海を見よう。旅に出よう。それから。
作戦は概ねうまくいっていたのだが、最後の最後でしくじった。
おかげで右も左も敵だらけだ。
幸いだったのは、引き連れているスケルトンのほとんどすべてが敵軍と同じ鎧姿、つまり敵軍の死体で造ったアンデッドだったために、同士討ちを恐れて無理矢理に押し込んでくることがないことか。
敵軍の斥候を皆殺しにして、その死体をすべてアンデッドに変え、後はなりすまして接近し、事を成す。お仕着せの作戦はこうなってみればやはり無理だったかという嘆息まみれの感想しか出てこない。
「諦めて投降しろ!!」
指揮官らしき男のひとりが叫ぶと同時に矢を受けて倒れた。矢を放ったのはもう長い付き合いの女スケルトンだ。
馬鹿か。
もう死んだであろう指揮官の言葉は、諦めて死ねと言っているに等しい。
投降したところでただの暗殺者に使い道なんて無いに決まっている。
身代金の取りようもなく、せいぜいが拷問でも掛けられて、どうでも良い情報を引き出すくらいか。
勿論、そんな扱いを受けるつもりは無い。
敵軍の喉元、将軍、バレット・シンカーまで後少し、そんな距離まで迫られたことで自尊心が激しく傷つけられたのだろう。敵軍は絶対に俺を逃すつもりはないらしい。
幾重にも取り囲まれながらもアンデッド達は陣を組んでただ耐えるだけでなく、容赦なく反撃を加えている。
文字通りの死兵。
逃げることなど考えるはずがなく、ただ命令のままに戦い続けている。
むしろ取り囲んだものの、まったく怯まず、恐れずに戦い続けているこちらの兵に敵軍の方がやや怯み始めていた。
いくらだって待てる。
機は必ず来る。
そう信じて、戦い続けるしかない状況が続いた。
アンデッドが1体、また1体と減っていっても、焦れずに、俺はただ待った。
疲れること無く戦い続ける死兵。
圧倒的に有利なはずの、取り囲んでいる敵軍に徐々に動揺が広がっていく。
声が聞こえていた。
砦落とし。
死の先触れ。
冒涜者。
アンデッド。
そうした声がさざ波のように戦場を揺らしていく。
殺しても死なないんじゃないのか?
そんな不安が敵軍に病のように広がっていく。
これならば、日暮れ辺りに仕掛ければ、抜けられるかもしれない。
そんな勝算を立て始めた時だった。
ぴたりと声が止んだ。
やがて戦列が割れて、ひとりの男が近づいてくるのが見える。
大振りの戦斧を肩に乗せて歩いてくる男の背はそれほど高くない。
凝り固まった肉体をほぐすように、首を左に、右にと振る姿には余裕が表れ、刈り込んだ短髪に獰猛な笑みが浮かんでいる。
バレット・シンカー。
この軍を率いる将軍が、まるで動揺を沈めるように歩いてくる。
もしも矢が残っていたら、ただちに射殺したいところだったが、生憎ともう持ち合わせは無い。
「若造、一騎打ちだ。運が良ければお前の目的が果たせる。悪くないだろう?」
俺の存在なんて、前哨戦ですらない、ただの邪魔な石ころ程度。
その石ころ相手にこうも動揺が広がっては、1週間と待たずに繰り広げられる軍同士の戦に影響が出かけない。
それを嫌って潰しに来たか。
想定外のことだったが、これは確かに好機だった。
「俺が勝っちまったら、なりふり構わずに殺すんじゃないのか?」
「もう勝った気でいるんだな。舐めるなよ、若造」
将軍が斧を構えた。
どっしりとした受けの構えだった。
先手は譲ってやる、そう言わんばかりの。
「お前こそ舐めるな!!」
アンデッドをけしかければ良い。
一瞬、そう考えないでもなかったが、俺は僅かに湧き上がった怒気のままに、自らの刃でもって打ち懸っていた。
攻撃は受けられ、撥ね除けられる。
膂力が違う。
まともな力比べでは勝ち目は無い。
一合でそれが分かる。
崩れた体勢に追い打ちをかけるように嫌に大きく見える刃が迫る。
重いはずのそれが枝をナイフで払うようなそんな容易い動作でもって迫る。
強い。
なんとか躱しながらも、将軍の目を見た。
どこか笑みをたたえたようなそんな目を。
何を迷う事がある?
アンデッドを使え。
そこにある死を掴め。
掴め。
そして握りつぶせば良い。
声は老婆のもの。
そんな声には従う気にはなれない。
渾身の力を込めて刃を振るう。
将軍は撥ね除ける事無く、それを受けた。
まるで巨木か巨岩。
将軍には二種類の男がいる。
ひとつは戦略、戦術でもってして、大軍を己の手足のように操る男。
もうひとつは自らが手足の先となって、大軍という体すべてを引っ張る男だ。
こいつは考えるまでもなく後者。
それも英雄の部類に入る豪傑だ。
こういう奴の方が、孤軍なんて大げさな称号は似合うに違いない。
勝てないかもしれない。
そんな思いが俺の口元に笑みを浮かべさせる。
それも悪くはない。
結局は、俺にはそう望みなんて多くはない。
あのクソババアの目の届かないところで死ねるならば、そんなに悪くはない。
そんな俺の笑みをどう受け取ったのか、将軍は目に笑みをたたえたままに、まるで刃で口元を隠すようにして密やかに言葉を発した。
「生き延びたいなら、聞け」
「何?」
「逃がしてやる。そう言っている」
将軍は何合かの打ち合いに分けて、俺に指示を出した。
まるで刃を打ち合っている俺が、自らの腹心であるかのように。
幾度目かの打ち合いの後、俺は大きくバランスを崩して膝を付く。
「終わりか?若造?吠えた割には大したことないな。これが噂の孤軍の力か?アンデッド無しじゃあ並の兵士だな」
「言っていろ。俺はまだ死んではいないぞ。俺を殺してみろ。死体になっても、俺は戦い続けるぞ。それからお前を殺して俺の兵にしてやる」
俺の言葉に幾人かの兵士の顔に怯えが走った。
一騎打ちにすべての兵士が、俺のアンデッドたちも動きを止めている。
生者には有り得ないほど静謐にみじろぎひとつせず、さっきまであれほど激しく戦っていた鎧姿が佇んでいる。
それがかえって兵士たちに恐怖を刻んでいた。
やはり死んでいるのだと。
そんなアンデッドのように、俺もまた苛烈に戦うのだと、怯えが生まれる。
「なら確かめてやろう。死んでみろ、ビフロンス」
将軍がゆったりと斧を持ち上げる。
本来の将軍には有り得ないほどにゆったりと。
周囲の兵士はそれを余裕と見たか、不審は無い。
俺はその瞬間に立ち上がる。
一歩だけ間合いを詰めて、剣を差し出す。
刃は届いた。
だがそれは鎧に弾かれて滑る。
「無駄なあがきだ」
「そうかな?」
断頭台の刃めいた煌めきが降る。
響いた硬質な音は俺の頭を割る事はなかった。
その時には俺はもう抱きつくようにして将軍へと飛びかかっている。
そのまま押し倒し、備えで持っているナイフを抜き出し、振り下ろした。
まるで暗闇のような重い沈黙が落ちる。
俺の叫びは良く響いた。
「応えよ!我の呼びかけに!そは我の操りし死体人形なり!!」
本来の呼びかけとはまるで違うそれに倒れた将軍の肉体が起き上がる。
顔には何の表情も浮かんでいない。
その様子に、ざわめきが起こる。
それはいくつもの短い悲鳴の連鎖。
そんな馬鹿な。
将軍が。
嘘だろう?
見えている者に動揺が広がり、見えていない者にまでわずかな間に伝播していく。
それが完全に伝播して、何らかの動きになる前に動き出さなくてはならない。
「そんな、父上……なんの冗談ですか……?これは?」
ひとりの兵士が立ち上がった将軍へと近づこうとして、そして将軍によって吹き飛ばされた。
振るわれた斧の一撃によって。
もう以前のバレット・シンカーではないと示すように。
決定的な衝撃。
俺はその一瞬を逃さずに動き出した。
「行くぞ!道を開け!」
俺の声に将軍は走り出す。
斧を振り、つい先程までは友軍だった兵士達をかき分けるようにして。
将軍に刃を向ける事が躊躇われたのか、攻撃し返したりせずに、むしろ恐れるようにして道を譲られる。
取り囲み、実際に将軍が倒れる様を見ていた兵士たちを突破すれば、後は簡単だった。
何が起こったか目にしていない兵士たちは走ってくる将軍をどうこうしようとはせず、こうして俺は包囲を抜けた。
「はっはっは!!見たか!あのマヌケ面!!父上……冗談でしょう?って、お前の顔が冗談だろっての」
完全に安全なところまで抜け、林の中で野営に入るまではお互いに余計なことは言わずに動いていたが、さすがに食事のところまでいけば気が抜けたのだろう。
まるで俺の死兵となっていたようだった将軍が、どう考えても死んでいない陽気さ豪快さでもって笑い飛ばしていた。
「……あれ、お前の息子だったんだろう?良いのか?」
「あん?なにがだ?」
「いや、だからあの様子じゃ、別れも何も告げてなかったんじゃないのか?」
「そりゃあそうさ。お前さんが足掻き続けているのを見ていて急に思いついたんだからな」
「思いつきって……」
「それでお前さんは助かったんだ。何の文句もあるまい」
道すがらにナイフ使いのスケルトンが投げナイフで捕まえたウサギを焼きながら、将軍は些末な、いやそれですらない問題のように、何事もなかったように告げる。
「あれはもう自分の所帯も持って立派にやっている。俺がいなくなったところで何の不自由もないさ」
将軍の告げた作戦は、負けたふりしてやるから代わりにアンデッドにしたふりをしろというものだった。
それで自分は死んだことに、俺は無事に逃げ出せるという寸法だ。それは成った。
「それで?あんな芝居をしてまであんたは何がしたいんだ?」
将軍へと刃を振り上げた時、一瞬だけ迷いがあった。
本当に殺してアンデッドにした方がより確実じゃないか?と。
だが、この男は笑っていた。
そうしたいならばそうしろと告げるように。
この男は俺を騙しはしなかった。
騙すつもりならば、俺の頭は割れ砕け、今頃埋められていたことだろう。
あの場で告げられた男の望みは単純で、死んだ事にして国を出たい、ただそれだけだった。
「なあ、お前さんは海を見たことがあるか?」
「そりゃあ海くらいあるが」
「そうか。俺はない。俺はずっとあの国で生まれ育って、ずっとそのままあの国にいたからな」
戦乱の世だ。
どこもかしこも戦争に明け暮れている。
そんな世では、内陸の国々の者には将軍のように海を見たこと無い人間なんてザラだろう。
「ある時、孫に聞かれたんだ。海って何?ってな。俺は答えられなかった。愕然としたよ。海って何だろう?ってな。その時から俺は思っていたんだ。死ぬ前に一度くらい海を見たいってな」
だが、一国の将軍にまで昇り詰めてしまえば、そんな機会はないに等しい。
そもそもとして国の外へと出る機会というのが戦以外では有り得ないし、仮に国の外へと出れたとしても、常に暗殺の危険性がつきまとう。
なにしろ国の中にいても、戦場にいても、こうして俺のような者に付け狙われているくらいだったのだから。
「そんな理由であんな馬鹿げた事をしたのか」
「何度も言わすなよ。その馬鹿げた事で助かったのはお前の命だ」
笑っていた目が不意に真剣になって告げた。
俺は反論する事はできなかった。
将軍は再び笑う。
「お前さんはどうするんだ?」
「一応、あんたを殺したことにはなっているんだ。半金を受け取りに戻るさ」
「……そうか。それはやめておいた方が良いと思うがな」
「何故だ?」
「あれを考えたのは誰だ?お前さんじゃないんじゃないのか?」
「何故そう思う?」
「どう考えたって無謀な作戦だっただろう。だがお前さんはあんな死地にいながらも冷静に戦い続けていた。ああいうのを理知的って言うんだ。そんなお前さんにしては作戦そのものが合っていないなって思えた。俺にもそういう作戦に放り込まれた事があるから分かる。そういう作戦に放り込むような人間はな、必ず願っているんだよ。遂行者そのものが死ねば尚良いってな」
将軍の言葉に、いくつかの連想があった。
確かにそういうことはあるかもしれない。
そんな納得も。
「半金ってことは前金を受け取ってるんだろう?それで満足しな」
溜め息を吐いた。
受けた依頼の報酬がすべて貰えなかったことが無かった訳ではない。
今回もそういう事だったというだけだ。
そう思えば諦めもついた。
将軍が豪快に塩を振りかけたせいでやたらにしょっぱくなったウサギをかじる。
しょっぱいと文句を言うと、将軍は殊更に大きく笑った。
「死んだ妻にも良く言われたよ。俺はガサツなんだってな。そうだ、バレット・シンカーはもう死んだんだ。俺の事はガサツと呼びな」
「まるで付き合いが長くなるみたいに言うな?どうせここで別れるんだ。あんたの名前を呼ぶ必要なんてないだろう?」
「いいや、長くなるさ。さっきも言ったが俺は国の外へと出た事がない。地図でくらいは見ているが、歩いた事はない。ガイドがいる。だからお前さんがガイドだ」
そう言って金貨を差し出した。
戦場で戦意高揚のために兵士に出す褒章金を持ち出してきていたらしい。
断っても良かったのだが、
「お前さんは俺には借りがあるよな?しかも報酬まで払うって言ってるのに、断ったりはするまい?」
と、言われては従うより他はなかった。
旅の間中、ガサツは良く喋った。
そう、これは旅だ。
どこかの戦場に向かう訳でもなく、ただ海を見るために道を行く。
誰かを殺すためじゃない。
誰かと戦うためじゃない。
ただ自分のために歩く。
正確にはガサツの案内のためだったが、考えてみれば、こういうのは初めての経験だった。
長い旅の中でガサツは世間話だけでなく、良く問題を俺に出した。
兵力はこれくらい、状況はこう、地形はこんなで、さあ、どう戦う?という問題だ。
ただの暇つぶしのようでいて、後から思い返せばそれは親が子に何かを託すような、そんな熱があったようにも思えた。
戦術。
戦略。
さらにはガサツ自身の経験してきた苛烈な戦場談。
時にガサツが一方的に、まるで酔ったかのように話し続けるそれを、いつからか俺は旅の楽しみとしていたのかもしれない。
手持ちのスケルトンを分け、時に打ち合う事もした。
自分が自分の身体で戦う事と、用兵術とではまるで違う。
ガサツは俺よりもうまくスケルトンを操ってみせた。
つくづくこの男が自分よりも一層英雄たりえる人間なのだと思い知らされた。
「なあ、あんたは海を見たらそれからどうするんだ?」
「あん?そうだな、漁師になるってのはどうだ?」
「あんたが?冗談だろう?それ?ガサツなあんたじゃせいぜい網を駄目にするのが関の山さ」
「違いない」
そう言ってガサツは笑った。
俺はこの時、言いたい事を言えなかった。
あんたは英雄に相応しい男だよ。
海を見たら、あんたに相応しい国を探しな。
あんたが戦えば、きっとその国は良い国になるさ。
言っていたら、ガサツはどんな顔をしただろうか?
きっと笑って謙遜して、そして言うのだろう。
「英雄なんてものは無謀の結果としてなるもんじゃないさ。俺はその無謀が何度か上手くいって、たまたま生き延びただけの男だ。お前さんは若い。戦略を立て、戦術を用い、戦うべくして戦え。そうすりゃあお前さんでもなれるさ。英雄に」
いいや。
あんたはまさしく英雄だったさ。
俺を助けてくれたんだから。
だが、俺はこの言葉は言えないままだった。
ずっと。
最期まで。
「なんだこれ?臭いは変だし、鳥だらけだな!」
海を見たガサツは文句ばかり言っていた。
だが、顔は今までに見た事無いくらいに笑っていた。
「うぉ!本当にしょっぺえ!!まじか!!なあビフロンスまじか!?」
「ああ、まじだよ。うっせえなあ」
というか、正直うっとうしかった。
誰だ?あのおっさんの家名を思想家なんてした奴は。
何がかなしくておっさんと海で戯れなくてはならないのか?
しかもスケルトンなんて引き連れて。
最初に辿り着いた場所は寂れた漁村だった。
人影は少なく、しかも空はどんよりと曇っていた。
そんな景色にスケルトンがマッチしていなくもないと思えてしまうのが尚更もの悲しい。
このままだと全裸になって泳ぎ出しかねなかったので、せっかくだから海沿いにいくつかの街を見て歩こうと提案し、また先へと歩き始める。
この頃からだ。
急にガサツが姿を消す事が増えたのは。
「悪い、ちょっとションベンだ」
「さっき食ったの、腐ってなかったか?なんか腹の調子が」
ガサツがそう言うことは少なくなかった。
だからいつものことだと思っていた。
そしてついにひとつの街で見た。
ガサツが血を吐くのを。
それを見て、すべての答えを得た気がした。
そういうことか、と。
「勘違いするなよ。何もかもが嫌になった訳じゃない。戦場から、国から、家から逃げ出したくなったとか、そんな話じゃない」
見てもらった医者にはすぐに匙を投げられた。
もうこれはどうにもならないと。
きっと国を出ると決める前から分かっていたのだろう。
本当ならば、そのまま悪くなっていき、最期はあの息子と、その家族に看取られて、それで終わっていたはずだ。国民は大将軍の最期を嘆き悲しんだことだろう。
だが、この男は俺と出会った。
そして歩き始めてしまった。
別の道へと。
もうそんな最期は有り得るはずがない。
「なあ、ビフロンス。この戦乱はいつまで続くと思う?」
「いつまで?いつまでなんてないだろう?」
ずっと戦ってきた。
それはずっと戦争があったからだ。
どこに行っても戦争があり、誰に会っても戦いの話ばかり。
そういう世界だ。
これが世界だ。
まるでガサツの考えていることに理解を示さない俺を、ガサツは笑った。
まるで子どもに教えるように。
いや、この時に教わったのだ。
確かに大切な事を。
「それは違う。多くの人間が平穏を望んでいる。もう戦いたくないって思っているんだ。俺には分かる。だからきっとこの戦乱は終わる時が来る。俺が生きている間には間に合わなかったが、きっともうすぐだ。そう考えた時にな、俺は思ったんだよ。もうすぐ来るなら、もう俺が戦うべき戦場はもうないんだってな」
「何を言っているんだ?」
「生まれた時から戦場だらけだったお前さん……ビフロンスには分からないし、想像できないかもしれんがな。いいか。戦うだけが道じゃない。何かを守るなんて言いながら、結局やっていることは人殺しだ。違うだろう?守るっていうのはそうじゃない。嫌なら戦わなくても良いんだ。逃げたって良い。そういう世の中になる。間違っているのは今だ。間違っている今に従う事なんてないんだ」
海を見よう。
そう言ったガサツと俺は浜辺へと向かった。
相変わらずどんよりとした空だった。
せめて綺麗に晴れてくれれば、こんな鉛が波打っているような、重い海を見ずに済んだかもしれないのに。
空は晴れない。
「俺はただ見たかった。本当に望んだものを。もしも俺がそれを目に出来たなら、誰もが目にすることができるはずだ。望んだ世界を。俺は見れた。海を。世界を。きっと誰もが見れるはずだ。望んで行動すれば」
この景色で良かったのか?
そう聞く事は出来なかった。
ガサツが斧を構える。
悠然と、出会った時のように。
それは受けの構え。
待っていた。
俺が刃を抜くのを。
「良いんだな?」
「どうせ長くはない。お前さんにやれる最期の報酬って奴だよ」
剣を抜いた。
「そうか」
刃を振るい、ガサツは血を流して倒れた。
ガサツは内蔵が駄目になっていた分だけ弱くなり、俺はガサツに鍛えられた分だけ強くなっていた。
その結果がそこにあるだけだった。
「そうか」
俺が海から離れても、ずっと曇りの空が続いた。
どんなに晴れる事を俺が望んでも、空はずっと曇っていた。
そういう世界なのだと告げているようだった。
「晴れたな」
遠く水平線によって、空と海とに分けられた綺麗な青。
それを俺は見ていた。
相変わらず面倒ごとは多いが、ひとつの噂を耳にした。
戦争が終わる。
どこそこの国と国とは和平を結んだ。
そんな話だった。
まだまだ多くの国と国が争っている中で、例えたったひとつでも確かに戦争が終わったのだと言う。
絵物語ではなく、現実として。
あの頃の俺には分からなかった。
だが、今の俺には分かる気がする。
きっとこれからだ。
これからなのだろう。
かつて一国の将軍が夢見た世界が始まるのは。
傍らのスケルトンが右手で己の左肩を叩き、首を左に、右にと振った。
凝り固まった肉体をほぐすように。
凝り固まる肉体など既にないというのに。
そのスケルトンに話しかけるように言う。
「晴れたんだ」
スケルトンは遠くを見ていた。
青く輝く世界を。
瞳の無い眼窩の空洞で。
ただ見ていた。
※スケルトンの述懐での設定を反映しています。
ただし、奴隷商版ではスケルトンの名前はカドモスが考えましたが、述懐版ではガサツが名付け親です。
「スケルトンはそのままだと恐ろしげに見えるだろう?それに不気味だ。だからな、ふざけた適当な名前の方が良いんだよ。子どものあだ名みたいなやつな。そうすりゃ人から馬鹿にされて丁度良い」
「例えばどんなだ?」
「そうだな、そこの女スケルトンはこの間、矢を忘れて木に登ってやがったろ。だからドジっ子だな」
「ふざけるな」
「ふざけてるんだよ。そっちはゴキゲンなんてどうだ?いっつもナイフをぐるぐる馬鹿みたいに回してて、チンピラかっつーの」
「その名前を呼ぶのは誰だと思ってる?」
「お前さんだな。良いんじゃねえか?そうやってスケルトンを呼んでたら、陽気な奴だって思われて丁度良い」
豪放な笑い声が響く。
笑え。
そう俺に言って笑い、そしてバレット・シンカーは死んだ。




