80.一転攻勢
瀬名は一歩。また一歩と、獲物ににじり寄る蛇のようにゆっくりと距離を詰めていく。
その場に張りつくように硬直した敵兵達はただ彼女の覇気に呑まれていた。
さっきまであれほど激しかった銃声はピタリと止む。
誰もが撃つことをためらい、息を潜める。
――それほどまでに彼女は恐怖を纏っていた。
だが一定の距離に踏み込んだ瞬間、空気が弾ける。
我に返ったかのように兵士の一人が引き金を引き、その音を合図に四方から瀬名に銃撃が集中した。
次の瞬間、瀬名の身体が前方に倒れ込む。
弾丸に撃たれ、膝から崩れ落ちたかに見えた。
――否。それは彼女の合図だった。
地面に手を突きしなやかに跳ぶ。
沈み込むように地を蹴り、前のめりの姿勢のまま影が疾る。
チーターのようなダッシュ、ガゼルのような軽やかなステップ。
その動きは不規則で敵の視界から消え、すぐさま現れる。
兵士達は数でも装備でも勝っているはずなのにたった一人の女を止められない。
照準を合わせても的を絞らせず、追えば追うほど振り回される。
サンはスコープの奥で舌打ちを漏らした。
「動きが不規則すぎて、先読みできねぇっす……」
スナイパーにとって敵の隙を狙うのが鉄則。
だがその隙を与えないのが瀬名だった。
瀬名は一人の盾持ちの男に肉薄すると、彼の弾をかわし、盾を掴みながらナイフを閃かせる。
冷たいゴムのナイフが喉元を切り裂き、短い悲鳴が夜に消えた。
「囲めぇっ!」
兵士が叫ぶ。
半円を描くように瀬名を取り囲み、重なる銃声が森に反響する。
だがその中心で瀬名はまるで舞うように身を翻していた。
銃声のハーモニーさえも彼女にとってはただの舞曲の伴奏でしかない。
目の前の盾持ちを蹴り飛ばし、隊列に穴を開ける。
その刹那、草むらに潜むスナイパーが息を呑みトリガーに指を掛ける。
サプレッサーがこもった音を吐き、弾丸が夜を裂いた。
誰も気づく筈がなかった。普通の人間ならば。
しかし瀬名は撃たれる前に避けていた。
男の目が見開かれる。
何が起きたのか理解できぬまま、次の一手を送らせる。サンの無線が唸る。
『早く離れるっす!』
その言葉が届いたときにはもう遅かった。
スナイパーの額は撃ち抜かれていた。
「何で……ハンドガンでライフルの距離を撃ち抜けるんすか、あの人は……!」
震える声でサンは呟き、スコープ越しに瀬名を見据える。
その視界の中で瀬名がふとこちらを振り向いた。
目が合う。静かに、微笑む。
隠れている筈なのに――見られている。
「化け物め……」
サンは無意識の内に後ずさっていた。
もう一人のスナイパーから無線が弾む。
『どうしたサン! まだ狙えるだろう?』
『いや、やめっす……あの人は規格外っす』
諦めたようにスコープから目を外すと津名がその会話に割り込んできた。
『気づくのが遅ぇよ』
無線越しに聞こえるその声は部隊全員に共有される。
かつて瀬名と共に戦った彼らにとって当然の事実だった。
『先輩達は……分かってたんすね』
その問いに戸呂と津名が同時に返す。
『当たり前だ』
サンの顔が熱くなる。自分の浅はかさに。
無線が再び唸る。戸呂の声だ。
『一年も含めて全員理解したな。全員後退しろ。瀬名は俺がやる』
『バケモノにはバケモノをぶつけるんすね!』
『誰が化け物だ』
『……先輩はホラー映画とか見ないんすか?』
『あぁん?』
『サン、茶化してる場合じゃねえぞ! 見ろ、前線が崩壊寸前だ』
気づけば五人いた盾部隊は、もう二人しか残っていない。
むしろ、二人がまだ立っているのが奇跡だった。
彼らが語っている間に美月が隙間を縫うように一人を撃ち抜き、強が低く姿勢を落として走る。
瀬名から距離を取り、守りに入った兵士の背を撃ち抜いて戦場をさらに撹乱させた。
「……とりあえず、あの間抜けそうなスナイパーだけでも倒しとくっすか」
サンは息を吐き、スコープを覗く。
敵のスナイパーがこちらに気づく様子もなく、無防備に姿を晒していた。
照準を定め、迷いなく引き金を引く。
だがその弾丸は盾に弾かれた。
「危ねえっ!」
巨体が立ち塞がり、サバゲー同好会の防護盾を構える。
「誰っすか! 盾を奪われた阿呆は!」
サンの怒声が森に響く。
その盾は強が沈めた敵から鉄将へと投げ渡されたものだった。
状況の悪化を悟り、サンは後退しようと身を引く。
だがその瞬間、闇を裂く弾丸が彼女の頬をかすめた。
「……外れた?」
「ぽいな」
それは美月の狙い澄ました一撃だった。
あと半歩ずれていなければ確実に仕留められていた。
サンは背筋が冷える前に怒りで頭が沸騰した。
「ふざけやがって……!」
般若のような形相で反撃しようとしたその時、津名の声が届く。
『盾部隊は退避した。サン、お前も下がれ』
歯噛みしながらもサンはその場を後にする。
森の闇に溶け込みながら唇を噛みしめて呟いた。
「あのスナイパー……絶対に許さないっす」
その怒りの熱が銃を握る指先に伝わり、戦場から消えていった。




