79.瀬名の出陣、美月の決意
「左方! 警戒しろ!」
強の声が届いた瞬間、空気が張り詰める。
既に三俣と四子に何かがあったことは誰もが感じ取っていた。
無言で交わされる視線はあいつらやられたのだなという無言の合意に他ならなかった。
左方を警戒していた二駅と五木。それに忍び寄る影。
草を弾き、音もなく現れた黒衣の影が視界に現れたと同時に火線が走る。
敵の銃口が吐き出した光が二人へと向かっていた。
だが強と皆人の機転が一瞬、事態を変えた。
危機の予兆をいち早く読み取っていた二人の指示によって二駅と五木は間一髪、奇襲を免れていたのだ。
左からの強襲。敵は三人。
あいつらが三俣と四子を討ったのだ――皆人はそう確信する。
「遊撃隊ね。良い仕事をするわ」
低く息を呑みながら瀬名が呟く。
その声は感嘆にも似ていたが強がすかさず声を荒げた。
「言うてる場合か!」
敵は俊敏に動く為か盾は持っていない。
軽装と機動力で射線を切り、三方向に分かれてこちらを翻弄する。
隊列を見事に乱し、次なる獲物へと狙いを定める――標的は逃げ遅れた門居だった。
――パンッ!
唐突な銃声が響く。
次の瞬間、遊撃隊の一人が額を撃ち抜かれ、静かに地に崩れ落ちた。
「あれ……? 瀬名先輩は……?」
皆人が思わず周囲を見回す。
つい先程までその場にいたはずの彼女がまるで瞬間移動でもしたかのように今や門居の前に立っていた。
瀬名は門居の前に仁王立ちし、まるで女神のように静かに盾となる。
敵の二人が思わず動きを鈍らせ、物陰に身を隠す。
敵方が位置的にも射線の通りやすさでも有利な筈。それでも彼らが軽々しく引き金を引かない理由、それはただ一つ。
相手が瀬名だからだった。
「下がるぞ」
「え? でもっ……!?」
門居に銃口を向けようとした仲間をもう一人が押し止める。
焦りが滲む声に対し、その判断は冷静だった。
撤退の合図。
即座に強達が木を盾に回り込み、弾丸の雨を形成する。
それを見切るように敵は素早く戦線を離脱した。
「津名ね。相変わらず引き際が良いこと……」
瀬名の口元に小さく笑みが浮かぶ。
戸呂と瀬名が本能で動く戦士だとすれば津名は冷徹な参謀だ。
最終決定を下すのは戸呂でも常に津名の策は盛り込まれている。
奇襲が失敗した時点で彼の中では既に撤退が既定路線だったのだろう。
敵を見送った彼らに焦りの色を乗せた無線が唸る。
『求平! 俺が盾になる。妬根を逃がせ。援護しろ!』
鉄将の焦燥が伝わってくる。
その叫びの向こう、彼と美月が何やら言い争っている様子が遠目に見えた。
そしてその背後から敵の気配がすぐそこに迫っている。
本格的な危機が目前に迫っていた。
「俺は突っ込むぞ」
静かに、だが決然と強が呟いた。
マガジンを叩き込む音が彼の決意を代弁する。
盾持ち相手にここから撃っても無駄。自分が攪乱し、その隙を皆人が撃ち抜く。
言葉はなくとも、意図は通じていた。
だが皆人は首を横に振る。
「生存確率を上げるなら一人より二人だ」
その言葉には覚悟があった。
死地に赴く兵士の台詞にしてはあまりに淡々としていた。
一般的にはそれは死亡フラグと言われるものなのだが皆人は深く考えないように頭を振る。
強もまた静かに頷いた。
「援護お願いします」
門居と瀬名に一礼し皆人もまた、銃を強く握る。
「骨は拾ってあげるわ」
瀬名の軽口を背に受け、二人は駆け出す。
「僕も行きます!」
その背中を追い、門居の声が響く。
「門居君!?」
瀬名の驚きをよそに、門居は真っ直ぐ飛び出した。
文芸部の部長も自らの意志で戦場に向かう。
「もう……仕方ないわね」
瀬名は深く溜息を吐くと、地を蹴った。
その跳躍は門居どころか鉄将さえも超えて敵陣へと迫る。
そして目の前に現れた敵と対峙しながら呟く。
「あなた達が不甲斐ないから私が出るわ」
すれ違い様、強にそう言い残し彼女は前へ進む。
瀬名は最初は傍観することに決めていた。何故なら強の「むしろ俺一人で全員ぶっ潰してやらあっ!!」の言葉にどこまでできるか試していたから。
しかし門居が前に出たことで瀬名は仕方なくその手腕を振るう。
ハンドガンを右に、ナイフを左に構え、戦場を悠々と歩むその姿はまるで帰路につくかのような余裕すら感じさせた。
その背中は語る。これから行われるのは戦いではなくただのお片付けだと。
「瀬名先輩! 僕も……!」
門居の声を遮るように瀬名は首だけ振って応じる。
「門居君は隠れていて」
それでもなお、前に出ようとする門居の肩を掴んだのは一左だった。
「瀬名先輩の言う通りにしよう。君が行っても邪魔になるだけだ」
障害物の裏へと引き摺るその手には驚くほどの力が込められていた。
ようやく我に返った門居は歯を噛みしめて頷いた。
その一部始終を見ていた強はふと目を細める。
(……あの人、まだ残ってたんだな)
強は影のように薄い彼をそんな目で眺めていた。
そんな強を皆人は呼び戻し、問う。
「瀬名先輩を援護しなくていいのか?」
「……タイミングを見て俺も飛び出す。皆人は援護を頼む。……悔しいが俺達だけじゃどうにもならねぇ」
「まぁ、そうだな」
言葉の端に滲むのは葛藤でも諦めでもなく、冷静な判断。
ああ言った手前もあるがスパッと割り切れるその胆力こそ強のリーダーたる所以だった。
瀬名が一歩、前に出た。
その瞬間、敵の攻撃が止まる。
恐怖ではない。畏怖――その存在感に戦場が一瞬、静まり返った。
その隙を逃さず、鉄将と美月はようやく脱出に成功する。
脱け出した瞬間、美月はその場に膝をついた。
息を吐き、項垂れる。張り詰めていた神経がようやく緩み、硬直していた筋肉に血が巡り出す。
だが長くは沈まない。
自らの頬を一つ叩き、彼女はゆっくりと立ち上がる。
後ろへ靡いた髪をかき上げると、彼女自慢の額が森の暗がりに射す光を一筋に跳ね返した。
情けなかった。臆してしまった自分がどうしようもなく腹立たしい。
だが今、彼女の目は変わっていた。
もはや怯えた兎ではない。
森の奥に潜む獲物を睨み据える、獰猛な虎の眼光――。
美月は静かに呟く。
「私が皆の隙間から奴らを射貫く」
「そうだな。妬根なら敵だけを狙い撃てる筈だ」
鉄将の太鼓判に美月は小さく頷き、淡々と礼を返す。
静かに息を吸い、気配を沈める。
その姿は夜の闇に溶ける影――。
だが確かにそこに光を携えた、戦場の狙撃手だった。




