3(後編)
外にまで、刀の擦れ合う剣戟音が響いてくる。騒ぎを聞きつけた野次馬も、どんどん集まってきた。たったの一隊、十人で攻め入るには無謀なことのように思えた。
「私も、屯営まで知らせに行ってきます!」
そう叫んで、ミリアは走った。もっと応援が必要だ。リョウランの性格なら、じぶんひとりですべての敵を仕留めたいと考えるだろう。だが、隊務は遊びではない。命がけの仕事なのだ。
「お願い。どいて、道を開けて。急いでいるの」
騒ぎを聞きつけて、酒家に向かおうとする人の流れが、ミリアの動きを阻む。人垣をなんとか掻き分けて、王宮につながる坂の前に出た。たいした距離ではないのに、ここまででミリアはすっかり息が切れている。これは、本格的に鍛え直さないとだめだ。全然ついてゆけない。悔しくて情けなくて、きつく唇を噛み締めていると。
「ミリア! 無事か」
ミリアの目の前には、カクレイが立っていた。
「カクレイ! リョウちゃんが、リョウちゃんが」
緊張状態が続いてぴりぴりしていたせいか、ミリアはカクレイを認めるなりその胸に飛び込んだ。カクレイもミリアの取り乱し方を見て察し、やさしく受け容れた。背中をさすってもらい、落ち着きを取り戻してからカクレイはミリアに尋ねる。
「酒家があやしいという報告は受けたが、まさか」
「リョウちゃんの隊だけで、中に。戦いはもう、はじまっています」
ちっ。カクレイは盛大に舌打ちをした。
「一番組だけで、突っ込んだか。そんなことだろうと思ったぜ。現場に急行する」
引き連れていた二番組と三番組に号令をかけたカクレイは、そっとミリアを再び抱き留めた。力を込められて、ミリアはカクレイの腕の中にいることを意識した。気にすると、もうだめだ。恥ずかしくてたまらない。ミリアはカクレイの体を押し返す。だが、カクレイの腕力は強く、ミリアが押したぐらいではまったく動かなかった。
「ふらついている。さすがのミリアさんも、斬り込みには面食らったか」
「だ、だいじょうぶです! 突撃の様子を見ていましたし、説明しながら、現場まで案内しますっ」
「頼もしいな。期待しているぜ。だが、無理するな」
ようやくカクレイは力を抜いてくれた。思わず、ミリアはほっとした。
リョウランが命をかけて戦っているというのに、カクレイにときめくなんて、なんたる不謹慎。ミリアは自分の頬をぺちぺちと叩き、心を氷にして事件のはじまりを機械的に報告した。
「なるほど、リョウランの密偵が突き止めたのか」
「でもなんだか、タイミングよすぎませんか」
「罠、か」
「罠?」
「数人と見せかけて、実は数十人単位で取り囲まれているのかもしれねえ。急ぐぜ。リョウランの身が危ない。近衛隊最強とはいえ数で押されたら、さすがのリョウランも防ぎきれないかもな」
広場で会ったあの女の子は、裏切りを働いていたのか。心からリョウランが大好きそうに見えたのに。
酒家の周りは、すでに野次馬で包囲されている。
「どけ、近衛隊だ!」
緊急事態ゆえ、カクレイは多少手荒に割り込む。隊士の振り分けを素早く決めて突撃を図る。
「乗り込むぞ。ミリアは、負傷者の手当てを。できるな」
「は、はいっ。カクレイ、ご武運を」
「ああ」
戦う男の顔は引き締まっていて、とても美しい。ミリアは、カクレイに思わずみとれた。都で、近衛隊に入ってよかった。自分も、できる限りの働きをして手伝いたい。ミリアは平隊士に渡された薬箱を、ぎゅっと抱き締めた。
リョウランは苦戦していた。
斬っても斬っても、数が減らない。敵は少数だろうと思って、戦いはじめたのが甘かったらしい。次々と襲われるから、さすがのリョウランも防御するのがやっとで、深手を与えられない。
「体力消耗戦ですね、組長」
「悪いことしたな。まさか、こんなに隠れていたとは」
「最強組長がご一緒ですから、心強いですよ」
「おっとそこは最恐組長、と言ったほうがいいのもね」
同士討ちにならないよう、唯一の味方隊士とは背中合わせに立って応戦している。ミオにいいところをみせようと、無意識にリョウランは張り切っていたようだ。己の強さを知れば、ミオも心を移すかもしれない、と。
甘かった。
敵ひとりひとりの力は大したことはないが、いくさの終わりが見えない。室内は狭いし、天井が低くて存分に剣が振るえない。気持ちだけが焦る。外の隊士、階下の隊士やミオは無事だろうか。死傷者が出たら、自分のせいだ。
「覚悟、リョウラン・マナシーっ」
「まだまだっ」
体力を保つため、無駄な動きをしないように、剣はできるだけ矯めて敵の脚を狙う。最初の数回には効果があったが、敵も莫迦ではない。次第に戦いの勝手が読めてきたようで、脚もとの防御を固くしてきた。手柄を逸って闇雲に飛び込んできたりはしない。いらいらが募るだけで、戦況は思わしくない。
「くっそ」
あれこれ他人のことを心配する余裕も、もはやない。確実によけたつもりが、左肩を少し斬られてしまった。匂う。血が流れているようだ。リョウランは、確実に近づいている死の気配を感じた。冗談じゃない。愛しのミオを、まだ抱いていないのに。唇さえ奪っていない。こんなことなら、多少強引にでも迫っておけばよかった。長年の付き合いだ、いざとなったら覚悟してくれるだろう。この局面を切り抜けられたら、もっと積極的に行動するのみだ。
「なにやってんだ、しけた顔つきで。おいおいリョウラン組長さんよ、泣きそうになってるぜ」
目の前に立ちはだかっていた敵を鮮やかに倒したのは、カクレイだった。
味方の登場に安堵した、なんて絶対に知られたくない。特に、カクレイには。
「……随分お早いご到着で。ちょっと、いくらカクレイ副隊長でも、勝手な真似は困ります。ここは、一番組の持ち場です。敵は斬り倒さないで、なるべく捕まえてくださいよ」
「こんな窮状で、それだけ減らず口が叩けるなら、心配いらねえな。二番組と三番組を応援に引き連れてきた。もう心配ない。残り全員、生け捕ってやる。リョウラン、よく働いたな。ロアン隊長にもお前の奮闘を伝えておく。ミリアも、安全な場所にいる。さっさと、傷の手当てをして来い」
カクレイの到着で、事態は一気に近衛隊側へと好転した。瞬く間に敵方の人間は捕縛され、近衛隊の屯営に繋がれてゆく。
リョウランは消化不良な面持ちで、酒家を出てきた。傷を負った隊士たちの手当てを行っていたミリアがリョウランに気がつき、走り寄ってくる。緊張続きだったせいか、顔が強張っていた。
「リョウちゃん、よかった無事で。けが、してない?」
「ミオ!」
リョウランはミリアを強く抱き締めた。周りには、隊士やら野次馬やら人がたくさんいるけれど、構っていられない。
「悪い。いくさに巻き込んでしまって」
「や、やだ。リョウちゃんってば。放してって」
照れていたミリアだが、リョウランの体から血の匂いがすることに気がついた。返り血かとも思ったが、左の肩口にべっとりと血がにじんでいる。
「けが、しているじゃない。リョウちゃん」
「こんなの、かすり傷だよ。それより、ミオを守れなくて、ごめん」
「守るもなにも、私は元気よ。さ、見せて。まずは止血しなきゃ」
リョウランは再びミリアに抱きついた。
「俺、斬るのはいいけど、自分の血は……いやなんだ。怖いんだ」
神経が昂ぶっている。リョウランらしくない。ミリアはリョウランを安心させようと、いつもよりも明るく見えるだろう笑顔をした。
「わかった。目、つぶっていて」
ゆっくりと隊服の上着を脱がせ、ミリアは傷を確認した。深くはない。だが、今は九月。傷口が腐らないように、注意しなければならない。傷に菌が入る最悪の場合は、切断ということもある。念入りに消毒をし、新しい布で傷を巻く。
「だいじょうぶ。絶対、だいじょうぶだから。たったふたりで二階に乗り込んで、けがはこれだけなんて、さすがはリョウちゃん」
母親になったような気持ちで、ミリアはリョウランの頭をやさしく撫で、励ました。
「少し、休みなよ。事後処理は、隊長や副隊長たちに任せてさ」
斬り込みに入った隊士は興奮状態にある。カクレイの到着で勝利は決定的だ。負傷者は動いてもらっては困るのでミリアは少しだけ、彼らに眠り薬入りのミネラルウォーターを配った。
「大活躍だったね、ミリア。うんうん」
突然の捕り物騒動に巻き込まれたミリアだったが、ロアンからはお褒めのおことばを頂戴した。
「いいえ。まだまだです。後方支援で、結局戦いには参加していませんし」
「それでいいんだ。ミリアは、戦士として採用したわけじゃない。隊士の癒しだからね。ありがとう、ミリアがいてくれてよかった」
自分としては、戦いさえ厭わないけれど。それ以上言ってしまってはロアンの気分を害しそうだったので、ミリアは黙って頭を下げた。
「それではロアン隊長、リョウちゃんの様子が気になりますので」
そそくさと隊長室をあとにしたミリアは、救護室に急いだ。リョウランはまだ休んでいた。傷自体は浅いが、ずいぶんと落ち込んでいる。
「リョウちゃん」
今回、隊の負傷者は少なかった。派手な斬り込みの割には骨折一名、浅手の斬り傷がリョウランを含め三名。死者はいない。
「組長なら出て行きましたよ、外へ」
看護に当たっていた隊士がミリアに告げる。
「外?」
「ええ。外の風に当たりたいから、散歩してくるって。止めたのですが、寝てばかりいると体がなまる、と」
平隊士では、リョウランのわがままを諌めることはできないだろう。ミリアは頷いた。
「了解です。ありがとう」
肩をけがしたばっ/かりなのに。ミリアは回れ右をして、リョウランを探しに出た。
どこだろう。ミリアは王宮を一周することにしたが、不案内なことを知る。あまり奥深くまでは行ったことがない。リョウランも王の住まいのほうまではまさか脚を伸ばさないだろうが、ミリアには屯営が見える程度の巡回しかできない。誰かについて来てもらえばよかったかな、とも考えたが、今は捕り物の処理で隊が慌しい。
陽が傾くに従って、秋の涼しい風が吹きはじめた。まさか、シャツ一枚じゃないよね。さすがにミリアの不安が昂ぶったとき、建物の陰から刀を振る音が聞こえた。
リョウランだった。
正面を見据えて、一心不乱に素振りを行っている。鬼気迫る顔つきだが、心配していた通り薄着だったから、ミリアは見兼ねて止めさせようと、声をかけた。
「リョウちゃ……」
「やめとけ」
ぎゅっと、ミリアの肩を背後からつかんだのは、カクレイだった。
「二階の窓から、偶然お前の姿が見えた。リョウランは、自分の判断ミスでミリアを危険にさらしてしまったことを、深く悔やんでいる。お前が行ったら逆効果だ」
「でも、リョウちゃんはけがを」
「あれぐらいのけがなら、隊務にも支障はないだろうと、医者も認めていた。自分の体のことはあいつがいちばんよく知っているだろうから、放っておけ。そのうち戻ってくる。男の意地だ。さあ、帰るぜ。今日は疲れただろうから早めに休んで、明日からはみっちり仕事だ。人の心配ばっかりしている場合じゃねえんだよ、新米隊士さん」
渋々、ミリアは頷いた。
読了ありがとうございました
4へ続きます