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「ミリア。この書類を丁寧に束ねて、紐で綴じて、袋に入れておいて。今日中にワドゥール王へ提出する、大切なマル秘文書だからね。俺は、カクレイが開いている会議を少し、見てくるよ」
「……はい」
「こっちは、処分してね。書き損じだから」
「……はい」
ロアンから、ミリアは書類を渡された。今回の叛乱に関する、詳細な報告書のようだ。ぱらぱらとページをめくってみたが、手書きの文字がびっしり書き込まれていて、ミリアにはちょっと読む気が起こらない量だった。この宮都の王は、これを全部最後まで読むのだろうか。
けれど、ミリアはうわの空で。
一歩踏み出そうと、ミリアは勇気を出してカクレイを誘ってみたが、カクレイは乗ってこなかった。それどころか、逆に怒られてしまった。
今夜こそ、きちんと告白、しようと思ったのに。出て行けとまで、言われてしまった。不穏なときだということは理解しているが、カクレイからのことばがほしい。我慢できなかった。
鈍感のミリアでも、村に続いている関所の警備が緩んだことは聞き及んでいた。クーデターの起きた日にはぐれた友人に手紙を送ったら、無事だと返事が届いたほどだ。ついでにミリアは実家にも近衛隊で世話になっていると書いて投函した。帰ろうと思えば、いつでも帰れる。
いつまでも、自分は妹的な立ち位置からいつまでも抜け出せないのだろうか。もっとそばにいたい。触れたい、のに。まさか、カクレイには意中の人でも、いるのだろうか。
近衛隊の結成から、一年。カクレイほど男前ならば、言い寄ってくる女性もたくさんいるだろう。仕事熱心、のように見えて実はどこかで遊んでいる? ううん、遊びどころか、すでに本気の相手がいたらどうしよう。自分は、とことん未熟だ。
「ミオ? おい、ミオ! それ、マル秘のっ」
隣でミリアの様子を見ていたリョウランに、声をかけられたときにはもう、遅かった。極秘資料は紙屑の山と化していた。ぼんやりとしていたミリアは、預かった書類をすべて、シュレッダーにかけてしまっていた。
「り、リョウちゃん。どうしよう……」
「真冬の小鳥みたいに震える、ミオ。かわいいけど、どうしようもないよ。責任取って、隊を辞めろ。そうしたら、リョウランさまが取り成してやる。結婚退職、俺嫁」
妄想をたくましくしているときのリョウランには、普通の話が通じない。
「いい。自分で謝る。もう一度、隊長にプリントアウトしてもらうから」
ちっちっ。リョウランはミオを軽く否定する。
「それが、我がワドゥール王はパソコン嫌いで、公的文書は手書きしか認めないんだよ。あれ書いたの、ほとんどカクレイ副隊長だし。許してもらえるかなあ」
「ええ、今どき、手書き。書写ぐらい、私も手伝います」
「じゃ、勝手にしな」
星空の下大作戦に失敗したせいか、あの夜からリョウランの態度は刺々しかった。あからさまに不機嫌な顔をしたリョウランは立ち上がると、ぷいっとどこかへ消えた。
張り倒されるかもしれない。もしかしたら、斬られるかもしれない。ミリアは怯えながら、カクレイがいるはずの会議室に小走りで向かった。
こういうことは早く謝ってしまうしかない。切腹も覚悟で、ミリアはドアをノックした。
「副隊長、カクレイ副隊長?」
ミリアは意を決してドアノブを押したが、部屋にはカクレイ以外、誰もいなかった。
しかも、カクレイは寝ていた。長い睫毛の陰を頬に落として、規則正しい寝息を立てている。これを起こすには、気が引けた。どうしよう。しかも、カクレイはきれいな顔だ。ミリアは思わず覗き込んだ。
熟れた桃のような色をした唇が、かすかに動くたびにミリアは胸が高鳴る。触れてみたい、そんな思いに駆られたときだった。
「ああっ。ミリアさんが、カクレイ副隊長の寝込みを襲っています! ほら。隊長っ」
隊長を連れたオルフェが出てきた。ロアンは目を丸くしている。ミリアは伸ばしかけた手を慌てて引っ込めた。
「ミリア。カクレイはやめろと、リョウランにしろと、俺があれほど言ったのに、カクレイを選ぶのか!」
「い、いえ、そうじゃなくて、あの」
「隊長は悲しいぞ。実に悲しい。あれほどリョウランのことをお願いしたのに、カクレイにこだわるのか。やっぱり顔か。ミリア、俺は悲しいぞ」
「違います隊長、あの、その。ごめんなさいっ!」
ミリアは慌てて書類の件を白状した。ロアンの大声のせいで、カクレイも目を覚ました。会議が終わったあと、少しだけうとうとしていたらしい。
「な、なんだと。あの書類を」
弁解する余地もない。ミリアはひたすら謝った。ことの雲行きを察してか、ロアンとオルフェは被害を受けないように、早くも三歩下がった。しばし、がっくりと頭を垂れるカクレイだったが、やがて意を決して前を見据えた。
「手分けしてやるぞ、ミリア。隊務室に残っているやつも動員して、やるぞ。やるしかねえ」
「は、はいっ」
「急げよ。泣いている暇があったら、一文字でも多く書け。起こってしまったことをくよくよしてもはじまらない。いいか、悩む暇があったら書け。書き上がらなかったら、お前どうなるか分かっているよな?」
カクレイの脅迫に、ミリアは肝を冷やした。
「か、書きます! 書きますっ。不眠不休で、書き続けますっ」
「その意気だ。やれ、進めろ」
もとは、自分の失敗だ。ミリアは厳罰も覚悟していたが、さすがにそれはなかった。
「俺は王に謁見して、時間を稼ぐぞー。カクレイ、ここは頼んだ」
ロアンはもっともらしいことを述べて去っていった。隊長、字の出来映えはお手本のごとく上手いが、書くのは遅い。
「原稿は完成しているのに、なんだって書き写す必要が」
カクレイによって狩りだされた幹部のひとり、二番組のガラナがぼやいた。
「王は、機械がお嫌いなんだ。つべこべ言わずに、やれ」
「ちぇっ、人づかいの荒い鬼め」
「ミリアのためだ」
こういうとき、リョウランはどこかで昼寝しているのか、姿を現わさない。手伝わせても、法外な見返りを要求されそうなので、頭数は減るが、できればいないほうが好都合。
一時間も経たないうちに、手が痛くなってきた。指先が重い。思うように動かせない。
「ミリア、手が止まったら豚の餌にしてやる」
叱咤なのか激励なのか、カクレイはことばの鞭を飛ばしてきた。
「は、はいっ」
「返事だけは一人前な。手だ、手を動かせ」
「あの、この形で固まっちゃって」
「なに」
カクレイはミリアの右手を取ると、やさしく開いて汗を拭き、手のひらや指を揉みほぐしはじめた。
「熱い。ずいぶんと汗かいているな」
長時間ペンを握り締めていたから、なのだが、今は違う。憧れの、大好きなカクレイに手のひらを包み込まれているからだ。言うことは、いつも厳しくて荒っぽいのに、たまにこんなふうに甘やかしてくれるから、勘違いしそうになる。
「も、もう、だいじょうぶです……マッサージ、ありがとうございました」
絡め取られた自分の指を、ミリアは引っ張った。つかさずペンを持ち直し、原稿に向かう。
カクレイの、飴と鞭作戦は大成功だった。ちょっとやさしく接すれば、ミリアは簡単に陥落する。マッサージ前よりも、書写のスピードが格段に速い。素直で単純なミリアを、カクレイはさらにからかった。
「いい子だ」
耳元に這うような、甘くて低い声。ミリアはカクレイの息遣いを間近に感じ、飛び上がりそうになってしまった。
「か、カクレイ……」
ほかの隊士の手前、ミリアはどうにかこらえたが半分、泣き声だ。
「続けろ」
カクレイは言い残すと、自分も書写作業に戻った。
ずるい。カクレイはずるい。こんなに人の心を動揺させておいて、自分は知らん顔で仕事に戻っている。わずかな乱れもなく、冷ややかないつもの表情で。結局、片思いなんだ。悔しさをバネに、ミリアはさらにペンを走らせた。
……カクレイの思惑通りとは、とうとう気がつかずに。
「よし、完了。全員、持ち場に戻っていいぞ」
時計が示すは、五時十分前。
ようやく提出書類はすべて、手書きにまとめられた。どやどやと、隊士が会議室をあとにする。ミリアはひとりひとりに感謝を述べた。
「ロアンのところに……王宮に行ってくる」
カクレイも書類を封筒にしまい、部屋を出るようだ。
「私も! カクレイ、最後までお付き合いさせてくださいっ」
王宮の奥にはまだ行ったことがない。隊を雇ってくれたというワドゥール王とも、会ったことがない。できれば一度ぐらい、拝謁してみたい。自分の失敗だし、このまま、カクレイと離れなくない。
「ミオは留守番。俺と、ね」
いつの間にか、リョウランがいた。手に、花束をかかえている。
「リョウちゃん、今までどこにいたの? 私、探したのに」
「どこって、市中巡察だよ巡察。昼寝でもしていると思った? 俺がいない間に、面倒なことを済ませたらしいね」
コスモスの花束をミリアに差し出しつつ、リョウランは言った。花の陰に隠されるように、カクレイは足早に立ち去った。
「ここの王さまはね、女の子が大好きなんだ。俺らの年齢と、そう変わらないけど。御歳十八にして、後宮に妃が八人。子どもがふたり」
「は、はちにん。ふ、ふたり?」
「そうそう。だから、ミオは会わないほうがいい。ね、お花キレイでしょ。花屋の店先に並んでいたから買ってきた。あげる」
可憐なるコスモスの花束。
「……ありがとう」
「ちょっと早いけど、夕飯にしようよ。おつかれでしょ、ミオも」
うん。おなか、空いている。午後はおやつがなかったから。王への謝罪はロアンやカクレイに任せて、自分はひっそりと王宮の隅っこにいさせてもらおう。
「さあさあ酒だ酒、酒。さあて、今夜こそ」
「ちゃんと食べないと、育たないよ」
「これ以上、成長してどうするの。ああ、せっせと頑張れるように、精をつけてほしいってこと? ミオも、言うねえ」
「違うってば! 減らず口ばっかり叩いて。リョウちゃん、もう少し周囲に配慮とか気遣いとか、内面を……」
リョウランはミリアの口を手のひらで塞いだ。
「もう喋らない。おなか、もっと空くよ」
莫迦力のリョウランには勝てない。体内エネルギーも残っていない。ミリアはおとなしく食堂に向かった。
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