第4話 幼馴染③
三人が教室に入ってくる直前、2人の男女が窓際で静かに話していた。
「そうえいば花蓮、今朝、港のとこで観光客っぽい人見かけたんだ。カメラを首から下げてて、散り際の桜を撮りにきたんだろうか?」
隣に座る女性に話しかけた男性は教室の奥側、窓際の席に座っていた。 黒髪はきれいに整えられ、前髪が眉の少し上で揃っている。細身のフレームの眼鏡がその顔立ちを冷静に縁取り、頬には陽の光が淡く斜めに差していた。
白に近いグレーのシャツに、濃紺のパンツ。どちらも無地で、装飾はなく、ただ清潔に整えられていた。 袖口はきちんと折り返されていて、ボタンの留め方にも乱れがない。
それは“制服ではないのに、制服よりも整っているような印象を与えていた。
語りかけられた女性は机に頬杖をついたまま、少し笑った。
「そうかもね。本島にいたときも、春になると桜の下で写真撮ってる人いっぱいいたよ。奏多は写真撮ったりしないの?」
奏多の言葉に応じた制服姿の彼女は、同じ中学生でありながら、どこか島の空気から一歩だけ離れて見える。 軽くウェーブのかかった赤みがかった前髪の奥には明るい瞳があり、背中まで伸びたポニーテールが椅子の背に軽く触れていた。 制服のシャツは清潔に整えられていて、袖をまくる癖もなく、赤いリボンが太陽に照らされて淡く光っていた。
島の学校でただ一人、制服に身を包む彼女はいたずらっぽく奏多に問いかける。
「毎年のことで見飽きているし、それに、うちの島にはーー」
奏多は最後まで口にせず、すっと窓の外に目をやった。
それにつられ、花蓮も奏多の視線を追って窓を外に視線を移す。
「あー…そうだね、うちもこの島に来た時には本当に驚いたよ。うわさでは聞いていたけど、本当に秋季にも花を咲かせる桜があるんだね。」
島の中心、学校から見える緩やかな尾根を越えた先に、その桜の木は立っていた。 山と呼ぶには低く、丘と呼ぶには広すぎるその場所は、島の人々が「神座」と呼ぶ静かな高台だった。
桜の木は一本だけ。 周囲に他の木々はあるが、どれもその桜ほどには枝を広げていない。
樹齢は千を優に超えているだろう。
根元は太く、苔がうっすらと覆っていて、幹には風と雨の跡が刻まれていた。
この桜の木は世界的に見ても大変珍しく、毎年必ず春と秋に花を咲かせる。
春の花は、島の空気が柔らかくなり始める頃に咲く。 三月の終わりから四月の初め、海風がまだ冷たい日もあるが、桜はそれをものともせず、枝先から淡い花を広げる。
そして、秋。 十月の終わりから十一月の初め、空が澄み、風が乾いてくる頃。 桜は再び、静かに花をつける。 春よりも少し色が濃く、桃色が深くなる。そして、冬を迎える準備ができた頃、一夜にして花を島中に舞い散らせる。
島の人々は、神座に咲くこの桜を「神桜」と呼ぶが、年に2度咲く理由を知っている者は誰もいないらしい。古い言い伝えによると、昔この桜の木の根元に祈りを捧げた人がいて、その人の願いが“春と秋、どちらにも届いた”からだと。
そんな島に伝わる話を奏多が思い返していると、静かに教室の扉が開き、視線を移したタイミングでちょうど秋、澪、結唯が入ってきた。
「おはよう」
3人の姿が見えた奏多は、優しく声をかけた。
目は一瞬だけ秋をとらえ、それから澪と結唯へ順に視線を移す。特別な色を込めることなく、すべてを同じ静けさで迎え入れていた。
「おはよ〜!」
奏多とは対照的に、花蓮は軽やかに声をあげた。
奏多よりも一歩明るい調子で、教室の空気にほんの少しだけ跳ねるような音が落ちた。
秋たちはそれぞれ反応するように歩を進め、ゆっくりと自分たちの席へ向かった。
三人が席につくと、教室の空気が少しだけ整った。 窓からの光が花蓮の制服のリボンに反射して、淡い色を机の上に落としていた。
澪はその光に目をやりながら、ぽつりとつぶやいた。
「……制服、やっぱりいいよね。なんか、ちゃんとしてるって感じ」
花蓮はその言葉に反応して、少しだけ首を傾けた。
「え?…あ、これ?…うん。前の学校が制服だったから、こっちでも着てるだけなんだけどね」
「本島の学校だったんだもんね」
「そうそう。小学校までね。親の研究でこっちに引っ越してきてから、制服じゃなくてびっくりしたけど…なんか、島のほうが自由っていうか、気が楽だよね」
花蓮は笑いながら言ったが、その言葉の最後に少しだけ間があった。 澪はそれに気づいたが、何も言わず、微笑んで返した。
秋はその会話を聞いていたが、特に反応は示さなかった。
結唯は筆箱を机に置きながら、花蓮の制服の袖に一度だけ目をやった。
それは“違いを見ている”というより、“違いがあることを受け止めている”ような視線だった。
教室の中に、島の朝と本島の記憶が、ほんの少しだけ交差していた。
島の学校は、木造の2階階建てである。
校舎の中央に昇降口があり、2階の左右にそれぞれ一室ずつ教室がある。 片方が小学生の教室、もう片方が中学生の教室。
咲が言っていた図工室や音楽室、職員室は1階の昇降口の隣にそれぞれ並んでいる。
校舎の廊下は短く、教室は普段は別々に使われている。
咲たち小学生は左の教室で、秋たち中学生は右の教室で、それぞれの教室で授業を受ける。
芸術と道徳の授業。 そのときだけは、1階に全校生徒が集まって同じ空間で過ごす。
絵を描くときも、物語を読むときも、音楽の時間も、誰が何年生かは関係なかった。
この日の3限目は図工、美術であっため、全校生徒が1階の図工室に集まる。
咲は毎回、秋の隣に座りたがる。
澪は咲の絵をちらりと見るが、何も言わない。
結唯は、やっぱり少し引いた位置からみんなの様子を見るが、特に言葉には出さない。
花蓮は、咲に対して姉っぽく振舞い、少しだけ声を柔らかくする。
奏多は、そんなみんなの様子を見ながら、「平和だな」と細く笑みを浮かべる。
秋は今日もそんな日になるだろうと、朝から変わらない毎日が訪れることに、少し胸を弾ませていた。