後日談〜美しい砂(1)
「後日談〜地の塩」のすぐ後のお話です。
早春の気配を感じる度にずっと美砂に見せたいと思っていた梅林。いろいろと画策して、なんとかたどり着いたプロポーズを承諾してもらった俺だったが、いくつか問題があった。
第一の関門はバイクを戻しにどうしても実家に戻らなければならないと言うこと。正直離れがたくてこのままどこかへしけ込んでもよかったのだが、翌朝帰るのと今日帰るのとでは気まずさが違う。しかもいずれにせよ俺たちは格好の餌食だ。
美砂にはずっと明人とのことを黙っていた俺だったが、基本隠し事が出来ない質だ。先日うっかり彼女の存在をばらした夜、お袋や兄の大介にたんまり酒を飲まされ結局出会いから何から全部暴露していた。そんなわけで家族は以前から美砂に会うことを切望していたのだ。
仕方なくそのままバイクを戻しに帰ると、さっそく熱烈な歓迎を受けた。大介は汗臭い道着のまま、どたどた玄関口へ飛び出してきた。
「帰ってきたか。うわ、面食いだな、良介!」
「大介!挨拶が先!」
母がたしなめたが、熊のように大きな男の無遠慮な視線は止まらない。これにはいつも物怖じしない美砂も、小さな声で挨拶するなり俺の背後に隠れてしまった。俺はため息をついて、
「俺たち、ここで帰るわ」
と宣言した。
「ええっ、どうして?ご飯食べてったらいいのに!」
お袋が言うと、声を聞きつけて親父まで出てきた。これには美砂も俺の後ろから出てきて深々と頭を下げた。
「青木美砂と申します。突然お邪魔してすみません」
「良介の父です。寒いでしょう、どうぞ上がっていって下さい」
いつももっと乱暴な物言いのくせに。さすがの親父も美人には弱いらしい。しかし駄目だ、ここで家に上げるわけにはいかない。
俺は大きく息を吸い込み、家族に宣言した。
「・・・実は今日、彼女にプロポーズしてOKをもらったんだ」
「えーっ!!」
「ほらね、やっぱりプロポーズだったでしょう」
どよめきは端から覚悟の上だ。騒ぐ皆を押さえて口を開いた。
「そんな状況だから、やっぱり、美砂の家族に先に挨拶するのが筋だと思うんだ。けじめは付けたいから」
俺は美砂を見ると、彼女はまた泣きそうな顔をしている。ここ数年、美砂が実は泣き虫であることを思い知らされた。いつも明るく振る舞っているがよく会社で我慢していられるものだ。
「うちは異存ないよね?」
俺は半分強制的に念を押した。皆微笑みながら頷いてくれる。
「じゃあ今日はここで帰る。なるべく早くむこうのご家族に会うから。そしたらまた連れてくる」
「そうしなさい」
親父は頷きながら言った。俺たちは車に乗り換えて帰路についた。
俺はそのまま美砂の家に泊まり、翌朝嫌がる美砂を急かして実家に連絡させれば、今日はたまたま全員そろっているとのこと。慌てて俺は家にスーツを取りに戻り、2年ぶりで美砂の家に行くことになった。
「良介君、久しぶり。スーツも素敵ね」
美砂のお母さんが笑顔で迎えてくれたが、何故かその後声を潜めて、
「私は良介君の味方だから。頑張ってね?」
と早口で言うとそそくさと台所へ戻ってゆく。その後海君が顔を出した。
「あ、お帰り」
美砂にはしっかり目を合わせて声をかけるが、俺が「久しぶり」と声をかけても、顎で頷くだけで視線は交わらない。照れてんのか、それとも敵視されているのか。
「ま、上がったら」
二人分のスリッパを出すが、心なしか俺には乱暴に放られる。今日の俺の意図は十分に伝わっているようだ。シスコンとは思っていたが、まいった、これは敵視、だ。相手の牙城に足を踏み入れた武士のように、俺は丹田に力を入れた。
居間に通されると、ソファの上に難しい顔をした白髪交じりの男性が腕を組んで座っていた。大将のお出迎えだ。後ろには何百冊もの時代小説ばかりの棚。ああ、美砂が時代物が好きなのは父親の影響だった。俺は頭を下げて、
「佐倉良介と申します。今日は突然お邪魔いたしまして」と挨拶した。
「で、何か」
何かって。普通わかると思うけど。ははあ、さすが大将、これも手強いな。俺はきちんと向き直った。
「美砂さんとお付き合いをさせていただいて1年ほどになります。今日は結婚のお願いに参りました」
俺はテーブルに手をついて深く頭を垂れた。
「美砂さんと結婚させて下さい」
その瞬間、美砂は俺の隣でぎゅっと両手を握りしめていた。
「どうしてだ?」
低い声が降ってきた。思いがけない言葉に俺は面食らって頭を上げた。しかし美砂の父親は至って厳しい視線で俺を射貫く。「どうして」。そんなことを訊かれるとは。
しかし俺は誠実に答えなければならないだろう、この愛情溢れる家族から美砂を切り離して、自分の元に連れ去って行く理由を。
「・・・ご存じのことと思いますが、美砂さんはしっかりしている反面、実はすごい寂しがり屋です。」
俺は慎重に言葉を選んだ。
「ご両親がお忙しくて弟さんの面倒をよく見ていたそうですが、よく時代小説を読むのもお父さんのことが好きでもっと共通の時間が欲しかったからだと思います。僕が美砂さんを知ったのは大学の頃です。始めは、みんなに頼られてその分努力して、よく気を使って明るく盛り上げてくれる彼女に魅かれました。だけどよく見ていると、その分自分のことは後回しなんです。人に求めた分返ってこないのが怖くて、早くから諦めてしまっているように見えました」
俺は話しながら美砂の当時時折見せる投げやりな表情を思い出していた。
「入社してから、美砂さんはある壁にぶつかって自分を責めるようになりました。僕はどうしても彼女を救いたくて奔走したつもりですが、結局何もできなかった。そんな時にあの事故です」
美砂の父親は黙って話を聞いていた。
「美砂さんが苦しんでいても僕は無力でした。彼女は素晴らしい人なのに自分を卑下してひとりぼっちで悪循環と戦おうとしていた。それでも誰かがいると実感させてあげられたら、少しは彼女の支えになれるのではと思いました。それで彼女をなるべく一人にしないように、ただただ付き纏うようなことを1年続けました。そのうち彼女は自分の力で徐々に立ち直り、僕を受け入れてくれたんです。そしてそれが僕にとっても一番の支えです」
俺は話しながら甦って来る二人の日々をゆっくりと反芻していた。
「僕ではご両親や弟さんにとても及ばないことはわかっています。でも僕はこれからもずっと美砂さんを見守っていきたいんです」
もう一度深く頭を下げた。
「どうか、美砂さんと結婚させて下さい。お願いします」
顔を上げると、美砂と美砂のお母さんが同じようなくしゃくしゃの顔で涙をぼろぼろこぼしていた。お父さんはというとずっと口を真一文字に結んではいたが、何とも複雑そうな目で俺と美砂を見比べていた。美砂も何も言わないが泣きはらした目を懇願するように父親に向けている。傍らに立っていた海君は渋い顔ではあったが小さく頷いて「どうなんだよ、親父」と促してくれた。白髪の大将は大きく息を吸うと、
「・・・美砂を宜しく」
それだけを言い残し、立ち上がって部屋を出て行ってしまった。
「良介さん、悔しいけど見直した」
海君が俺の肩を叩いてねぎらってくれた。本丸を落としたのだ!俺はほっとして長い息を吐いた。
「あの親父だから2,3発殴るかと思ってたよ」
「なにい?」
俺は驚いて顔を上げると美砂のお母さんがまだ濡れた瞳でにやっと笑った。
「あの人は本当に美砂を溺愛してるからねえ。でも私の援護射撃もほめて欲しいわ。良介君は合気道の有段者だって言っといたから」
「まさかそれで黙っちゃったとか?弱っ!」
海君と美砂が吹き出したが、お母さんは何か思うような表情をしていた。
「・・・さあ、ご飯にしましょうか」
「親父は」
海君が訊けば、台所に歩き出した大将の妻は振り返って笑った。
「今頃泣いてんじゃないの?ほっとけばそのうち出てくるから」