去書
そこに本物の言葉があったかどうかは定かではない。
本物の言葉とは、それ自体が力となって、発した(もしくは念じた)ヒトそのものを動かすものだ。それは、優秀な調教師によって鍛えられた猟犬のように、飼い主の思い通りに動き、目的を果たす。物怖じなどしない。それが優秀というものであり、本物だ。
しかし、偽物の言葉となると、それは駄犬と同じく、威勢がいいのは最初だけで、後に尻すぼみに後ずさりしだす。やがては当初の目的などすっかり忘れてしまい、一目散に逃げ出すか、飼い主のもとへ戻ってゆく。私としても、そんなものに責任を取るつもりもなく相手にするつもりもないので、サッカーボールを蹴るかのごとく一蹴するだけだ。それで私の気が晴れたのなら、まだ利用価値があったと言えるだろう。が、殆どの場合宙に消えて終わりだ。
だいたい十年前―大抵のヒトは他人の何年か前などに興味は無いし、私は著名人でもアイドルでもない―高等学校を卒業する頃。私は積極的に死を望んだ。それは、多くの自殺がそうであるような警察的、夜警国家的消極性のあるものではなかった。前向きに一つの人生に華を添えるかのように終止符を打ちたいと望んだ。青春の中に生まれる若さゆえの独特なセンチメンタリズムではなく、ここで締めくくることが最高のタイミングだと思ったのだ。私は確信していた。そうすべきだ、そうしなければならないと思った。私を駆り立てたものは悪魔ではなく、間違いの無い決断であり、武士道の美しさにも似た神秘的な要素を多分に含んだ啓示だったのだ、と。
世間一般でもそうだが、決定的に欠如しているものが最も欲しているものとは限らない。私が最も欲していたものは「言葉」であった。自ら発する言葉もそうであるし、誰かから聞かされるものもそう、活字だって同じだ。
―今ならはっきり言えるのだが、テレビから聞こえてくる映像付きの言葉は、私の欲していたものとはかけ離れていた。私は、あの箱とガラスの動かないキューブから言葉を受け取ったことは一度も無い。誰が発明したのかしらないが、彼らは入れておくべきだったのだ。あの箱の中に。ガラスの裏側に。
だから私にとって喋らない者は不要であったし、不必要であった。というより相手にしないことができた。人と喋り、活字を読み、言葉を吸収し、それを吐き出す。コミュニケーションなどという陳腐な目的ではなく、どうしようもなく欲しいと思っていたから自分がそれを欲しいと自覚する間もないほどに求めた。そして、大抵手に入れることができた。
だが違ったのだ。私は思い違いをしていた。必要という要素を欲望という感情に近づける努力を怠っていた。私に必要だったのは「言葉を伴わない意志の疎通や感情の確認」だったのだ。私は従順すぎた。一度でも敗北を味わったことのあるものが誰でもそうであるように、従順すぎた。その頃にはもう、見たくないと思ったものはまったく視界に入らないようになっていたし、信じたくない出来事に遭遇すれば思考は停止するようになっていた。
日常的な平和を享受しすぎていた為か分からないが、狂気に対応する能力に乏しかった。想像力は並外れていたが、それを披露することは臆病者のレッテルを貼られる危険性もあった。私にはその勇気はなかった。今考えてみればどれも大したことはなかったのだが、自分の枠外にある恐怖に対応する事ができなかった。運よくこの国は法治国家だったので、私はその全てに対応せずに済んだ。見て見ない振りもできたし、何も考えず寝てしまうこともできた。そして次の日には全ての問題が一様に解決している。この世はすばらしい。その事を神にも両親にも感謝しなかったのは、大変罪深い行いだったと思う。
―もちろん私には、日常の変化が手にとるように分かっていが、思考は停止したままだった。
兄弟というものは不思議なもので、同じ女の腹の中から生まれてきた(確かめる方法は無い)事を意識するまでもなく、それと分かるものだ。思考の方向性や性格などには多少の相違はあるが、どうでもいいような何でもないちょっとした仕草が酷似していたりする。本人を目の前にしなくても自分の仕草を見て気付いたりするわけだ。なんとも鬱陶しい。始めのうちはそれが殆ど気にならないが、成長とともに目に付くようになる。違和感や既視感のようなただの気持ち悪さが、本格的な不快感に変わっていき、嫌悪、憎悪、最終的には自己保存本能としての危機感になる。こうなれば、どうあっても居てもらっては困るのだ。なるほど家族は素晴らしいものなのだろう。そう教わってきたし感じるものも無いわけではない。しかし私は彼にいてもらっては困るのだ。自分の身は自分で守らなければならないし、それはゴミを漁っている猫でも屋根裏部屋で走り回ってる鼠でも行ってることなのだ。邪魔者は排除しなければならない。自分が生きるために。
そこで法治国家であることが裏目に出る。今まで守ってくれたはずの決まりごとが、なるほど自分からも積極的に動けないものだと知る羽目になる。仕方なく狂気に対応しなければならないのだが、そう簡単に抗体ができるはずもなく、対処の仕方も分からない。どちらかがイカレちまうのは時間の問題だった。
時代も国も間違えていると思うのは私だけではないはずだ。まあ、賢明な彼らのことだ。そんな焼却炉の燃えカスほども役に立たないことなどすぐに忘れてしまうだろう。というよりそうできている。しかし、それが大事なのだ。それを大事だと思う人間がいる事を自覚してなぜそれが大事なのだろうと考える時間をとり精査した上でもう一度自分の考えは間違っていなかったと吟味して吐き出して飲み込む作業が。でなければ、この世には自分しかいなくて自分の考えが全て、もしくは世間一般のそれであろうと勘違いしてしまう事もまま起こってしまうからだ。隣の人が何を考えてるのか分からず、迷惑だなと思っているのにそれが伝わらず、ましてや想像したりすることもなく、では隣の人は何をやっているのかと思えば相も変わらず武力による戦争をしている。なんだと思って、やめさせたいが私は武力を放棄しているからそれは出来ないと、多分それほど重要でない日常の雑務に戻る。相も変わらず。休憩時間になれば、ブラウン管が入った黒い箱のガラスの方をこちらに向けて画面を眺めては、なぜ歴史から学ばないのかと愚痴を言っている。声に出して。口からこぼれたクッキーのカスをアリが群がって巣に運んでいることも知らずに。
つまり犠牲の無い救いは無いのだなと理解して私は武器を取ってはみたが、どうにも護衛にしか使い道が分からない。部屋の引き戸には伸縮性の鉄のつっかえ棒を置いて開かないようにし(自分が出かけるときには自動で当該装置が作動するようにした)、なるべく扉から離れたまま眠り込まないようにシステムデスクのライトを顔に当てたまま、左には鉄アレイを握り、右手には武器を握って床についた。これでは自分を守ることはできても相手を倒すことはできそうにない。とりあえずドアの隙間にゴムのカラーテープを貼って外の音をシャットアウトしてはみたが、これも効果はなさそうだ。安息は守りながら戦っても手に入らない。積極的に攻撃するでもなく相手を打破する方法は無いのか。私は考えた。どうでもいいやとか分からないなどと言わずに、日常の雑務にも戻らずに考えた。法治国家において自分から攻めずに適法なやり方で目の前の敵を戦闘不能もしくは戦意喪失に追いやる方法を。
あった。私は心のなかで叫んだ。バンザイ!ハイルヒットラー!しかし急がなくては。時間というものはジブリ映画にでてきた怪物のように人を癒しもするが殺しもする。早くしなければ。私が狂ってしまう前に。
トイレのドアは開けたままにしておいた。そのほうが洗濯機の中に山積みにされた「未・洗濯物」の姿が見えるし、いざとなれば玄関に飾ってある海外で買った(と思われる)お土産のウヰスキーを飲み干してやることもできる。どちらにしても、胃の中の物をすべて吐き出してやるには充分すぎるくらいだ。それでなくても吐き気は一秒毎に胸を焼き、のどをつまらせ、私を息苦しくさせているのだから。
家の中にあるもので一番重いものは何だろう。もちろん僕が運べるものでなければならない。父親が僕たち兄弟に買い与えた
「全ページカラー版学習図鑑 全十巻」
も結構重そうだ。本の類だったら子供用国語辞典もなかなか良い(ただしこれは兄のだ)。父がコツコツ貯めている「一千万円貯まる貯金箱」も結構重そうだ。―僕は一千万円がこんなに小さいものだとは知らずに落胆したものだ。ただこれを運ぶとなると言い訳が難しくなる。教科書をいっぱいに詰めたランドセル。ハンマーやドライバーが入った日曜大工セット。駐車場で拾ってきた変わった形の石。どうしようか・・・。ああ、そうだ。確か母の部屋にはミシンがあったはずだ。あれなら適度に重量もあるしそれなりに言い訳も考えやすい。何より母の部屋にあるってことがベストだ。母はこの為にミシンを使って裁縫をしていたのかもしれないぞ。僕に肩からかけられるような水筒入れも作ってくれたな。そうか、そうかもしれないな。さあ、そうと決まればさっそくやろう。これ以上母のお腹が膨らみだしては取り返しのつかないことになる。僕は知ってるんだ。母のお腹の中には双子の赤ちゃんがいることを。男の子と女の子の双子だそうだ。冗談じゃない。ただでさえ兄がいるのにこれ以上敵を増やしてたまるものか。なあに平気さ。どうせすぐに忘れられる。
そうして屈みこんで便器に顔を近づけて胃液だか唾液だか分からないものを口から吐きながら、私は涙を流していた。胃酸がのど元に上がってきたせいだろう。でも私は思った。
「三人目は殺せないかもしれない」
私にはアニミズムの傾向があった。道端に転がってる石ころや黄色から赤に変わる信号機にも、魂があると感じていた。その他全ての無機物に命があると感じていたし、それを信じて疑わなかった。塗りたてのセメント、スープのシミがついた壁、外国製のティーカップセット、凹凸のある地球儀、BMW830、27段変速マウンテンバイク、二段ベッド、スーパーマリオのシステムデスク、水が止まらないエアコン、知らない女の下着、誰もいなくなった部屋、立ち退き依頼書、スパゲティが焦げ付いた鍋。
なぜそれら全てが私のもから離れたのかは分からない。
例えば道を歩いていたとしよう。できれば夕方。そこそこ交通量のある片側二車線の道路だ。歩き始めた時はまだ辺りにコンビニもあったしホームセンターやビデオ屋もあった。それに他にも歩いている人がいた。買い物帰りの主婦や部活帰りの学生。自転車に乗ってる人なんかもいた。そういったものとすれ違いながら幹線道路沿いに歩き、やがて町から離れていく。少しずつ辺りは暗くなり、人の影もコンビニやスーパーだけじゃなく民家さえもなくなってくる。それでも黙って歩く。気付けば辺りは真っ暗で建物はなく、背の高いオレンジ色の明かりを照らした街灯が50メートル感覚で立っているだけだ。あとは森。それでも交通量はある道だから車だけは走っている。暑いんだか寒いんだか分からない気候。少し、歩くのにも疲れてきたなと思ったとき、妙な感覚に襲われた。
「通り過ぎていく車から生命体としてのそれを感じない」
そういえばどの車もやけに飛ばしている。どうにも機械的だ。一応信号は守っているようだが、人間の意志や生命の温かみはまるで感じない。無機物ですら持っている魂すら感じない。彼らは無機物ですらないのだろうか。
通り過ぎていく度に不快感を感じる。空気を汚しながら走り、ライトの光は必要以上に明るく、そのスピードには殺気がこもっている。
私は今までに感じたことのない孤独を感じた。
そしてその孤独の元凶はと言えば、有機体である人間が無機物である自動車と一体となって行った利便的とか生産的とか呼ばれている活動なのだ。私は幹線道路から離れてひとけの無い道に入り、大きな岩の横に腰を下ろし目をつぶった。
夜が明けたとき、私の中のアニミズムは消え、代わりにナチュラリズムが生まれていた。
キリスト教徒にとって死ぬことは神の御許に召される恩寵である。また、イスラム教徒はアラーの御心のままに生きそして死ぬ。では、私は死ぬことについてどのように定義すべきであろうか。そういった日常生活の中でのちょっとした疑問に対して、行き着いた答えの一つが「ナチュラリズム」であった。残念ながら私は、死について地球上の生命体の中で一番頭脳明晰なはずの人間からはこれといったヒントも知恵も得ることができなかった。私が死について語りだすと、多くの人々は目を伏せて黙り込むか、また別の人はニヤニヤと薄ら笑いを浮かべてやはり返答をしない。中には何を言い出すんだとあたかも私がこの世の絶対的なタブーを口にしてしまったかのような非難の眼差しを向ける人もいた。そこで私は知ったのだ。
「彼らは私の疑問に対する明確な答えを持っていない」
確かに彼らは一生懸命生きている。生を満喫している。これからも良い生の時間を過ごすだろう。後悔の無い生を過ごすだろう。まるでセミが土の中から抜けでして木を上り夜明けとともに孵化して真夏の日差しを浴びながら自由自在に飛び回る。そんな一週間になるだろう。だから、結末がセミと一緒だからといって嘆く必要はないはずだ。それまでが一週間だろうが100年だろうが関係ない。どちらも変わらないのだ。なぜなら死への定義ができていないのだから。
私のナチュラリズムは死を「自然への回帰」と定義したが、それはイコール生を自然回帰の準備期間と認識したことになる。基本的な生命維持活動から自己実現、社会との関わりや余暇の過ごし方、交友関係、職業選択、思想、宗教、性と食、その他いっさいが自然回帰の為の準備期間でしかない。母なる自然から生まれた借り物の命は、やがて自然に回帰することを前提とした「死へのお膳立て」そのものなのだ。だから全てが無駄で無為のようでありながら、全てが崇高で意義深いことなのだ。
未だにあの時の躊躇が悔やまれるといっても、あながち嘘ではない理由がここにある。