12(前編)
12
「あれ。なにそのチョコレート」
ミリアが机の引き出しにそっとしまおうとしていたら、見つかってしまった。甘いものには目ざとい。
「リョウちゃん! 寝ていなくていいの?」
「うん。骨が折れているわけでもなし、少しは体も頭も働かせないと、稽古に出られないぶん、なまっちゃうからね。午後はうるさいカクレイ、いないんでしょ。伸び伸びできて、ちょうどいいや」
「そんなこと言って。カクレイに失礼ですよ」
「また。すぐカクレイの肩を持つんだから。俺、ミオのこと諦めないよ。絶対に、ミオと結婚する。俺と家族、作ってね」
射るような、リョウランの激しい双眼。この目に見つめられるだけでミリアは弱くなるけれど、きちんと宣言すべきこともある。
「……私、カクレイのことが大好きなの。ごめんね、リョウちゃん」
目を逸らさずに、ミリアは言った。はっきり、言えた。なのに。
「やれやれ、素直だなあ。傷ついたけが人に対して、そんな態度取るわけ? もうちょっと時と場合を考えたらどうなの」
「あ、ごめん……」
「まあいいさ、今はね。でも、俺のほうがよくなる日がきっと来るよ」
盛大に振っているのに、いったいどこから、そんな自信が湧いてくるのだろうか。リョウランの堂々とした態度は、羨ましいほどだった。
「さあ、仕事しよ」
「ね。チョコレート欲しい、ミオ」
「だめ、これは私の」
「いっぺんに二枚も買って。太るよ」
「もらったの。オルフェさんに」
子猫のようにまとわりついてくるリョウランを追い払いつつ、ミリアは机に向かった。他の幹部は笑っているばかりで、誰も助けてくれない。隊長のロアンでさえ、やはりリョウランを応援している様子で黙認なのだ。
「リョウラン、いちゃつくのもたいがいにしろよな。勤務中だぞ」
「そうだそうだ。副隊長にくれてやるならリョウランのほうがまだマシだが、昼間から見ていられない」
「次の叛乱が起きたら、ミリアを連れていちばんに逃げ出しそうだな」
「稽古はサボるなよ。剣は錆びつかせないように」
野次は飛ぶものの、制止の手は出ない。たぶん、カクレイの強引さに皆、不満を持っているから、リョウランの味方なのだ。けがしているのに、どこからこんな力が、というぐらいに強い。押してしまえば、なびくとても思われているようで、悔しい。力でも勝てない、口でも勝てないなんて。
そこへ、カクレイが戻ってきた。
「あれ、カクレイ?」
カクレイは怒っている。隊務室では、リョウランがミリアにふざけて口うつしでチョコレートを要求していた。
「お前ら、ミリアで遊ぶな! こいつは、俺が惚れた女だっ。いいか、全員見ていろ」
腕を引かれた、と思ったらカクレイはミリアの唇を奪っていた。目を閉じる暇もなかった。
カクレイの長い睫毛がミリアの額にかすかに触れ、離れた。茫然とするミリアの前で、カクレ
イは宣言する。
「本日付けで、ミリア・ガーフィールドは副隊長直属に配属する! いいな、ロアンの命令も聞かなくていいから。午後は、国境の視察に行く」
もちろん、黙っていられない筆頭者はリョウランだ。
「皆の前でやってくれるなあ、カクレイ。暴挙だ。結局いちばん強引で俺様なのは、カクレイだよね」
「ごちゃごちゃ言うな! リョウランがミリアに迫るから! お前のせいだ! 俺だって、ミリアを見世物にしているようで、こんなことはできればしたくなかった」
「ふうん。思いっきり引いているよ、ミオが。いつまで続くかなあ。今までカクレイ、女の子と長く付き合ったこと、ないもんねえ。けっこう強いけどミオ、繊細なんだから傷つけないでよ。雰囲気もなく、いきなり人前でキスされたんじゃ、嫌われるよ。愛玩物じゃないんだからさ」
「知ったことか! さあ行くぜ、ミリア」
顔を真っ赤にして、カクレイは隊務室を出た。もちろん、ミリアを連れて。ロアンの笑い声が廊下にまで漏れ響いている。
屯営を出て、着いたのは厩舎だった。カクレイは無言のまま、二頭の栗毛馬を出した。
「……乗れるよな、馬」
「はい。久しぶり、ですけど」
「今日は、国境の壁付近まで行くから、ゆっくり追って来い。雲がかかっていなければ、俺たちの故郷の村も見えるかもしれない」
「はい」
「村に帰りたいなら、このまま帰ってもいい。誰にも言わない。関所、通行証があれば通れるから」
「いいえ、私はもっと近衛隊で働きたいです。カウンセリングの仕事、がんばりたい。剣術も、またはじめたい。あなたの役に立ちたい。安全な宮都を取り戻すまで、このまま待ちます」
ミリアはカクレイをまっすぐ見た。
「……いつか、帰ろうな。一緒に」
「は、はい」
「リョウランのやつの態度も許せねえが、俺も頭に血が上って……悪かった。風紀がどうのとか、色恋禁止とか言いながら、自分を見失うとは。これからは、俺も気を引き締める。だから、俺のそばを離れるな」
「でも私、自分の身は自分で守れるようになりたいんです。もっともっと強くなって、カクレイの力になりたい」
「かわいいやつだ。俺には、もったいねえぐらいに。だが、実家には手紙をこまめに書けよ。お前はよくても、親は心配でたまらないようだ」
おせっかいだと思ったが、と前置きしてからカクレイはミリアに白い封筒を手渡した。
「ミリアを王宮で預かることになった経緯を記して、お前の家に手紙を送っておいた。その返事だ」
「手紙?」
急いで開いてみると、母の字が並んでいる。カクレイたちがいつもそばにいるなら、ミリアは彼らに任せる、と。ミリアで役に立つのならば、どうぞ使ってください、と。これから寒くなるから、体には気をつけてください、と。
「細やかなお気遣い、ありがとうございます。いただいた今月分のお給金も、すぐに送ります」
「ああ。安心させてやれ。俺も、お前を大切にすると固く約束した。娘が軍隊の中にいると知ったら、心底安心はできないだろうが、少しでも元気なところを教えてやれ」
カクレイはミリアの頭をぽん、と軽くたたくと、ミリアの体を抱き上げて馬の背中に乗せた。
次の更新で最終話となります




