77.お嬢様の理想像
『こちらC地点っす。……なんだか訳のわからない阿呆を一人、仕留めたっす』
無線に走る、くぐもった声。
茂みの奥から身を乗り出し、サンはコッキングレバーを引き直すと、ついでのように戸呂へ報告した。
乾いた音と共に銃は装填され、再びスコープの中へ世界が狭まる。
視界を横切るのはざわめく梢とその影に怯える小鳥ばかり。
先ほどの狂人めいた動きの敵が囮かと少しばかり警戒はしたものの、その後に続く気配はない。
舌打ち混じりにサンは引き金に軽く指をかけ、息を潜めた。
本来ならば、一発放つたびに射点を変えるのが鉄則だ。
しかし相手は素人同然の寄せ集め、ならばこの場で十分。
茂みの奥深く、気配を殺して皆から半歩だけ距離を置く。
それが彼女の戦い方だ。
『こちらB地点、敵二人を仕留めた』
『こちらD地点、小さい奴と縄を巻いてる女を発見。交戦中』
立て続けに届く無線の声。
サバゲー同好会の仲間達がそれぞれ割り当てられた森のアルファベット地点から報告を寄せてくる。
彼らはこの雑多なフィールドを粗雑にではあるが区分けしていた。
その報告だけで敵の位置と動きが頭に浮かび上がる。
戸呂は無言のまま小さなノートを取り出した。
ページに書き連ねた十五の番号。そのうち三つを斜線で無造作に消す。
三名撃破――しかし、彼の表情は険しいままだ。一縷の傲りはない。
敵は三手に分かれている。中央に主力、左右に牽制の薄い部隊。他に散ってはいない。
しばし思案したのち、戸呂は前線を更に押し上げる判断を下した。
崩れかけた側面を突き、包囲する形で敵を追い詰める。
サバゲー同好会の横隊が森の奥へ進軍していく。
横隊は火力を集中させやすく、互いに連携も取りやすい。
普段の戸呂であればもっと慎重な策を選んだだろう。何故なら相手にはあの瀬名がいるからだ。
だが今日の彼は違った。
その変化にサンは僅かな違和感を覚えた。
けれどすぐにそれが自分と同じ心持ちゆえだと思い直した。
――これくらいの相手なら敵にすらならない。
作戦など不要だ。そう言ったのは自分だ。
その言葉が彼の胸にも響いているのだろう、と。
「まずは……金敷部を潰さないとな」
戸呂の低い呟きが森に溶ける。
彼はサンと違って金敷部を決して過小評価していない。
雑多の中に、確かな光を宿した瞳がある――それだけで警戒するに値する。
初動で三人程度、撃破したところでそれはただの素人を打ち倒したに過ぎない。誇れることではない。
「どうせ……その中に金敷部はいないだろう」
吐き捨てるように呟く。彼の眼中に瀬名以外の文芸部などない。
ただ金敷部。その中でも求平強、巨傲久美子、一色桜、妬根美月、鬼怒川鉄将。彼が見定めた。五人の戦士。
けれどこの時の戸呂はまだ知らなかった。
最初に消えたのがその見定めた一人であることを。
そして彼の感覚に引っかからなかった相手がこの戦いのキーマンになること……。彼はまだ知らない。
◇◇◇
巨傲久美子――通称、ローズは森の中を舞っていた。
彼女の持つマシンガンから惜しげもなく弾が吐き出される。
一発ごとの命中精度は粗い。だがそれを覆い隠す弾幕の濃さが敵を圧倒した。
木々の陰に潜む敵は撃ち返す間もなく、容赦のない銃撃に沈む。
ローズは木から木へ、ピンボールのように跳ね回る。
上空から雨のように弾丸を浴びせながら次々と敵を無力化していった。
その彼女に一人のスナイパーが照準を合わせていた。
木陰に伏せ、彼女の跳ぶ方向を読み、息を詰める。
引き金が絞られた瞬間、ローズは空中で身体を捩じり、地面に柔らかく着地した。
「オーホホホホホ! ぬるいですわぁ!」
敵の一撃を躱すと即座に撃ち返す。
彼女が放った一発の弾は寸分の狂いもなくスナイパーの額を正確に捉えた。
「今日のわたくしは一味違いますわよ」
ローズの気持ちが昂る。外す気がしない。無敵状態。
むしろマシンガンなどという過剰な武器を手にしている自分が少し恥ずかしくなるほどだ。
その時、ローズの目の前に戸呂が現れた。
彼女はにやりと笑い、マシンガンを外して放り投げる。
「使っても構いませんことよ?」
「……後悔するなよ?」
重い銃を受け取った戸呂が銃口を向けると、ローズは軽やかにナイフを構えた。
唸るような連射が森を震わせる。
だが、ローズは怠惰な猫のような動きで全ての弾丸をいとも簡単にかわしていく。
驚愕に目を見開いた戸呂が言葉を発するより早く、ローズのナイフが彼の身体を切り裂いた。
こうしてローズ一人の活躍で戦いは決したのだった。
(えへへ……やりましたわぁぁ……)
という妄想である。
虚ろな目をしたローズが屈強な黒子に肩から担がれていた。
その横には同じように運ばれる三俣と四子。
『失格』ーーそう無線から淡々と響いた声が現実を突きつけた。
調子に乗り、一人で飛び出し、そして撃たれた。
そんな醜態を誰に話せるものか。
いつも彼女を褒めてくれる父でさえ、きっと言葉に詰まるだろう。
称賛すべき部分が一つもないのだから。
そして後に部員達に弄られるのも間違いない。
もしやり直せるのなら最初からやり直したい――。
黒子の背に揺られながらローズの心はひっそりと泣いていた。




