4(前編)
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しばらく、隊士全員の履歴書を読んで覚える作業が続いたが、いよいよカウンセリングの仕事がはじまった。
カウンセリング室の正面にミリア。隣の席には、補佐としてカクレイがついている。
まずは全員に義務づけられた一斉カウンセリング。ひとり十分。五十人だから五百分、すなわちぶっ通しでも八時間以上かかる。面談はもれなく幹部も、隊長ですら受けることに決まったので、とても一日で終わる仕事ではない。
初回はカクレイがスケジュールを作成してくれたので、ミリアはこれに従った。普段の隊務もあるはずなのに、カクレイには細やかな世話もしてもらえて、恐縮の限りだった。
スケジュール表を見れば、隊ごとに巡察と重ならないように予定が組まれている。今日午前に一番組、午後に二番組。三日間で終わるはずだ。
「あまりぎゅうぎゅうに詰め込んでも、ひとりひとりの印象が薄くなるだろ」
「はあ。印象、ですか」
「ミリアが感じたままのことを書いて、まとめて報告してくれ。副隊長が同席していたら、目新しいことは出ないかもしれねえが。なんでもいい。話し方、しぐさ、声、態度、視線。服装、髪型。ミリアは聞き役に徹してくれ。相手になるべく長く話をさせるように。隠しごとをしているやつで、喋り慣れていないやつは、そのうちボロが出る」
「が、がんばります」
意気込んで、ミリアは頷いた。
「しかしまあ、最初の隊士がこいつなんだよな」
「なんか言いました、カクレイ? 改めましておはよう、俺のミオ。今日もかわいいね。初仕事、がんばって」
朝から、リョウランはミリアをからかっている。ミリアは努めて無視し、ことばを紡ぐ。
「い、一番組組長。リョウラン・マナシーさん、ですね」
「はい、リョウラン・マナシーです。ミオに『リョウちゃん』以外の名前で呼ばれると、緊張するね。背筋がぞくぞくする」
「無駄話をするな、リョウラン。時間が限られている。隊服、しっかり着ろ。シャツのボタン、一番上まできちっと留めて」
「ちえっ。ミオに、自慢の胸板を見せびらかそうとしたのに。なんでカクレイまでいるの」
ボタン三番目まで全開だった、白いシャツ。面倒そうにボタンをぽちぽちとかけ直す。
「ごめんなさい、マナシー組長。肩の傷はいかが」
「だいぶいいよ。かわいいミオが、毎日甲斐甲斐しく手当てしてくれるからね。服を脱がせてくれて消毒とか、慣れない手つきで包帯を巻いてくれたり、早く治りますようにっておまじないのキスをしてくれたり」
「虚偽の申告はやめてください……最近、都では、たちの悪い風邪がはやっているそうですが、組長の体調は」
「あー。病も病。俺、重病だよ」
「えっ、それは」
思わず身を乗り出したミリアに、リョウランは顔を突き出した。ふたりの唇が急接近して、ミリアは慌てて体を引いた。そんなミリアの困惑を眺めて、リョウランは余裕で笑っている。
「恋わずらいだよ。ミオがいい返事をしてくれたら、すぐに全快するのに」
「リョウラン、ミリアをそれ以上からかうな」
ふざけているリョウランに、カクレイが横槍を入れた。
「ふん。あ、あと気になるのは、稽古では幹部の出席率が悪いってことかな。副隊長とか副隊長とか副隊長とか。腰に差している、立派な刀が錆びますよ。ああそれ、お飾りか」
「いちいちうるせえよ」
「あとは、休みが欲しいなあ。ミオとらぶらぶデートがしたい。郊外の温泉で一泊、とかさ。あそっか、宮都は封鎖されているんだっけ。ま、ふたりきりになれれば、どこでもいいや。クラシックなのとモダンな宿、ミオはどっちに行きたい?」
たたみかけるように問われ、返事ができないミリアは、俯いた。頭に血が上ってゆくのは分かるけれど、口ではリョウランに勝てない。カクレイはリョウランの台詞を、どう聞いているのだろうか。まさか、鵜呑みにして信じてしまうとは考えづらいが、リョウランを深く傷つけずに、カクレイにも誤解されない言い方って、あるのだろうか。
「リョウラン、もう出ていけ。お前の面談時間、終わりだ終わり。お気楽なことばかりほざくな」
ミリアの代わりに、カクレイが吠えた。
「思うところを、忌憚なく打ち明けてみただけで。そういう席でしょ。ああ、広場での儀式は廃止しました。あの手紙の子は、自首して牢に入ったそうです」
あの、リョウランを慕っていた女の子。リョウランが頷く。ミリアとリョウランは目で会話した。
「あの子の兄が、事件の首謀者だったとか。俺も、そばに近づける人をもっと選ばなきゃいけませんね。さて俺のミオ、お仕事・が・ん・ばって」
リョウランはミリアに重圧をかけて去った。
素直でいいんだけど、ああも自信たっぷりでまっすぐだと、どう反応していいのやら。しかも、カクレイの前で。深いため息をついたミリアを、カクレイは見逃さなかった。
「はじまったばかりだぜ。だが、いちばんやっかいなのが終わったんだ、せいせいしたな」
「あの、カクレイ。リョウちゃん……じゃない、マナシー組長は、ほんっとに冗談好きで困ります。あんな軽口、次から次にどうしてぽんぽんと出てくるのかな」
「莫迦か。あれは、冗談でも軽口でもねえよ。本気だ。俺の手前、わざと誇張しているだけだ。真剣に考えて、とっとと己の心を打ち明けねえと、近いうちに押し倒されて既成事実だぞ。あいつを甘く見るな」
そう言い終えると、カクレイは不機嫌顔になり、黙り込んでしまった。美しい眉間に皺が寄っていて、確実に怒っているのが見てとれた。
しょげ返りながら、ミリアは次の書類に目を落とした。今は隊務中。動揺している場合ではない。早く気持ちを切り替えなければ。
その後に控えていた一番組の隊士の面談は、わりとすんなりはかどった。はじめての試みで、ミリアが慣れていなくて口数が少なかったのと、副長のカクレイが同席していて隊士が萎縮してしまったからだ。どの隊士も、めったなことは言えなかった。
午後の二番組しかり。二番組組長のガラナでさえ、カクレイの前では寡黙になった。
「……やっぱ、明日からはミリアに任せる。これじゃ面談の意味がない。どいつもこいつも、俺の顔色ばかり窺いやがってよ。おもしろくねえ」
本日予定の面談が終わると、カクレイは長い脚をどっかりと机の上に伸ばして仰け反った。カクレイにしては珍しく、お行儀の悪い態度。
「そんなぁ。私はカクレイがいてくれて、力強いのに」
「隊士は違うんだよ。カクレイ副隊長の存在は『うざい』。ひとことに尽きるようだ。面談中は、隣の隊務室にいるようにするから」
「せめて初回の一巡が終わるまでは、お願いします。私のそばにいてください」
「甘えだ」
「カクレイ副隊長、お願いっ」
ミリアは不安だった。カクレイの庇護が欲しかった。ふたりきりで見つめ合うように、じっと視線を交わしていたが、耐えられなくなって先に逸らしたのはカクレイのほうだった。
「分かったよ。そんな目で見るな。終わったら、肩揉めよ」
「はいっ! 肩たたき回数券、作っちゃいますからね。有効期限なしで」
気合い充分、ミリアは数日をかけてどうにか全隊士との面談をやり遂げた。
けれど。
さすがに、しんどかった。神経がすり減った。初めて話す相手がほとんどだ。しかも、お互いに緊張している。にこやかな空気を作り、続けるのは大変な精神力が必要だった。
「おつかれ、ミオ」
陽も沈み、辺りはもう暗かった。すぐにでも休みたいと思っていたが、隊務室に居残って面談の概要をまとめていると、巡察帰りのリョウランが話しかけてきた。カクレイは面談の同席が終わると、王宮で打ち合わせだと言って城に向かった。
「ありがとう、リョウちゃん」
「ミオ、健気だなあ。ちょっと外行こ、外」
「えっ、でも。外出は」
「だいじょうぶ。城の外には出ないから」
ミリアの返事も聞かずに、リョウランは手をつないで走りはじめた。
闇夜。今夜は、新月。ミリアはリョウランの手を握り直した。
「だいじょうぶ。はい、ここ座る」
町が見下ろせる高台。刀を置いて芝生の上に腰を下ろしたリョウランは、自分の膝の上をとんとんと叩いた。ここに来い、という合図らしい。
「それはない」
苦笑しながら、ミリアはリョウランの横に少し離れて座った。あまり寄り添っては、なにをされるか分からない。幼なじみのリョウランとはいえ、警戒しておかねばならない。カクレイにも言われている。
「あらためまして、おつかれさま。でもなに、このそよそよしい距離感。他人行儀だね」
リョウランは、ずいっとミリアの脇に迫り、隠し持っていたワインのミニボトルの栓を抜いて『飲め』とばかりにミリアへ差し出す。クワントでは、人口の減少を食い止めるために、十五歳で成人を迎える。酒を飲んでも問題はない。
疲れた体には、あっという間に酔いが回りそうだが、せっかくの善意だからと、ミリアはひとくちだけ飲んで返した。
「赤ワインだね。ようやく大変な仕事から解放されたところだし、酔っちゃいそう」
「酔っちゃいな酔っちゃいな。お姫さまだっこで、俺の部屋にお持ち帰りしてあげるから」
「酔いません」
「真面目だなあ、ミオは。もっと楽しく、気持ちよく生きればいいのに」
「だって、クーデターのせいで困っている人がたくさんいるのよ。もっと楽しく、なんてできない」
リョウランはぐいぐいワインを飲み干した。それでもまだ足りなさそうな顔だ。村にいたときは飲まなかったのに。都に出てきてから、覚えた味なのだろうか。
「ミオもどう?」
もう一本。リョウランはワインを開けた。
「飲み過ぎ、リョウちゃん」
ミリアはワインのビンを取り上げようとした。リョウランはそれを制する。
「明日も、朝早くから仕事でしょ。肩の傷口に響かない? お酒くさくなるよ」
「傷はもう治ったよ。それにいいじゃん、別に酒くさくても。俺に意見できるやつなんて、いないし。それともミオ、酒の代わりにキスしてくれる? ミオに酔えるなら、酒はやめる」
身を乗り出してきたリョウランに、ミリアは構えた。
「なんでそこで交換条件。体、壊すよ。激しい隊務は、体が資本じゃない。せっかく鍛えても、深酒したら台無し」
「ほら、逃げた。キスは無理なんだろ」
そう言いながら、リョウランはまたワインを傾ける。
「む、無理じゃないよ! できるよっ」
むきになったミリアは、リョウランの手の甲にそっと軽く唇をつけた。
「今の、なに?」
「リョウランさまご所望の、き、キスしてあげた。……なにか、ご不満でも?」
「おいおい。普通、男女のキスって言ったら、唇どうしだろ」
「それは、リョウちゃんのルール。初めて知りました、私」
「この、純情ぶって。もしかしてミオ、キスしたことないの?」
「ないよ! あるわけない」
「へえ、ほんっとに未経験かあ。そいつはいい。さすが俺の花嫁。略して俺嫁」
「うわっ!」
ミリアをかかえたリョウランは、そのまま芝生の上に倒れ込んだ。リョウランの肩越しに広がる星空に、ミリアは目を奪われた。
「リョウちゃん、星がきれい」
ミリアのひとことに、リョウランの下心満載の笑みが一瞬、すうっと消えた。
「夜空が見せたくて、連れ出したんだよ。疲れていたからね、ミオは。俺も、ミオには悪いことしたし、償い。この前は、酒家で怖い思いをさせちゃったからね」
「あ、ありがとう。でも、償いたいなら、触らないでね」
ミリアの腰に回されたリョウランの手の動きが、どうにもいやらしくて、ミリアは強めにつねってやった。
「いいじゃん、減らないのに。ミオ、好きだよ。結婚しよう。隊は危険だよ。王と都を守るためとか言って、俺たちがしていることは戦いなんだ。これ以上、ミオをいくさに巻き込みたくない。結婚退職万歳」
「だめだよ、そんなの」
「ミオが、カクレイを好きなのは分かっている。でも、あの人はまだまだ結婚しないよ。できないっつーか。ロアン隊長よりも早く結婚するつもりはないだろうし、最低でもいくさにカタがつくまでは待たせまくりだな。そのくせ、手だけは早くから出しそうなんだよね。この若さで、未婚の母とかになったら、ミオはどーすんの。すでに、ミオを見る目がやらしいし。村に残っている家族が泣くよ」
「リョウちゃん、飛躍しすぎ」
自分側へ有利に運ぼうと、リョウランの妄想力は逞しい。
「反面、俺は身軽。一番組は任されているけど、若いせいか重用されてないから。逆に、あと数年経ったら中堅に組み込まれて、結婚しづらくなるね。身を固めるなら、今なんだよ。ミオ、大切にするから。絶対に浮気もしない。ミオひとりを一生守るよ」
真剣なのは分かる。リョウランは本気だ。
「だ、だめだよリョウちゃん……私は」
ミリアは腰を引いて逃げようとした。これ以上互いの体を密着していては、暴走されそうだ。警戒心もなく、なんとなくリョウランについて来てしまった自分が恨めしい。あれほどカクレイに忠告されていたのに。
「星空の下で、ふたりは初めてを迎えました、なんて素敵だよね」
すっかり酔いが回ったリョウランは、出来上がっている。上着を脱ぎ捨てた。ミリアはリョウランの体を懸命に押し返す。痩せていて細いのに、とても重い。
「だめだったら、だめ。こんなところで」
「じゃあ、屋根の下ならいいの? 俺の部屋、行く? ミオの部屋? そこの倉庫?」
「そういう意味じゃない、よっ」
「なら、どこでも同じだよ」
すでに半裸のリョウランはミリアの上で馬乗りになり、ミリアの白シャツの胸ボタンに手をかけた。そのとき、ミリアの頭のすぐ上にある植え込みの陰から、なにやらひそひそとささやき声が聞こえた。
「……ね、猫?」
ミリアとリョウランは低木を注視した。
「いや、そんなかわいいものじゃない。人間……つーか、ロアン」
がさがさと植え込みを手探りで進み出たのは、ロアン隊長。髪に葉っぱを載せているのは、シャレのつもりか。
「い、いや。スマン! 覗くつもりはなかったが、今どきの若い男女は、どんなことをするのか参考に見届けたくてな。めくるめく愛の世界が……いよいよ繰り広げられるのかと思って少し前に出たら……リョウラン、悪いっ! てへっ。隊長ったら、お茶目……なわけないか。ニャオーン」
語尾だけ猫になったロアンは自己擁護に満ちた言い訳を、盛大に並べた。
「思いきり、白けました。雰囲気、しっかり萎えましたよ。しかも、他の幹部たちまで」
見れば、ロアンの脇には幹部がずらりと四人ほど並んでいた。しかも、全員視線を逸らしている。
「ミリアちゃんの恥じらう顔、もっと見たかったなー」
「脚もなあ、もうちょいで太腿が覗けたのに」
「いやいや、屋外でこんな羨ましいこと、いやいや、よくないぞ。不謹慎だリョウラン」
「鬼のいぬ間に、せっかくのチャンスだったのになぁ」
「そっちが邪魔したんだろーが。まったく。あんたらが出張らなければ、今ごろミオは俺のものだったのに。あーあ、ミオと俺の秘めごとが。ミオ、帰るぜ」
すたすたと歩き出したリョウランに促され、ミリアも急いで立ち上がった。
「ミリア、リョウランを選べ」
不意に、ロアンが投げかけたそのことば。
「カクレイは、やめておけ。近衛隊か穏やかな結婚、どちらかを選ぶとしたら、カクレイは間違いなく隊を取る。ミリアを幸せにできるのは、リョウランのほうだ」
「ロアンまで」
なるほど。居並ぶ幹部も、全員が頷いている。隊の中には、ミリアの恋を応援してくれる人は、皆無らしい。
「私、負けません。リョウちゃんにはいつも弱いけど、やっぱりカクレイが、好きです。私の気持ち、リョウちゃんもいつか分かってくれるはずです」
「リョウランは恋に目覚めた。半端な説得じゃ、逆効果だ。恋の炎に、油を注ぐようなもの」
「がんばります」
ミリアは隊長にぺこりと頭を下げ、走った。
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