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第7話 芽吹いた感情

 昼のチャイムが鳴ると、小学生と中学生それぞれの教室で、給食の準備が始まった。教室の空気がふわりと入れ替わるように、食器の音や食缶を運ぶ声がひとつずつ混ざっていく。


 中学生の教室では、机が合わされて長いテーブルのようになり、そのまわりに生徒たちが少しずつ腰を下ろしていった。結唯も、その一角に静かに席を取る。去年まで小学生だった彼女は、今年からこの教室で昼食をとるようになった。


 隣の教室とはいえど、一緒に食事をとる人たちが変わると、全く違った雰囲気を感じていた。


 澪が給食当番として配膳を進めながら、結唯の方をちらりと見た。


「結唯ちゃん、まだ慣れない?」


 結唯は少しだけ困った笑みを浮かべた。


「うん。先月まで咲ちゃんと並んで食べてたし、周りは私よりみんな年下だったから」


「小学生は給食の時間でもにぎやかだけど、中学生になると変に静かになるからな。」


 奏多はカレーの食缶をよいしょと持ち上げながら、「まあ、そのへんが“大人”ってことなんじゃない?」と加えて呟いた。


「私も大人になれるのかな…?」


 ふと、奏多の発した”大人”というワードに結唯は反応した。


 それをすかさず、結唯の隣に座っていた花蓮が目を光らせる。


「なになにぃ~? 結唯ちんはそんなに大人になりたいの? 大人になって何がしたいのかなぁ?」


 面白そうなネタを見つけたと言わんばかりの花蓮の正面に座っていた奏多は、”懲りないやつ”と言いたげな表情で見ていた。


「ねえねえ、大人になったら何するの~? スーツ着てカフェで読書とかしちゃう?」


 花蓮は、楽しげにスプーンをふりながら結唯の横顔を覗き込んだ。


 結唯は少し口を尖らせて、「別に、そんなに大人になりたいわけじゃないけど…」と小さく言ったものの、その声は控えめに濁っていた。


 花蓮はさらにニヤリと笑った。


「え〜? じゃあ何? “気になる人"が大人っぽいとか〜?」


「気になる…人・・・」


 結唯は、スプーンでカレーのルーをそっとすくいながら、花蓮の言葉に思考が停止する。

 次の瞬間には、無意識に顔を上げていた。そして、一瞬、彷徨っていた視界の先に秋の姿が映り込む。


 静かに食事をする秋の横顔。特別なことをしているわけじゃないのに、その落ち着いた空気や指先の動きに、なぜか視線が奪われた。


 と同時に、なぜか、堂々とは直視できないと思った。


 目を合わせたくない。けれど、見てしまう。だからすぐに視線を逸らす。


 そんな自分の不自然な視線の動きに、結唯自身が戸惑っていた。


 頬が、じんわりと熱くなる。「な、なんで…?」と首をかしげるふりをして髪を揺らしてみるけど、熱は収まらない。


 耳のあたりまでじわじわと火照っていて、クラスのざわめきが遠くに感じられる。


 花蓮はそんな様子に驚きを隠せず、慌てて身を乗り出した。


「ちょっ!…結唯ちん! 顔が湯気立ってるよ!? カレーより熱くなってない!?」


「..…っ!?」


 花蓮の言葉に、結唯は反射的に両手で顔を隠した。けれど、指の隙間から漏れるぬくもりに、もう隠しきれないと悟る。


「ちがっ……ちがうってば……!」


 必死に否定するその声も、どこか曖昧だった。


 “違う”と言い切れるほど、その感情に理解が追い付かないことが、余計に結唯を不安にさせていた。


(なんで!?なんで、こんなに顔が熱いの!?わけがわからない…)


 プシューという音が聞こえてきそうなほど、結唯の表面温度は上昇し続けていた。


 奏多はスープを飲みながら、いつまでも騒いでいる花蓮を一瞥すると、「花蓮、大人になれないお前の教室はあっちだと」とつぶやき、教室の出口を指さした。


 その言葉に、花蓮は「うっわー…それ地味に刺さる」と笑いながらも、一応小声になった。


 当の秋はというと、いつもの日常に特に気にすることもなく、黙々とカレーを食べ続けていた。


 少し顔のほとぼりが冷めつつあった結唯は、一呼吸を置き息を整えてからカレーを食べ始めた。


 結唯はスプーンを口に運びながら、ふとまた秋の姿が頭に浮かんだ。別に何か特別なことをしているわけじゃないのに、視界の端で彼の存在が強く残っている。


(……やっぱり、なんでかな。秋くんの顔が見られない)


 もう一度、理由を探すように顔を上げかける。今度こそ、ちゃんと秋を見てみようと思う。


 けれど——スプーンを置き、そっと顔を向けかけた瞬間、結唯はすぐに小さく息を飲んだ。


 秋と目が合う寸前だった。その瞬間、胸がぐっと詰まり、頬の奥にまたじわっと熱が戻ってくる。


 “大人”になる理由に、なぜ秋を見ると呼吸が乱れるのか。自分でもわからない。でも、見てしまうと、なにか――名前のつかない気持ちが溢れてしまいそうで。


 結唯は急いで視線をずらし、食事に集中するふりをした。スプーンを握る指が、ほんの少し強張っている。


「……カレー、ちょっと冷めちゃったかも」


 小さく呟いたその声は、誰に向けたものでもなく、ほとんど自分に言い聞かせるようだった。


 また直視できなかった。その理由はわからないけど、少なくとも「恥ずかしい」という感情だけは確かにそこにあって、昼の教室の空気の中で結唯の呼吸だけが少し速かった。

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