悪魔の囁き
1月2日。
待ち合わせの時間は9時。場所は学校の最寄り駅。
待ち合わせ10分前に着いた僕は、ちょうどやってきた砥峰さんと目が合った。
「芦遊君も今来たとこ?」
「うん。まさにちょうど」
すると、砥峰さんがねぇねぇと肩を叩いた。
「朝ラーメン、食べたくない?」
砥峰さんが指さした先にはラーメンの屋台が。
「今から?
国道さん待たないと。
時間無いよ」
砥峰さんは意地悪そうに微笑み、長い髪を耳にかけながら言った。
「間に合うよ。
急いで食べたら。
ほら、早く」
「ちょ、ちょっと……えぇ!?」
自分でもここまで動揺するのはあまり無い事で、砥峰 壱器という少女は多少強引な少女なのだと思った。
人とはやはり想像と違うものである。
「おじさん、醤油ラーメン2つ。
あ、醤油ラーメンで良かった?」
「注文してから言わないでよ。
もちろんそれでいいけどさ」
ラーメンを待ってる間、ぽつりと砥峰さんが話し出す。
「……実はここのラーメン初めてじゃないんだ。
学校の帰りとか、早く来すぎた時にたまに寄るの。
量が多すぎなくてちょうどいいんだよね。
朝食べても胃もたれしないサッパリさがあるし」
「いつもありがとうね。
はい、醤油ラーメン2つ」
ラーメンを受け取り、手を合わせて割り箸で食べる。
待ち合わせ時間より早く来たとは言え、こんな場面を見られたら何をしてるんだとなるだろう。
横目で砥峰さんを見る。
一口の量は普通で、麺を啜る食べ方が上品だ。
それなのに食べるスピードは早く、みるみるうちに無くなっていく。
僕も早く食べなければ……と思っていたが、心配はいらなかった。
何故なら砥峰さんの言う通り、サッパリしていて量もすぐ食べるにはちょうどいい量なので、ペロリと平らげてしまった。
食べる手が止まらない、というやつだ。
多分僕も急いで食べたわりに、上品……だったと思いたい。
会計を済ませ、待ち合わせの駅の前に行こうとする僕の服の裾を引っ張ると、耳元で砥峰さんが囁いた。
「この事は、私と芦遊君の秘密で。
ね?」
彼女は皆からは天使だと言われているが、その評価は改めた方が良さそうだ。
今の彼女の蠱惑的な笑みは、まるで悪魔のようだったから。
***
それから5分後に小走りに国道さんがやって来た。
「で、乗り換えてひたすら西に行くんだよね?」
「そう。
僕が決めたけど良かった?」
「私が頼んだんだからいいよ」
「ボクも気にしてないよ」
乗り換える駅のコンビニで朝ご飯を買って、電車を待ってる間に食べた。
西へ。ひたすら西へ向かった。
窓には様々な景色が映っていた。
住宅街。都会の街。トンネルになると真っ暗になって、僕達の姿が映し出された。
トンネルを抜けると海が広がっていた。
そこからは穏やかな街並み、観光地、田舎の風景と見ていて飽きなかった。
その間に僕達はたまに話すぐらいで、基本的に窓の外を見ていた。
電車に揺られる事約1時間半。
ようやく着いた目的地は、城が有名な観光地だった。
「どうする?
城の中に入らず、とりあえず近くに行って写真撮る?」
「ボクはそれでもいいけど」
「なら、そうしよっか」
真っ直ぐ歩くと門の間から城が見えていた。
「せっかくだから3人で撮ろうよ」
「いいね」
砥峰さんの隣に僕が並び、国道さんが身を寄せた。
砥峰さんの合図で写真撮り、ライムで撮った写真が送られてきた。
「よし、行こっか」
また電車で3駅程移動した。
着いたのはさっきと違って、特にこれといった何かがある訳でも無い少し大きめな駅だった。
「ここから先は別に何も決めて無いんだよね?
なら、私ここら辺歩きながら西に行きたい」
「ひたすら西へ行く旅、か。
いいねそれ」
「楽しそう」
東の空から出た太陽が住宅街と僕達を照らしていた。
なんてことの無いただの住宅街。
新しい家や前からある風景に溶け込んだ家、古い家に、ボロいアパート。4、5階建ての小さなマンション。
知らない街だからか、はたまた太陽が街を照らしているせいか。
何気ない景色が綺麗に、絵になると思った。
特に砥峰さん、国道さんが歩いていると。
「ここに住むのも良さそうだね」
「知らない街に住むの楽しそうだよね」
「そうそう。
……私、誰も自分の事を知らない人達の所で、自分も知らない街で、誰の手も届かない遠くに住みたい」
眩しかった。
逆光した砥峰さんの横顔は影と光で希望を表したかのようだった。
手を伸ばしたいと思った。
もちろん思うだけでしなかったけど。
「芦遊君は?
さっきから黙ってるけど?」
「……僕は………まだ、分かんないかな」
「そっか」
その一言だけで全てを見透かされているような、どこか寂しさがある声に聞こえた。
お菓子を食べながら、住宅街を抜けて歩いた。
昼になったので、たまたまあったうどん屋さんに入った。
僕は海老の天ぷらが2つ乗った物にした。
割り箸を割って、ふーふーと冷ましながら食べる。
「あつ……でも、美味しい」
「外寒いから温まるね」
「私、ちょっと冷ましてから食べる。
猫舌なんだよね」
「なんかそれずるい」
「なんで?」
「だって可愛いじゃん。
ボクなんて熱いの平気だしさ」
「その方が羨ましいよ。
ね、芦遊君?」
「ん〜、僕はどっちもいいというか。
逆だったら違ったのかもね。なんて」
「何それ」
「芦遊君って変わった発想をするね」
2人は笑っていた。
何故か心が温まるのを感じた。
多分、きっと幸せを感じたんだ。
この感覚……久しぶりだな。
店を出て、また西へ歩き出した。
山沿いの道を歩く。
田や畑、昔ながらの家がぽつぽつ並んでいた。
影が多いせいか、先程より寒い気がする。
車が主に走る、坂になっている道路へ。
「ボク達何処に辿り着くんだろう?」
「分かんない。
……けど、ワクワクしてる」
「うん。
その気持ち、分かるよ」
坂を上ると太陽が眩く僕達を照らした。
砥峰さんと手と手が触れる。
目の前にはキラキラと光る綺麗な海が広がっていた。
しばらくそれに見とれていて、また歩き出した。
枯れた木が道の両脇に生えていた。
ここが山で、海のずっと上なのだと改めて思った。
下り坂をおりた先にソフトクリームを売ってる店があった。
正月でしかも冬に売っているとは珍しい。
「ね、食べてこーよ。
あそこのベンチに座って」
「いいけど、更に寒くなりそう」
「まぁ、それもいいんじゃないかな」
ソフトクリームを頼んで、ベンチに座る。
風が吹くと寒いけど、冷たくて甘いソフトクリームはずっと歩いていた僕達を癒してくれた。
「この旅も終わりが近づいてきたね」
砂浜を歩き、波の打ち寄せる音が心地いい。
日は今にも沈みそうで、空を、雲をオレンジ色に染めていた。
当然ながら昼間よりも冷たい空気が流れてくる。
先頭を歩く砥峰さんの顔は見えない。
その次に国道さんが歩き、僕は一番後ろを歩いていた。
雲が多くなり、やがて灰色が空を覆い尽くす。
空間の色が青く染まり、夜へと変わりゆく前兆の色。
「ねぇ、私達本当に街を出るんだよね?」
こちらへ振り向いた彼女は、微笑みながら言った。
「もちろん、そのつもりだよ」
「……だよね。
私、本気だから。
───だから、なあなあにして約束破るの無し……ね?」
彼女の瞳は細められ、絶対を求める圧のようなものがあった。
「芦遊君は、どうなの?
街を出るのなんて現実的じゃないって思う?
お金貯めて、自立するために色々準備して。
3人で出るの嫌?」
「……僕は、本心を言えばこういう約束って大抵果たされないで終わるよなって。
結局なあなあになる。
だから、信じたいけど信じられないっていうか。
街を出られるのなら、無理矢理でも引っ張り出してよ。
僕……弱いから、手を引かれないと一歩を踏み出せないかも」
砥峰さんが近づき、僕の両手を握った。
「大丈夫。
信じられなくても、私が“絶対”を信じさせてあげる。
私が連れ出してあげる。
だから、この計画に付き合ってよ」
そして耳元でこう囁いた。
「貴方が必要なの」
あぁ、本当に、どうしようもなく魅力的な提案だった。
「ぼ、ボクも背中押してあげる……から!」
ぽんと、背中に軽い衝撃があった。
国道さんが僕の背中に両手を当てて、ピッタリとくっついていた。
「……そうだね。
一緒に出よう」
波の音が耳に届いて、この辺りに響くのを繰り返していた。
砂浜に残った足跡を消すかのように。




