スケルトンの奴隷商
骨身の魔物が舞うように跳ぶ。
その度に歓声が上がる。
酔っ払いたちは上機嫌によく出来た人形劇だと笑った。
酔っ払いたちに勝手に酌をして日銭を稼ぐ女たちも気持ち悪いと正面から見ようとはしないものの、それでも視線の端で見続ける。
冬が迫りつつある夜の街。
通りにはいくつものテーブルが並べられ、屋台や店で買ったものを並べて飲み食いしている者たちの顔は一様に明るい。
その通りの中央で、灯りの中を跳ねまわり、動き続ける骨身の魔物、スケルトンはより一層妖しく、恐ろしげで、そしてなによりも生きた人間じみて見えた。
骨身の隙間に見る闇夜は観衆の目を引き寄せ、動きに見る人間らしさは骨身の異様さを際立たせる。
骨身を晒したスケルトンたちのサーカス。
それに湧く平和な人々。
俺はその様を冷めた目で見ていた。
望んだはずの世界は、本当にここなのかと。
東へ。
更に東へ。
そうして辿り着いたカルヴァという国では、かつて意識しなくとも常に肌で感じていた戦争の熱はどこにも無い。
エイディアスという領では隣国との小競り合いくらいはあるらしいが、そのエイディアスですら流れの傭兵に出番はまずないという。
戦うのは人よりも魔物。
まだまだ未開の領土があり、無数の魔物たちが蠢いている。
この国では、そこを人のものとするべく開拓されていく最中だった。
死の冒涜者。
死神の代名詞。
即ち、ビフロンス。
そんな風に呼び習わされたことが遠い。
この東の地で俺のことを知る者は皆無。
まったくの異郷。
あれだけ付け狙われていた暗殺者の影も消え去り、ここでの俺は風変わりな魔法によって作り出された傭兵団、その頭目程度の認識しか持たれていない。
お前は何者でもない。
誰からとでもなく、まるでそう言われているように感じた。
何者でもないなら、俺はいったい何なのか?
青臭いガキのような思いに頭を悩ませるよりも、現実的な悩みがある。
長い旅路の果てに、路銀がほとんど尽き果てていた。
だが士官するにも、スケルトンの存在というのは、やはり忌避の対象だ。
ただの魔物を使役するのとは訳が違う。
ここに至るまでにも街に入ることすら拒否されることもあった。
スケルトンはともかく、俺には食事も、まともに寝られる場所も必要だ。
心安らげる場所が、生きる者には必要なのだ。
そう、この頃の俺はとにかく疲れていた。
気がつけば、明らかに俺よりも年若い人間に接する事が増えている。
かつては誰もが大きく、誰もが大人に見えた。
おっさんなどと思っていた、スケルトンたちが生身だった頃の誰と比べても、歳なんて大差ないだろう。
俺は歳をとっていた。
それで衰えたなんて考えたくもないが、野宿が続けば、1日の移動距離は日に日に短くなっていく。
そうやって人里を離れてしまえば、いつでも狩や釣りが出来て、そこらで食料が手に入るとは限らない。
魔物の巣に知らず入り込んでしまうことだってあるのだ。
かつての西よりも、こちらは魔物の影が濃い。
だからといって、それでいきなり滅んでしまうような柔なスケルトンというのは、長い旅路の果てに自然と淘汰され、今では精鋭ばかりが残っている。
かつての魔法の師であった、あのクソババアのように自らの操る魔法についてより深く調べ、理解してもいる。
総合的に見れば、今の俺は最も力を持っていると自負出来る。
それなのに、かつての俺が感じることのなかった焦燥感というのが確かにあった。
消せない疑惑がある。
俺は死んだらどうなるのだろうか?
恐らく俺はなるのだろう。
あのクソババアが望んだ死の化身に。
そんなのはご免だ。
あのクソババアの思惑通りになんて、なってたまるか。
そう思っても、俺はあのクソババアほどには魔法を究められてはいない。
この身にあるはずの呪いは消せやしない。
ならば生きなくてはならない。
だが、剣と魔法という特技を活かして受けられる仕事というのは皆無。
護衛を引き受けるにも、こちらでの信用がないから紹介も受けられない。
誰が得体の知れない流れの旅人になど守ってもらいたいと思うだろうか?
このままではそれこそ仕事にあぶれた傭兵よろしく、野盗にでも成り下がるしかないのか。
そう思って始めたスケルトンの興行。
しかし、それで得られる展望などあるはずがない。
かつての敵が今の俺を見たらなんと言うだろう?
いや、かつての俺自身がどう言うか。
剣を自ら握ることは、ほとんどなくなった。
生きるためにスケルトンを使役し、俺はそれを冷めた目で見るのだ。
何もかもが遠くなり、やがて消えていく。
そんな気配を確かに感じている。
死とは違う空虚さ。
必死という言葉から遠い、ただ生きているだけという徒労感。
平穏に鈍っていく感覚。
やがて昔ばかりを思い返すようになり、そして思うのだ。
あのババアのところにいたこどもは果たして本当に自分だったのか?と。
遠い記憶は過去と言うには薄れすぎた。
消せない痛みは確かにある。
消えない恐怖も残っている。
渇望した当たり前の生も。
だが、遠いのだ。
あれほどに恐れていた自分ほどには。
あれほどに望んでいた自分ほどには。
かつて望んだのは生きること。
逃げろ。
言われるままに逃げた。
ずっと逃げ続けた。
そしてやがて望んだのはあのババアの知らないどこかで死ぬこと。
もういい。
あのクソババアだってきっとどこかで死んでいる。
だったらもう良いだろう?
自ら死地へと向かい、そして戦い続けた。
矛盾した思いを抱え、無数の死を引き連れながらも死に憧れ、そこに至ることなく生きる内に、変わってしまった自分を感じる。
生きるにも、死ぬにも、問いは残る。
自分は何者なのか?と。
傭兵?
暗殺者?
旅人?
そのいずれにしても、ひとつところに留まれる人間ではない。
もう良いだろう。
俺は心底欲しくなっていたのだ。
心安らげる場所が。
時間が。
今が。
そんな時だった。
彼女に出会ったのは。
俺はこの街で、彼女に出会った。
アンジェラ・クインに。
夜も深まり、やがて街には冷気が下りてくる。
その頃には多くの者が酔いからさめて、ある者はそのまま家路へ、ある者は娼館のある薄暗い路地へと消えていった。
俺も興行を終えて、宿へと向かう。
灯りは消され、通りは暗く、誰の姿もない。
そんな中を歩くスケルトンたちは、まるで悪夢めいていて、うっかり酔いの抜けた者が出くわせば、悲鳴のひとつでも上げるに違いない。
下らない想像に苦笑を漏らせば、1体のスケルトンが振り向くように俺へと頭を向ける。
「なんでもない。気にするな」
別に声をかける必要なんてなかったが、俺は声に出していた。
いつからだろうか?
スケルトンに対して、まるで人に接するように声をかけるようになったのは。
ネクロドライブをより深く知り、自身で組み替え、そうして新たなスケルトンを造り出し、時に新たな魔法式を従来のスケルトンに組み込む。
そうしている内に、多くのスケルトンはより自然な人らしき挙動を見せるようになった。
ただの肉体の記憶どおりに動く、操り人形などではなく。
そこに一個人としての意志を宿しているかのように。
不思議なもので、そうやってスケルトンが人らしく振る舞えば振る舞うほどに、今まで感じることのなかったような、普通の人々の忌避感というのを覚えることが多くなった。
血肉を失い、骨身となりながらも、未だ安らぎを得る事無く、永劫にその魂を俺が捕らえ続けているかのように。
実際にはこの骨身にあるのは偽りの魂。偽りの意志。断じてかつて共に戦った誰の命もそこにはないはずだ。
それが俺には分かる。
いや、俺だけが分かるのだ。
その実感をわざわざ出くわす人間ひとりひとりに説明して回ることになんて、何の意味もない。
不意に小柄なスケルトンが、そして女スケルトンが身構える。
それ呼応するように、他のスケルトンも俺を守るように取り囲み、身構えた。
俺自身は剣を帯びていたが、スケルトンたちは骨身を晒したままの裸身。武器はひとつもない。
暗殺者?
西では良くこうした夜には追われたものだが、こちらに入ってからは見かけなくなった。
警戒するよりも先に思わず俺は笑んでいた。
まるでそれが俺の望みであるかのように。
不意に思ったのだ。
なんだか懐かしいな、と。
だが、実際に狙われているのは俺ではなかったらしい。
複数の足跡が俺の耳にも届いてくる。
どうやら追われる者と、追う者とがいるようだ。
短い叫びにも似た声と、金属音。
それはどんどんと近づいてきて、やがて実際に暗がりから俺の目の届く範囲に現れる。
街中にしては不釣り合いな鎧姿の男たち。
その男たちに囲まれる女は明るい髪色のそれを長く伸ばした良い身なりをしていて、ひと目で護衛対象なのだと分かった。
貴族には見えないから、それなりの規模の商家の出なのか。
追うのは意外なことにたったひとりの男だった。
闇に溶け込むような黒い衣で口元から下の全身を隠し、手には街中で振り回すには扱いずらそうな両手剣。
その手にする剣と同じく輝くような銀髪の下には鋭い目。
……どこかで見たことがあるような?
見た瞬間にそう思ったが、それを思い出している時間はないだろう。
どう見たって、ただの暴漢に襲われる街娘という図式ではない。
「壁際に寄れ!」
護衛のひとりがそう指示を出して、女が従って手近な壁に張り付く。
銀髪の男の剣は不必要に長い。
あれを壁近くで振り回すには、斬撃の踏み込みを甘くするしかないだろう。
そうしなければ壁に阻まれて斬撃が鈍る。
だが、男は頓着せずに、間合いを詰める。
見ている間にもひとりの護衛が鎧ごと断ち切られた。
手にしている得物か、それとも銀髪の腕か、あるいはその両方によってあっさりと事は為される。
あれでは壁ごと女を断ち切る事すら出来そうだ。
助けを求めるように、女の視線は彷徨い、そうしてその先に暗がりの一部に溶け込むように立っている俺を見つけた。
そして侍る骨身の魔物たちを。
目は見開かれ、まるで自身の死を見つめてしまったかのように、呼吸を止めるのが分かった。
俺はそれを見て笑う。
お前は誰だ?
お前は私の死なのか?
そう問われた気がした。
だから口にする。
「違う」
声は通りに存外良く響いた。
護衛の幾人かが銀髪よりも俺の方に身構えようとして、そこにある骨身に怯む。
「カタブツ。ゴキゲン。狙いは銀髪だ。倒せるようなら倒せ。無理する必要はない」
闇の中から躍り出るように、それは俺の側ではなく、銀髪たちがやって来ていた通りの向こうから骨身の魔物が剣を手にして現れる。
いくらスケルトンでも得物もなしでは分が悪い。
だから拾いに行かせていたのだ。
倒れた護衛の手にしていたはずの剣を。
なければそれこそ棒でもなんでも良いから拾って来いと。
どうやらちゃんとした得物を手にしてきたようだ。
俺はそれを待っていたに過ぎない。
「女。報酬はそこの死体だ」
女だけじゃない、女の周りの護衛も、一瞬、俺の言葉の意味を受け取り損ねていた。
だが、すぐにそこにある骨身の魔物の存在を思い出して、うろたえる。
さあ、久しぶりのマトモな仕事だ。
剣と魔法。
それこそが己の本分だったはず。
このスケルトンたちの本分だ。
さっきまでは人を笑わせ、驚かせていた骨身の魔物が本性を取り戻すように剣を手に銀髪へと軽快な足音を響かせる。
意外なことに、銀髪にも動揺があったのが見える。
左右から同時に襲いかかろうとするスケルトンに、男は一瞬、身動きを止めていた。
その口元が声もなく動いているのが見えた。
次の瞬間には2体のスケルトンが同時に斬り掛かる。
寸分狂わぬタイミング。
だったにも関わらず、銀髪は一方を己の刃で受け、もう一方をギリギリで躱す。
黒衣を切り裂き、硬質な音が響く。
黒衣の下にチェインシャツでも着込んでいるのだろう。
その音にハッとなって護衛のひとりが剣を振りかざす。
その時にはもう己の不利を悟ったのか、銀髪は強引にスケルトンを振り払い、元来た道を引き返すように走り去る。
護衛たちはそちらを追う事無く、闇の中から刃が飛んでこないとも限らないのを知ってか、警戒を崩さなかったが、やがて完全に消えたのを確認すると、今度はスケルトンに向かって刃を向けた。
「誰だ!?お前は!?いや、なんなんだ!?お前らは!?」
護衛のひとりのあげた声は震えていた。
あの恐るべき襲撃者が去ったにも関わらず、それよりも未知の脅威が側にあるのが我慢ならないのだろう。
「もういいぞ。剣を捨てろ……いや、お宅らじゃない。ゴキゲン、カタブツ。ご苦労だった」
俺の声に2体のスケルトンは剣を捨てて、ただの棒立ちとなる。
「さっきも言ったろ。俺は助太刀してやっただけだ。そこの死体を報酬にな」
誰もがちらりと地に伏せた仲間のひとりを見る。
血だまりは大きく、もはやそれが助かるはずがないとひと目で分かる。
次いでスケルトンを見る。
つまり、ああ、これになるのだろう、と、誰もが理解をする。
理解したくなくとも、だ。
「落ち着け。噂は聞いていた。街に骨身の魔物のサーカスが来ているとはな。だが、実際は違った訳だ」
「待て、勝手な事をするな」
存外に低い声だった。
今まで壁際で為す術もなく震えていたはずの女の声には震えはなかった。
護衛の静止を意に介さずに俺へと近づいて来る。
「正式に依頼しよう。家まで送り届けて欲しい」
「何度も言わせるな。依頼を受けているのは俺たちだ。勝手な事を」
「黙れ。その依頼を達成できなかったのだ誰だ?あのまま戦っていて、本当にあの暗殺者を倒せたのか?ただ逃げていただけじゃないか。それも戦力を無駄に消耗しながら。何の手も打てずに」
リーダーらしき男に一瞬殺意が浮かぶのが見えた。
だが、それを発露したら、男の護衛という仕事は失われる。
それが分かっているのか、男は一度舌打ちをして冷静さを取り戻す。
「そんなどこの馬の骨とも分からない奴と一緒に護衛なんて出来るか。報酬はこれまで受け取った分で良い。俺はここでやめさせてもらう」
「勝手にするが良い。どうやらお前さんよりも、こっちの骨身の方がよほど腕が立つらしいからな」
女の言葉は俺にも真実であると思えた。
それが男にも分かっているのか、そのことには反論せずに、吐き捨てるように呟き立ち去って行く。
「せいぜいアンタもバケモノにされないように気を付けるんだな」
男が立ち去って行くと、他の者たちもしばらくは迷うように女と男と、その双方を見ていたが、やがてスケルトンを見ると、男と同じように口々に適当な言い訳をしながらも立ち去って行った。
どうやらまとまった護衛団というよりも、ただの寄せ集めだったのかもしれない。
そう考えれば、連携もそれなりだったように思えた。
「それで?返事は?」
「受けよう。サーカスはもう飽き飽きだと思っていたところだ」
「それは丁度良かった。私も粗暴なばかりで実力の伴っていない馬鹿たちにうんざりしていたところだ」
女が手を差し出し、俺はそれを握り返す。
女は俺の手をじっと見た後に、俺の目を力強く、睨むようにして見る。
「私はアンジェラ・クイン。アンジェラで良い」
「俺は……ビフロンスだ」
「そうか。よろしく頼む。ビフロンス」
「ああ。アンジェラ」
俺はスケルトンに死体と、その武器を拾わせ、そして女の案内するままに夜道を進んだ。
あの銀髪の再度の襲撃はなかった。
そうして辿り着いたのは小さな商館で、クインはその商館の主人だった。
意外なことに、その商館で商っているものは、生きた人間であり、つまり女は奴隷商人だった。
こうして俺はクイン商会の護衛となった。
奴隷商と聞いて思い出すのは、はるかな昔に目にした人をお金に変えるのが趣味という、人でなしのことだったが、アンジェラは普通に、真っ当に商人としての仕事をしていた。
自ら高利貸を行って、その負債を盾に奴隷を集めたりしない。
罪人の保釈金を肩代わりしてやり、奴隷契約を結んで数年に渡って誰かの財産となる斡旋を行ったり、あるいはエイディアスで生じた隣国との小競り合いでの捕虜を買い取ったり、別に誰かを自ら陥れて奴隷を手に入れることはなく、事務的に奴隷という財産とその権利の売買を行っていた。
仕入れ、価値を定め、それを販売する。
まさしく商人そのものだ。
その仕事ぶりからは、特に酷く誰かに恨まれるような性質はなさそうに見えたが、アンジェラに聞けば、そういうものでもないらしい。
「先代の頃には数ある奴隷商会のひとつ、それくらいだったのだが、私の代になってから、規模が大きくなってな」
どれくらいか?と聞けば、ここ2、3年で倍というのだから、そのことに警戒する者が現れるのは不自然なことではないだろう。
「うまくやり過ぎたという訳だ」
「まあな。私にしてみれば、ちょっとタイミングが良かったことが続いた程度なのだが、所詮商売とはそんなものだろう?誰かが持っていない時に持っていた。それだけだ。だが、一度巡り会えば、次に備えて蓄えることが出来る」
「そして次があったと」
その次もあれば、更に備えが出来る。
そうして動かせる額が増えれば、それだけ大きな需要にも応えられる。
開拓中の村で魔物が出て、被害が出た。
そこに護衛の戦争奴隷をあてられた。
また別の村で被害が出る。
魔物に襲われたからといって、開拓は止められないが、他の村や街からの支援というのはそう簡単には出来ない。
噂を聞いて、アンジェラの元に依頼が入る。
それがちょっとしたひとつの輪になっていただけだ。
だが、奴隷という商品は、畑から取れる訳でも、職人が造り出す訳でもない。
供給は限られている。
それを余裕がある商会が通常よりも少し高めに手に入れて行くだけで、市場で手に入れられない商会というのも出てくる。
それを恨みに思う事もあるだろう。
良くある話だ。
「最初はちょっとした嫌がらせ程度だった。だが、相手にとっては嫌がらせ程度だとしても、それに対処するこちらとしては費用は嵩むし、何より手間が増える。それに辟易して人を雇うようにすると、今度は直接的な恫喝が始まった」
届くはずの荷や書状が届かない。
おそらく業者に金を渡して捨てさせたりしていたのだろう。
それを再送させたり、再手配したり、そんなことをするくらいならばと、自前で運ばせるようにしたら、今度は雇った者が恫喝される。
こんなことは一例で、他にも脅迫状に始まり、根も葉もない噂から、商館への汚物の投棄など、枚挙には暇がないらしい。
「身の危険を感じたので、護衛を雇えば今度は暗殺者ときたものだ。私はどうすれば良いのだろうな?自衛のため、そう思って動けば動くほどに相手を刺激しているようだ」
ひとりの護衛がふたりになり、ふたりの護衛が今度は4人。
すると恫喝者から、傭兵崩れ、そして暗殺者。
これもまたひとつの輪となっていた。
巡り巡って、収拾がつかなくなっている。
「難儀なことだが、そのおかげで俺はマトモな職が得られた」
俺の言葉にアンジェラは笑って言った。
「正直、護衛を多く雇うよりはビフロンスひとりを雇う方が安上がりだったので、こちらとしても助かったというのが実状だ。それにしても、西には色んな者がいるのだな。骨身を動かして戦うだけでなく、人に従って自由に動くというのだから……」
そこまで言うと、アンジェラは急に黙り、視線を下げた。
何か考え事が始まったらしい。
こういうことは良くあったので、俺は特に声も掛けずに待つ。
どれほどの時を待っただろうか。
唐突に、アンジェラは言った。
「なあ、ビフロンス、君は私と結婚するつもりはないかね?」
「は?」
色気も何も無いその提案の仕方は、アンジェラにしてみれば、まさしく仕事の一環であり、きっと単なる契約のひとつ程度の認識に過ぎなかったのだろうと俺は思っていた。
「この国では今まさに領土内の開拓が盛んに行われている。だが、未開のそこは魔物の領土だ。被害は頻繁に出るが、それでも今やらなければならない」
周辺国も同じような状況で、だからこそこちらでは戦争の影は薄い。
だが、どこかの国が領土内を治めきり、魔物の被害を抑える事ができたなら、始まるのは他国への侵犯だ。
そうなってしまう前に、減らせる被害を減らし、魔物の領土をゼロには出来なくとも、可能な限り減らす必要がある。
可能であればいくつかのダンジョンは別として、適度な見回りと討伐で魔物の数が抑制できる状況というのが望ましい。
「しかし、人の数は有限であり、誰もが好き好んで開拓を行いたいとは考えていない。多くは仕事にあぶれ、家族につまはじきにされてそれで仕方無く向かうというのが実状だ」
この街の中の雰囲気は明るく、活気がある。
だが、だからといって国内の民衆すべてがそうとは限らない。
この街で明るく騒いでいるのはつまるところ、持てる者だ。
その持てる者と持てない者とを適切に選別することで、この国はある意味きれいに発展しているといえた。
持てない者が耕し、持てる者が収穫する。
非情なようだが、そもそも貴族という存在も、奴隷という存在も、そのいずれもが許容されている時点で、仕組みとして出来上がってしまっている。
他所から渡ってきた俺がどうこう言える事ではない。
「私はそうした実状に対して、多くの戦闘奴隷を集める事で、事業を大きくしてきたが、正直、もう頭打ちだと思っている。あんな嫌がらせがなくともな」
奴隷自体が有限なのに、人や魔物と戦えるという条件を加えれば、さらに有限となる。そしてそれは独占できる類いのものではない。
そうなれば、結局は落ち着くべきところに落ち着くだけ、なのだが、今の勢力図で落ち着かれては困る勢力というのがあるのだろう。
「そこで君の存在が重要となる。君のそのスケルトンという存在もな」
食料どころか水も休息もいらない骨身の魔物。
他の魔物に襲われても恐れる事なく立ち向かい、術者の命じるままに動き続ける人ならざる、だが人に極めて近い存在。
「私はね、ビフロンス。そのスケルトンを奴隷として売り出したい」
「そうすれば辺境の開拓は劇的に進むだろう、か。……いや、話は分かったが、それとアンジェラとの結婚がどう繋がる?」
「なに、単に手続きの問題だよ。君が私と同じ所帯となれば、すべては共有財産となる。その時に君が持っている財産とすれば、スケルトンという存在を商うのに法的な面倒がいくつも省略できるというだけだ」
「本当に色気もなにもないな」
「なに、私だって女だ。夜の伽の相手くらいはしてやろう」
などと、にやりと笑って言うのだが、やはりそこには色気はない。
惚れたもなければ好いたもない。
まさしく業務上の都合により、だ。
だが、確かに利のある話ではあった。
「まあ、今すぐそうしてくれという話じゃない。そうしなければ契約を切るという話でもな。だが、考えておいてくれ」
後になって俺は思うのだ。
変な女だとは思ったが、嫌いな女ではなかった。
この時に、すぐにアンジェラと結婚していたら、きっとまた違った未来もあったのだろう、と。
結局、俺とアンジェラが結婚することはなかった。
ただの護衛、という訳ではなく、俺はいつの間にかアンジェラの仕事を手伝うようになっていた。
いつの間にか共同経営者に近い形になり、この国の法の仕組みというのも分かるようになっていた。
かつて興行として人目に晒していたのも功を奏したのか、この頃にはスケルトンという存在もいくらか知れ渡るようになり、俺が商会にいることを知って売って欲しいと言う者も現れ始めている。
まさしく商機というものの気配が感じ取れ始めていた。
「そこでだ、ダンジョンに向かおうと思う」
「ダンジョンに?」
「ああ。あそこには腕の立つ冒険者の死体が手に入りやすいからな」
いつかの銀髪の男は姿を見せない。
それどころかスケルトンの噂が広まったからか、商会への嫌がらせ自体が最近では落ち着きつつあった。
だからといって、護衛の数を減らしては、付け入る隙を与えるだけ。
今ではアンジェラ自身と商会の人間のいくらかにも護衛としてスケルトンを渡しているのだが、ほとんどを残して俺は最低限の信頼出来るスケルトンソルジャーを、昔なじみの4体だけを連れてレムリアのダンジョンに行くことにした。
どうせダンジョンの中に入ってしまえば、動かせるのは少数だけ。
街で手に入れた噂では、特に大物の魔物の情報も入ってはいない。
「大丈夫なのか?」
「問題ない。そろそろ準備が終わるんだろう?なら、在庫は多いに越したことはない」
「そうだな」
アンジェラは辺境の貴族を中心に声を掛け、そしていよいよスケルトンを奴隷として売るために必要な法整備を貴族院に掛け合える段階まで進めていた。
俺がダンジョンから戻った時にはすべてがすっきりと整っているはず。
「そろそろ返事をしてもらいたいものだな」
その言葉と、悪戯気のある表情に、すぐに何に対するものなのかは察する。
出会ってから決して短い付き合いとは言えなくなりつつある期間が流れていた。
だが、女というよりも商人然としたこの女を妻にとは、なかなかに想像し難い。
「悪いが俺には俺の目標というものが出来た。お前と一緒に組んで、商売の面白みというのも覚えたしな」
「なら、自分の商会でも持つか?」
「……実は、それも悪くないと思っている」
「……そうか、なら私は振られた訳だな」
自分でも俺と本当に結婚するとは思っていなかったのだろう。
言葉とは裏腹に、大した事無さそうな溜め息ひとつが漏れただけだった。
「それにだ、何よりもアンジェラの財産目当てだなんて俺は思われたくない」
「それは逆じゃないのか?私がスケルトン欲しさに身体を明け渡した売女なんて影で言われるだけだろう」
アンジェラの言葉に俺は笑った。
どっちにしても、周りからは色々言われるに違いない。
それよりは俺は自分で自分の場所を作りたかった。
この国にも歪さはあるかもしれない。
だが、あらゆる争いが火を吹いていた西よりは全然まともだ。
何よりもかつて感じることの少なかった落ち着きというのがこの国にはあった。
生の実感も、死の間際だけに表れるものではないと思えるようになっていた。
「まあ、戻ってからもう一度話をしよう」
「分かった。本当に気をつけて」
「ああ。それじゃあな」
街を出て、一路ダンジョンを目指して進む。
途中までは街道を使い、途中からは獣道を進んだ。
魔物にも幾度か襲われたが、情報通り大した個体にも群れにも出会わない。
スケルトンを率いてのこうした行軍は久しぶりだったが、不思議と充足感があった。
ダンジョンに入ってからも、問題なく魔物の排除を進めながらも奥へと進み、それなりの収穫も得られた。
死体を得るのは何のため?
かつてはほとんど目的なんてものはなかった。
生きるため、ただそれだけだ。
それが今は違う。
アンジェラのためでもあり、そしてこの国が栄え、そこに暮らす人々の支えともなる。
多くの者が西では大義のためだ、民衆のためだとなんだと言いながらも殺し合っていた。
俺にはその意味も理由も分からなかった。
だが、今ではそんな空疎に感じていた言葉にも、いくらかの真実があったのではないかと思えている。
自分のためだけに生きていても、結局それはいつか死ねば消える。
誰もが死んで行く。
あの子供の頃に見た廃都のようでなくとも、どこかでいずれそれを迎えるのだ。
ひとりであれば、本当に何も残らずに消えて行ってしまう。
だが、自分を覚えていてくれる者がいれば、そこに何かが残るのではないかという希望がある。
弓を構えたスケルトンが矢を放つ。
俺は彼女の本当の望みを知っていた。
彼女の暮らしは当たり前で良かったのだ。
彼女が最期に何を言いたかったのかは分からないが、それでも最期に彼女は笑った気がした。
ナイフを手にしたスケルトンが走る。
俺は彼の言葉を覚えている。
そういえば言っていたではないか。
一緒に商売をやろうと。
盾と片手剣を持ったスケルトンが俺を守る。
俺は彼の最期は知らない。
だが、彼に俺は守られた。
俺が今も生きているのは彼の実直さ故だ。
斧を手にしたスケルトンが道を開く。
彼には多くの事を教えられた。
戦いだけが生きる事ではないと確かに教えられた。
俺が死ねば、それはすべて消えて行く。
消えてしまう。
ここにいるスケルトンは彼女、彼らではない。
その死体を元にした、ただの魔物。
だが、俺の記憶にある彼女、彼らは実際に生きた人間だ。
それを俺は消したくない。
それに俺自身もまた消えて無くなりたくはない。
最早、あのクソババアの思惑もどうでも良い。
俺は生きたいと思えていた。
この国で、この街で、死体以外の何かを掴みたいと思っていた。
幾重にも分かれていた分岐を辿るように戻り、地上を目指す。
深い穴蔵の中から、広い世界、明るい世界の元へと。
西での傷はもう癒えたはず。
俺はここで再生する。
新たな何者かになるのだ。
その思いを阻むように、ダンジョンの出口付近の空洞でその男は待っていた。
「久しぶりだな、ビフロンス」
現れたのは銀髪の男。
アンジェラを襲った暗殺者。
身に纏うのは真っ黒な鎧。
悠然と両手剣を構えたその姿にはやはり見覚えがあった。
「そうか、アンタか。アンタも随分東まで流れてきたんだな」
「それもこれもお前のせいさ。だから俺はお前を見つけた以上は殺さなくてはならない。過去を清算するために」
「アンジェラが的だったんじゃないのか?」
「それはお前を殺してからだ。お前を殺す事はどんな依頼よりも優先する、俺自身の願いだからな」
この男は待っていたのだ。
この瞬間を。
俺が使い慣れたスケルトンの数を減らす瞬間を。
街から連れてきた4体を除いては、このダンジョンで造り出したスケルトンはどれも実力は未知数。
武器を持っていないものも多い。
はっきり言えば足手まといとすら言える。
それでもやるしかないだろう。
「そうか。悪いが俺には俺の願いがある」
剣を手にする。
ああ、と重みに溜め息が漏れそうになるほどの実感があった。
どうして俺はこれを握るのをやめていたのか。
構える。
久しぶりだったはずなのに、まるで誰かに支えられているようなそんな安心感すらあった。
実際に支えられているのだ。
俺の記憶にある者たちに。
そして今も繋がっている人たちに。
「ドジっ子、ゴキゲン、カタブツ、ガサツ、俺を守ってくれ」
この男が握る剣はおそらく魔剣の類い。
そして実力もまた本物の剣士だ。
勝てないかもしれない。
それでも俺はもう死にたいとは思わない。
ただ生きたいとも思わない。
遠い過去から、遠い未来へと、道が繋がっていた。
出口はもうすぐそこだ。
こんなところで立ち止まっている訳にはいかない。
俺はスケルトンに守られながらも、過去から現れた亡霊のような暗殺者と戦い、そして勝ち、ダンジョンを出た。
外の世界へと出た。
しばらくはアンジェラの仕事を手伝いながらも、辺境にスケルトンを売る日々が続いた。
奴隷商内での勢力図は安定し、いくつかの奴隷商が廃業したことを機に、あれだけ続いていた嫌がらせもやがては完全になくなり、むしろ提携や協力の申し出が増え、やがて俺はアンジェラの助けを得て、独立する。
アンジェラとなるべく商いの邪魔をしないように、俺はエイディアスへと居を移し、そこで安定した暮らしを得ていた。
やがてアンジェラとは必要最低限の文でのやり取りばかりになり、商会としての付き合いはあれど、個人としての付き合いは薄くなりつつあった。
新たに雇った元冒険者のスミスが仕事を覚えてから、ようやく余裕が出てきたので、久しぶりにアンジェラの元を訪ねたのは出会ってから5年以上の月日が経った頃だ。
俺を出迎えたのは、気丈な女主人ではなく、まるで老婆のようにやせ衰えたベッドの上で伏す病人だった。
「なぜ言わなかった?」
「ついにバレたか。まあ、そろそろ会って話したいと思っていたから丁度良かったのかもな」
助かる見込みがないのだろうというのは直接口にされなくとも、その張りのない声で何となく分かった。
「少し身の上話をしようか。実はね、私は奴隷の子供だったのさ」
クイン商会の先代は、妻に早くに先立たれ、子供はなかった。
だが跡取りは必要だと考えていた時に、先代はひとりの奴隷を仕入れていた。
身籠っていた彼女は通常ならば、そのまま堕胎させられて、奴隷として売られるだけなのだが、先代は何を考えたのかその奴隷に子供を産ませたのだ。
「それが私さ。母親は結局私を生んだ後に死んだらしい。そして私は先代の子として育てられた。何も知らずにね」
そう、ずっと何も知らなかった。
知らずに商会を継ぎ、そして知ったのは先代が死ぬ間際だった。
「どうせなら何も言わずに逝けば良かったものをね。それで私は何かが壊れてしまった」
それまでは人並みに恋愛したりもしたが、真実を知ってからは一生子供なんて作らない、結婚もしないと誓った。
奴隷が奴隷を仕入れて売り、その子供がまた奴隷を仕入れて売り渡す。
それがどうしても歪なものに思えて仕方がなかった。
だからといって先代から継いだ商会を潰すにも、別の商いに変えることも出来ずに、さらに不思議なことに真っ当に、酷い事をせず、後ろ暗い事をしないように商いをすればするほど商会は大きくなっていく。
「ビフロンス、君に会う直前の私はね、何もかもが理不尽に見えたし、怒ってばかりだった。何よりも自分自身のやっていることが馬鹿らしくて仕方無かった。でも、あの時、君に会えて良かった。私はスケルトンを見て、君に会って、また変わった」
実はアンジェラは見ていたのだ。
あの時、暗殺者に襲われて出会う前に、スケルトンたちが行うサーカスを。
だからあの時すぐに受け入れられたのだ。
スケルトンという骨身の魔物を。
「君と一緒にする仕事には確かにやりがいが感じられた。君がどう思ったのかは知らないが、私はね、君となら本当に結婚しても良いと思えたのだ」
スケルトンの奴隷なんてものが流通しだせば、やがて普通の奴隷商なんてものは先細りしていくだろう。
遠くの国では奴隷制が廃止されたなんて話も聞かないではない。
そうなれば、私の子供はきっと私がかつて考えたような道とは違う道を進むだろう。
「私は確かにそう思った。まあ、結局は振られてしまったがね。私ももう長くはない。そこでだ、ビフロンス、いや、今はカドモスと名乗っているんだったな。君に頼みがある」
俺は彼女の最期の頼みを聞いた。
彼女はそれから3ヶ月と経たずにこの世を去った。
彼女はひとつの孤児院を作っていた。
遠からず、自分が死んだ時に、遺産というのは少なからず国にも持っていかれるものだ。
それを見越して、財産のうちのかなりを割いて作っていた。
俺はそこへと足を踏み入れる。
中には多くの少年、少女が明るい顔をして遊んでいた。
やがて、俺はひとりの少女を見つける。
彼女に似た明るい髪が揺れる。
「ああ、ちょっと良いか。実は君に話があって来た」
不思議そうな顔をして俺を見るその顔には、孤児として暮らしているとは思えない陽の光にも似た温かさがある。
「エイディアスという街にビフロンスという店があるんだ。そこで」
どんなに遠くとも確かに過去があった。
どんなに遠くとも確かに未来はあるだろう。
繋がっていくのだ。
今日出会った誰かと。
明日出会う誰かと。
遠い未来、遠い過去へと。




