おそろい
彼女は空を占拠する真っ白な入道雲に消えていった。
———
ジリジリとさす太陽の熱が、小鳥遊紬と垣内円が分け合ったソーダのアイスキャンディーを溶かしていた。
「円っ!垂れてる垂れてる!」
慌ててハンカチを差し出す紬に、円は笑いながら肩をすくめる。
「大丈夫だって、ほら」
そう言いながらも、ぽた、と青いしずくが指先から落ちた。
「もう、ほら言ったじゃん」
「紬が急かすからでしょ」
どうでもいい言い合いをしながら、二人は同じ方向を向いて歩く。
真っ青な空が二人を見守っていた。
———
帰り道、紬の鞄に付けた小さな鈴が揺れた。
隣で円の鞄にも、同じ形の鈴がきらりと光った。
「この音、好きなんだよね」
円が軽く揺らすと、りん、と澄んだ音がした。
「わかる。なんか落ち着く」
二人で同時にもう一度揺らして、同じ音を重ねて小さな笑い声を上げる。
それだけで、少し楽しくなる。
「この前のさ、あのテレビ見た?」
円が言って、紬はすぐに頷いた。
「見た見た。あの衣装やばくない?」
「わかる!あれドキっとした!」
声を弾ませながら、二人で同じ場面を思い出す。
クラスの誰もそんなに盛り上がらないのに、二人だけは繰り返し笑いながら、また同じ話をする。
それでも飽きない。
———
掃除当番の日、開け放した窓から教室に熱気が入ってきた。
じんわりとかいた汗がシャツを肌に張り付かせて気持ち悪い。
紬と円がほうきを動かしていると、窓際で白鳥が黙々と雑巾を絞っていた。
言葉は少ないけれど、動きは丁寧だった。
水をしっかり切って、隅まできちんと拭いている。
窓からの日差しを浴びて、くすんでいた床がキラリと光を跳ね返した。
「白鳥さんってちゃんとしてるよね」
紬が小さく言うと、円も頷いた。
「ね。なんか安心する」
白鳥は顔を上げずに、静かに床を拭き続けていた。
それ以上、特に会話は続かなかった。
———
商店街は、夕方の光で少しだけ色を落としていた。
この辺りの時間だけ、どこかゆっくりと流れている気がする。
軒先に吊るされた赤い提灯が、ゆっくりと揺れていた。
風はないはずなのに、わずかに影が揺れる。
「こんにちは」
柔らかな声がして、二人は同時に顔を上げた。
門脇結衣の母親が、少し離れたところに立っていた。
淡い色の着物を着ている。
夏なのに不思議と暑そうには見えない。
その隣に、結衣がいた。
結衣は特に何も言わず、こちらを見ている。
二人は軽く会釈をしてから視線を向けた。
母親が、唇に綺麗な弧を描いてにこりと笑う。
そしてそのまま、手に持っていた扇子を軽く開くと、パチっと乾いた音がした。
白地に細かな模様が並んでいるのが、一瞬だけ見えた。
同じ形が続いているようで、どれもわずかに向きが違っている。
視線を向けたはずなのに、うまく形を捉えられない。
その瞬間。
りん、と音がした。
紬は思わず鞄を見る。
鈴が、わずかに揺れていた。
「それじゃあ、失礼するわね」
母親はそれだけ言って、また穏やかに笑った。
結衣も何も言わずに、軽く会釈をする。
二人はそのまま、人の流れの中に溶けていった。
しばらく歩いても、特に会話は続かなかった。
紬は何となく鞄の鈴に触れる。
指先で軽く弾くと、りん、と小さな音が鳴った。
隣で円も、同じように鈴を揺らす。
同じ音が、少しだけ遅れて重なる。
円が、ふと空を見上げた。
紬もつられて視線を上げる。
遠くの空に、白い塊が浮かび始めていた。
さっきまでなかったはずの雲が、ゆっくりと形を持ち始めている。
———
次の日。
教室はいつも通りのざわめきで満ちていた。
昼休み、机を寄せて弁当を広げる。
紬は箸を持ったまま、何となく周りの声に耳を向けていた。
少し離れたところで、門脇結衣たちが話している。
「白鳥ってさ」
誰かが言う。
「あの子、ちょっと無理かも」
いつもの軽い調子。
冗談の延長みたいな、笑い混じりの声だ。
「わかる」
別の声が重なる。
「なんかさ、真面目すぎない?」
その言葉に、何人かが頷いた。
紬は思わず顔を上げる。
そのとき。
「ね、円ちゃんもそう思うよね?」
結衣が、こちらを見て言った。
円が顔を上げる。
「うん」
と頷いた。
「わたしも苦手」
無機質な声だった。
迷いも、引っかかりもない。
ただ、そういうものとして置かれた言葉。
紬は箸を持ったまま、動けなかった。
昨日、掃除のときに話したことが、頭のどこかに残っている。
“ちゃんとしてるよね”
“安心する”
確かにそう言ったはずなのに。
円はもう、次の話題に視線を向けていた。
結衣たちの方に、自然に身体が向いている。
その流れに、誰も違和感を持っていない。
紬だけが、じっと弁当を見つめている。
口の中に残っている母の作ってくれた卵焼きが今日はやけに甘く感じた。
けれど、その感覚をどう扱えばいいのか、わからなかった。
窓から空を見上げると、入道雲が広がっていた。
白く膨らみ続けて、青を押しのけるようにそこにある。
紬は目を細めた。
まぶしさのせいか、円の輪郭がわずかにぼやけた気がした。
———
雨は突然降り出した。
激しい音が、すべてを覆い隠す。
言葉も、視線も、さっきまでの違和感も全て洗い流された。
紬は窓の外を見ていた。
白く煙る景色の中で、誰がどこにいるのか、よくわからなくなる。
ただ水だけが、確かにそこに落ち続けていた。
夜には、雨が止んでいた。
紬は母にお使いを頼まれ、商店街へと息を切らして走った。
一軒だけ夜遅くまで営業している店があるのだ。
空気は冷え、昼間の熱が嘘みたいにひんやりと身体にまとわりつく。
水たまりに映る街灯が、わずかに揺れていた。
紬は一人で歩いていた。
いつか同じ道を誰かと一緒に歩いたような気がしたが、
思い出そうとすると、すぐに形が崩れる。
足音だけが、静かに続いていく。
振り返る理由は、特になかった。
商店街の軒先に吊るされた赤い提灯から、先ほどまで降っていた雨粒がぽたりぽたりと落ちていた。
風もないのにゆっくりと揺れている。
「こんばんは」
柔らかな声がして、紬は顔を上げた。
門脇結衣の母親が、綺麗すぎる弧を描いてにっこりと微笑む。
そして手に持っていた扇子を軽く開き、パチっと乾いた音を静かな商店街に響かせた。
紬は何も言わずに、軽く会釈をして店内へと急いだ。
———
次の日。
教室の空気は、いつも通りだった。
紬は門脇結衣たちと話していた。
会話は自然に続き、誰も言葉に詰まらない。
笑い声が上がり、また次の話題へと移っていく。
「紬もそう思うでしょ?」
結衣が言う。
紬は頷いた。
それが当たり前のように、身体に馴染んでいた。
ふと、空を見上げる。
そこにはただ真っ青な空が広がっていた。
一年でいちばん昼が長い日。
夏至の日に、この話を置きました。
あなたはあの夏を、ちゃんと思い出せますか?




