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9(前編)


 ミリアの仕事机には、今日中に提出しなければならない作りかけの報告書が、うんざりするほど山積みにされていた。

近衛隊には、好意で置いてもらっているわけではない。カウンセラーとして、正式に入隊したのだ。きっちり働いて、対価はもらいたい。ミリアだって、お年ごろ。新しい服やアクセサリーが欲しい。気前のいいロアンやリョウランにねだれば、なんでもすぐに買ってもらえそうだが、自分の稼ぎでなんとかしたい。

「ミリアちゃん、コーヒー淹れて」

「俺も俺も」

 隊務室末席のミリアは、お茶係でもある。自分も一緒に休憩できるから、お茶汲みはけっこう好きだが、今日ばかりは危機を感じる。

 ……時間がないのに。カクレイとの約束は生きているはず。間に合わなかったらどうしよう。せっかくのお誘いなのに。昨夜のことも全然思い出せないし。

 心の中で泣き笑いしつつ、ミリアは席を立った。

「ミオばっかり使わないで、幹部諸君」

 場をやんわりと制してミリアを擁護したのは、リョウランだった。ふんぞり返って、机の上に長い脚を投げ出して座っている。隊服の白シャツは着崩して胸もとが大きく開いているし、ベルトだって腰位置からだいぶずり下がっている。とてもお行儀が悪い感じ。

「こいつだって、一応それなりに仕事をかかえているんだからさあ、ガラナさん」

「言うなあ。肉体派のリョウランには、頭脳労働はないからな。じゃあお前が淹れてこい、と言いたいが、リョウランのコーヒーはまずいんだよ。万事、適当だろ」

「なんだと」

 リョウランとガラナは睨み合った。

「やめてくださいっ! いいの。別に、私はお茶を入れるの、好きよ。リョウちゃん、手伝ってくれる?」

「よしきた」

 ミリアとリョウランは給湯室に消えた。カクレイは仲のよいふたりを、じっと目で追っていた。

「……ミオ。この際、嫌だったらはっきり言ったほうがいいよ。お茶汲みなんかしたくない、ってさ」

 自分のことのように、リョウランは怒り、心配していた。

「だいじょうぶ。一番下っぱだし、当然でしょ。好みのお茶をいれて、喜んでもらえるのは嬉しいの。ガラナさんはエスプレッソみたいに濃いコーヒー。反対に、カクレイはブラック薄めが好き。リョウちゃんは、あまりコーヒー好きじゃないよね。会議のときとか、ほとんど飲んでいない」

「うん。緑茶派だからね」

「皆さんの好みも把握して、隊に早く慣れたいの。はい、カップ温めて」

「ミオ、切ない努力しているんだね。結婚しちゃえば、こんな苦労、味あわなくて済むのに。早く、俺嫁になれ」

「今はけっこう楽しいんだよ、これ。いつも励ましてくれて、ありがとねリョウちゃん」

「み、ミオ~、かわいいよっ。食べちゃいたい」

 抱きつこうとするリョウランを、ミリアはひらりとかわした。

「ね。さっき、話が途中になったけど。私、昨日の夜……」

「ひ・み・つ。俺のお嫁さんになるって約束してくれたら、教えるよ? お小遣いは使いたいだけ、あげる。お手伝いさん雇って、三食おやつ、昼寝つき。ミオの仕事は、旦那さんと一緒にお風呂に入って寝ること」

「いや遠慮します。ラク過ぎて、だらけそう。自分ひとりだけのんびりするなんて、皆さんに悪いもの。私、近衛隊のためになりたいの」

「ちぇっ。さて、運びますか」

 殺伐とした隊務室に、あたたかい湯気が広がった。

「はい、カクレイの分」

 ミリアはカクレイにもコーヒーを差し出した。カクレイはミリアの顔をちらっと見やっただけで、視線を合わせようとはしなかった。お礼や笑顔を期待しているわけではないけれど、ちょっとがっかり。

「……仕事、滞っているのか」

「い、いえ! がんばります。まだ、お昼前だし」

「そうか。なら、助けない」

 カクレイは、そっとミリアに紙の切れ端を渡すと、席を外した。

『隊長、午後は出張だから、今夜のこと、さっさと切り出しておけ』

 と、神経質そうな小さい字で書いてある。分かっている。隊長に、言うのは今しかない。

 ミリアは副隊長の隣の机の、ロアン隊長に話しかけようとした。隊長は神妙な顔つきで、パソコンの画面を見ている。

「隊長、お忙しいところすみません!」

「わわっ?」

 不意討ちを食らったロアンは、大いにあわてた。

「み、ミリアか。なんだ、まったく驚いたなあもう。は、はははっ」

 なにをそんなに驚いているのだろうか。ミリアは首を傾げた。

「あっ」

 そのとき、目に飛び込んできてしまった。ロアンのパソコンの中には、馬が走っている。

「競馬、見ていたんですか……勤務中に」

「なにかなあ? ミリアちゃん、聞こえないなあ?」

 隊長の競馬好きは知っていたが、まさか仕事のときにまで。このご時世に競馬できるなんて、ロアン……大物だ。

「黙っていてくれ、頼む。特に、カクレイには」

 隣の席だから、カクレイが知らないわけはない。たぶん、ここの部屋に机を持っている幹部全員、気がついているはずだ。しかし、ミリアはにっこりと笑った。これで自分の流れに持ち込める。

「了解です。ただ私も、隊長にお願いが……」

「な、なんだなんだ? 遠慮なく言ってくれ。かわいいミリアの頼みごとなら、おじさんなんでも聞いちゃうぞ」

「あの」

 カクレイがミリアの横を通りすぎた。電話でもしてきたらしい。難しい顔をして、携帯電話を操っている。

「今夜、外泊届を出したいんです」

「が、外泊だってぇ!」

 隊長のすっとんきょうな声に、居合わせた幹部全員がミリアをいっせいに注視した。

「外泊?」

「ミリアちゃんが? 男でもできたのか」

「おいおい」

 リョウランなどはせっかく動かしはじめていた仕事の手を止めて立ち上がり、ロアンの机まで話を聞きに来てしまった。

「どういうことだい、ミオ。外泊なんて隊長が許しても、未来の夫たる俺が許さないよ」

 しかも、かなり怒っている。

「だ、だって、その、あのう」

 嘘はヘタだ。ミリアは手のひらいっぱいに冷や汗をかいている。

「町に住んでいる古い友人が、ミリアを訪ねてきたんだってさ。女ふたり、だったな」

 ミリアが窮していると、適当な話を作ってくれたのはカクレイだった。

「そうですそうです」

「友人? ほんとうなのかい? クーデターのとき確か、ミリアは町に知り合いがないから俺たちを頼って王宮の門を叩いたって、聞いたような気がするけど」

 リョウランは疑いしきりの目。

「う、うん。よく考えたら、いたのよ。ごめんね。お友だちには会いたいんだけど、私は入隊したばかりだし、隊を抜けられないからどうしたらいいかなって、カクレイに相談していたの」

「ああ。朝、廊下で、か」

「うん。そうそう朝ね」

 うまい具合に誤解してくれた。ミリアはたたみかける。

「ゆっくり話がしたいんです。門限の十時よりも早くには帰れそうにないので、む、無理を言ってスミマセンが」

 下手な嘘。自分で言っていて、イヤになるぐらいにつたない嘘だ。けれど、ロアン隊長の琴線には触れたらしい。

「なるほどなるほど。入隊してから今日まで、ミリアは一生懸命働いてくれたからねえ。いいよ、許可しよう。積もる話、してきなさい」

「って、許すのか! 十時には帰ってこられるだろ普通! どんな話があるんだよっ」

 ボケてばかりのリョウランが珍しく、突っ込み役に回っている。

「たまにはいいだろう、ミリアも今どきの女の子。過度の束縛はいけないよ」

「でもミオの話、嘘かもしれませんよ。様子がおかしい」

 ミリアを外泊させたくないリョウランは、隊長のことばにしつこく噛みついた。

「リョウラン、ミリアを信用しなさい。私たちのかわいいミリアが、男と密会するわけないだろう。なあ、ミリア」

 うんうん、ミリアは冷や汗をかきながら何度も激しく頷いた。

「あとで、届けを書面にして提出だぞ、ミリア。しかし、町は物騒だ。ミリア、お友だちと会う場所まで、送ってやろう。ええと、誰がいいかな」

「俺が引き受けるぜ、ロアン」

 ずっと黙っていたカクレイが発言した。

「カクレイが?」

「ああ。俺も、今夜は、マリヤのところでも行こうかと思っていた。ついで、だ」

 ま、まりや?

 さらっと言ってくれてしまったけれど、マリヤってあれですか。どう考えても女性の名前。その、あの、女の人……カクレイにも、そんな人、いるんだ。ちょっとショック。いえ、胸を抉られるような大事件。

「お、そうか。確かに、カクレイには昨晩も出動してもらったからなあ。たまにはマリヤちゃんにも会いたいよなあ。近衛隊では冷徹で通しているカクレイを骨抜きにするぐらい、かわいいもんな。外泊はいいが、なんだかカクレイとミリアの話がぴったり合い過ぎて、腑に落ちないなあ。カクレイの外泊も認めるが、ミリアはリョウランが待ち合わせ場所まで送ってこい」

「了解。相手が女かどうか、よーく見てきます。女装しているかもしれないし」

 リョウラン、隊長につかさず返事。

「えっ、それは」

 困る。友人の話は、作り話だもの。リョウランが出てきたら、カクレイとの初デートが流れてしまう。ミリアが絶句していると、意外にもカクレイがリョウランを援護した。

「リョウランがいるなら安心だな、ミリア。ゆっくりしてこいよ。まずは、仕事を終わらせろ」

 ミリアを突き放して、カクレイはまた電話をかけに席を外した。

 真意が分からない……。 

 ミリアはカクレイが消えたドアを見つめた。

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