85.呪言、鬼人vs狙撃手
視界から二人の姿が掻き消えた瞬間、美月はスコープから静かに目を離した。
覗き込んでいた視界の中では瀬名と戸呂が稲光のようにぶつかり合っていた。
姿を現したかと思えば真逆に弾け、次の瞬間には櫓の上で斬り結んでいる。まるで幻影を追いかけているような速さに目が追いつかない。
乾いた喉を潤すように美月は小さく息を吸い込むと肺の底まで溜めた呼気をゆっくりと吐き出す。
張り詰めた神経を少しでも解きほぐすためのほんの僅かな休憩だった。
その刹那を狙ったかのように一発の弾丸が唸りを上げて彼女へ放たれる。
「妬根っ!」
鋭い警告とともに鉄将の声が飛ぶ。次の瞬間、彼の大盾が唸りを上げて宙を裂いた。
轟音が風を断ち、美月の体を凍らせる。質量ある物体が頭上を掠めた事に恐怖し、美月は地面に額が擦れるほど頭を伏せた。頭上を掠めた鉄の影が敵の狙撃を正面から受け止める。
盾は鈍い音を響かせて跳ね返り、地面に落ちるより早く鉄将の大きな腕がそれを拾い上げた。彼の眼差しはすでに敵を捕捉している。
木陰に潜むサン――その存在を確かに見据え、鉄将は彼女の前に立ち塞がるように盾を構える。
美月もその視線を追うように銃を構えるが、引き金に指をかける前にサンの姿は煙のように消えていた。
「……やっぱり俺達と同じように潜んでやがったか」
鉄将が低く唸る。だが彼の推測は誤っている。
サンの狙いは瀬名ではない。戸呂を狙う者を狩るための、言わば影の狩人だ。
「本当に潜んでたのか、たまたま居合わせたのか。そんなことはどうでもいいわ。問題はあいつを放っておけないってことよ」
美月は小さく呟き、すぐに鉄将と視線を交わす。
あのスナイパーを野放しにすれば、この任務どころか仲間すら危うい。胸を突く危機感が彼女を次の行動へと駆り立てた。
トランシーバーに手を伸ばし、息を整えて声を発する。
『求平君、こちら美月』
『こちら皆のリーダーだ。どうした?』
いつもの軽口に返す暇はない。声色は切り詰められ、冷ややかに本題を告げる。
『スナイパーを一人確認。こっちの姿も見られてる。この場を離れるけど……追っていい?』
数秒の沈黙。返ってきたのは余計な言葉を削ぎ落とした短い命令だった。
『必ず仕留めろ』
それだけで十分だった。美月の唇にわずかな笑みが浮かび、血が沸き立つような高揚が胸に広がる。
「鬼怒川君! 行くわよ!」
「おう!」
盾を先頭に二人は息を合わせ、森の深奥へと溶け込んでいった。
奥へ踏み込むと森は静まり返っていた。
風に揺れる梢のざわめきすら、耳に刺さるほど鋭く感じられる。
盾を前に構えた鉄将が一歩、また一歩と踏み込む。重い体重が湿った落葉を踏み潰すたび、空気が押し返してくるような圧を纏っていた。
美月はその背に寄り添い、銃口をあらゆる影に向けては移す。
引き金にかかる指先は汗で湿り、狙撃手の気配を探す視線は森の闇を切り裂いていく。
「もういないのかしら?」
「いや、いる」
そう断言する鉄将の直感が警鐘を打ち鳴らす。狙撃手は彼らを弄ぶかのように息を潜め、木々のどこかに棲んでいると。
ふと鉄将がわずかに腕を伸ばし、美月の進行を制した。
盾の端から覗くその眼差しがひときわ鋭さを増していた。
次の瞬間、右方の木肌に閃光が散る。
銃弾が盾に弾かれ、その音が森を震わせた。
「そこかッ!」
鉄将の怒声が轟くと同時に抜かれた拳銃が狙撃手がいた場所へ発砲される。
瞬間的に行われたその行為は後方にいた美月も呆気に取られる程早く、発砲音が鳴るまで何が行われたか分からなかった程であった。
美月は一手遅れたが銃を跳ね上げるようにして構えた。だが視界に映ったのは一瞬の残像。狙撃手はすでに姿を消している。
ということは鉄将の弾は当たっていないということだ。
彼の特性上、期待してはいなかったのだがそれを美月が口にできる筈もなく、
「惜しかったね」
とりあえずそう取り繕うことにしたのだった。
しかし鉄将は歯がゆいといった様子でワナワナと震えていた。
「求平のやつ、やりやがったな……」
美月は鉄将の言葉を拾って彼の手元を覗き込む。ハンドガンから外されたマガジン、一瞬で状況を把握した。
鉄将が渡されたハンドガンには弾が入っていなかったのだ。もちろんこれは強の仕業である。
鉄将が人に向かって撃つと自爆しかねない。言わんとすることが分かるだけに美月から言えることは何もない。
予備の弾も貰っていないので鉄将の銃は玩具同然である。
「妬根! 弾あるか?」
「ごめん、持ってない」
美月は息を吐くように嘘をついた。
当然、弾はある。各自が高速で弾を込めれるようにマガジンローダーなるものを所持していた。
だがここで彼に弾を与えるわけにはいかない。それは強の思惑を裏切ることになるからだ。
「空砲でもいいから鉄将君は相手を狙って」
「けどそんなことしても――」
パンッ――。
側面から飛んできた弾を鉄将は弾き落とす。と、同時に指示された通りに相手へ発砲を行う。
(鉄将君の反射速度で銃口を向けられたら相手の警戒度は高まる筈、ってことで良いんでしょ?)
リーダーの思考を読み取った美月は不安気ながらも思い流す。それは正解であった。
鉄将の能力をデメリットなく発揮する。それがこのハッタリであった。




