれ違わなかった、廊下の突き当たり。角部屋のカクレイは、素っ気なく顎でミリアを招き入れた。
「たいしたもてなしはできない。なにもないぜ。仮住まいだから」
白と黒で占められた、シンプルな色づかいの部屋。よく掃除されていて、整っている。
「綺麗なお部屋ですねー」
「適当に座ってくれ。お湯が沸いたら、これな。寝る前だから、カフェインなしの茶にしろ。それとも、酒がいいか?」
「お酒は遠慮します。カクレイは?」
「俺も茶でいい。シャワー浴びてくるから、用意してくれるか。熱いやつな」
「はい」
シャワールームに続くドアが閉められ、カクレイが姿を消した。
ミリア、ひとり。どきどきが止まらない。初めて入ってしまった、カクレイの私室。しかも、こんな夜遅くに。
それにそれに、しゃ、シャワーだって! シャワー……シャワーだって!
平隊士は共同生活。大部屋、大浴場を使う。しかし、幹部の部屋は個室、設備もワンランク上。ミリアも例外的に、幹部部屋タイプに入っている。まさか他の隊士たちと、雑魚寝するわけにはいかない。
夜更けに、憧れの男性の部屋でふたりきり。しかも、自分はパジャマで相手の帰りを待っていた。はっきり言って、期待しないほうが不健康。超展開らぶらぶフラグ、立った気配。明朝には、ロアンへ結婚の報告、なんて……いえいえ、自分は別に早く結婚したいわけじゃない。少しでも長く、一緒にいられたら。
「なにやってんだ、茶っ葉がテーブルの上にこぼれているぜ」
「わわっ、カクレイもう出たの! 早っ」
バスローブ姿である。た、たぶん、下にはなにも身につけていない、はず。鍛えてあるはずなのに、意外と細くてまっすぐな脚に嫉妬のミリア。
「髪と体を洗っただけだ。お前も待っているし」
「はあ、お気遣いありがとうございます」
「茶な、濃くしてくれ」
「はい」
ミリアは慣れた手つきで、カクレイのためにお茶を淹れた。カクレイはベッドの上に座っている。自分はどうしようかと迷っていると、カクレイが隣を指示した。こっちに来いというサインに、ミリアはおとなしく従ってみた。らぶらぶフラグがますます濃厚になってゆく。まったく、今夜の自分はどうしたのだろう。
「うまいな。俺のいれる茶と、遜色ない」
褒められているのか自画自賛なのか、判断しづらかったがミリアはとりあえず小さく頭を下げる。
カクレイの体からは、せっけんのよい香りがする。生乾きの髪と、ほのかに赤みを帯びた頬が、ふだんよりも色っぽさ十倍増し。
なにか、明るい話題を振らなければ、空気が重くなってしまう。らぶらぶフラグはいいけれど、やっぱり心構えがまだできていないし、お互いの気持ちの告白が先だろう。
「カクレイ、脚の毛がうっすいですね!」
ミリアは視線の先にある、カクレイの脚を褒めてみた。
「ああ。体毛は薄いほうだな。もっとよく見てみるか?」
こともあろうか、カクレイはバスローブの裾を引き上げようとする。
「いえ、遠慮します!」
だめだ、この話題失敗。心の準備ができていないのに、フラグだけが逞しくなってしまう。えーと、えーと。
「あっ」
部屋の中をそろそろと見渡したミリアの目に飛び込んできたものは、一葉の写真だった。
「これ……」
覚えている。
カクレイたちが都に上る直前に、皆で撮った記念の一枚。渋い顔のカクレイ、満面笑顔のロアン、ふざけているリョウラン、そして半泣きなミリア。
部屋に写真を飾るなんて。感傷的で、カクレイらしくない。
「やだなぁ。この顔、恥ずかしいのに。皆との別れが悲しくて、大泣きしたあとの」
照れたミリアは、写真立てに手を伸ばして伏せようとした。
「おい、勝手に触るなよ。俺のものだ」
「だって、変顔」
「うるせーな。俺には、かわいいんだって」
カクレイはミリアの腕を自分にたぐり寄せた。勢い、カクレイに重なるミリア。
「罰だ。今夜は帰さない」
息ができなくなるぐらい、カクレイはミリアをきゅっと抱き締めた。『今夜は帰さない』なんて、どうしよう。ま、まさか、カクレイの口から、甘くて溶けそうなことばが出てくるなんて、思ってもみなかった。超展開らぶらぶフラグが、ミリアの眼にも見えるようだった。
「か、カクレイ」
「だいたい、お前は無防備すぎる。夜、パジャマで男の部屋に、ほいほいついてくるか? 警戒心はないのか。普通なら、今ごろはめちゃくちゃにされているはずだ」
「め、ちゃくちゃ……ですか。カクレイも、します……か」
「俺は、しねえよ。ただ、今夜はこれ以上徘徊しないように、俺の部屋で説教」
「せっきょう?」
雲行きがあやしい。らぶらぶムードが、急に妙な方向に捻じ曲がった。
「そうだ。お前は、男の怖さがまるで分かっていねえ。今だって、逃げられないだろ? いくらミリアが少し剣術を使えても、力は違い過ぎる。襲われたら、おしまいだ。男どもの中で生活しているんだ。少しは自覚しろ」
「スミマセン……」
「いいから。さっき話しかけた『リョウランにからまれた』ってのは、どういうことだ」
「あ、あのー。怒らないで聞いてくださいね」
「怒るかどうかは俺が決める。さっさと話せ。俺が留守にしていた時間の出来事か」
ミリアは先ほどの顛末を、カクレイにゆっくり話した。カクレイの顔はますます強張る。
「莫迦か、お前。あれほどリョウランにはのこのこついて行くなと釘を刺したのに。いいか、なにか起こってからじゃ遅いんだ。ロアンもロアンだ、まったく。リョウランをそそのかしたりして。夜は絶対、出歩くな。分かったら、おとなしく寝ろ」
「はいっ。ベッド、半分こでいいですか」
「は?」
まさか、おとなしく聞くと思っていなかったカクレイは戸惑った。長い長い説教から早く解放されようと、ミリアはさっさと蒲団に潜り込む。
「私、寝相が悪いから、床へ落ちないように壁側。おやすみなさーい」
「おいミリア、この部屋で寝ろなんて俺は言ってない……」
ミリアは聞こえていないふりをした。
「眠いー。眠いです。おふとんから、カクレイのにおいがします。あったかいな。村にいるときは、みんなで一緒によく寝ましたね。懐かしいなあ」
横になったとたん、長い一日の疲れを思い出したかのように、眠りの世界へずるずると引き込まれた。らぶらぶフラグを回収し忘れてしまったと思ったけれど、全身が眠気に支配されていて手足がもう動かない。
「寝たよ、こいつ」
大変なのは、残されたカクレイだった。少女のようで女になりつつある、ミリアがすぐ横に寝ている。本人はまだお子さま気分が抜けていないが、体からは女の香りがする。無理強いはしなかった。むしろ、ミリアがカクレイを待っていた。カクレイの部屋についてきた。ミリアなりに覚悟はしているはず。
近衛隊副隊長の自分が、自室とはいえ屯営内で妹のような部下となにか起こるなんて、あり得ない。妄想と戦いつつ、カクレイはミリアに背を向けてぎゅっときつく、目を閉じた。
5に続きます
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