12(後編)
「視察の前に、町に寄り道しよう」
「町、ですか」
「ああ。だから戻ってきたんだ。マリヤのところに案内してやる。あいつのことが、気になるんだろ」
「ええ、でも。今は、隊務中ですよ」
ミリアは息を飲んだ。そりゃ、カクレイの恋人なんて気になる。気は進まないけれど。ミリアは口を引き結んだまま、静かに頷いた。会いたくないなんて言えない。
「ほんの少し、見るだけ。穏やかなやつだ。気負わなくていい」
説明されても、カクレイの孤独をずっと癒してきた相手だ。自然と、ミリアの顔は緊張で強ばる。すごく綺麗な人だったらどうしよう。惚れたと言われても、勝ち目はない。
「ね、猫カフェ?」
案内されたのは、古い建物の二階。この非常時に猫カフェ? けれど、カクレイは迷わず店内に入った。
「マリヤは、ここで働いている」
昼間は働いて、逢瀬を持つのは夜なんだ。近衛隊のカクレイに頼りきらず、自活している人なんだな。カクレイにそういう仲の女性がいたなんて悲しいけれど、飲み屋のお姉さんとかじゃなくて、まだよかったかもしれない。
「いらっしゃいませ、あらカクレイさま。みんな、カクレイよ」
「お帰りなさいませ、カクレイさま」
「マリヤちゃんが、お待ちかねですよ」
マリヤの名を聞いて、カクレイは頬を赤らめた。
「呼んでくれ、あいつを」
らしくない! らしくないっ! 恋に恥じらう乙女みたいな甘い副隊長、初めて目にした。あり得ない。こんなかわいい顔、自分に向けてくれたことは一度もない。ミリアはカクレイを否定した。
「マリヤ!」
カクレイが駆け寄った先には、にゃうにゃう鳴く猫を抱いた茶色い髪の美人店員。スタイルも抜群で、まるで雑誌モデル。ミリアはことばを失った。これがカクレイの。正直、どの角度から見ても、ただの小娘のミリアには勝てそうにない。今さら、どうして自分と恋に落ちる必要があるのか。こんな素敵な女性がいるならば、小娘なんて要らない。
「はい、どうぞだっこして」
「ああ。相変わらず、きれいだな。美人だ」
だっこ? 人目のあるここで? た、確かにカクレイは感情が爆発すると、勢いで行動できるということを、身をもって知ったばかり。
「マリヤ、おいで」
見たくない! 見たくないっ。相愛になったと思ったのは幻だったのか。リョウランへの意地と仕事上での義務感でミリアに接近してみたものの、カクレイには茶髪美人しか目にないのか。
「やだっ」
カクレイが自分以外の人といちゃいちゃなんて、見たくない。ミリアが両手で顔を覆ったとき、驚きの結末になった。
「マリヤ、元気にしていたか。会いたかった。会いたかったぜ」
ぎゅっとカクレイが抱き締めたのは、美人の店員……ではなく、黒猫だった。猫も嬉しいらしく、カクレイの胸に体をすり寄せて、にゃうにゃう甘えた声で何度も鳴いている。
「ま、マリヤって。まさか、ね、猫」
「ああ。こいつだ。美人だろ。あっ、マリヤ、くすぐったい」
マリヤなんて、人間みたいな名前で呼ぶなっ。危うく、勘違いするところだった。恥をかきそうになった。
「な、なによ。マリヤが猫だなんて。がっくりしたじゃない。なによ」
最後はミリア、涙声だった。カクレイには、語尾がよく聞こえなかったはずだ。ミリアの反発を聞き流して、カクレイは語りはじめた。
「はじめ、町の隅っこでうずくまっていた、この捨て子猫に会ったときはよ……おい、泣いているのか。なんでだ」
ミリアの異変に気がついたカクレイは、ミリアを近くのソファに座らせた。カクレイも、ミリアのすぐ隣に腰を下ろす。
「こいつの名前は、ミリアにしようと思ったんだ。だが、いくら呼びかけても答えない。おかしいなと思ってマリヤが入っていた箱の中を見たら『この猫の名前は、マリヤ』と、書いてあるじゃねえか。ま、音感が似ているからいいなと思って、名前は引き継いだのさ。『ミリア』と『マリヤ』。前の飼い主が、どういった事情でマリヤを捨てたのかは分からねえが、許せないだろ」
「な、なんで猫の名前をミリアにしようと思ったんですか」
「目が、そっくりだ。疑うことをしらないまっすぐな目。愛らしい顔立ち。よく響く声。とりあえず屯営に持って帰って一晩寝たら、離れられなくなっちまった」
「それで」
「手放さないと決めた。さて決めたはいいが、屯営じゃ飼えないし、困ったところに猫カフェの情報だ。内乱やってるときに猫なんかに執着と思ったが、やっぱりかわいいんだよ」
照れながら語るカクレイは、新鮮だった。
「俺が主人だと覚えさせるために、一時期は毎日のように通ったんだ。なあ、マリヤ」
にゃうにゃうみゃあみゃあ。カクレイに体を撫でられて、マリヤはご機嫌。
「ミリアも、だっこしてやってくれ」
「……はい」
そっと。ミリアはマリヤを受け取った。小さくて軽いマリヤは、ミリアの腕の中におさまった。ふわふわで、あたたかい。薄い皮膚がとくとく鼓動に合わせて動く。首につけた赤い鈴が、いい音で鳴る。
「かわいい」
「だろ。ちょっと怖がっているな。マリヤ、こいつがミリアだ。ずっと話していただろ」
でも、やっぱりちょっと嫉妬だ。この子猫は、自分の知らないカクレイを知っているし、人前で堂々と甘えている。
マリヤと目が合った。
つややかで清い黒目に、ミリアの姿が映っている。
「負けました。マリヤには」
ミリアはマリヤをカクレイに返した。お店を出て急いで階段を駆け下り、繋いであった馬に乗ろうとする。
「おい、ミリアっ」
カクレイが追いかけてきているのが、声と気配で分かったけれど、ミリアは振り返らなかった。猫に勝てないなんて、悔しすぎる。
「待てよ、ミリア。だめか、あいつ」
「全然だめじゃありませんよ。かわいいですよ、すごく。私も、猫は好きです」
「じゃあ、なんで」
ときどき、カクレイは勘が鈍いのか鋭いのか、よく分からなくなる。ミリアは唇を噛んだ。
「カクレイには、マリヤがいれば充分そうですね。私なんて、ただの都合のいい女なんですね」
「なに言っているんだ。ミリアはミリアだ。マリヤとは比べられない。それに、いつお前が俺の女になった? まだ、なにもしていねえし。第一、向こうは猫」
よく言う。隊務室で、強引にキスしてきたくせに。しかも、人のいる場所で。
「女はいつも、大勢の中のいちばんじゃなくて、ただひとりの人になりたいんです。リョウランは、私ひとりを守ると言ってくれました」
「わ、分かった。マリヤを猫かわいがりするのはやめる。リョウランの名前を出すな。それとも、ミリアはリョウランも好きなのか」
「やあね。私がほんとうに好きなのは、カクレイだけです! カクレイの、分からず屋」
つい、勢いで告白してしまった。すでにミリアの心は知っていると思うけれども。まじまじとことばに出してみると、かなり後悔する。告白するならば、怒りながらではなく、愛嬌たっぷりにやさしく言いたかったのに。けれど、ミリアの吐露に気をよくしたカクレイは、余裕と自信を取り戻した。形勢逆転だ。
「……怒ったミリアも、かわいいな。その顔が見たかった」
双の頬をカクレイの大きな手のひらに包まれたミリアは、動けなかった。じっと見られている。マリヤの目どころではない。吸い込まれそうな強さを秘めた、カクレイの眼。
「調子に乗り過ぎた。マリヤのこと、ミリアの代わりのようにかわいいと思っていたから、つい。悪かった」
「も、もういいです。猫に罪はありません。私のつまらない嫉妬ですもの」
「いつか、お前とマリヤ、三人で暮らしたい」
真顔で言われたら、冗談で切り返せない。
「や、やあね。こんな微妙な時期に。このいくさ、いつ終わるかも分からないのに。無理な約束はしないほうがいいですよ。期待を裏切られるのは、悲しいもの。それにマリヤは猫だから、三人はないですよね」
「夢や希望は持っていたほうがいい。それも、大きいほうがいい。さあ、国境まで偵察に出るぞ。先発隊が待ちくたびれているだろう。帰りに陽が暮れたら、途中で野営だ。ま、俺はちょっと野営したい気持ちだがな。あいつらの前で、ミリアにキスしたこと……今夜はさんざんネタにされるだろう。リョウランが斬りかかって来やしないか、やれやれ」
「私は好きです。どんなカクレイも」
「そんな嬉しいことを言ってくれたら、また見境なくなりそうだな」
カクレイはミリアの体を軽々と抱き上げて、馬の背に乗せる。ミリアの視界が、開けた。
馬は石畳の上で蹄を鳴らして、じれったいほどゆっくりと進む。
「町を抜けたら、国境まで駆けましょう。カクレイ?」
建物を抜けると、ミリアは馬を走らせた。
九月の風が、ふたりの頬を撫でるように過ぎてゆく。
(了)
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本作は、コバルトノベル大賞にて二次通過したものを改稿したものです




