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これにて、御免

 美砂の実家にたどり着くと、連絡を受けていた弟の海が飛び出してきた。小さい頃は両親が多忙で美砂が母代わりだったため、美砂の後ばかり追っていた。彼が大学生になった今でも仲の良い姉弟だ。良介が状況を説明しとりあえず美砂がほぼ無傷であることを伝えると、背の高い弟はほっとした表情になり長い身体を深く折り曲げて礼を言った。

「姉がご迷惑をおかけしました。もうすぐ母も帰ってきますので、どうぞお上がり下さい」

「え?お母さん、法事は?それに帰ってきたらそのまま夜勤だって」

 美砂が問うと、海はため息をついて、

「姉貴が事故ったって言ったらすっ飛んでくるってさ、法事は親父に任せるらしいし、夜勤は交代したって」

「だって怪我もしてないのに」

「・・・車がお釈迦になるような事故で、看護師のお袋が心配しないと思う?」

 たしなめるように海が言う。美砂は唇を噛んだ。私のせいで母親の仕事に穴を開けるなんて。

「お母さんには連絡とらなくて良かったのに!」

 八つ当たりすると良介が割って入った。

「さっき弟さんに電話した時、俺が頼んだんだ」

「え?」

「俺が、弟さんに、頼んだ」

 噛んで含むように繰り返すと、良介はお邪魔します、と玄関で靴を脱ぎ始めた。呆然としている美砂を置いて二人の男はなにやら話しながら居間へ歩いて行く。なんで結託してるのよ。いつの間にか二人が携帯で赤外線通信をしているところへ母親が帰ってきた。

「美砂!大丈夫なの?」

 美砂の母は喪服で飛び込んで来るなり、美砂の頬に手をやって痣の具合を確かめた。

「たいした怪我はないのね?首とか腰は?しびれとか痛みはない?」

「膝をぶつけたくらいで、首も腰も大丈夫」

 はあっ、美砂の母は長い息をつくと、良介に向き直った。

「すみませんでした。美砂の母です。この度はお世話になって」

 深々と頭を下げる。

「いえいえ、大したことはしていませんから。はじめまして、美砂さんの同僚の佐倉良介と申します」

 と良介も恐縮して挨拶を返すと、

「ああ、あなたが。会いたかったわ、鉄の絆の同期、良介君ね」

 と微笑んだ。同期の3人のことは母親にもよく話をしていたのだ。

「ここずっと美砂が塞ぎ込んでて、突然車を貸してくれって言ったとたんこれでしょ。自殺でもしたかと思うじゃない。寿命が縮んだわよ。でもあんなとこまで良介君が来てくれてよかったわね」 

 美砂はびっくりして顔を上げた。普段離れて暮らし月に何度かしか会わないのに、どうして塞ぎこんでたなんてわかったの。忙しい母はいつも美砂のことなど構っていられない様子で家を飛び出していくのに。

「たまたま事故現場と俺の実家が近くて、美砂さんが覚えていてくれて良かったです。あの道は学生時代によく単車転がしてたコースだったんで」

 美砂さん、という言い方がくすぐったい。自分の母を前に姿勢良く座っている彼は、いつもより毅然として大人びてみえた。細身だと思っていたのに結構肩幅も広くて、膝の上に乗った手も節立って大きい。あの手に頭を撫でられていたんだ。美砂は思い出して赤面した。

「ほんと、俺だけでも家にいてよかったよ」

 弟の海もいつの間にか保護者みたいになっている。自分のことを話しているのに、美砂は居心地が悪かった。お茶を飲んでいるうち3人は意気投合して盛り上がり、美砂の事故の件など忘れてしまっているように見えた。


「また、来てね。良介君ならいつでも大歓迎」

 帰り際美砂の母がにこにこと見送ると、

「是非」

 と良介も頼もしい笑顔を見せる。しかしまた美砂に向き直ると、有無を言わさず畳み掛けた。

「会社には明日休むって言っとくから」

「へ?」

「明日も実家で休めって言ってんの。どうせ消化してない有給はたんまりある」

 美砂は慌てた。

「そんな!ただでさえ忙しいのに」

「なんとでもなるさ。顔の痣は目立つし最低もう一日は休んだ方がいい。翌日以降に身体の痛みが出ることも、よくあるから。気にせず休め、なんだったら痣が薄くなるまででもいい」

 ぐっと顔を近づけて言い含めた。

「無理は、するな」

 身体の事だけではない、と彼の目は強く念を押した。そして素早く美砂の母親と海に向き直り、

「・・・頼みます。それでは僕はこれで。ご馳走様でした」

 と背筋を伸ばして一礼すると、美砂が声を掛ける隙も見せずに去っていった。

「かーっこいい!」

 母親はドアがしまると思わず叫んだ。すっかり良介を気に入ってしまったようで、「また来て」というのも社交辞令だけではなさそうだ。

「姿勢がよくて礼儀正しくて。あんたが好きな時代劇のお侍みたい」

「ええ、そうかなあ」

 美砂の中で武士は周平だったのだが。

「うん、あの鮮やかな去り際。『これにて、御免』みたいな感じだったよ」

 母親は笑って美砂の肩を叩くと居間に戻っていった。


 海も、母親も、帰ってきた父親も、身体のこと以外は何も聞かなかった。そのことがかえって確信を強めた。きっと良介が何か言ってくれたんだ。私が追い詰められないように、家族が余計な心配をしないように。


 両親が、海が、そして良介が。思っているより、皆は自分を見ていてくれる。その幸せに感謝する余裕が生まれていた。日差しが嵐で倒れた稲を起こすように、ゆっくりと美砂は息を吹き返した。

 

 


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