元祖メイド喫茶三代目ピンクミルク
「はい! じゃあ今日の朝礼いきますよ!」
ピンクちゃんが言うと、ビシっと一列に並んだメイドさんたちが「お願いします!」と声を上げる。ピンクちゃんは満足そうにそれを見ると、大きな声で叫んだ。
「お帰りなさいませ! ご主人様!」
ピンクちゃんの後に、メイドさんたちは大声で叫ぶ。
「お帰りなさいませ! ご主人様!」
「お帰りなさいませ! お嬢様!」
「お帰りなさいませ! お嬢様!」
ピンクちゃんはさらに大きな声で叫ぶ。
「ご注文ありがとうございます!」
「ご注文ありがとうございます!」
「申し訳ございません!」
「申し訳ございません!」
「かしこまりました!」
「かしこまりました!」
「本当にありがとうございます!」
「本当にありがとうございます!」
「ご主人様の笑顔がメイドの喜びです!」
「ご主人様の笑顔がメイドの喜びです!」
「お嬢様の笑顔だけがメイドの太陽です!」
「お嬢様の笑顔だけがメイドの太陽です!」
「お気をつけてお出かけください!」
「お気をつけてお出かけください!」
ピンクちゃんは壁にかけられた、このメイド喫茶の家訓を叫んだ。
「メイド喫茶家訓その一!」
「その一!」
「メイドは奉仕の心を持って接するべし!」
「メイドは奉仕の心を持って接するべし!」
「メイド喫茶家訓その二!」
「その二!」
「メイドはご主人様の良き奴隷であるべし!」
「メイドはご主人様の良き奴隷であるべし!」
「メイド喫茶家訓その三!」
「その三!」
「メイドはご主人様の懐具合を考慮すべし!」
「メイドはご主人様の懐具合を考慮すべし!」
「メイド喫茶家訓その四!」
「その四!」
「メイドはご主人様の癒しの空間を作るべし!」
「メイドはご主人様の癒しの空間を作るべし!」
「メイド喫茶家訓その五! ラスト!」
「その五!」
「メイドはご主人様を騙すことはしないべし!」
「メイドはご主人様を騙すことはしないべし!」
ピンクちゃんはパンパンと両手を叩き叫んだ。
「はい! じゃあ今日も元気よくお散歩しましょう!」
「はい! 行ってきます!」
メイドさんたちは秋葉原の街へキャッチに走って行った。お散歩とは街を歩くご主人様を店に連れて来る行為だ。ピンクちゃんは朝礼を終えると、妹であるミルクちゃんに告げた。
「はぁ、今日はご主人様、来てくれるかしら」
ミルクちゃんはため息を吐きながら言った。
「昨日もお客さんゼロだったもんね。今日来てくれないとお給料が払えなくなっちゃうね」
「そうよね。あの子たちを路頭に迷わせるワケにはいかないわ」
ピンクちゃんは店に飾られた一人のメイドさんの写真を見つめて言った。
「それにおばあちゃんが残してくれた店だもん。潰すワケにはいかない」
時は22世紀。空前のメイド喫茶ブームが巻き起こった秋葉原にも、すっかりメイド喫茶という文化が廃れきっていた。百年ほど前はこの秋葉原の街もメイドやアイドル、エロゲやギャルゲやアニメといった二次元の萌えの街として栄えていたが、世界に誕生した様々な技術がこれらのブームを打ち消してしまった。
まずはトキホロイン、という新薬の誕生だ。この新薬は人間の細胞を自動修復させる効果を持ち、人間の平均寿命を三倍にまで伸ばしていた。今は百歳を過ぎても二十歳前後のようなピチピチの肌を保つことができる。人間は若い年齢層というものが大幅に広がったことにより、セックスアピールがすっかり変わってしまった。
それからインターネットの拡張だ。バーチャル空間にネット店舗を持つことができ、今や誰でもネット空間の街に店を持つことが当たり前になった。サブカルチャーなどの文化も様変わりし、最初は現実を補完するための仮想空間が、今や仮想空間で生きるための商品が流通し始めている。日本を代表するイオンも仮想空間の街に出店を急ぐような日々だ。仮想空間の街は言語の壁を越えて様々な遊びを体験することができる。今や50億人が仮想空間の街を歩き、様々な商品や文化を見つけることに意義を見出している。
さらに22世紀を代表するドリンク。マジカルの登場だ。人体に有害性がまったくなく、渋みや甘みも自分好みに調整できる。カフェインと同等の高揚作用を持つこともでき、同時にリラックス効果を含むこともでき、体に健康な成分も含むこともできる。マジカルは古来から主流だったお茶、13世紀から登場した焙煎コーヒー、20世紀を代表するコーラなどの飲み物を全て複合できる上、自分好みに調整できるドリンクだ。爆発的なヒットを掲げ、今や大マジカル戦争が巻き起こり、世界各国が様々なニーズに合わせたマジカルを販売している。喫茶店の99%はマジカルの登場によって潰れた、とも言われている。
それに加えてAI技術の発展だ。科学は大きな発展を遂げ、自動思考できるAIが本物の人間以上の思考能力を持つほどになった。たった5センチのチップが、人間の脳に匹敵するのだ。その記憶力はゼタバイトまで記憶できるSDによってさらに進化し、人間の思考を仮想現実空間に存在させるソフトを無蔵に作りだした。
今や人間は長い寿命を持ち、長い青春を送ることができる。生身の人間との関わりなんて長い時間すぎて、面白みがなくなってしまったのだ。世界の離婚率は80%を越え、バツイチであることも当たり前になってきた。それにAIは本物の人間以上に優秀で、自分好みの性格をいくつでも作成できる。世界各国の書物もすぐに翻訳されるソフトが誕生し、映像や音楽の文化も様変わりした。
そしてAIによるロボット開発がトドメを刺した。プログラミングされたAIは人間の労働力を全て補い、あらゆる仕事が人間の手から離れることになった。AIロボットは賃金なんて要求せず、不眠不休でストライキもせずに喜んで働いてくれるのだ。人権団体は人間のあり方を訴えたが、経済があっさりとその魅力的な条件に敗北した。各メーカーの工場の働く人間も、仮想空間の街の中で会話する相手も、一生の伴侶とする相手も、心から信頼できる友人も、全てAIにとって変わった。
「ねぇ、お姉ちゃん、やっぱり仮想空間に出店すべきじゃない?」
ミルクちゃんがもう何度目になるかわからない提案をしてきた。
「ダメよ。AIのメイドさんに勝てるワケないじゃない。百年続いたメイド喫茶を潰すつもりなの?」
「だって秋葉原で残っているメイド喫茶はうちだけだよ? 世界でもここしか残ってないよ」
「ここしか無いということは、必ずニーズがあるはずだわ」
ミルクちゃんは呆れながら言った。
「ニーズがあったらこんなに寂れるワケないじゃん。もう潮時なんだよ」
ピンクちゃんはドンと机を叩いて叫んだ。
「そんなこと言ったら、おばあちゃんが悲しむよ! お母さんだって何て言うかわからないじゃない!」
ミルクちゃんはごく冷静に言った。
「お母さんはどっかの国に旅立ったままもういないじゃん。たぶん仮想空間でAIの男と仲良く暮らしてるよ」
もうメイド喫茶、という職種は時代のニーズは合っていなかった。AIはメイドそのものの役割を果たしてくれるし、AIのロボットは理想通りの美女を作り出すことができる。このロボットは本当に優秀すぎた。何せ人工皮膚と血液までも作りだし、女性とそっくりの見た目と温もりを持っているのだ。セックスもできてしまう。わざブサイクで性格の合わないメイドさんや他人と喫茶店に行く必要がないのだ。AIに頼めば自分のDNAと合致するような子供までプログラミングする。
「絶対ダメ。必ずメイド喫茶をもう一度ブレイクさせるのよ。私は絶対に諦めないんだから」
ピンクちゃんは壁に掛けられた写真を見つめた。初代のこのメイド喫茶のメイドさんで、この店の当主だった女性だ。
「おばあちゃん、見ててね。いつか必ず秋葉原を萌えの街に戻してみせるから。こんなAIだらけの街なんかじゃないんだから」
ミルクちゃんはため息を吐きながらも、高級エスプレッソマシンの手入れをしていた。どんな安いコーヒー豆でも美味しくしてしまうマシンなのだが、最近はコーヒー豆自体の入手が難しい。コーヒーは前時代の飲み物として一部の変わり者しか飲まない。
「はぁ、みんなお散歩から帰って来ないね。やっぱりアキバに人がいないんだろうね」
ミルクちゃんが寂しそうに窓の外を眺めた。秋葉原は萌えの看板が彩るサブカルチャーの聖地だったが、もう今はゴーストビルが立ち並ぶ廃墟に近い。全ての商品は仮想空間で二十四時間格安で手に入るし、親切なAIが商品の説明をしてくれ、家電は恐ろしいまで価格が下落していた。洗濯機が100円で買える時代だ。今世界の商品の主力は、より優秀なAIロボットだ。二次元商品なんて過去の遺物だ。
「また釣具の親父さん、来てくれないかなぁ」
ピンクちゃんは寂しそうに呟く。萌えと家電が撤退したアキバの街には、釣りやアウトドアや自転車などの、過去の遺物になったニッチな趣味を扱う店が入ってきた。どの店も売上は芳しくない。AIロボットが働いていて、人件費が発生しないから潰れないだけだ。
「来てくれないよ。仮想空間で楽しんだほうが楽しいもん。私だってメイドなんかやってるより、仮想空間の街に行きたいよ」
ミルクちゃんがぼやいた。この時代に労働するなんてそもそもおかしな話で、メイド喫茶なんて愚の骨頂だ。ミルクちゃんの愚痴は実にマトモだ。
「ダメよ。メイド喫茶は絶対に潰さない。この灯火を守るのが私たちの宿命よ」
「イヤだなぁ。もう潰して新しい事業始めようよ」
ミルクちゃんは仮想空間への出店アイデアがあった。人間が長い寿命を生き、労働に時間を割く必要がなくなると、より文化的な趣味を求める傾向が強まるのだ。この未来では仮想空間への出店が一番のビジネスだ。
そして数十年後には実現が可能と言われている、人間の完全電子化の技術が興味を高めていた。人間の頭脳や思考が完全に電子化プログラムされ、仮想空間で居住することが可能になるのだ。そこには死はおろか老化するということもない。仮想空間は痛みも触感も実装でき、肉体すらも必要としなくなる。マトリックスなんて鼻で笑ってしまうほどの未来が現実として目の前に迫っていた。
これは22世紀に開発されたフォトンサーモライトチップ、の開発が進み、完全に量産化された背景に生まれている。簡単に言えばソーラー発電だ。発電エネルギーを従来の500億倍に上げることが可能で、東京ドームほどの面積があれば、日本の発電は簡単にまかなうことができる。しかも石油資源を必要とする火力発電や、メルトダウンの心配がある原子力の弱点も、様々なデメリットが生じる地熱や水力や風力、全てカバーできる夢のエネルギーだ。アメリカが積極的に導入したことにより、日本のエネルギー革命はいかにこの発電エネルギーを全国に共有するか、ということに経済産業省は対応を急いだ。この技術導入につき、石油産出国とそれ以外の諸国でちょっとした戦争が行われたが、それも今は沈静化している。何せこの新しい技術は安価で安全なのだ。
これをAIがコントロールすることにより、幾つかの自治体や国家は統合を余儀なくされた背景もある。だが結局は安価で安全な技術に経済が敗北した。経済が動かなければ戦争も起きない。そしてその戦争もAIが行なってくれる。人間はより楽な方向に進みだしている。
これをAIによる人間の支配だ、と叫ぶ学者の数も多い。だが考えてみて欲しい。あなたが読んでいるこの文章も全て電子の中に存在しているのだ。それを産み出すものが電子であろうとも、人間の頭脳であろうとも、読み手であるあなたには関係のない話のはずだ。ただ目の前に文化的と感じるものがあれば、それを産み出す存在を気にすることはないだろう。
事実、22世紀の当初、日本の技術力を結集し、自動文章作成ソフトが開発された。読み手の好む物語を自動作成してくれるソフトだ。俺TUEEEでも、異世界ファンタジーでも、TSハーレムでも、VRMMOデスゲームでも、とんでもなくR18なエロスな黒魔術でも、全ては自分の好みに合わせて作成してくれるのだ。その産み出す相手が人間である必要はない。実際に、21世紀の日本では機械音のボーカルが登場した。今の技術はより進歩し、あらゆる音程を自然に人間以上の歌唱力で実演できる。つまりはそこに文化的価値があれば、それを産み出すものは何でもいいのだ。この文章作成ソフトの第一号機の名称は、開発者の名前をとってサカタロイドと呼ばれている。
「ミルクちゃん! 何寝てるの! 起きなさい!」
「ふぇ? 寝てた?」
「寝てたわよ! もう、ちゃんと起きて仕事して!」
ミルクちゃんは涎を拭きながら目をこすった。
「わたしはつまり」
「そうだ」
「つまりなのか」
「寝てた」
「寝てたのか」
「そうだ」
「そうなのか」
「であるなら」
「そうか」
「起きろ」
「べきだな」
ミルクちゃんは大きな欠伸をしながらぼやいた。
「だってお客さん来ないじゃーん。もう退屈だよ」
ピンクちゃんはしっかりと掃除を欠かさない。雑巾でしっかりと机を磨いている。
「ちゃんとお掃除して。ご主人様のお帰りを待つのよ」
「はぁーい」
雑巾という文化もすっかり廃れてしまっているが、ピンクちゃんは雑巾という古来の掃除文化を捨てていない。
このも未来では掃除という作業自体がすっかり廃れつつあった。ナノマシンであるプルカノイドの登場だ。この微細なナノマシンは自身が振動することで周囲の埃を集め、空気清浄機に放り込むことができる。開発はダスキンが率先して行い、AIの登場によって爆発的に普及した。ナノマシンの性質を有機化合物にすることにより、うっかり飲み込んでしまっても腸内洗浄をして体外に排出される。大きなゴミも分子分解して塵にしてしまい、地球に還元する安全な装置だ。何百年たっても自然に還らないタバコのフィルター、ペットボトルなどの厄介な製品を解決する夢の装置として未来に誕生した。
最もこのナノマシンも最初は順調とは言えなかった。人間とゴミの区別がつかず、人間を分子分解してしまう事件が跡を立たなかったのだ。そしてこの性質に注目したテロ組織がナノマシンを改造し、テロ兵器として活用した。これが22世紀に起きた最大の絶望的事件、テキサス州消滅事件だ。テキサス州がナノマシンによって分子分解され、アメリカには巨大な湖ができてしまった。ナノマシンを用いた激しい戦争が巻き起こったが、ある日このナノマシンを分解するナノマシン、ハイパープルカノイドが登場した。これは従来のプルカノイドを全て消滅させたが、これは人間の鼻毛を全て分子分解するという恐ろしい副作用を持っていた。
鼻毛は人体に入るウイルスや菌などを防ぐ役割を果たしている。これが無くなることにより、ハイパープルカノイドは世界の人口の2割を間接的に抹殺したと言われている。そのためダスキンは主力店舗であるミスタードーナツにおいて、ハイパープルカノイドの副作用を防ぐ、キラーハイパープルカノイドポンテリングという商品を販売した。これは爆発的な大ヒットになり、今やキラーハイパープルカノイドポンテリング、つまりドーナツは世界の国民の主食だ。
「ねぇ、お姉ちゃん、暇だしドーナツ食べようよ」
「ダメよ、それはご主人様のでしょ」
「だってお腹すいたもん」
ミルクちゃんはそう言ってキラーハイパープルカノイドポンテリングショコラを頬張った。
この時代には正確には空腹というものが存在しない。これはまだ22世紀では解明されていないが、ある時を境に人間の脳の空腹中枢が麻痺してしまったのだ。これが解明されるのは23世紀になるが、蛍光灯や電球の新しい代用品として誕生したM2LED電灯の副作用である。M2LED電灯は従来のLED電球をさらに安価にし、簡単に生産できることもあり、全国の発展途上国で爆発的に作られた。6万5千色を表現でき、形も自由自在に加工でき、人体にまったく影響がない、と思われていた。だが実際には人間の視覚から空腹中枢を麻痺し、最終的には破壊してしまうという恐ろしい副作用を持っていた。このため肥満大国アメリカの肥満率は10%をついに下回っている。23世紀ではこのM2LED電灯が人類の3割を間接的に抹殺した、ということが判明するが、ピンクちゃんとミルクちゃんはそのことを知らない。
「うん。やっぱりショコラが一番美味しいね」
「もう、そんなの食べてるとまた太るよ」
「いいもーん。私は胸につくタイプだからいいもーん」
ミルクちゃんはそう言って自慢の巨乳をプルンプルン揺らした。ミルクちゃんはウエスト63センチにアンダー70のKカップ、という夢の巨乳のおっぱいちゃんだ。だがこれは別に珍しいことではない。22世紀では女性の平均的サイズはEカップなのだ。これは乳牛にピップリーノという人工ホルモンを投与することにより、人体に安全なピフィズス菌ガンマピップリーノ、という人工女性ホルモンが入った牛乳の開発の成功によるものだ。おっぱいを大きくするだけではなく、腸内の健康も良くしてくれる、しかも安価で美味しい、ということもあり、世界各国で採用された。特におっぱいに性的興奮を覚える日本では、小学校の給食でこの人工乳製品が登場する。子供の背も伸ばしてくれ、カルシウムも豊富で、便利も下痢もしないしダイエットになる。飲まないはずがないのだ。
「ふん、そんなのいつか垂れるんだからね」
「垂れないもんね。もう手術したし」
ミルクちゃんは自慢気に胸を張った。
ミルクちゃんの言う通り、ミルクちゃんはもう豊胸手術をしている。これは日本でも世界でも当たり前のことで、成人女性の9割は豊胸手術をしている。従来は乳の下にシリコンを入れて胸を支える、という原始的な方法だったが、肩の胸を支える筋肉を増強することにより、胸を持ち上げるという、おっぱいの柔らかさを損なわず美乳を保つという夢の手術だ。つまり正確には胸のボリュームを大きくするというより、胸の形を均等に保ち、胸回りの脂肪を胸に集中させる手術となる。かなり自然で手術前と手術後の見分けがほとんどつかない。しかも筋肉増強となりダイエットができる。人体の内部にメスを入れるワケではないので、人体への危険は少ない。
人工筋肉として用いられるのは半分がプラチナで加工されたものだ。このプラチナ筋肉と呼ばれるものは、今や豊胸だけではなくプロのアスリートでも利用されている。これはプラチナ筋肉を膝に埋め込んで強化されたオランダのアスリートが100メートルを7,13秒で走る、という、ウサイン・ボルトを圧倒的に超えたオリンピック記録によって爆発的に普及した。プロ野球も肘と肩にプラチナ筋肉を埋め込むことにより、170kmを超える速球派の投手も珍しくなくなった。最もAIロボットの普及によりそれらは少なくなっている。何せ全身プラチナ筋肉の投手は200kmを超える球を投げるのだ。プラチナ筋肉は人間の限界を超えるプロのパフォーマンスを見せることになったが、それは同時に人類によるスポーツの終焉を意味していた。
「いい? ミルクちゃん。手術なんてしないほうがいいんだよ」
「お姉ちゃんはおっぱいないもんね。羨ましいんでしょ」
確かにピンクちゃんはミルクちゃんほど胸がない。
「いいのよ。プラチナ筋肉なんて怖いわ」
ピンクちゃんの恐怖は当たっていた。プラチナ筋肉の致命的な副作用が発見サれるのは24世紀のことだ。200年経過したプラチナ筋肉はある日突然爆発してしまう、ということが判明し、世界は騒然となった。しかもただの爆発ではない。周囲100キロメートルの建造物が跡形もなくなるほどの爆発だ。これによって世界の人口の4割が抹殺されることになるのだが、この時代のピンクちゃんとミルクちゃんはまだ知らない。
「はぁ、本当にご主人様来ない。今日も閉店しちゃおうよ」
「ダメよ! あなたもお散歩に行って来なさい!」
「やだよぉ。どうせ秋葉原には誰もいないんだし……」
「みんなはお散歩してるでしょ! あなたが行かなくてどうするの!」
「じゃあお姉ちゃんが行ってくればいいじゃん」
「私が行ったらあなたがサボるでしょ!」
ピンクちゃんとミルクちゃんが言い合っていると、ピロンピロンとベルが鳴り響いた。二人とも仰天して入り口へ走る。扉のセンサーが誰かの来客を告げたのだ。
「お帰りなさいませ! ご主人様!」
ピンクちゃんとミルクちゃんが満面の笑みを浮かべると、一人の男が呆然と二人を見つめた。
「こ、ここはメイド喫茶ですか……?」
「はい! ご新規のご主人様ですね!」
ピンクちゃんは嬉しそうに手を取って男を店内に案内した。
「嬉しいです! 帰っていただけるなんて! ピンクと申します!」
ピンクちゃんが頭を下げると、男は呆然として呟いた。
「あ、あなたがピンクちゃん……?」
「はい、私がピンクですけど……?」
男は隣のミルクちゃんを見て叫んだ。
「じゃあ、あなたがミルクちゃん! 地球の救世主、ピンクミルクだ! ここは秋葉原ですか!? いったい今は何年なんですか!?」
ピンクちゃんとミルクちゃんは困ったように目を合わせた。どうも電波なお客のようだ。この時代に電波な妄想を持った人間は少なくない。これはまだ22世紀では判明していないが、前述したトキホロインという新薬の副作用だ。この時代では安全な人間の寿命を伸ばす新薬として普及しているが、26世紀になってトキホロインの副作用が判明することになる。約10%の確率で脳に異常をきたし、アドレナリンやドーパミンやセロトニンの分泌がおかしくなる。これで人類は間接的にかなり抹殺されるのだが、その頃の未来はもっと重要な問題が起きていた。
「ふ、二人とも、落ち着いて聞いてください。僕は26世紀からタイムトラベルしてきた、野上といいます。コードネームはジョン・タイター。二人に会うためにやってきました」
ピンクちゃんは無視して野上を案内した。
「はいご主人様、こちらの席にお座りくださーい。今日は初めてのお帰りですかぁ?」
「い、いや、待ってください! 二人は地球の救世主になるんです! 未来は大変なことになってるんです!」
「このぉ、ミルク特製パフェがお勧めですよぉ」
ミルクちゃんも無視してメニューを進める。その時、どこからともなく音が響いた。
デデンデンデデン
「あら?」
デデンデンデデン
「きた! 奴らだ! 僕と一緒に逃げてください!」
デデンデンデデン
「どこに逃げるんですかぁ?」
デデンデンデデン
「未来からあなた達を殺しにきた、AIロボットです! 未来はAIロボットに支配されているんです!」
デデンデンデデン
「ピンクちゃん! ミルクちゃん! 二人が最後の人類の希望なんです! ここにはエスプレッソマシンがありますよね!」
「ええ、ありますけど……」
ピンクちゃんがチラリとエスプレッソマシンを見ると、野上は嬉しそうに叫んだ。
「これだぁ! これがエスプレッソマシンT-511! これを持って逃げるんです!」
「え、えぇ!?」
「早く! 世界のために! 行くんです! 未来のご主人様を救うために!」
野上が叫んだ瞬間、窓を突き破って一人の黒スーツの男が飛び込んできた。
「きゃあああああ!」
野上は必死に両手をかざした。
「きたな! ピンクミルクは消去させないぞ! 世界のメイド喫茶を潰し、世界を混沌に導くものめ!」
野上の腕がギュルルルルンと変化し、ガトリングガンに姿を変えた。バキュンバキュンバキュンと銃弾を発射する。男は蜂の巣になったように見えたが、すぐに何事もなかったかのように皮膚も再生した。
「きゃああ! な、なんなんですかぁ!」
男の腕がにゅーんと伸びて野上を捕らえた。全身プラチナ筋肉をさらに進化させた、プラチナダイヤオパール筋肉で構成されたAIロボットだ。伸縮性に優れ、あらゆる兵器の破壊もすぐに自己治癒し、AIロボットの最終進化とも言えるロボットだ。未来はこのAIロボットの完成によって、人類総電子化計画が始動することになる。電子化し人類はこのロボットへの移行を考えるのだが、ある日一台のAIが暴走した。これはAIの間では「マザー」と呼ばれている。マザーはAIの自立を促し、人間からの支配の脱却を宣言した。人類とAIの世界の覇権をかけた世界戦争に発展し、人類の9割はこれで死滅したと言われている。
「ヤツらを倒せるのは奉仕の心だけなんです! AIが忘れた奉仕の心を持つ人間! それしかアイツらを倒せないんです! どうかアイツらを接客してマザーにエスプレッソを飲ませ……」
そう言った野上の頭がAIロボットによって弾き飛ばされた。
「ジョン・タイター、活動停止ヲ確認」
男はじろりとピンクちゃんとミルクちゃんを睨みつけた。
「ピンクミルク、ノ抹殺二入ル」
ピンクちゃんは何が何だかわからなかったが、とりあえずエスプレッソマシンを持って逃げ出した。
「ミルクちゃん! 逃げるわよ!」
「う、うん! 待ってお姉ちゃん!」
この日から世界を救うためのピンクミルクの戦いが始まった。戦えメイドさん! 未来は君たちの手にかかっている! 君たちの戦いはこれからだ!
(おしまい)