2(前編)
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「昨日は、突然の宮都封鎖に驚いた者も多かっただろうが、皆よく働いてくれた。敵は宮都外へ追放することに成功し、もったいないことに、王からもお褒めいただいた。依然として緊張関係は続いているが、隊務に励んでほしい。さて諸君、今朝は新しい隊士を紹介する」
近衛隊の朝礼がはじまった。
隊長・ロアンのひとことで、隊士はざわめいた。新入隊士はさして珍しくない。だが、今回の隊士は違った。ポニーテールにリボン。華奢な体つき。濃紺のミニスカートから伸びる、生脚。なによりも、照れる笑顔がまぶしくて愛らしい。
お、おんなのこだ!
おおおおおおおーっ、と隊士たちの低い声が広間に響いた。
約五十人の隊士たちは、一番組・二番組・三番組・四番組・五番組、十人ずつ五つの組に編成されており、各組長の下に配属されている。最強の精鋭部隊一番組を率いるのは、リョウランだ。
「ミリア・ガーフィールドです。皆さんのメンタル管理を担当します。所属は副隊長補佐、よろしくお願いします」
隊士たちは、喰らいつかんばかりにミリアを凝視している。笑っているミリアも、さすがに動揺して数歩後ろに下がった。
「ミリアは隊長のいとこだからな、失礼のないようにしろよ、このやろうども。おいそこ、ヨダレ垂らすな!」
ミリアからマイクを取り上げたカクレイが、凄みをきかせてつけ加えた。
「かわいい」
「信じられない」
「まるで似ていない」
「ミニスカートだ」
どよめきが走る。
「今後、ミリアには隊士の相談役になってもらう。詳細は追って沙汰するが、ロアン隊長のいとこだからな、い・と・こ! 以上」
隊士に再び釘を刺すと、カクレイはミリアの背中を押して舞台から退場するよう促した。
「思った以上の反応だったぜ。こりゃ、先が思いやられる」
げっそりした顔で、カクレイはミリアを見た。
「皆さんの前で緊張はしましたが、だいじょうぶですよ。私、隊の力になれるようがんばります。隊服、似合っていましたか? どこかおかしなところ、ありませんか」
「ああ。よく似合っている。俺たちの隊服を作ったときに、女物用も勝手にデザインされてしまってな。そのときの型紙を使ったんだが、あんなに過剰反応するなんて。あいつら、よっぽど女に飢えて……いや、なんでもねえ」
心配性だなあ、カクレイは。ミリアは苦笑した。
「屯営の中を案内しようか。まだ、見ていないだろ」
「はい」
近衛隊の屯営は、王宮の中にある。出動がない限り、世間からは切り離されていているから静かな場所だ。ただし、厳しい隊務があるので、門限や外出には厳しい。副隊長のカクレイが、隊士を徹底管理している。
「起床は六時。消灯は十時。主な任務は、王宮及び宮都の守備警固。犯罪人の調査追捕。空き時間には武術の稽古。学問。馬の世話に武具の手入れ。昨日はよく眠れたか」
「ええ、まずまず」
心配や不安はいろいろあったが、食事を済ませてあたたかいベッドで横になると、ミリアは朝までぐっすり眠っていた。
朝礼を終えた中庭から、さっそく剣の触れ合う音が聞こえた。思わず、ミリアの背筋がしゃんと伸びる。
「稽古、覗いていくか」
カクレイの粋な提案に、ミリアは頷いた。かつてはミリアも、ロアンのもとで少々剣術を習っていた。だが、カクレイやリョウランがみるみるうちに上達してゆく様子がミリアにはつまらなくなり、ミリアの親も『女の子が人斬り棒を振り回すとは』といい顔をしなかったので、次第に通わなくなってしまった。
「リョウちゃんだ」
稽古は、リョウランの一番組が中心となっている実戦を想定した多人数戦だ。黒と白、二手に分かれた隊士が入り乱れ、刀を合わせる。どの隊士もすでに、額には汗が浮いている。
「これぐらいで、へばるな!」
隊士が手にしているのは、皆稽古用の木刀。けれどこれで体を撃てば、かなりダメージを喰らう。遠い昔、ミリアもリョウランから手加減なしでさんざんに打ちのめされ、数日間寝込んだことがある。さすがに顔だけはよけてくれたが、女子相手とはいえ基本的に容赦なかった。
リョウランの剣筋には迷いがない。狙った相手は外さない。隊士たちはリョウランの前に、次々と倒れてゆく。幼い笑みさえ浮かべたリョウランは隊士が打ち込めるよう、わざと隙を作って誘っているが、誰も踏み込めないでいる。
「やっぱり、リョウちゃんは刀を握っているときが、いちばん絵になりますね。かっこいい」
ミリアは身を乗り出して、ほほ笑んだ。
「ああ。リョウランは、近衛隊最強だな」
「カクレイは?」
「俺は、幹部仕事が忙しくて。それに、副隊長が稽古に出ると、隊士がどうしても萎縮しちまうから、日々の鍛錬はリョウランたちに任せている」
「そうですか」
「やってみるか」
カクレイは刀を振るしぐさをして見せた。
「い、いいえ! 見ているだけでじゅうぶんです。私なんて、精鋭ぞろいの近衛隊の中では、恥ずかしい限りの腕しかありませんから」
「いや、脅しぐらいかけられると思うぜ。夜這いなんかさせないためにも、やつらにお前の力を見せつけておく必要がある」
「だめですよ、刀はもう何年も握っていません。死線ぎりぎりで戦っている皆さんとは、比べものにならないですよ」
「そう謙遜するなっての。おい、リョウラン!」
ミリアとカクレイ、ふたりは中庭に下りた。リョウランの発した制止命令で、隊士全体が美しく整列する。
「ミリアも、入れてやってくれ」
「ミリアを稽古に?」
一瞬、リョウランは怪訝そうに眉をしかめたが、カクレイの意図が理解できたらしく、にんまりと笑った。
「ようこそ、ミニスカ隊士」
リョウランは自分の木刀をミリアに渡した。久々の木刀が、腕の骨までもにずっしりと響く。隊士たちもミリアが稽古に参加すると知り、ざわめいている。
「やだ。まだやるって言っていません」
「副隊長命令だよ。誰がいいかな……カクレイが、相手をしてあげたらいいのに」
リョウランはカクレイの顔をちらりと窺った。
「莫迦。オルフェでいいだろ。おい、オルフェ!」
オルフェ、と呼ばれた隊士が列の最前に出てきた。
「ファーネイ・オルフェ。監察組の隊士だ。年齢は、ミリアたちと同じだったな。こいつは隊の裏方だから、剣術はそれなりだ。合わせてみろ」
「えー。女の子相手に、ですかぁ」
オルフェはあからさまに不満顔をした。
「おいおい。こいつはな、ロアン隊長のもと直弟子だ。なめてかかると痛い目を見る。じゃ、早速はじめよう」
仕方なくミリアは、木刀を振ってみた。久々だけに、さすがに重い。
「右利きのオルフェは、いつも左側が空いている。狙うなら、隙だらけの左の腹ね」
リョウランがミリアにこっそり耳打ちした。リョウランの息がくすぐったい。ミリアは身を引いた。
「ね、狙うもなにも。これ、扱うだけで、いっぱいいっぱいだよ」
「打たれて倒れたら、恥ずかしい姿になるよミオ。ここにいる男ども全員に襲われちゃうかもよ、ミオ。俺もたぶん、自制できないな」
……自分はミニスカート。ミリアは、自分がひっくり返ったところを想像してみた。冗談じゃない。絶対に負けられない。
「よろしくお願いします!」
気合い十分、ミリアは勝負に臨んだ。
オルフェという隊士は、ミリア相手に激しく打ち込む気配はまったくない。むしろ及び腰で、仕方なく対峙しているといった感じだった。
「では、はじめ」
カクレイの審判で、試合がはじまった。
スカートが風に揺れる。ミリアは短い丈を気にした。そわそわせずに、早く打って勝負を決めるしかない。
オルフェが攻めてこないので、ミリアは息を止め、正面から踏み込んだ。ごめんなさい、オルフェさん。弱点、狙います。ミリアは心の中で謝った。オルフェの間合いと呼べる位置に瞬時に入り、ミリアはリョウランの指摘どおり、がら空きだった左の脇腹を鮮やかに薙ぎ払った。
「一本。ミリア」
隊士たちは動揺した。ただの小娘だと思っていたミリアが、近衛隊隊士から一本を奪ったのだ。
ミリアは、茫然としているオルフェに一礼した。
「さすがに素軽いな。ミリアは、自分の持ち味がよく分かっている。オルフェは、その左を早くどうにかしろ」
カクレイはミリアを褒めた。嬉しくて、でも恥ずかしくて、ミリアは俯いた。
「面白いなあ、ミオ。でも、引き倒してやりたくなっちゃった。次は俺が相手をするよ」
舌なめずりをして出てきたのは、リョウランだ。オルフェから木刀を奪って、ミリアの正面に立った。
「さてと。これでどうかな」
左腕一本。リョウランは、左腕だけで木刀を構え、ミリアと勝負するらしい。
「なに、その姿勢。普通に構えていいのに」
「ぷっ。近衛隊のリョウラン・マナシーさまに向かって大口を叩けるなんて、ミオは命知らずだね。かわいいなあ」
「リョウラン、あんまり派手にやらかすなよ」
「分かっていますって。ミオのあんな姿やこんな姿、こいつらには絶対見せたくありませんからね。もったいない。カクレイ、あなたにも」
「ミリア、準備はいいか」
カクレイはリョウランの戯言を無視した。
「あ……待ってくださいっ。はいこれで、オッケーです」
負けたくない。ミリアは脚が滑らないように、靴と靴下を脱いだ。膝から下、すっかり脚がさらけ出されてしまった。カクレイもリョウランも、ミリアの生脚に釘づけだ。
「……今日稽古の隊は、役得だな。では、はじめ」
「私は真面目です、カクレイ。茶化さないでください」
口笛を高く鳴らして、リョウランはミリアの気を引きつける。
「まさか、色仕掛けでくるとはね。ミオ、先制攻撃をくらったよ。いいよ、きれいだよ」
「イロモノ扱いしないで。私は、本気だから」
「俺も本気だよ。結婚しよう」
「その本気じゃなくて。勝負だって。真剣勝負」
「しかし、いい脚だねー。妄想が逞しくなっちゃうよ」
「あんまり見ないで! えいっ」
ミリアは地面を蹴ると、ぐいっとひと伸び、リョウランの喉を突こうと狙った。ミリアの木刀は急所に向けて、まっすぐ伸びてゆく。
「惜しいな。軽いから速いんだけど、かわいい目がおしゃべりさんだよ。リョウランの喉を狙うって、目がしきりに喋っている。ほらほら」
リョウランはミリアの木刀をあっさりと叩き落とした。もちろん、左手だけで。木刀の、からんからんと乾いた音が響き、やがて地に吸い込まれた。
「うっ……」
木刀を打たれたとき、衝撃でミリアの腕が痺れた。びりびりする。左の片手だけだというのに、リョウランはなんと強い力なのだろうか。
「ちぇっくめいと、ミオ。せっかくの隊服を切り刻んだりする趣味はないので、ご心配なく。あ、今は木刀か。残念」
リョウランの切っ先は、ミリアの胸もとのすぐ前にあった。木刀を打たれたのは分かった。しかし、その後のリョウランの動きはまったく見えなかった。木刀ではなく真剣を使っていたら、今ごろミリアの命はなかったはずだ。
「そこまで。リョウラン、ご苦労。ミリア、腕はだいじょうぶか」
勝負あった、とカクレイはふたりの間に割って入った。
「待ってください、カクレイ! もう一度やらせて! なにがどうだめだったのか、知りたいです」
熱っぽく訴えるも、カクレイは首を横に振り、ミリアの申し出を拒否した。
「おーお。俄然、やる気だね。別に、俺は構わないけどさ」
「これ以上は、稽古の邪魔だ。隊の中でも、リョウランの腕は飛び抜けている。ミリアはよくやった。近衛隊の隊士でも、リョウランの真正面からはなかなか攻められねえ」
「俺は、何度でも相手できますよ」
「もういい。ミリアはリョウランにでも、勝負を挑むということが分かればそれでいいんだ」
ミリアの根性と度胸を、カクレイは隊士に披露しておきたかったようだ。カクレイはミリアの落とした木刀を拾い、近くの隊士に渡した。
「ちぇっ。じゃあミオ、続きは、夜にでも、ね。一晩中でも、つき合うよー」
不満を残しながらも、ミリアは隊士たちに一礼して、去った。
「どうして最後まで、リョウちゃんと勝負させてくださらなかったんですか。あんな半端な幕引き、ありませんよ」
怒りがおさまらないミリアは、カクレイに意見した。
「なんだ、ずいぶんと乗り気だったんだな。最初の態度とはえらい違いだ」
「だって。リョウちゃんの、刀の動き……全然見えなかったんだもの。悔しい」
「リョウランは、刀で都を守る。ミリアは、心で隊士を守る。役目が違うのさ。オルフェをぶっ倒せるだけの腕があれば、カウンセラーとしてはじゅうぶんさ」
「でも。納得できません。それならカクレイ、相手してください」
ミリアは拗ねた。
「そうだな。仕事、早く終わったらな。リョウランと一晩を共にされたら、俺が困る」
「カクレイが?」
「……隊の風紀が乱れるだろ。お前を隊に入れた、俺の責任問題だ」
「ふうき? ただの稽古ですよ。それに、リョウちゃんは幼なじみ」
「向こうは、ただの幼なじみと思っていねえだろうが。お前を、自分のものにする気満々。リョウランは男だ、これまでのように気安く近づくな。力づくでどうにかされるぞ」
「ふうん。モテモテのカクレイから、そんな台詞を聞くとは思いませんでした」
「この。副隊長をからかうとはいい度胸だな」
カクレイは、ミリアの手首をぎりりと握り締めた。
「いたた……こ、降参します」
「まったく。よく肝に銘じておけ」
腕を掴まれたまま、ミリアはとある部屋に案内された。
「隊務室の隣部屋。ここを、カウンセリングルームにしよう。お前の仕事場だ」
ミリアとカクレイはふたりきりで、八畳ほどの一室に籠もった。もともと、書類や本が積み上げられていただけの空き部屋だったという。
「カウンセリングって、具体的になにをすればいいのですか」
「うん。俺の代わりに、隊士の本音話を聞いて欲しいんだ。副隊長が聞いても、誰もなんにも言わねえからよ。お前みたいなやつには適任だ」
「皆さん、副隊長さんのことがよっぽど怖いんですねー。村にいたころは面倒見のいい、明るいお兄さんだったのに」
「近衛隊では、五十人以上の隊士かかえている。これを動かすには、掌握していなければできねえ。隊士ひとりひとりの悩み、弱点、特技、趣味、生まれ。あらゆるデータを知らなくては、な」
「なるほど」
「ミリアは、かわいくて強い。さっそく噂になっている。皆、ここに押し寄せてくるだろう。カウンセリングは俺が助ける。ミリアは隊士の話を聞いてやればいい」
さらっと流されたが『かわいくて強い』と言ってくれた。ミリアの胸のどきどきは、高まった。
「は、話を」
「そうだ。定期的に全員の、な。あとは、個人的に雑談風な相談時間も設ける。後者のほうが重要だ」
カクレイは机の上に、いくつかの珠を置いた。赤、青、黄、紫。大きさは手のひらにすっかり隠れる、お手玉ぐらい。むにむにと触り心地がよくて、弾力がある。色珠はふたつずつ用意されて、ペアになっている。
「例えば、こいつを押す」
紫を拾い上げて、カクレイは珠を押した。すると、カクレイの持っていないもう片方の紫珠が、ぶるんぶるんと振動しはじめて、光った。
「カウンセリングを行う時間までに、珠の片方を希望者の隊士に渡して、カウンセリング時間がきたらミリアがもう片方を押して、隊士をここに呼びつける。相談者及び相談内容は秘密だからな。電話やメールだと、お互い履歴が残るだろ。カウンセリング前後の隊士とも顔を合わせなくていいように、工夫してみた」
「なるほど、よく分かりました」
「珠は、部屋の前にでも置いておけ。希望者が勝手に取って行けるように」
すべて、カクレイの言う通りにすればいい。ときどき、女の子観点からの提案をしつつ、ミリアはメモをとりながら、カクレイの話に聞き入った。
読了ありがとうございました
続きます